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蕎麦の味と食い方問題
村井政善

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)否《いな》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)蕎麦は栄養価値中[#「蕎麦は栄養価値中」に傍点]
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 その昔、武士と通人は「もり」、町人は「かけ」を好み、百姓は「饂飩」と定まっていたという話があります。
 蕎麦の味は「もり」にあり、種物食うべからずという位のものとされているなどと通人はいっています。この「もり」の水が切れるか切れないかというちょっとした間は、蕎麦の一番旨いものとされているのであります。水気が多く残っていてもいけないし、またもそもそにのびてしまってはなおさらいけないもので、旨いという時は水気を切ったその時であります。
 蕎麦は硬い方がよいなどと通人のような「キザ」なことをいって、生蕎麦を食って喜んでいる人もあるというから、人はさまざまであります。
 専門家にいわせると、「もり」は蒸籠の四隅に盛って平らにならして出すのは本当であるといっています。そうすると箸でつまんでするするといつまでも続いて立って食わねばならないようなことになって、これがよいとされているのでありますが、面倒といった風に真中へ盛り上げて四方に広げるものですから、引いても引いても蕎麦が固まり続いて、顔を横にして食い切ったり箸ではさみ切ったりすることになります。これは蕎麦屋の職人が悪いからでありますが、これなども主人の心得一つであります。また素人で通ぶって「どうも蕎麦は箸ではさんで千切れるようなのはいけない、するするつながって来る方がよい」などという人があるのですから、段々蕎麦も悪くなり、また職人も不真面目になってごまかしものを作ったり支那蕎麦を拵えたり、時には蕎麦か饂飩の見分けのつかぬものを作るようになるのであります。
 蕎麦の食い方は、箸ではさんで尻の方を一寸三分ばかり汁へつけて、箸の方から口へ入れ、一度汁のつかないままで、口でしめしてから本当の蕎麦の味と香気を味わいて後、静かに汁のついている方を吸い込んで煮出汁の味が分るものであります。
 著者は、時々宅に取り寄せて食べることもありますが、これは第一まずい。蕎麦屋に行って食べるような味はしないので、食べ方研究のためなどと口実をもうけて出かけることも多いが、近来蕎麦屋へ行ってもまずいことが多い。第一椅子に腰をかけて靴のままで蕎麦を味わうというのですから、旨かろう筈はない。また端で食べている人々を見ても如何にスピード時代とはいいながら、「かけ」を食べているのか「もり」を食べているのか分らないようで、「もり」を食べるに、汁の中へ薬味をうんなり入れ込み、その汁へ蕎麦を浸け込んで食べている人が多い。丁度「かけ」の冷ましたものを食べているようであります。これは蕎麦の味などの知ることがない、ただ醤油の辛味と薬味の味を減ずることと、多く食べて満腹するに過ぎないのである。停車場のプラットホームや特殊の料理は別として、本当の蕎麦を味わうには、やはり畳の上で静かに座して食べる方が真の味があります。
 近来椅子に腰をかけて蕎麦を食べている客の大半は、蕎麦を食べることを知らぬ人が多い。稀に真面目に食べている客もあるが、実際は知らぬのである。前にも述べたごとく、ざぶざぶと汁をみんな猪口に入れ、それへ葱も大根もごたごたに打ち込んで蕎麦を入れると、その猪口の中を箸でこね廻し、そのままかき込むといった風で、甚だしい客になると、ここの家は馬鹿に「ケチ」で汁が少ないなどと小言をいいながら、すまないが少し汁の代りをくれなどといっていることも見受けます。こんなことであるから旨い蕎麦も食べられぬし、また蕎麦屋泣かせにもなる。であるから、こんな客の多い家では、蕎麦も汁もまずいが盛り沢山であります。
