青空文庫アーカイブ

新年号の『文学評論』その他
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

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(例)全的人間性[#「全的人間性」に傍点]の
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 内外の複雑な関係によってプロレタリア作家が組織を解体してから、ほぼ一ヵ年が経過した。その困難な期間に発刊されたさまざまの文化・文学雑誌は、編輯同人のグループはそれぞれに別個だし、編輯方針の細部でもそれぞれのある独自性を発揮しつつ、たとえば『文学評論』はすでに第二巻に進み、綜合的な文化雑誌『文化集団』はこの一月第三巻第一号までを発行し、各々意義深い功績をあげている。
 このことからある人々の考えるように、雑誌を中心として広汎な意味でのプロレタリア作家たちが一城一廓をかまえ群雄割拠する状態と固定させて見るのは正当を欠く観察であろうと思われる。目下は、旧「ナルプ」時代に欠けていた発表場面の自主的な開発、あるいは文学的技術の鍛錬、よりひろい範囲で文学の創造的エネルギーを進歩的な方向において、包括しようとする活動などがそれぞれの刊行物を中心として活溌に行われているわけである。刊行物を中心とするグループも過去一年あるいは半年の間に決してプロレタリア文学に対する理解の一定段階に固着していたのではなく、グループ内の作家理論家の成長と外部的情勢との摩擦によって、ある雑誌とその編輯同人をなしていたグループは発展的に解散した場合もある。(雑誌『現実』の場合)
 地方における活動分子を中心として発行されている文学雑誌が今日の情勢でもっている価値は、改めて喋々する迄もないことであろうと思う。現在は、もっとも端初的な段階での進歩的文化欲求さえ、特に地方にあっては、深い注意をもって評価され集積されなければならない。私は『鋲』『主潮』『関西文学』その他を見て編輯に従事している若い活動家が闘っているであろうさまざまの、今日の情勢独特の困難を想像した。そしてこれらの雑誌がともかく刊行されているのは主として東京以西あるいは近隣の地方都市においてであって、東北、北海道地方からこういう種類の雑誌は発行されないらしい。この事実を、東北地方の窮乏を現実の背景として見て、私は一般読者の関心をよびおこしたく感じたのであった。
『文学評論』の新人座談会の記事は二様三様の意味をふくんで非常に興味あるものであった。今日新しくプロレタリア文学の活動を開始した有能な人々が、どのくらい、文学の特殊的な技術の問題について、その微細な点にまで具体的探究をすすめようと努力しているかということがよくわかる。過去の日本の若いプロレタリア文学運動が顕著な弱点として持っていた題材、主題や様式などの単一性に対して、熱心に現実の多様な錯雑をさながら丸彫りとして芸術化そうとする方向に一致して努力されていることも認められる。これらの特長はこの座談会を流れて一貫し、プロレタリア文学の新しい展開への可能を暗示している。
 この座談会の席上で、島木氏や徳永氏によってプロレタリア文学作品の一つの発展的タイプとして「プロレタリア的な単純な明朗性を持った作品」「単純な、明快な言葉で判りよく、しかも芸術的な」(島木氏)作品が翹望されている。そのような作品に対する評価の点では諸氏の意見が大体一致しつつ、その点を一層具体的にするような討論が伸びず、ひるがえって、一方で、現在それらの人々の関心をひいている問題の具体的な内容の一例としてドストイェフスキー再認が語られていたり、リアリズムは進化するという本圧氏の意見にはいって行ってしまっている。又平田氏のように「文学の一般のレベルがもっと高くならなければならぬのだ。だからいきなり農民に判ったりするものか、それは小説の罪ではなくて、うんといいものは判らなくていいのだ」という見解が力をこめて語られたりもしている。われわれの今日の文学が置かれている錯綜した現実がここにも見出されるのである。
 新たなリアリズムの本道を示すような健康な作品の出現が要求されているのであるが、現在の大勢では、過去のプロレタリア文学に欠けていた文学の多様性、独自性、複雑性への興味関心が熾烈である。それに連関して芸術作品の「文字の背後の雰囲気」「噛みしめて行くと」出る「凄い味」(橋本氏)の価値も注目をひいている。若い作家たちの文学的関心の現状は、文章についての問題からだけ見ても「素朴で沢山の思想を現すのが芸術の本道である」というところにまでやがて高まる。にしても、今はまだその道のなかほどにあると思われるのである。
