青空文庫アーカイブ

猫車
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)炬燵《こたつ》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)大分|臥《ね》てじゃけ、

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ちさ[#「ちさ」に傍点]の籠をお縫にわたした。
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 紺唐草の木綿布団をかけた炬燵《こたつ》のなかへ、裾の方三分の一ばかりをさし入れて敷いた床の上に中気の庄平が眠っていた。店の方からその中の間へあがった坂口の爺さんは、別に誰へ声をかけるでもなく、ずっと炬燵のうしろをまわって、病人の枕元へ行った。枕元は二枚の障子で、隅に昔風な塗り箪笥がある。下の方の引出しはおさやの襦袢や小ものなどが入っているが、上の方の引出しには病人の見舞にと町の親戚からくれた森永ビスケットの罐などもしまわれているのである。坂口の爺さんは、自分の目的にばかり気をとられている人間のはたに無頓着な表情を血色の冴えない顔いっぱいにしながら、箪笥へ手をのばして、その上のラジオをねじった。
 病人の頭の真上で、ラジオは大きな音で唸り出した。その音でぼんやり薄目をあけて彼を見上げた庄平にかまわず、坂口の爺さんは次の間へ来て、坐蒲団をさがしもせず縁のない畳の上へじかに坐った。そして、懐から畳んだ手拭を出し、その手拭の間から一枚の印刷したケイ紙をとり出して畳の上にひろげた。その紙の上に、つくばうような恰好で坂口の爺さんはかがみかかった。永年の農家仕事で、指の先の平たく大きくなっている右手には短い一本の鉛筆がある。
 ラジオはすぐ「経済市況を申しあげます」と、歯切れのいいような、追い立てられるような口調で云い出した。
「新東百五十三円丁度、ふた十銭やす。親鐘ふた百八十五円丁度。高値五円とお銭。新鐘ふた百七十円八十銭、ふた十銭やす」
 坂口の爺さんのめくら縞木綿の羽織の背中はそのうち出すような早口と一緒に畳の上へかがみかかった。我知らず鉛筆を口の隅へあてがってそれを舐め舐め待ちかまえていて「親船八十八円ふた十銭」という声がかかるや否や、紙に細かく印刷されているその呼名の下にローマ数字を書き込むのである。先の太い、唾でふやけた鉛筆で小さい罫《けい》の間に書き馴れない西洋式の数字をはめて行くのであるから、絶間なく、弾むような調子で次から次へ流れる株の高低を、坂口の爺さんのスピードでついて行くことは至極むずかしい。おそろしい注意と緊張ぶりで、頸根っこに力を入れているのではあるが、やっと日本鉱業百二十七と書いて、まだ円二十銭迄とは書き込まないうち、ラジオはもう次へ進んで日石《にっせき》、百〇三円四十銭、三十銭やすと叫んでいる。
 一度二度とそういうことがだんだんとたまると、もう坂口の爺さんは一層ぺったり紙の上へつくばって、鉛筆をもっている肱を畳につけたまま身動きしなかった。その姿は、そうやって平たくなっている自分の上を、今、金が急流をなして走って行く、だがその奔流の勢は余り激しくって手が出せないし、そんな下の方まではこぼれて来るものでもないことを観念しているのだと、語っているようなふうに見える。何となし猛烈な感じを与えるそのひとしきりが過ぎると、坂口の爺さんの手は再びたどたどと動き出して、三つ四つの書きこみを加えるのであるが、その書きこみは、違った呼名の下に違った数字で書かれてゆくことも珍しくはないのである。
 この地方の家々は、村の狭い往来に向って店の土間から裏口までをぶっこ抜いて、細長い土間に貫かれていた。庄平の店の右手の低い板敷には、肥料・米俵・糠俵・煙突・セメント・左官材料等と、それを商うときにつかう大きいカンカン秤が置かれており、人気ない真昼間などには折々鼠の尻尾が俵の間に見えがくれした。春のこの頃は毎年肥料の渋いような脂のこげたような匂いが藁の匂いと交りあって濃く家じゅうに漂っている。土間の奥が広くなって、そこが台所であった。幅は三尺もない縁側めいたものが土間に向って六畳から張り出されていて、粗末な木の細長いテーブルがその縁側においてあった。朝と昼とは家内じゅうがそこで遽しく食事をした。
 お縫は、その張り出しと六畳との境の障子際に坐って、伯母のおさやの古浴衣をほぐしていた。庄平の骨ぐみの堂々と重く、しかし不随の腰の下に敷く小布団を縫わなければならないのである。
 坂口の爺さんは、お縫のところから斜向いの畳の上につくばっているのであった。鉛筆を我にもあらず舐めくる程気を立てている爺さん、しかも数字さえしゃんしゃんとは書き込めない爺さんのあせった姿は、お縫にいつも気の毒さと同時に若い娘らしい軽い皮肉を感じさせた。お縫の目に、この奥の村の小地主の爺さんがみじめたらしく見えるには、理由もなくはなかった。お縫の父親、庄平の弟は、この数年来兄貴に野暮な商売をゆずって、小一里はなれた村の家で繻子足袋を穿き、頸に薄い茶色の絹襟巻をまきつけて、政治や経済の話を声高にして暮していた。順平の家庭は、話の間に大きい金高がしきりに交るような生活の調子であった。どんなに大きい金高でも、それはほとんど例外なしに語られているというだけで、順平一家の実際の生活は、土地の人々の間に祖先の代からしみこんでいる信用ののこりと負債との上に営まれていた。お縫が伯母の手伝いに来ていて貰う月いくらかの手当てが、一家の事情ではまんざらどうでもいいものでないのだけれど、順平の気風は、お縫に向っても、あア場所へ出て見い、女子《おなご》だかてきょう日二十や三十の金はポンポンとっちょる! と云わせた。その話しぶりは闊達で生気があったから、その雰囲気に馴れているお縫には、坂口の爺さんのとりなし万端がいかにも山の中の小百姓らしいしみったれ工合に映るのであった。