 ある蕎麦屋の主人の話でありますが、汁物では「天ぷら蕎麦」は大衆向きのものですが、あまりいいものではありません。どっちかといえば素人だましの代物で、通人は「花巻」を好みます。それは、良い蕎麦で良い汁で、それに良い海苔をばらっとかけるから香気も良いし味も良いのです。これはこの海苔が千金の値打ちなのになぜ「薬味をつけないか」と文句をいう客があります。馬鹿だなァと思うこともありますが、お客だから出します。すると葱を海苔の上からばらばらとかけます。これを見ると、アアもうおしまいですよ。
 早い頃はこの「花巻」を頼んで薬味をくれなんていう人は、まあ千人に一人だったが、この節は「花巻」を食う客も少ないが、十人に八人までは薬味をくれというので、私の家でも最初は頑張って薬味はつけて出さなかったのですが、つけなければきっと「くれ」といわれるので面倒臭いから今ではつけて出していますが、時にはこの薬味をぽっちりとも使わずに帰る客があります。こんな客を見ると「まだ東京にも粋な人がいるなァ」となつかしく思うことがあります、と話していました。
 しかし近来大衆は、蕎麦の味を本位にする人が少なくなって、ごたごたしたものを好むようになったようであります。次に蕎麦の味について二、三の方々の説を略記して御参考に供してみましょう。

 佐々木博士の話
「蕎麦が売れなくなったということで、蕎麦に色をつけると話を聞いたが、それはよいことだと思います。豆の粉で色をつけることは栄養上からしても悪いとは思いません。色素からしても青竹色は悪くはない。蕎麦が段々売れなくなったということは、近頃の若い人達は風味ということなどはあまり考えないようであります。私も女学校などへ行っていますが、学校では栄養価のみをいって風味などは全然おるすであります。私も蕎麦好きの方で、一週間のうちに蕎麦を食べない日は二日位です。栄養価が分ったのですから、早く皆人達に食べさせたいものだと思います。今は時代の変わり目でしょう。昔の人は風味をいいましたが、今の人は栄養を主とします。それには牛乳を混ぜるとか卵を混ぜるとかいうこともよいと思います。食べて悪い感じさえしなければ、それと蕎麦の本質を考えて、何を混ぜるにしても栄養価を失わぬようにしたい。饂飩の中に蕎麦を混ぜてもよい。そうすると今の蕎麦と同じものになるかもしれないが」と話されたことがある雑誌に書いてありましたが、著者が思うに、佐々木先生としては栄養学者の第一人者でもあり、また蕎麦研究については最も権威者でありますから御説もごもっともと存じますが、しかし著者も栄養研究所に在職中、栄養ということを主として、饂飩や蕎麦に先生の前説のごとくバターとか牛乳、煮干粉など種々なものを粉に混じて打って料理したこともありましたが、旨いとは思いませんでした。時としては旨いと感じるものもありますが、これも一時的のもので、度々食べるとあきが来て、結果蕎麦は蕎麦切として食べた方が旨くなって来るようであります。女学校で料理を教えるように、栄養々々といっていては栄養となるべきものも結果、不栄養となることも多くなりはせぬかとも存じます。一例を申しますと、最も栄養価のあるものでもその人の嗜好に合わぬものはしたがって旨い感じをいたしませんから、まずいまずいと思って食べたものは、さのみ栄養にもならぬものと存じます。