 プロレタリア文学の多難な発展過程から見て、過去の「ナルプ」の活動にあった弱点から押しても、現在文学的野望に燃える多数の作家たちが、プロレタリア文学における独特な長所を発見しようと志し、同時に、芸術作品の構成の豊富さ、諧調における明暗の濃さ、力感のつよさなどを追求するのはむしろ必然だと思う。われわれは、丈夫な頸骨と眼力とをもって、すべての古典作家から滋養をとろうとするのである。が、そのやりかたは、古典作家、たとえばドストイェフスキーなどが癲癇という独特な病気をもちながら、彼の生きた時代のロシアの歴史の制約性と、自身の限界性によって描いた作品をそれなり随喜鑽仰することではない。彼の芸術的現実に現れている深刻な矛盾についても今日に生きているわれわれの目で分析し、矛盾の相互作用をあきらかにして、その連関の上に、芸術品としての美も魅力の性質もあきらかにしてゆくべきであろうと思う。
 この座談会ではイデオロギー批評とその他の批評、作家的批評とが二様にわけてつかわれた。主として創作上の技術などについて追求しようとする作品の見かたがイデオロギー的でない、作家の役に立つ批評としていわれている。しかし会話のやりとりの間ではイデオロギー的批評の性質は分明にされなかった。これは、果してどういうものであろうか。
 たとえば橋本正一氏がいっているように、自身の創作の実際にあたって、作家は、他の作家によってかかれたある作品の構成「漸次に発展するところの場面に対する小説的な興味」又は作品に感銘ふかい効果を引きおこす為に大切な「絵画的な細部描写」などを吟味し、それらがどのように作者の意図を具体化しているか、成功しているかいないかを理解することによって自作のための有益な参考をひき出す場合も少くないだろう。それにしろわれわれの文学にはユーゴオが創作の法則と考えていたような固定した対立法などというものはありえない。やはり作者が描こうとした現実とのなまなましい有機的なつながりで構成や文体をも批評することはあきらかである。その際、事件の発展の順序、比重、描写における精疎のリズムなどを何によってわれわれが判断するかといえば、描こうとされている現実の複雑な諸要因、錯綜した関係に対して、作者がどことどこに重点をおこうとしているかということが、土台となって来る。現実の諸現象、その要因となる関係は創作にあたって作者の評価を受けざるを得ない。芸術的作品はただ事件があるだけのものでないことは、この座談会でもいわれている。「生活の底深さから出る」芸術的雰囲気は、作者の情熱なしには発生しない。社会の今日の現実にある立場を持たないものが、どうして作品の中に情感の高い響をつたえることが可能であろう。
 プロレタリア文学においては純技術的な問題を発展的につきつめてゆくと、窮局において、作者がとらえ表現しようとしている現実の諸相に、どんな評価を与えているかというところへ出て来ることは興味ある事実である。文芸批評の歴史は、ここをモメントとして今日にまで発展して来ているのである。
 同じ『文学評論』に掲載されているマカリョフの「開かれた処女地」の分析、又『文化集団』新年号の最も重要な記事の一つ、ローゼンタールの「生活及び文学における典型的性格」研究などは、細かい部分についてはある註解がいると思われるところもあるが、以上の問題にも連関して一読の価値があると思われた。
『文化集団』では又、上述の二つの論文との対比によって、われわれに教えるところのある小松清氏の「ソ作家大会と新個人主義」という論文が発表されている。小松氏は第一回全ソ作家大会の重要性の一つは、かつて「ラップ」によって「ブルジョア自由主義もしくは個人主義文学の名によって蔑視され勝ちであった西欧文学についての再検討と、自国文学に対する価値的反省」であるとし、「フランスの行動的ヒュマニズムの変革運動は芸術にあっての自由と、その自由なる芸術的表現の主張によって最近のソヴェト文学によき示唆を齎した。」小松清氏はアンドレ・ジイドのメッセージの一節「今日、ソヴェトは文学なり芸術なりの領域において、コムニスト的個人主義を設定することに努めなければならない」という言葉を結語として「われわれの主張する全的人間性の観念の上に立った個人主義」を、日本におけるプロレタリア文学運動の新段階と直接間接関係あるものとして提出している。ジイドが今日のソヴェト社会の現実を念頭において意味したコムミニスト的個人主義というものの実体と、日本の階級社会のなかにあっての個人主義の実体とが、同じであり得ぬことは自明である。小松氏の全的人間性の観念に立った個人主義というものも、果して現実のものであり得るだろうか。全的人間性[#「全的人間性」に傍点]の登場の可能に対する観念[#「観念」に傍点]そのものさえ蹂躙しつつ、階級社会の時々刻々の現実生活はどのようにわれわれをゆがめ、才能や天分を枯渇せしめているかという憤ろしい今日の実際を、ローゼンタールの生活と文学における性格の研究の論文はくっきりと抉り出しているのである。
 このほか「全ソ作家大会報告を読みて」という諸氏の感想が『文学評論』に集録されている。平林たい子氏が、その感想の中で「社会主義的リアリズムは日本の作家の間に漫然と使用されているような超階級的なスローガンではないらしい」といって「我々の現実の再検討によって」日本の現実に即した創作方法のスローガンを要求している。
 漫然と超階級的なスローガンであるかのように作家の間に使用される影響のしかたで、意味ふかい社会主義的リアリズムの提議は日本に紹介されたのであったろうか。私ははからず率直にかかれた数行をよんで沈思せずにいられなかった。