 お縫は、褪《さ》めた潮染の身ごろをひろげながら、眼頭にあるちょっとした黒子のために却って大変表情的な顔を動かして、坂口の爺さんの方を折々見た。
 爺さんは、お縫など眼中にないふうで、市況放送がすむと、むっつりした面持のまま罫紙を畳の上からとりあげ、自分も体を起し、それを懐にしまって、隣りの部屋へいって、ラジオを消した。庄平が、また枕の上から白眼の目立つ上目で見上げたが、坂口の爺は二十年来のその組合仲間に声もかけず、それなり店の方へ出て行った。小柄な爺の体が運ばれるだけでも庄平の寝ている畳は一足ごとにひどく軋んだ。そこら一帯は田圃の埋立て地でたださえ地盤がゆるい上、線路が近くて、汽車の通るたんびに土台からゆすられる。この家も、つい先頃まではいつ競売になるかもしれない状態で十五年間住み荒されて来ているのであった。
 坂口の爺さんは店へ出たが、すぐ帰るのでもない。煉炭火鉢へあっち向きに蹲んで、うまくもなさそうに煙草をふかしている。
 けたたましく警笛をならしながら、乗合自動車が白い埃を巻きあげて通りすぎた。濛々《もうもう》とした埃はだんだんしずまって行きながら店のガラス戸にぶつかり、明るい昼過ぎの日光に舞いつつ土間へも入って来る。この往還は国道だが、幅は四五間しかない。定期がとおるようになってこのかた、塵埃と泥濘のしぶきとは容赦なくどこの家のガラス戸にもこびりついた。家々はそれを拭くことなどを別に考えず暮しているのであった。
 うしろから陽をうけて、紺セルの上被《うわっぱ》りの肩や後毛のさきについたこまかいごみを目立たせながら、おさやが店の土間へ入って来た。店の畳の上にいる坂口の爺さんには別に挨拶もせず、活動的な調子を張って、
「お縫さ、お縫さ」
と奥へ向って呼んだ。
「これ、晩に和えようじゃあるまいか、懸けといてつかあせ」
 持って来たちさ[#「ちさ」に傍点]の籠をお縫にわたした。そして、
「どうでござんす。いいところ儲かっちょりますか」
と、坂口の爺さんの蹲っている横に来て腰をおろした。声のなかには、儲かっちゃいますまいが、と真摯な警告の調子もこもっているのであった。永年女手一つで店をまかない、生活の苦労とたたかって来ている悧発な鋭い眼ざしでおさやは坂口の爺さんを見た。
 坂口は、乾いた掌で胡麻塩髯の生えた顔を一撫でした。そしておもむろに、
「――こんどは、醤油屋がしっかり儲けよった」
と云った。
「よっぽどつかみよったに違いない」
 おさやの、抜目ないあから顔に覚えず誘い出された好奇心が動いた。
「醤油屋た、どの?」
「そこの――醤油屋じゃが……」
 どういうわけだか坂口の爺が声をおとしてそう云ったのにつりこまれて、おさやも低い声になって訊きかえした。
「飯田どすか?」
 合点をして、
「今度で小一万はたしかに儲けちょる」
 おさやは、上被の合わせ目に片手をさし入れてちょっと沈思する顔つきであった。が、それ以上何も云わず、やっとせ、と声に出して店の畳へ上り、襖際によせて置いてある荒れた事務机の前へ座った。その様子を今度は下目で床の中から眺めていた庄平が、
「ヤイ」
 喉からの力の失われている声で呼んだ。
「ヤイ……来て」
「何どす? しいどすか?」
「ここがいけん」
「どこがいけません?」
「ここ、ここ」
「あんたもう大分|臥《ね》てじゃけ、ちいと起しましょう、な? 臥てばかりおってもなかなか御苦労なこっちゃけ、のうお父はん」
 立って来たお縫も、力をあわせ、女二人がかりで大きな庄平の上体を抱え起して背中に坐椅子をあてがった。
「この布団入れときますか」
「やっぱりその方が楽にあろ」
 油単をなおした大紋付の掛布団を丸めて、坐椅子と庄平の背中との間に挾んだ。そうして置いて立とうとするおさやを、庄平は自分の膝を叩くようにしてとめた。
「ここにいて――」
「ちょっと帳簿つけてしまわにゃならんから、待ッつかわせ」
 店では、さっきの処に坂口の爺さんが、火をつけない煙管を指の間にもったままかがまって、一枚の刷物を読んでいた。この春、西本願寺の若い法主が徳大寺公の姫と結婚する。費用は七十万円であった。西本願寺はそれについて、こういう地方の末寺の檀家にまで一口七十銭ずつの割当をきめて寄附を求め、その代りとして、裏方になる若い姫の和歌と法主の書いた字を赤と緑との色紙重ねの模様のうちに刷った扇子を配った。
「――やすうないな、実費はなんぼほどのもんじゃあろ」
 仔細に眺めていた坂口が、その扇をしめて刷物の上に置いたとき、
「はや、ここもまわりよったんか」
 勢のいい幅のある声とともに土間へ入って来たのは、相変らず年代も分らぬ古|天鵞絨《ビロード》の丸帽子をかぶった重蔵であった。
