青空文庫アーカイブ

思い出すかずかず
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)法被《はっぴ》

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(例)[#地付き]〔一九二一年十二月〕
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 十一月の中旬に、学友会の雑誌が出る。何か書いたものを送るようにと云う手紙を戴いた。内容は、近頃の自分の生活に就て書いたものでもよいし、又は、旅行記のようなものでもよいと、大変寛大に視野を拡げて与えられた。けれども、こうしてペンをとり、紙に向って見ると、自分の気持は、真直「誠之」という名に執着して行って、どうも他の題目が自然に心に受取られないのを知った。学校を出てから、考えて見ると、もう足掛十年になる。弟が校門を去ってからでさえ彼此六七年にはなるだろう。女学校へ入って間もなくあった校友会に出たきり、私は、文字通り御無沙汰を続けている。我々の年代にあっては、生活の全感情がいつも刻々に移り換る現在に集注されるのが自然らしい。日々の生活にあっては、今日と云い、今と云う、一画にぱっと照りつけた強い光りにぼかされて、微に記憶の蠢く過去と、糢糊としての予測のつかない未来とが、意識の両端に、静に懸っているのである。有のままをいえば、遠く過ぎ去った小学校時代を屡々追想して、その愛らしい思い出に耽るには、今の自分は、一方からいえば余り大人になり過ぎ、一方からいえば、又、余りに若過ぎる時代にある。丁度、女学校の二三年頃、理由もなく幼年時代をいつくしむような感傷は、もう私からは離れた。それかといって、多くの女性が、自分の娘の幼い通学姿を眺めて、我知らず追懐に胸をそそられるだろうような場合は、未だ自分にとっては未知の世界に属する。若しかすると、折々記憶の裡に浮み上るその頃の自分が、我ながら無条件に可愛ゆいとは云いかねるような心の容を持っているために、一層気持がこじれるから、兎に角、平常、自分の小学校時代、誠之、というものは、密接な割に意識の底に沈められて来たのである。
 ところが、校友会の仕事に就て聞き、種々な連想が湧起ると、私の心持には微妙な変化が行われた。何か書き度いという気になったのさえ、そこには何か、捨て難い絆、縁のある証拠ではないだろうか。
 書きながら、私は霧かとでも思うような何ものかが、仄かに胸を流れ去るのを感じる。彼方が、はっきり心像の中に甦った。黒い木の大門が立っている。衝立のある正面の大玄関、敷つめた大粒な砂利。細い竹で仕切った枯れた花壇の傍の小使部屋では、黒い法被《はっぴ》を着、白い緒の草履を穿いた男が、背中を丸めて何かしている。奥の方の、古臭いボンボン時計。――私は、通りすがりに一寸見、それが誰だか一目で見分ける。平賀だ。大観音の先のブリキ屋の人である。
 玄関の傍には、標本室の窓を掠めて、屋根をさしかけるように大きな桜か、松かの樹が生えている。――去年や一昨年学校を卒業なさった方に、これがどこの光景だか分るでしょうか。私が毎日毎日通った時分、誠之は斯様に黒い木の門と、足の下でザクザクいう玄関前を持ち、大きなコの字形に運動場を囲んだ木の低い建物で出来ていたのです。
 校舎が改築されたのは、何時であったか。私は、未だ一度も内部の模様を見知らない。又、見たい心持も起らない。一つの学校として、長年風雨に打ち叩かれた建物よりは、新らしい、高い、ハイカラーな校舎を持つ方が勿論結構である。お目出度い。けれども、私、或はそれより以前に幾年かの間彼処に馴染んだ人々は、誠之という名とともに、どんな庭や廊下を思い出すだろうか。私は、もう一遍、心で、六年の生徒になって見る。そして、秋の末頃の朝、弟と二人で、武蔵屋の横丁から斜に東片町の大通りを横切って、突当りに学校が見える横通りに出て見よう。