 今日の現実の再検討については、新年に創刊号を出した綜合雑誌『生きた新聞』が、注意をひく二つの論文をのせている。村松五郎氏「幽霊ファッショ論」がその一つである。日本に純粋な資本主義独裁はないから、従ってファッシズムもない、という主張をもった社会時評である。他の一つは「プロレタリア文化戦線の見透し」北厳二郎氏である。限られた枚数の中で、詳細にふれることは不可能であるが、前者において、われわれがそれをこそイタリーとはちがう日本の特殊な資本主義発達の歴史の性質を示すところの日本のファッシズムの実相であると理解している社会的政治的現象を、村松五郎氏は、「本質的には『封建的勢力の増大』であるにもかかわらず、それが表面ファッシズムの外形を取っている」といっている。たとえば、
「第三に、ファッシズムは、資本主義独裁の形態であり、プロレタリアートへの徹底的弾圧をその中心任務とする。日本の支配権力は自分の地位のため、現体制を守る。〔三四字伏字〕(復元不可能であるが、日本の支配階級は、対立する社会的経済機構である労働者階級に、という意味であろう。)、全面的な攻撃を加える。社会的経済構成としては違った二つの社会を維持するために同一の手段がとられることから、一寸見るとまどわされて、歴史的にも階級的にも全くちがう本質を同じ物に見る危険性がある」という如き、むしろ筆者の意企を諒解するに苦しむような結論に到着しているのである。
「プロレタリア文化戦線の見透し」において、北氏は封建的イデオロギーの重圧がきびしい日本の大衆の現実生活と結合した文化政策は、「〔九字伏字〕(復元不可能)特殊性と多様性を全体の複雑さに於て捕え」なければならぬと云っている。その一例として文学の「創作方法も多様」にならねばならぬと述べている。然しながら、筆者が同じ論文で、日本のような特殊性をもつ国々では「先ず全般的〔二二字伏字〕(な階級的自覚をよびさますことと革命的な意識、の意味であろう。)を確立することが中心問題なのである」といっているのを見れば、文学におけるプロレタリア文学の創作方法の指導性の問題はおのずから導き出されている。多様なる創作方法という意味は不分明な混乱をもってわれわれに映るのである。
 この論文も「主として蔵原を批判の対象」としたものであって、私は北氏の解釈の中に妥当を欠くと思われる幾ヵ所かを見出したのであった。日本のプロレタリア文学運動が新しい道を見出して発展しようとする困難な今日の段階にあって、蔵原その他の人々の過去における活動が、正しい歴史的展望に立って慎重に見直され、系統立てて整理されなければならぬ必要を、私はこの論文をよんでも痛感した。一九三三年来、批判は到るところに起っていて、しかも未だ一貫した責任ある検討がまとめられていない。このことは、すべての者の発展のために困難と混乱とを招いているのである。

『文学評論』には今月五篇の小説があり、私はそれぞれを興味ふかく読んだのであった。呂赫若氏の「牛車」は、植民地作家の作品として、前々号の「新聞配達夫」をも思い起させた。「牛車」を作品全体の効果という点から見ると、細部を形象化するための努力をもって描写が行われているが、読者の心を打つ力では、一見より未熟な手法で書かれていた「新聞配達夫」がまさっていたと思われる。「牛車」によって深く感銘を受けた点は他にあった。これら植民地の人々は〔一六字伏字〕(復元不可能)数十年来苦痛の歳月を経つつあるのであるが、現実は皮肉で、今やかつてひとのものであった日本語は植民地大衆の言葉となって、より広汎な日本の勤労大衆の胸にも伝りながら作品ともなってその思いを発露するに至っているという事実である。ウクライナ文学の発展の足どりも思い合わされる。われわれは、心から植民地における進歩的作家の擡頭をよろこぶものである。
 片岡鉄平氏のある正義感を感じさせる「回顧」が、作者の病気で十分芸術化されなかったのは残念である。原口清という主人公の行動をもっと客観的に、さまざまの具体的モメントに現れるその性格の観察描写をふくめて描かれたら、小説として立体的になったのであろう。
「四壁暗けれど」(島田和夫氏)は長篇の一部分であるらしいから、後の機会にゆずることにする。この作家や橋本正一氏、長谷川一郎氏その他によって発刊されている『文学建設』の新年号を、これを書くまでに手に入れることができなかったのを遺憾に思う。『文学建設』を中心とする活動家は、座談会の記事を見てもあきらかであるとおり、もっとも文学的技術の獲得に努力をはらいつつある人々であり、おのずからそこに問題を提示するであろうと、期待される。