 おさやは、この店の帳場と云うべき机の前から頭をうごかして挨拶をした。重蔵は、背の高い頑丈な腰を軽くかがめると一緒に頭から丸帽子をぬぐ、丁寧なようなそうでないような独特の辞儀をしながら、
「大将の工合はどうで」
 庄平の起きかえっている中の間の方を覗けた。声を大きくして、
「どうで――ぬくうなったで安気なやろ」
 庄平は、猫背になって首を前へつき出し、造作の大きな顔の中で眼玉を気むずかしげに左右に動かしている。重蔵の挨拶には何とも答えない。
 重蔵は一服吸いつけてから、坂口に向って云った。
「この頃はじょうし茂一の店へおいでるそうじぁないけ」
「……そうもいかん」
「どうで――大分儲かりよったか?」
 薄|痘痕《あばた》をその間にかくしているような皺の多い面長な重蔵の顔には笑いが浮んでいる。七十を越えても全身の構えに油断なさが漲りわたっているこの重蔵に比べると、十も年下の坂口の近頃の肩の落ち工合がまざまざとわかる。坂口は重蔵の笑い顔に溢れている嘲弄を感じる余裕もない様子で、声を低め、
「――こんどは、醤油屋が儲けよった」
とまた真面目に繰返した。
「醤油屋?――どこの……」
 するとおさやが、どういうわけだかこのとき、少し怒ったような声を出して、
「飯田どすがな!」
と説明した。
「ふーん。あすこ、そんなに持っちょるか?」
「持っちょる!」
 しばらくそれなり皆が黙っていた。やがて重蔵が煙草の吸い殼をおとしながら、
「坂口はん、あんた、ひとの儲けた話ばかり数えておいでるが、自分が儲けなんじゃ仕様がないやないか」
 瀬戸ものの総入歯の不自然な歯並びを見せて、おさやに目配せするように笑った。自分の富に対する揺がぬ自信と、世の中のけわしい貧富の流れの間から何を掴んで来るかを心得た地主の笑いかたである。大正七八年の恐慌で庄平の一家が初めて倒産に瀕したとき、ともかく店を続けさせたのは坂口であった。その金にはもとより利がついた。それから二十年近い歳月は、その頃どこか北海道の方にいた重蔵を世間の表に浮き上らせ、坂口を次第に寒げなこの世の横丁の方へと追いはじめている。
 これから失うものはもう手足の働きで決してとり戻せない年になって俄に株にこり出した坂口の姿は、みるたびおさやの心に恐怖に似た感情をかき立てるのであったが、その一方に、怖いもの見たさのような気持もある。唖の息子一人を持っていて、三十越して嫁もないその唖息子が金銭出納の帳簿をふりまわし、やがては鍬をふりあげて、株ですりつづける親父を追っかけまわすという有様を想ってぞっとしながら、不思議な力にひきつけられて、その悲惨な過程を一つあまさず目に入れたいような気も心のどこかに働くのである。
 この二人の組合仲間が、村にも響いて来る時代のうつり代りで一方は上り、一方は下る、その不安定な推移の間で自分たち一家が汗水をたらし、じりりじりりと競売から家をも救いはじめていることを思い、おさやは思わず坐り直して皸《あかぎれ》のある手を深く襟元にさし入れた。
 煉炭火鉢をさし挾んで、重蔵に気押されるなりに坂口は抵抗している。
「あんたが、あのとき千円出さなんだからあかんのや。わしが五百円、あんたが千円出したら、利だけはちゃんとまわすと云うのに、きかなんだからさっぱりあかん」
「わしは、株という名のつくもんは大根の株でも気にいらん。株にすてる金があったら、女子にすてる方がなんぼかええ。おなごならすてる金だけの愛想はまきよる」
「株ちゅうものは、儲かるように出来《でけ》ちょる。そんでなくて政府が許しとくものかな」
「そんならなんで坂口はんは損ばかりしといでるんじゃ。若い頃、横浜でチーハーにかかりよって、わしは懲りちょる。飯も食えんようになりよった。株はいかん! こっちに二百円儲けた者があれば、きッとどっかにそれだけ損しちょる者がある。畑なら何がないようになっても、食うてだけはゆける」
 体のがっちりとした気もがっちりとした地主の爺さんと、肩のすぼけた、気もすぼけた地主の爺さんとは、両方とも譲らず、その執拗さで却って二人ながらに迫っている老耄《ろうもう》を思わせるばかりに株がいい、土地がいいと諍っている。きいているおさやの家には土地もなければ、株もない。
 三時の市況をラジオできいてから、やっと坂口は店先から出て行った。
 おさやが、
「――どうどす、この頃は――嫁はんやっぱり卵もって来はりますか?」
と、笑いながら訊いた。
「来よります」
 白い瀬戸ものの歯の上で唇をすぼめるような恰好にして重蔵が答えた。
「せんぐり持って来よる。それにおとといから待遇がぐんと違って来た。風呂がわくと、先ず、お父はん、お入りませと云うて来るようになりよった、ハハハハハハ」
 その笑いかたには、隣りの座敷にいるお縫が思わず注意をひかれたほど棘々《とげとげ》しさがあった。
 重蔵には実の子がなくて、夫婦養子をしてある。年より夫婦は経済をきちんと分けて暮しているのであったが、或る日嫁がうちの鶏の生んだ卵を重蔵のところへもって来た。うちで生んだ卵でも、いくつと数えたうえ金を出して買うことにしてある。重蔵は、これまでどおり一箇二銭五厘あての勘定で銭を嫁に渡した。笊《ざる》をもって縁先に立っていた嫁は、その銭をうけとりながら、よそではこの頃卵一つが二銭八厘する、と云った。その言葉が重蔵の疳にさわった。もういらん、ということになった。嫁が途方にくれて泣き出し、養子が間に入ってあやまって、一つ二銭五厘で又元どおり卵をとるというところに落着したのであった。