 近頃の学校方面の人は栄養病にかかっているようで、実際栄養の摂り方を知らぬのではありますまいか。過言のようではありますが、実際蕎麦切としては、蕎麦切の味がなければ別に蕎麦でなくとも他に栄養豊富なものも沢山ありましょう。支那蕎麦のごとく蕎麦そのものに味のなきものであれば、汁やかやくをごたごたにして蕎麦の味を食うのでなく、かやくや汁を食べることになってしまうのであります。十人十色と申しますが、そのうち食物ほどまちまちのものはないということができます。なぜならば、著者自身のことでありますが、子供の時に食べたものとまた青年時代に食べたものと五十余歳になった今日とは、全く食物の味、否《いな》嗜好が変わって来るようです。これは著者のみでなく一般の人々もそうであろうと考えます。で、蕎麦そのものには蕎麦としての栄養価があり、またしたじ(汁)にはしたじとしての栄養価があり、あるいは他に使用する品々もそれぞれの栄養価を持ち、蕎麦切として打つには、鶏卵も多少なりとも用い、山の芋や自然薯のごときを使用している訳ですから、特別蕎麦粉の良質であって風味良い粉の中へ混和物をしてまずくして食べないでも、蕎麦そのものの料理の仕方によって他にいくらも栄養分を摂ることができようと存じます。これは学者先生方に対し失礼なる言葉と存じますが、料理者として一言付記すると共に御指導のほどを書中ながら願う次第であります。

 堀内中将の話
 お国自慢、信州蕎麦。あれには昔から食い方があります。大根をおろした絞り汁に味噌で味をつけ、葱の刻みを薬味とし、それへ蕎麦をちょっぴりとつけて食うのであります。ただし蕎麦は勿論、大根、葱、それぞれに申し条があります。
 大根は、練馬あたりで出るような軟派のものではいけません。あんなに白くぶくぶくに太ったのは、水ばかりで駄目であります。アルプス山麓あるいは姨捨山などの痩土に、困苦艱難して成長したものであって、せいぜい五寸、鼠位の太さになっているものに限ります。同じ信州でも川中島や松本平のものではやはりいけません。これをゆっくりと力を入れておろし、力を入れて絞ると、ぽたりぽたりと汁が出ます。肥土のところへできたやつは、絞ればしゃあしゃあ水のように出ますが、水飴のように濃く固まってぽたりと落ちます。これは大根に「のり」があるといって旨いし、第一ひどく辛いのであります。
 味は、味噌でもよいが、醤油でもよいのであります。好き好きだが、私は味噌の方が好きであります。それへ入れる刻み葱もまた肥料の充分に利いた畑でできて、白根が一尺もあるような、俗にいう根深は風味がないのです。大根同様、痩土に成長して五寸位のもので、信州でも若槻のが一番よろしいのであります。
 大根をおろす時は「頭をぶんなぐれ」という諺がある位で、腹を立てて、うんうんいっておろす位の硬いものがいいのです。軟らかいものは甘くて蕎麦の味とぴったりとこないのです。この大根、この葱で拵えた汁の辛いというものは眼の玉がとび出るほどで、従って汁をたっぷりつけたくともつけられないのであります。
 大根は皮つきのまま、必ず尻っぽの方からおろすとよいのです。これを逆に頭の方からおろすと、ぐっと辛味がなくなってしまう、不思議なことです。
 そこで蕎麦でありますが、これがまた問題で、信州では実は蕎麦はもう贅沢品の中に入っています。どこもここも桑畑になって、まるきり蕎麦などを作る処がなくなってしまい、自然本当の蕎麦粉は非常に少ないものになっています。
 粉は戸隠山の産、これも「蕎麦の木」がようやく六寸位のものからとります。和田峠付近のもまあよいのです。
 更科蕎麦というが、もうあの辺では蕎麦らしい蕎麦は食えなくなっています。長野、松本など勿論駄目です。かろうじて蕎麦らしい蕎麦を食い得るのは、今では僅かに一茶の柏原付近ぐらいのものでありましょう。また日本料理研究会々長の医学博士、竹内先生は次のような話をされています。