『婦人文芸』が新年号から一つの特色として世界婦人作家伝の連載を約束し、先ず中国、朝鮮婦人作家の紹介を試みていることは、非常にふさわしく、又よろこばしい。松田解子氏の長篇小説「田舎者」第一回が発表されはじめたこと、遠山葉子氏が西鶴、近松の描いた女性について、元禄文学の科学的批判に着手されていることなど、号を追うて注意をひきつけるものがある。

 文化綜合雑誌として目下われわれは『文化集団』『知識』『生きた新聞』『進歩』などを読む便宜をもってい、新年号はそれぞれ時機を反映した内容を盛っている。私の印象では、同じく綜合的性質をもつ雑誌ではあるが、各編輯者がもっとそれぞれの特色をあきらかにしてゆく努力を払っていいのではあるまいかと感じられた。たとえば、『進歩』は『知識』などにくらべれば頁数も売価も違うのであるからそれに準じた内容の扱い方をもう一工夫あってよいのではあるまいか。『知識』が、各誌共通のトピックのほかに内容の多様性を求めて一頁論壇、谷崎潤一郎の文章読本の短い批評、宗教についての記事などを広汎にのせていることはプラスであり、続行されたい点である。けれども、たとえば「音楽雑談」や一頁人物評、吉川英治についての書きぶりなど、もう少し含蓄をもって読者の頭にきざみつけられるような筆致が更に効果的であったろうと考えられた。
 この雑誌のみならず、すべての雑誌が、もっともっと沢山わかり易い自然科学に関する記事、世界の人類が今日までたたみ上げて来た唯物論史、あるいは階級性と道徳との相互関係などをあきらかにする記事を根気づよく続けてのせる必要があると思う。『大法輪』という四百六十余頁の大宗教雑誌は新年特輯に「転向者仏教座談会」を催し、そこの婦人記者となった長谷川寿子は、自身の略歴を前書にして「遂に過去の一切の共産思想という運動を清算し」大谷尊由に対談して、長谷川「歎異鈔なんか拝読いたしますと『善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや』と書いてありますから、吾々共産党だった者でも努力をすれば救われるでしょうか」という質問を出している。この実例は、文化面においてないがしろにできぬ問題に向ってわれわれの注意をうながすのである。

 地方で発行されている諸文学雑誌について最も示唆にとんだ現象と思われた点は、それぞれの雑誌が、三十頁、七十頁の間にはっきりとその地方都市における編輯活動家たちの社会性、あるいは階級的活動の方面などを反映していることであった。『関西文学』の大月桓志氏、大元清二郎氏などの小説を読むと、そのことがつよく感じられる。大阪という近代都市の勤労大衆の生活は豊富な現実の内容をもっていて、例えば大月氏の小説に「性格」とは、おのずから違った題材の可能を語っているのではなかろうか。われわれの文学において、題材だけで作品の価値が決定せられるということはないのであるけれども、現在の情勢との闘いにおいて、われわれの文学を健全な発展へ導こうとすれば、『文学評論』の座談会で沼田氏その他が強調しているように、作家の目は常に労働者農民、一般勤労生活者の一見平凡な、しかも巨大な歴史性の上にいとなまれている生活の、芸術的再現に向ってそそがれるべきであろうと考えられた。
『郷土』創刊号の編輯は『関西文学』とは違ったジャーナリスティックな性質において都会的である。が、雑文「瓦職仁儀」や創作「養蚕地帯の秋」などは、地方の生産、それとの関係においての人々を描き、興味があった。文学のひろびろとした発展のために無規準な地方色の偏重は不健全におちいるのであるが、その地方の生産に結びついている大衆の文学的欲求とその表現とがより潤沢に包括されればされるほど、その雑誌は文学の中に地方の現実の着実な観察を反映するものとなって、その地方の読者をよろこばせるばかりでなく、他地方の読者を益することも多くなって来る。
 そういう意味で『鋲』『文芸街』の作品、『主潮』の詩「落穂ひろい」小説「中農の伜」「違反」「雑草」など、作品としてはいろいろの未熟さその他の問題をふくんでいるとしても、作品が生活から遊離していない点でやはり読者の心をひくものをもっていると思う。
 終りにのぞみ、何心なく『文芸街』の頁を繰っていたら『九州文化』などいう雑誌の名も見え、東京で発行されているこの雑誌には各地方からの寄贈雑誌の名が示されている。地方で刊行されているそれぞれの雑誌は、相互に刊行物の活溌な交換批評のやりとりなどをとおして、激励し合い、成果をくみとりあって行くことこそたがいに最ものぞましいことであろうと思った。[#地付き]〔一九三五年二月〕



底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年12月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「文学評論」
   1935(昭和10)年2月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
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