「旗を出す竿が、これまでのは短うてせむなというて、竹林に兼吉が近所のもんと連《つろ》うて行きよった。そしたら、その人がびっくりして、これははや初めて来て見たが愈々《いよいよ》見事なものじゃ、一の森じゅうにこれ程のものはない、これだけのこして貰うただけでも大した金目や、と云うたげな。それで、少々考えが違うてきよったふうじゃ」
 ハハハハと重蔵は再びお縫の耳をひく笑いかたで高く笑った。おさやは、落付いた慰さめをこめた口調で何か云っている。けれども、十八のお縫は、重蔵の心に鬼が住んでいると思った。養子夫婦と自分たち年寄との毎日毎晩の些細なことを、一つ一つ金に換算して、あの親切はなんぼ分、この丁寧もあすこからと、銭に引きあてて見せる鬼が重蔵の心に巣をくっている。その鬼は重蔵を決して安心させないだろう。幸福にもさせないだろう。何万あるのか知らないが、そのためばかりに、重蔵は自分の一番近い筈のものへ自分の心の一番冷たい憎悪と打算とを向けているのである。そう思って、負けずぎらいな重蔵が瀬戸ものの歯の間から響かせる高笑いを聞いているだけでもお縫は胸苦しいような気がした。年頃のお縫には、こういう家庭の紛糾もまんざらよその話とばかりは聞けなかった。いつか自分の身の上にもはじまらなければならない嫁|舅姑《しゅうと》の田舎らしくせまい日常の底にかくされているうすら気味わるいものの影が計らずもそこに見えがくれしているようで、遠いようで近いような現実的な圧迫を感じさせられるのであった。
 お縫は、やがて下駄を突かけて、ゆうべの浅蜊の殼をもって裏へまわった。古い無花果《いちじく》の木の下に手造りの鶏小舎がある。お縫はトウトトとよびながら、先ず玉蜀黍《とうもろこし》の実をまいてやり、どこかへ運ぶ塩俵のつんであるねこぐるまの置いてあるわきの丸っこ石の上で貝殼を叩き砕いては、小舎の中へなげた。
 裏から見ると、庄平の店と住居とは、麦畑と表の往来との間に、まるで切り出しの刃のように片そげになった狭い地べたの上に随分無理をして建て並べられている。片側は往来のすぐ裏がもう線路で、やっと一側の家が並んでいるだけだし、その向い側はすぐ畑や田圃につづく松山にさえぎられて、村全体が奥ゆきない埃っぽいかまえであった。何年か昔、ここへステーションが出来るというので、何か一つ新しいたつきをと求めて集った家々である。
 村じゅうがひっそり閑として夕方近い西日に照らされているこういうひととき、停車場で汽車の汽笛が一声鳴ると、その音は西日のすきとおる明るさのなかに谺《こだま》して、あっちからこっちの山へとまわって響いた。それは変に淋しかった。つづいてギギーと貨車か何かが軋る音がしてガチャンと接続のぶつかり合う音がしてまたあとはしーんとしてしまうようなとき、お縫は胸のなかをしぼられるように我家をなつかしく思った。
 お縫のうちの方は、こことはちがって、海辺に近い半農半漁の村暮しで、寺の山にのぼると、小笠島というめばる[#「めばる」に傍点]のよくとれる島のまわりからずーっと瀬戸内海が見渡せた。村の浜は風景が美しいので有名な海浜で、昔ながらの村落は、海辺をかこむ松林のこちらから、背戸に枝もたわわに黄色くみのっている夏蜜柑の樹を茂らせて麦畑や田の間に散らばっている。田をつくるに水不足で、どこの農家でも井戸を掘りぬいて灌漑した。
 この村から一里ばかり先に大きい湾に面した港町があって、鉄道がしけるまでは東北から出まわる北米《きたまい》は一旦すべてこの港に集められ、そこから九州や山陰へ回漕されている。庄平兄弟の母親は、そういう商売を大きくやっている回漕問屋の娘であった。そんな関係から、代々油屋だった国広屋が、米へ手を出すようになった。
 ところが、この地方に汽車が開通すると一緒に、港はさびれ、従ってその港の活気でひき立てられていた村の暮しが年々深い眠りの中へとりのこされてゆくようになった。国広屋が落ちめになったのはこれも一つの理由であったが、庄平に云わせると、没落は又別の理由で早められたことになった。
 明治時代には十年おきぐらいに日本として初めての大戦争や事変があって、庄平は、三十を越すまで三度戦に従軍した。兄貴が兵士ぐらしをしている間に、弟の順平は、おのずから家代々の鰭《ひれ》を一人の身につけて、金使いも覚え、汽車が開通したときは、米を運ぶより頻繁に白足袋をはいた順平が、半時間でゆける小都会の夜の明るさへ運搬されるようなことになった。その借財もある。そこへ大正七八年の大恐慌が最後の破綻を与えた。庄平はその時分、今順平のいる村の本家に商売していたのだったが、その破滅から国広屋を立て直そうと勢猛に、弟と入れかわって停車場の村へのり出した。
 順平が選挙運動にかかわりあったり、土地の仲介をしたり、一定の職業のない村での旦那暮しをはじめたのはそれからのことである。順平に云わせれば、こんな眠った村で、することがないのであった。そういう順平を庄平は、働く堅気な心がないからだと判断した。そして、互に気ごころの喰いちがったまずい衝突が捲きおこされて、それには自然どちらの一家も家じゅうが影響されるのであったが、順平はそういうとき、ほっとした口元で華奢な指にはさんだ敷島の煙をふきながら、妻や息子娘たちを自分のまわりにあつめて云った。