 浜町花やしきに「吉田」という蕎麦屋があります。そこは昔からなかなか売ったもので、このうちの「茶蕎麦」はまず天下一品でありました。ところがひょっこり「コロッケー蕎麦」という妙なものを売り出し始めた、ああいけないなァと思っているうちに、もう駄目でありました。蕎麦はぐんぐん邪道へ落ちてお話にならなくなってしまいました。下谷池の端の蓮玉庵もなかなか旨いもので、十五、六年前は蕎麦食いたちは東京第一の折紙をつけ、私なども毎日のように通ったものですが、これも今はいけなくなり、蕎麦そのものの味と下地の味とがどうもぴったりと来ないようになったのであります。
 神田の「やぶ蕎麦」もいいが、ちと下地の味が重い上に、器物に不満のところがあります。私の一番いいのは、月並だがやはり、麻布永坂の「更科」で、あのうちの「更科蕎麦」には何ともいえない風味があります。初めは「並のもり」といういわゆる駄蕎麦ばかりを食ったものですが、しかしこれを段々やっているうちにあの白い細い更科の方がよくなり、駄蕎麦の方も旨いには旨いが、味が重いし、舌へ残る気持も少しべっとりとする。更科は少しあっさりと過ぎる位に淡々たるところがいいようであります。
 牛込神楽坂の「春月」もよろし。「もり」「ざる蕎麦」何でもよいが、あのうちの下地に特徴があります。この方の通人にいわせると、蕎麦は下地をちょっぴりとつけてするすると吸い込むものだというけれど、私はやはり下地を適当につけて口八分目に入れていくのがよいと思っています。
 信州から蕎麦粉を取り寄せて打ってもらって食べることもあるけれども、どうも旨くない。蕎麦屋に頼むものでありますから、東京式に打つので、自然饂飩粉などを多く入れるのでこんなことになるのではないかと思って悲観しております。(『食道楽』誌より)

 満州蕎麦の味(酒井章平氏の話)
 前略 一、二月に入ってから、私共が一番に嗜好する所のものは「手おし蕎麦」でありました。一体満州の蕎麦の産額はなかなか大きく、日本内地にも十万石ほど輸出をしているとのことでありますが、満州人は稀に餃子《ジャウズ》の皮に蕎麦粉を用いている位で、一向に蕎麦を利用している様子が見えませぬ。それで、
「蕎麦を味わうには」どうしても内地式の手打ち蕎麦が第一等であろうが、これを作るにはなかなか技術が要り、労力もかかり、あるいは小麦粉などのつなぎを入れるために蕎麦の風味を失い勝ちとなりますので、蕎麦を常食として簡単に、しかも最も「蕎麦」の風味を生かして摂取することにつきては、渡満前から内々苦心をしていたのでありますが、僅かに機械蕎麦位で我慢をして来たのであります。
 それで機械だけでも安くて四、五十円はとられるので、「つなぎ」を余程入れぬと切れ易く、甚だ難しかったのでありました。ところがある時、干先生が支那の場末の恐ろしく汚い飲食屋で「つなぎ」も不要、しかも切れずに風味も充分あるという「蕎麦」を見つけたといわれるので、早速出掛けて箸や茶碗を消毒させて食べてみたところ、とてもおいしいという訳にゆかぬが、とにかく今までの心配を全部ふきとばしてくれるほどの喜びでありました。道具の値段は幾らだと聞きますと、約廿円だとのことで、これならば買わずとも農民の手でできるというので渡辺兄にお願いして、二、三日で作って頂き早速実行いたしました。最初はどうしても物足らぬところがあって、信州の人達の助言によって改良したところ、蕎麦だけで、これはまた案外どころではない、とても旨いものができるようになったのであります。
 道具も簡単であり調理も楽にでき、しかも北大栄の倉庫には昨年(七年)の収穫した蕎麦が五十石もあったので、製粉のできる範囲において「手おし蕎麦」の煮込みに舌鼓を打とうと、一日一回は朝食といわず夕食といわず、煮込み蕎麦で結構いけます。東京辺で生粋の「蕎麦の味」を売り出したらどうかとも思う位であります。東京有数な藪忠ではむしろ道楽商売になっていて、東京蕎麦の真の風味を常に楽しむことは不可能といってよい。半分の「つなぎ」を入れているのはまだ正直な方で、近来は小麦粉に色をつけて胡魔化しているのが多いのであります。