 何といっても、朝は門が開かないうちに行くのが嬉しかった。十分か十五分、級の違う他の子供と一緒に傍のトタン塀によりかかったり、門の中を覗いたり、地面に踞んだりして、小使が出て来るのを待っている。外から小使部屋が見えたように思う。その時分、小使は、特に朝、権威をもって楽しそうに見えた。三四人、彼方此方歩いて用事をしたり、笑ったり、時々自分達の方を見ながら、煙草をふかして、煙管を掌の上ではたいたりしている。扉の傍に潜り門がついていて、先生は、一せいに生徒のお辞儀を受けながら、やや急いで、そこから内に入って行かれる。一生懸命目をつけて、左手の事務室の傍の入口の方を見る。恐らく小さい喧嘩も起ったことがあろうし、私は私で、大人ででもあるかのように鹿爪らしい顔付をしていたことだろうが、隔った眼から眺め下すと、一様に愛らしく感じられる。
 入れもしないのに早く来て、それを誇りに思う心持も微笑まれるし、暑かろうが寒かろうが、小門から出入する気などは毛頭起さず、ひたすら、小使が閂を抜いてさっと大門を打ち開くのを今か今かと、群れて待ち焦れている心持は、顧みて今、始めていとしさが分る。
 いよいよ時間が来、小使の一人が、ぱらりと手拭でも肩にかけながら此方に向って出て来ると、私共は亢奮し、犇き合って扉の際まで詰めよせるのが常であった。恐ろしい緊張が皆を支配する。やがて、一尺か二尺、二枚の扉に隙が出来る。と、誰かが勇者の勢でそこから内に辷り込む。どっという笑声や喝采。あとから、あとから。ちゃんと門が開き切った時分には、恐らく誰一人往来に立って待ってはいないだろう。
 入ってしまえばもう安心し、砂利の上で肱を張り張り歩いて左の方に行く。――
 女の下駄箱は正面の左手にあり、男のは右手の方にあって、そこを抜けては小使が教室の用事を足した。両方ともが狭く、薄暗く、雨の日や冬は、寒い位ひやひやした。丁度、図書館の書物蔵のように、高くまで大きな箱が幾通りにも立ち、バタン、バタンと賑に落ちる蓋つきの小さい区切りが、幾十となく、名札をつけて並んでいるのである。
 下のタタキに下駄の音をさせてその間に入り、塵くさいような、悪戯のような匂いを嗅ぎながら、柔かくなった麻裏を、ペタンと落して穿きかえる気持は、今もなお鮮に心の裡に遺っている。健康な、多勢な、まだ眠っている活気を、そこで第一に吸い込むのである。
 考えて見ると、あの時分の小学生は、今の子供達とは随分異っていたものだと思う。こんなに靴を穿いている者はいなかった。皆、草履袋を下げ、それを振廻したり、喧嘩の道具に使ったりしながら、男の子でも下駄か、皮草履を穿いて通学した。いつもいつも靴を穿いているのは、きっと、級の中でも気取屋に属していたような有様なのである。
 それで、今書きながらも念い出しておかしいのは、私の一級下に、或る金持の、痩せて特徴のある表情をした令嬢がいた。その人は、いつでも靴を穿いている。而も、その靴が、子供らしい尨犬《むくいぬ》のようなのではなく、細く、踵がきっと高く、まるで貴婦人の履き料のような華奢な形のものなのである。
 十二三の女の子の眼を瞠らせずには置かない。私は、驚いたり、羨しかったりで、熱心に眺めた。ところが、どうしたのか前の方の形は実に素晴らしいのに、後で見ると、踵がまるで曲って内側に減り込んでいる。形が、子供の運動には余り不適当なので、あんなに歪んでしまったのだろう。それ故、歩くのが平らかに行かない。どうしても、きく、きく、と足が捩くれる。きくり、とする度に、ぴったりと形に適った鞣皮をぱんぱんにして、踝が突出る。けれども、その位の年頃の女の子はおかしいもので、きく、きく、しながらそのひとは一向かまわず、而も得意で廊下や段々を昇り降りする。私は日向の廊下に腰をかけ、空の乾いた傘棚に肱をもたせながら、思い極まった顔をしてその後姿を眺める。天気のよい日、磨かれた靴が特に光り、日を照り返して捩くれるのを見ると、私の心は云いようもなく重く悲しく、当のない憤懣を感じずにはいられないのである。――思うと笑わずにはいられない。
 先生や友達の個人的な思い出は抜き、次に印象深いのは、お昼休み前後の光景である。
 想っただけで、私の前には、あの輝く空と、波のように砂利を踏む無数の足音、日を吸って白く暖い廊下、笑声、叫ぶ声が聞えて来る。御弁当を持たず、家が近所の人は帰るので、教室から出て来たばかりの時は、まだまだ運動場はからりとしている。小さい女の子はお手玉をとりとり大きな声で謡をつけ、大きい女の子は、廊下の気持よい隅や段々の傍で、喋り笑い、ちょいと巫山戯《ふざけ》て、追いかけっこをする。けれども、だんだん子供が帰って来、入り乱れる足音、馳ける廊下の轟きが増し、長い休の中頃になろうものなら、何と云おうか、学校中はまるで悦ぶ子供で満ち溢れてしまう。