「どだい、お母はんと兄貴とは十八のときからわしをどう扱った。宮の森に養子に行かせて、戻したと思えば、折角一旗あげようと大阪まで出ているところを、わいわい云うてもどしよる。そらどこへ使にゆけ、ここへゆけ。困ると、わしを呼んですきなほど使いよるって来て、一遍でもこちらの身を思うてじゃったか。いいかげん面白うなくなるは当り前じゃ」
 お縫は、娘の感情で父親の述懐を忘れ得なかった。その忘れ得ない感情のままで、庄平のまるで反対の解釈から出る様々の仕うちを見ているというこみ入った伯父姪のいきさつにおかれているのであった。
 海沿いの村の暖い春の日光は、ほしいままに繁っている雑草の中に、建ちぐされかかった三棟の大鶏舎をゆったりと永い日がな一日照していた。台所の裏の三和土《たたき》のところには、埃をかぶって大きな孵卵器が放りこんだままにある。こちらの村住居ときまったとき、順平は広い屋敷の地面から思いついてこの近隣では類のない大仕掛けの養鶏を思い立った。名古屋へ上の息子を講習にやったり、名古屋の方から専門家を招んだりして暫く最新式な養鶏に熱中したが、眠っている村では採算がとれなくて、しまいには雇い男がこっそり鶏を抱え出して飲んだくれたりする始末となってやめた。
 順平の思惑は、いつも村に流れて来る時勢より三四年は先を行く塩梅になった。そのために大損をして兄庄平と大揉めしたバス会社の経営にしろ、順平がすっかり損をして信用も傷つけた揚句やめてから、僅か四五年あとにやりはじめた佐伯は、同じ事業で今では一財産をつくった。
 屋敷は荒廃して、昔代々そこで油を搾っていた作業場は、元のところにがらんとした壁と屋根とをのこして建っている。別棟の二階には油製造につかった麻袋を織る機台が組立てられたまま蜘蛛の巣が張られている。いくらか織りかけの布が挾まれているままでもう何年そうやってうっちゃらかされているだろう。お縫は小さい時分から、それを見ながら雨の降る日はそのよこでままごと遊びをした覚えがある。
 収拾のつかない破綻が落ちている倉の外壁や青草にまで滲み出ているようなのに、順平は、町から買って来る繻子足袋をはいて、そこだけはしっかりしている新建ちの座敷で、小さい急須から小さい茶碗にとろとろと茶を注いでのんでいた。そこから見える中庭だけは丹念に手入れされていて、苔は美しく日をうけて緑色であった。池に金魚が泳いでいた。厠に床の間がついていてそこに刷りものの松園の美人画と香炉とがおいてある。その新建ちの座敷の縁側には都会風な硝子戸が入っているが、床の間や欄間の壁は今に中塗りのままで何年かを経た。そこまでやりくりがきかなくなったのだけれど、順平は、そうは云わず、壁はよく乾かして上塗りせにゃと、壁土についての一見識を快活に披瀝するのであった。
 国広屋の一つの気風でもあるのだが順平は、いつも先へゆきすぎ早すぎる自分の思惑を、土地柄にあわせてゆこうとはせず、同じ損でも、思い付きが進みすぎていてする損は男のすたれではないと云った。そして、絶えず何か一攫千金の思い付きがありそうに、或はそれが実現するときでもありそうな気配が順平の立居振舞からにおっていて、家のもの皆がそれにつられ、常に半信半疑ながらもその間に益々茂って行く屋敷の雑草に、痛切な傷心も誘われずお縫も育って来た。

 無花果の木の下の小舎から出た白い七八羽の鶏たちは、さもうれしそうに半ば羽ばたきながらかけ出して、溝流れのふちで草を啄《ついば》みはじめた。隣りのハワイがえりの爺さんがこしらえている麦畑を荒さないように、短い棒切れを片手に鶏どもを見張りながら、お縫は、この伯父の一家と自分のうちの生活とは、何という気分のちがいだろうと思った。順平が今度儲けたら、というときは、きっと息子や娘たちに向って、お前らにもと何か買ってくれそうな楽しい話をするのが癖である。そして実行されるのはその万が一だけにしろ、生活には現実と空想のいれまじった不安な期待がそよいでいる。
 庄平は、稼がにゃならん、お前らも儲けてもらわにゃ、と二人の若い息子を励まし追い立てるようにして、装《なり》ふりかまわぬ暮しである。一文の損もしない才覚で通すかと云えば、そこはやはり庄平も国広屋の一族で、使っている男にこれまでも幾度か金をつかいこまれた。庄平は、商売上にも伍長の口癖で「作戦アリ」という気象であった。金を使いこまれたりすると店の前に人だかりのするほど荒れた。それでいて、その男が頃合いを計って前へ出て、庄平のいわゆる潔《いさぎよ》い謝りかたをすると、忽ち機嫌を直して、飯を振舞った上酒まで呑ました。
 五年前倒れて床につくようになってから、庄平は次第に無くちになった。いつとなし店のきりもりはおさやが主にした。庄平の床は家の中心のようなところにとってあって、そこから左の襖越しに店が見わたせるし、右の襖越しには裏が見わたせた。その店さきから裏までを一日のうち何十度か休む間もなく梭のように働くおさやの紺上っぱりの姿を、庄平はどんよりしながら意地のぬけきらない眼差しで追って暮しているのである。