 これというのも技術が非常に難しくて、これだけの職人を養っていては「蕎麦屋」が立ってゆかぬために、漸次「今様の蕎麦」がはびこり出したのではあるまいかと思います。
 例の食道楽の大谷光瑞氏も、真の「蕎麦」の風味は太くして切れ切れのでなくては本当でないとまで負おしみをいっておられる位で、これほどまでにそばの真の風味をなつかしみ、求めている日本人が何故にこの満州人に知識を借りなかったのであろうかと思います。
 今までの日本人は、あまりに彼等を軽蔑し、あまりにお高くとまっていたのではありますまいか。眼を開けば到る所師ありで、人もあなどり、ものをいやしむ心の生じた時向上はない。今までの満州植民者が食物の点において、確固たる方針を定め得なかったのも、一面はかかる心持ちにわずらわされていたものではありますまいか。軽侮する者はまた恐るという通り、一方にはむやみに支那農民の食物は粗食でついてゆけぬと考えていると同時にまた反面、包米ビーンズに高粱飯を食わねば満州農業移民は成立せぬなどといっています。「閑話休題」蕎麦は栄養価値中[#「蕎麦は栄養価値中」に傍点]、重要の地位を占むるところの蛋白質に関して穀類中まことに優良なるものを含有しています。
 鈴木梅太郎博士が「満州に蕎麦のできることは満州植民者にとって実に幸福なことである」といわれるのもこの料理法であってはじめてうなずかるるものであります。(『糧友』第八巻第九号による)

 蕎麦の真味
 何に限らず、料理し過ぎたものは風味の悪くなるものであるも、不味なるものには他の味を求めなければなりませんが、実際の味は各々別個に持つもので、蕎麦のごときも蕎麦そのものの味をたっとばねばならぬは勿論のことで、蕎麦そのものには栄養分を豊富に有しているものでありますから、蕎麦粉の中へつなぎまたは味の向上を計る味の素など以外のものを混入する必要はないと思われます。
 蕎麦の味は、要するに蕎麦切として食べることにより、真価を知るという結論になるのであります。

 蕎麦切のつなぎ
 蕎麦のつなぎは、鶏卵、自然薯、長芋、薯蕷《やまのいも》、大和薯、仏掌薯《つくねいも》などを使用します。しかし仏掌薯は蕎麦切をやや硬くする恐れがあります。
 鶏卵を入れて打ったものは、他のものに比較して蕎麦の量が非常に増すものであります。
 これがつなぎについて藪忠老人の話によると、[#以下の「(イ)」「(ロ)」「(ハ)」「(ニ)」は縦中横で1字組み]
 (イ)鶏卵つなぎは、蕎麦粉一升に(百匁六個位の)卵二個、これに清水を増してこねます。また挽粉の荒い場合は一個を増して三個といたします。
 (ロ)薯蕷つなぎは、これは生でおろし込むことが普通でありますが、でき上がりが軟らかになることもありますから、薯蕷の乾粉を使用すると佳良であります。その割合は、蕎麦粉一升につき薯蕷粉八勺です。
 (ハ)葛粉つなぎは、蕎麦粉一升につき上葛粉五勺の割にするとよいとのことであります。
 なお東京市内ではないと存じますが、場末の蕎麦屋なり駄蕎麦屋では、鶏卵も薯類及び葛粉などを用いないで、米利堅粉を「つなぎ」に多く入れるところがあるかのように聞いています。その内ひどいのになると、蕎麦粉四合につき米利堅粉六合、即ち「四分六」の割にしているのもあるそうです。次は蕎麦粉五分の米利堅粉五分の半々位のものもあります。しかし実際蕎麦の「つなぎ」とするには、三割の米利堅粉は普通でありましょう。人によると、なァに一割でも二割でもつなぎなしでもできるといっていますが、これは当てになりません。
 (ニ)昔は馬方蕎麦を打って
 蕎麦屋の職人の達者な者は、昔馬方蕎麦を打って、板前の腕を磨いたという話であります。
