青空文庫アーカイブ

龍田丸の中毒事件
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

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(例)けれども[#「けれども」に傍点]という短い言葉は
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 この二三日来の新聞で龍田丸の中毒事件が私たちを驚かしている。やっと故国へ近づいて明日は入港という時に卵焼の中毒で、九人もの人が僅かの時間のうちに相ついで死んで行ったし、病気でいる人が百二十五名だということは、これまで聞いたことのなかった不幸な出来ごとである。昨晩の夕刊はこの悲しい入港とその同じ船にのって帰って来た名士たちの帰朝談とを報じていた。船の医者やその他の責任者たちはもとより、心から遺憾の意を表してはいるのだろうが、私たち一般のものの感情には何かまだそこに表現され足りないものがあると感じられた。船医にしろ、原因は卵焼の中毒であると、明らかに認めながら「けれども、永い航海の疲労と三日来の猛暑が船客達の胃腸を弱らせていたからです」と語っている。
 このけれども[#「けれども」に傍点]という短い言葉はその人たちを気の毒に思っている私たちの心もちに固くふれて来る響きである。胃腸が弱っているにしろ、その卵が腐っていなければ、あれほど猛烈な中毒を引おこすことは決してなかったろう。司厨長は卵焼をこしらえた時間、冷蔵庫に入れた時間、皿に入れた時間を事務的に正確にのべているが、材料になった卵が、新鮮なものであったかという断言はどこにもしていない。龍田丸は三百余名を乗せていたそうだが、中二百余名は三等船客だったそうだ。その半数が中毒にかかったわけである。切迫した国際情勢のために、着のみ着のまま出発して来た人たちで、心身の疲労はいちじるしかったと、それも不幸の一つの原因としていわれているが、もしそれがそんなにはっきり誰の目にも映じているとしたら、新鮮だと断言出来ないような卵をきまった船の献立だからといって、形式的に食わせる不親切な心持を感じる。
 もう一つ私たちが大変不思議に感じて驚いた事は、その事件の細かく報道せられている、同じ夕刊にのっている同船の名士たちが記者のインタビューに際して、それぞれに世界情勢、国際情勢を語りながら自分の乗って来たその船で、自分達の娯楽して来たサロンの下の三等船客たちに、そういう気の毒な事件が起ったことについて、誰一人として遺憾と同情の言葉をのべている人がないことである。道ばたで葬式にあえば、私たちはひとりでに黙礼の感情をもっていると思う。自分達の航海が無事に終ったにつけても、三等の人たちのその不幸を悼む自然の気持というものはないものだろうか。そのことについて、まるで知らなかったことのようにふれられていない。
 船客の中には賀川豊彦氏も交っていて、この宗教家はアメリカなどでは大した信頼をつながれている人だそうだが、恐らくその小説の中で同様の事件があったのなら、何かの形で正義と人間愛の演説をされる機会を持たれただろうが、現実に自分の足の下の暑苦しい船室の中で起ったことに対しては片言もふれていなかった。
 船の関係の人があらかじめこの人たちに頼んで沈黙をまもってもらったのなら、それは自ら又別なことである。そして私どもは、もしそうならばそういう手配は必要ではなかったことと感じている。一体にこの事については、一般がもっともっと注意を向けなければなるまいと思う。共同炊事や栄養食の配給ということは食べるものが清潔であるということが、いって見れば第一条件で、腐った鰯でも、卵でもそれが鰯である、卵であるという名目の上から抽象的なカロリーを計算して、そこに発生している猛毒の作用はぬいて食べさせられるとしたら大変なことだと思う。たとえば公定価格で魚の百匁は標準にされているが、魚屋は苦笑して曰く「さかなの肝腎な新しい古いはどうなるんだろうね」と。私たちが魚を一つ買うのにもこの頃はこういう微妙なかねあいのところを通っているということに、もう少し深く考えられてかかることだろうと思う。[#地付き]〔一九四一年八月〕



底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
   1952(昭和27)年8月発行
初出:「家庭新聞」
   1941(昭和16)年8月21日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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