 この間、順平の次男が土地周旋のちょっとした行きちがいから問題がむずかしくなりかかって、示談金の工面に順平が来たことがあった。初めは、何心なく例のとおりフェルト草履をはいて茶紬の羽織をきた父親のわきに坐っていたお縫は、話がだんだんそういう方へ向いて来たので、遠慮して今のように背戸へ出ていた。庄平の床の前で、おさやと順平とが互に早口に声高に喋っているのが裏まできこえる。おさやのしっかりした早口が熱を帯びて高まって切れて暫くすると、思いがけなく庄平が、力の弱った声帯に必死の力をこめた変に疳高い尻あがりの声で、
「い、いけん! こっちが先や」
 ひとこと、ひとこと全身をふるわせて云うのが、はっきりちしゃ[#「ちしゃ」に傍点]の葉の虫をつまんでいるお縫の耳に入った。何ということなし切ない気持がしめつけてきて、お縫の頬を涙がころがり落ちた。
 思い出すと、そのときの涙が今も胸のなかを流れるような気がする。お縫は、気をかえようとするように急な元気を出して、風呂へ水を汲みこんだ。大きく長い火掻きで松枝をたいて大分水がぬくまった頃、おさやが庄平の濡らしたものを抱えて出て来た。
 大盥へザアザア湯をくみ出して、その中へかさばる洗物をつけ、ギッギッと押えつけた。ほんの暫くそうやっておくと、おさやはすぐ丸い棒をふりあげて、しぶきが顔にはねかかるのをかまわず力一杯バンバン、バンバンたたき、もう一つかえしてこっちを叩きつけ、もうそれですんだことにして、お縫にゆすがせる。おさやは上気した顔でせっかちにバンバンやりながら、
「大きいもんはこれが一番ええ。朝鮮人からも習うことはあるもんじゃ」
 お縫はおかしくなって、しずくのたれる古ぎれを竿にひろげてかけながら思わず笑った。おさやは本気な相好で、まるでバンと一つくらわせさえすれば、洗い物の方でよごれはさっと吐き出すという約束でも出来ているように、確信をもって、簡単にくらわして安心している。それはいかにも活気横溢の気短かいおさやらしい愛嬌である。
 クスクス笑いながら竿をかけ代えようとしたら、物干竿をかける棒の二又のそれに荒繩でくくりつけられている松の枝に、小さい青い松ぼっくりが一つくっついているのが可愛らしくお縫の目にとまった。そしたら丁度その真上の明るい夕空に金色の星が出ているのにも気がついた。どちらも小さく綺麗なその二つの天のものと地上のものとを眺めていると、お縫は潤いのかけた日暮しのなかにいる自分の心に優しくふれて来るもののあるのを感じた。自分だけのそういう一刻を大切に心にふくんで味おうとするように、お縫はゆっくりと丁寧に重い黒い洗濯ものを竿にひろげて行った。

 二年ばかり前、おさやは息子たちにせめては借金のほかにものこしてやるものをと、生命保険に入ることを思い立った。近所にタバコ屋をしながら片手間にそういう世話をしている家がある。入ればそこが分《ぶ》をとるから、早速三停車場ばかり汽車で行って手続きして医者が来た。別に故障のない体であったが、二の腕にまきつけてしめる妙な道具を出した結果、血圧が高すぎておさやの保険は駄目ということになった。
 そういう体に熱い湯はいけないと云われたし、おさやにしても庄平を見送らないうちは大事な自分の体と知りながら、五十年来の習慣はやめられない。湯の音がしたかと思うともうあがって、濡れて光る鬢《びん》を鏡もみず掻きつけながら、おさやは店先の神棚の前へ行った。マッチをすって右と左と御燈明をつけた。そして、その前へ立ったなり神社でするとおりパンパンと力のこもったせわしない手ばたきを二つした。それは、おがむというより神様の目をぱっちりさまさせる音のようにはきはきしている。
「あーッあ」
 ひとりでに抑揚のある声が出るほどきっかり頭を下げておいてから、足早に庄平のねている中の間をぬけ、台所前の六畳へ来て勢よく戸棚の唐紙を引あけた。手のはずみで左側の唐紙をあけたりするときもあって、そうすると戸棚の中から古い経木の海水帽だの、とじめがきれてモミがこぼれるまま放りこんである枕だのが現れる。おさやは、物も云わずぴしりとそっちを閉め、右手の唐紙をあけ直した。そこに仏壇があった。仏壇の内には吊り燈明があるが、火の用心のためにふだんはそれをつかわず、電燈から豆電燈がひきこんである。それをねじって、今度はともかくその前に坐り、同じように活気のあるせわしさで鐘を二つ鳴らした。数珠を左手の先にかけて、南無南無と称え、ここでも、
「あーッあ」
と抑揚をつけて頭を下げる。
 おさやは台所の土間の方へ向って、そこで水仕事をしているお縫に声をかけた。
「まだ帰っちゃこまい?」
「まだです」
「あ。――ちごうたか? 正らすぐききわけてどこの車か当てよるが、私にゃてんと分らん」
「さア……ちがうようにもあるが……」
 遠くの角で聞えたクラクソンにつられて、お縫が店先へ見に出た時、一台の乗用がもう暗くて見えない砂塵を捲きあげながら村道を走りすぎた。
「まアええ。きょうはどうで八時じゃろ」
 夕飯の仕度はすっかり出来あがって、土間は六畳から射す鈍い光に照らし出されている。トラックを運転して働きに出ている二人の息子達が戻らないうちは、晩飯にしなかった。二人より先にお縫に湯に入れというものもないのである。
 待たれていたトラックが表で止ったのは、八時も少しまわった刻限であった。
「かえった!」
 おさやは、片ひざ立ちかけながら声を大きくして庄平に告げた。