 その馬方蕎麦というは、四谷にあって俗に「四谷の馬方蕎麦」といって有名であったようであります。この馬方蕎麦、その他昔から有名であった蕎麦屋について蕎麦通の高村光雲翁の話では、御維新後、蕎麦は「もり、かけ」十六文、店の前の往来へ大抵正面に「二八」横の方に「二八蕎麦」と書いた大きな「あんどん」がおいてありまして、下開きの幅の広い板が台について障子紙を張ってあり、横長の「かけあんどん」には「そば、うどん、もり、かけ」と最初に書いて、それから「花巻、玉子とじ、天ぷら、しっぽく、南ばん」と順に右から左へ縦書にしてありました。これが夜の四つ(今日の午后十時)まではとぼとぼと道を照らしていたものであります。ところによっては往来のこのあかりがひとしお淋しく感じさせます。
 武家は余りまいりませんが、町人は食べに行きます。家の内の拵えは今と大差なく、やはり切り落としの土間になっていて、そこに八間がついていました。この八間というのは、今の人々にはちょっと分りにくいけれども、いわば大きな紙の傘で、その下に土瓶形をした金物の油つぼがあって、その口へ火がついているのです。油煙がどんどん出るので、八間へ張った紙はすぐにくすぶったものであります。蕎麦屋とか湯屋のあかりは皆これであったのであります。
 蕎麦は手打ち、うでて「しゃっきり」と角があって、おつゆをかけて出されてもきらりと光っていたものであります。「かけ」の丼は八角の朝顔形で、蒸籠も今のとはちょっと違って、あの四角の端に耳が出ていました。つまり井桁に組んであって、あげ底に細い竹が薄く簀のように作りつけになっていました。この頃は、竹の簀もしごく手軽になっていますが、あんなものでなかったのです。
 手で粉をこねて延し、さくりさくりと切った蕎麦でありました。今のように機械でずるずる出て来るのと違って風味がありました。「笊蕎麦」というのは、通常のところにはなく、竹あみの一枚笊へ盛って出すので、海苔なんかかかっているものではなかったのです。神田けだもの店《だな》(今の豊島通りを右へ廻った辺)に「二六蕎麦」という名物、つまり十二文でなみのところより四文安いが、またその安いざつなところに一種の味があって、蕎麦食い達はよく出かけたもので、なかなか旨いものでありました。
 四谷の「馬方蕎麦」も評判で、真黒いがもりがよくって、一つで充分昼食の代りになったのです。四谷も今でこそ東京一という新宿のような結構なところとなったのですが、あの頃は「馬方」ばかりがぞろぞろ通って、並の人よりこの方の人が多い位であったのであります。そこで馬方が休んではこの蕎麦を食べるので、遂に「馬方蕎麦」と有名になってしまったのであります。

 蕎麦屋を最新カウンタ式に
 蕎麦切を食うには、椅子に腰をかけ靴ばきではおちつきがない。真の風味を味わうには、畳の上に座して静かに味わうに限ると前述したものであります。しかし一方においては、実際蕎麦切なり蕎麦麪を味わう真の店として、いたって古風な通人向きの座席の家もなければならず、また文化の進歩した今日のことでもありますから、大衆向きに椅子に腰をかけて簡単に食べられる店も必要と存じます。しかし今日の蕎麦屋の大多数を見るに、これに反し表がまえと内部は異なり、内部は蕎麦屋ともつかず、またカフェーともつかぬ家が多く、少し町の変わった方面の蕎麦屋に入ってみるに、明治初年のそのままの店がまえの家さえあるようで、こんな家に限って客席に蕎麦道具を並べたり、またその席で出前の仕度をするなど、時によるとそこで葱をこつこつ刻んだり、大根をおろしたり、そのうえ調理場といわず客席といわず、またひどいのになると、釜湯の上を油虫がぞろぞろはっているというような不潔さであります。