 四十分か五十分の日中のお休みは、何といいものであったろう! 鐘が鳴るのに、まだ、まだ時間はあるというくつろぎ、云い難い甘美がある。朝は薄寒いようで、賑やかでも引緊った空気は、昇る太陽につれて膨み機嫌よくなって来る。手に触り体が触れるあらゆる建物の部分は、幸福に乾いてぽかぽかしている。見えない運動場の隅から響いて来るときの声、すぐ目の前で、
「おーひとおぬけ、おーふたおぬけ、ぬけた、ちょんきり、おじゃみさーあくら」
と調子をつけて唱う声々の錯綜。――
 その声と光に包まれながら、自分が廊下をゆっくり、ゆっくり歩いて行く。大人のような気になり、前後左右のものを観察し、その心持を感じ、悦びは感じながらも手持ち無沙汰な有様で歩いて行く。メリンスの、雲と菊の模様のある羽織を着、処々色の褪めた紫紺の袴を穿いた自分の様子は、どんな風にその場合見えただろう。鍵の手に曲った廊下を行くと、突当りの一寸左に、弟の教室があった。
 そこへ行き、中を覗いて見る。大抵の時は、白い丸い顔をした彼が誰か一人二人の友達と遊んでい、自分を見つけ、笑う。入って行って、その時分でさえ、小さく窮屈だった椅子に横にかけ、机にのしかかり、話の仲間に入る。――
 そういう昼休みの時、校舎の、多分北裏にあった、狭い、荒れた花壇は自分にとって忘られないものであった。
 弟を誘ったり、独りでも、よくそこに行っては長い時間を費した。よくは分らないが、二十坪足らずの空地に、円や四角の花床が作られ、菊や、紫蘭、どくだみ、麻、向日葵のようなものが、余り手を入れられずに生えている一隅なのである。
 小使部屋を抜けて、石炭殼を敷いた細い細い処を通っても行けたし、教室の方からならば、厠の傍の二枚の硝子戸を開けてもそこに出られた。一方の隅の処は、嶮しい石崖になっていて、晴れた日には遠く指ケ谷の方が目の下に眺められる。杉か何かの生垣で、隣との境が区切られている。ぶらぶらと彼方此方歩き、眺め、自分はよく、ませ過ぎた憂愁の快よさに浸ったものだ。彼方には、皆の、恐らく子供の、領分がある。自分はここで、枯れかけた花を見、ひやひやするこみちを歩き、自分にほか分らない感動に満されている。――当のない憧憬や、恐ろしく感傷的な愛に動かされたりする。そうかと思うと、急に熱心に生垣の隙間から隣を覗き、障子の白い紙に華やかな紅の色を照り栄えながら、奥さんらしい人が縫物をしているのを眺める。ここの隣りに、そんなうちがあるのが不思議に感ぜられる。黙ってひっそりと、静に動いたり、顔をあげたりするのが妙に驚ろかれる。暫く我を忘れた後、私は、はっと気がつき、瞬間、さてこれからどこに行こうかと、迷い頼りない心持に胸を満される。
 然し、こんなことは何でもない。やがて私が、教員室から運動場へ出る段の前に据えられたピンポン台の前に立って、意地悪いほど熱中した眼をしながら、白い小球を、かん、かん、かん、かんと打ち返し、打ち損じているのを見るだろう。
 ――思い出は多い。半開人のような自分を中心にして種々様々な場合が思い浮んで来る。書いても、書いても尽きなく感ぜられる。子供の社会生活や、大人と子供――学校では先生と生徒との間に、どんな鋭い人格的、或は人間的純・不純の直覚があるか、少し頭の問題になると、なおおしまいの見通しは利かなくなる。
 もう止めよう。
 あの古い藤棚の下では、今も猶、私の耳に空気を顫わすカレドニアンが響いている。
 文字を徹して、私共の久しく御目にかからない先生がたに、御挨拶申上ます。
[#地付き]〔一九二一年十二月〕



底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「学友会雑誌」27号、誠之小学校
   1921(大正10)年12月15日発行
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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