「お父はん、車が戻りましたで」
 庄平は、低くおろした電燈の前で、先刻から落付かない眼くばりを表の気配に向けていたのであったが、おさやがそういうと、深々と首をうなずけ、いかにも嬉しそうに声を出さずに笑顔になった。大きく口をあけ、顔を仰向けるようにして笑うのであったが、笑いの輝やいているのは瞳だけで、その口元は泣くようにも見えるのであった。
「只今かえりました」
 オバオール姿の正一が、軍手をぬぎながら土間へ入って来た。
「さ、すぐ湯へおいり」
 正一が湯上りの若々しい胸の上に素っぽこ袷をいいかげんに着て、片足で黒メリンスの兵児帯を蹴りながら腰へからみつけつつ中の間へ出て来た時、後へのこって車を掃除し、車庫の戸じまりまでひとりで終った弟の直二が入って来た。
「かえりました」
「どうする? すぐお湯にいるか?」
「――腹が減ってやりきれん」
 おさやは、ついそこに長まっているのに、弾みのある高声で、
「正ちゃん、正ちゃん」
と呼びたてた。
「はよ御飯にしよ。直はお湯はあとまわしじゃと」
 ポンプのところで手だけ洗った直二が、頸のまわりの手拭をはずして拭きながら、
「わしはここでええ。面倒じゃけ」
 土間から腰かけを引っぱって来て、七輪のおいてある縁側に向って陣どった。正一は、大きくあぐらをかいて、長男らしく畳の上の餉台に向った。
 おさやは、湯気の立つめばる[#「めばる」に傍点]の汁をよそってやりながら、
「どうじゃった、長瀬へもまわれたか?」ときいた。
「ああ。二度往復した」
「十四円じゃろ」
「ああ」
「――あしたは日てえ上田じゃ、電話よこしよった」
「ふーん」
 十九になったばかりの直二は、泥だらけのオバオールで、飯茶碗を片っ方にもったまま、箸をもっている手で汁碗を逆手にもったりして、余念なく食べている。
 やがてお縫が後片づけに土間へ下り、兄弟は中の間へ行って父親の両側にねまった。正一は父親の掛布団をひっぱって自分の腹へもかけるようにして右っ側へ。直二も湯から上って来ると、力仕事で急に大人びた体に合わしては少年ぽい絣が荒すぎる長着姿で、左っ側へ。一日の疲労と満腹とで若い兄弟はどちらものうのうと体をのばし、夢と現の境である。
 庄平にとっては、今というときがあるからこそ単調な一日をどうやらしのいで来ている。血気の旺《さかん》な稼ぎ手の息子らに左右から押しつけられ、温泉にでもつかったようにじっと仰向いておとなしくしていたが、暫くすると、庄平は萎びた指で、
「アレ」
と弱々しく云って自分の頭の上の方を指した。
「なんで」
 寝ころがったまま正一が頭をあげてその方角を見たが格別新しく目につくものがない。するとあっち側の直二が片膝ついて起き上って、父親の顔の上に自分の顔を押しつけるようにしながらきいた。
「なんで、お父はん、アレちゃ、なんで?」
「アレ」
「ラジオか――ラジオどすか」
 当年仔《とねこ》でも起き上るときのように手足を一緒くたにドタドタと直二が起きて行って、兄のすぐ頭の上にあるラジオをまわした。洋楽につれて、顫えを帯びたソプラノの独唱が聞え出した。ふた声みこえそれをきくと正一が、
「ギャーか!」
と気むずかしそうに云った。
「ほか出して見い」
 直二は兄に云われるとおり手当りばったり針をまわした。いきなり賑やかな三味線がとびこんで来て、八木節に似た唄が入った。それには誰も何とも云わない。直二は父親をまたぎ越すようにして蒲団の元の場所へ行き、そこへ又ころがった。
 ジャカジャン、ジャンジャンという三味線の響は、お縫の洗いものをしている土間から暗い村の夜の中へまで響きわたって行く。主題歌なんかは時々自分でもうたう正一が、ラジオの洋楽というと消すのはどういうのであろう。一つしか年のちがわない素朴な直二は、お縫から見ると子供っぽく思えるし、さりとて、三つ上の正一の気持には、男のせいかお縫には分らない節々があった。意味はわからなくてもヴァイオリンや笛の音が、美しいメロディーで流れるのをきいていると、時には眠くなりもするが、概してお縫はいい心持がした。そういう洋楽の音は、お縫のまだ知らない東京の生活や一年に一二度映画で見る外国の街での若い人々の生活や、少くともここのまわりの毎日とはちがった華やかで甘美な気分への憧れ心を刺戟した。お縫は東京暮しをすることが自分の生涯にあろうと思っていなかった。まして外国なんか。だから一層そういう憧れ心はお縫にとってただ心持よいだけのものとして感じられるのである。――今夜は茶わんを洗いながら、やかましい三味線をきいていて不図これまで思いもしなかった或ことに気がついて、お縫はひそかに正一にすまないように感じた。何故なら親たちと一緒に正一が洋楽を好かないのを、お縫はずっと只頑固なのかと思ってもいたし、少し意地わるく、若しかしたらわざと猫をかぶっているのかしらとも思わないでもなかった。兵隊に行っていて、その二年間は都会の空気の中で暮して来た正一が、ジャズなんか好きになってかえったとしれると、その間に小遣いなんか送らせた理由も勘づかれ、面倒になるから跋《ばつ》を合わせているのかと思った。けれど、もし正一の洋楽をきらう心持が別のことからだったらどうであろう。洋楽をきくと自分と同じに心持を動かされ、しかも、少しはこういう辺鄙な村にはない生活の断片をも知っている正一が、現在ここにありもしないものになまじっか心をひかれるのが厭で、ジャズなんかききたがらないのだったとしたら――。