その一例として著者は昨年の初夏の頃でありましたが、友人を上野駅に見送って帰途、山下のある蕎麦屋に入って、天ぷら蕎麦を注文して食べようとすると驚くではありませんか、その中にしかも立派な油虫が一疋存在ましましたのでした。こんな例は他にもよく聞くことでありますが、代りを食べる心地にもなれぬではありませんか。なぜ調理場に油虫の発生するような不潔なことをするかと思ったこともありました。ともかく、第一今の蕎麦屋なるものの店舗の改良は問題の一つで、大衆向きの店舗にするには今日のごとき表がまえでは、少し身分ある即ち中産階級の人々や婦人連はどうしても入り難いということであります。これについては蕎麦屋側としても大いに一考を要することでしょう。
 今一つの問題は、前項蕎麦屋の主人の説としてちょっと述べておきました、蕎麦道具でありますが、蕎麦屋側からいわせると、塗物類は高価であるということであります。これはもっともな説で、他の飲食物の器から見ると少し高価過ぎるかたむきは本当のことで、一枚十銭の「もり」なり、十五銭の笊蕎麦の道具に一円二十銭も、少し良いものは二円近くもかけていることであるから、少し贅沢過ぎると思います。
 しかしそんな高価な蒸籠やその他の器物を使用する必要はないではありませんか。第一塗物類は熱湯に投じて消毒することはできないのみでなく、四角なものはよく見ることでありますが、隅々が奇麗に洗ってあることも少ないのでありますから従って不潔ではありませんか。それよりも安価で清潔に消毒もできる瀬戸物類の方がよいと思われます。ただし西洋皿の上に簀を敷くようではへんなものですから、蕎麦屋の方で考えて小判形にすることもよいし、また隅丸のものにするのもよいではありませんか。四角ものもよい訳でありますが、これは隅々を丁寧に洗うことは少し困難の点も多ければよした方がよいと存じます。しかし一方のいい分とすると瀬戸物は破れ易いといわれるかも知れませんが、それは塗物も用いていれば塗りは従って悪くなると同様と存じられます。また出前に困るということにもなりましょうが、その出前を取った場合も第一不愉快のことが多いのです。雨の日などは器の上に雨のかかっていることもあり、薬味の小皿の上に広告式の小紙をかぶせては来るも、その紙もぬれているという次第です。また風の強い日に少し遠い蕎麦屋から出前を取ると、大げさかなと思われるようですが、器の上に砂のかぶっていることも少なくないのであります。ですからこれも改良する余地は充分あると考えられるのです。
 関西地方で饂飩屋が出前を持ち運ぶ蓋付の箱、あるいは西洋料理店で使用しているごとき皿の下に敷く重ね輪なり、仕出し箱を使用することにすれば、瀬戸物の器でも差し支えなしと存じます。
 次に店舗でありますが、某蕎麦屋の主人が、著者に話されたことでありますが、一つ店の内部をカウンタ式にしたらば如何でしょうということで、これには著者も同意したことであります。それは一般にとは申されませんが、よいとなると大衆向きになりましょうと答えたことで、停車場のプラットホームでも蕎麦好きの人は、この短時間を利用して食べているのですから、店舗の内部中央に釜場をしつらえそこへ流し場もつけ、水道より絶えず清水を利用し、タイル張りにして特別清潔にして三方をカウンタ式となし、今日おでん屋がやっているようにしたならば、最も理想的な、そうして大衆向きの蕎麦屋となろうというのであります。乞う御一考を蕎麦屋主人に。



底本:「日本の名随筆 別巻19・蕎麦」作品社
   1992(平成4)年9月25日第1刷発行
底本の親本:「栄養と蕎麦料理集成―蕎麦うどん名著選集 第三巻」東京書房社
   1981(昭和56)年7月
入力:加藤恭子
校正:もりみつじゅんじ
2001年2月24日公開
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