 おさやが茶がわりに飲むハブ茶を七輪のおきにかけながら、お縫は、はっきりと一つの笑い顔を思い出した。それは正一が除隊になってかえって来て、組合が祝の酒盛をした時のことであった。重蔵なども先に立って、お縫の耳にきき苦しいような冗談を云っては正一の嫁とり話が出た。正一はうすら赧い顔をして笑っていたが、それは決してうれしい笑いでも、極りがわるいだけの笑いでもなかった。そして、しまいには、何かに楯ついているようにむっと、
「もうええ、もうええ、わしは二十六まで嫁はとらん!」
と云った。庄平の家の負債のことは村じゅうが知っていた。この家の下の土地が自分のものでないことも分っている。正一が中学を中途迄しか行けなかったこともしれている。正一がトラックを運転している姿を見るとき村の人々はそのことを思い出したとしても、感心な、と云うであろう。だが、あなたの娘をやりなされと云われれば、それらのことは、全く別様の条件となって思い出されて来るのである。
 お縫の姉のおたみは、遠縁をたどって神戸の方へ見習いに出ている。そこにも、自分の幸福をさがし求めている娘の心持がある。
 五燭の電燈で仕舞風呂に入っているお縫の頭の中から、これらの考えは消えなかった。
 レートクリームのかすかな匂いをさせてお縫が中の間に来たときは、おさやも加わって、一しきりうつらうつらの醒めた頃合であった。正一が、店のところで、煉炭火鉢の上へ跨りかかるような恰好をし、モジリを着た男と何かかけあっている。
「マアそう云わんと、ちょっとやっつかわせ。手伝《てご》うするもんはいるんじゃけに……」
「あすは、買い切りじゃがで……」
「一日二日はくり合わせますけ」
「さア――無理じゃと思うなあ……」
 押し問答の後、男はそこに置いていた自転車のライトをとりあげて出て行った。正一が、
「なんぼこまいかて、家一軒で四杯ちゅうことがあるけ」
と電燈の下へ戻って来た。
「なんで?」
「柳下の郵便局のおっさんが死によって、保坂へその家を引くんじゃそうな……二十四円で請合えと云いよるんじゃ」
「そりゃいけん」
 おさやが、坐り直すようにして首をふった。
「無理であります。柳下の家は見ちょりますが、こまうはありません」
 黙っていた直二が、その時突然大きい声でそう云った。
「おお、そうそう」
 思い出しておさやが、
「さっき組合から、米を出すちゅうて来よった。一俵三銭じゃ行くますまいと云うといたが――」
と云った。
「ガソリンがこう上っちゃ、運賃も上げにゃならんが、鉄道運賃が居据りじゃけに、きついなあ」
 おさやは、辛辣なところのある口調で、
「上田じゃ儲《もうか》りよって儲りよって困るじゃろ」
と笑った。上田は「日石」のこの地方唯一の特約店で、海軍工廠へも上田の店からでなければ重油が入らないのであった。
「おかあん、あした局へ行くで――」
「そいじゃ、見とかにゃ」
 箪笥の引出しをあけて、おさやは白木綿の包みやら、庄平の恩給証書を出した。ついでに、
「こりゃ、どんなもんじゃろ」
 一枚の株券を正一たちの前へ見せた。
「何であります?」
「坂口はんのや――警察に押えられてあったの、ようようかえして貰うたんじゃと、どういうもんか調べてくれと置いて行きよったんじゃが」
「これ、何で――その建鉄会社ちゅうの――」
「分らん」
 直二が、兄のわきから口を尖らしてのぞき込みながら、
「五拾円と書いてある」
と云った。
「坂口はん、知っとってじゃないんでありますか」
「知らんの」
「反古《ほご》とちがうのか?」
 正一が気味わるそうな指つきで、その一応は印刷になっている株券をつまみあげたので、皆が笑い出した。おさやは改めてそれを手に取って眺めた。
「本当に値うちのあるもんやったら、なんぼ警察やて、半年も放りこんでとりあげちゃ置きやすまい。株屋は、つかまりよったんか?」
「つかまっちゃおらん」
「今は憲兵隊になっちょります」
と直二が生真面目に持前の大声で云ったので、又、笑った。坂口の爺をひっかけて、初め二百円程儲けさせ、千円ばかり出させた株屋が、現金の代り、今取引しかかっているのだがあなたが是非今日と云うならばと、その建鉄株を現金に相当な額面だけよこして、翌日はその店から行方を晦《くら》ましてしまった。何か犯罪があるということで、坂口が渡された株券は証拠物件として半年も警察にとりあげられていたのであった。
 正一が、
「うっかりすると、坂口はん首つらんならんようになる」
と云った。
「夕方、下屯田をひょっこひょっこ歩きよった」
「茂一の店へゆきよってのじゃろ」
 真偽の知れない株券はそれなり又箪笥へしまいこまれた。
「箱をかえにゃいけんなあ」
 ひとりごとのように云いながら、おさやが隅のつぶれた「朝日」のボール箱を引出しからとり出してふたをあけ、ちょっとなかを調べて埃を吹いた。
「なんで」
「お父はんの勲章や」
 お縫が、
「あら、うち、見たこと一ぺんもないわ」
と云った。
「軍隊手帳も入っちょりますか」
「入っちょる」
「どれ」
 金鵄勲章という名だけはきいていて、お縫は現在目の前のボール箱の中に入れられている品とは何かしら見かけも全く別なものを想像していた。こういうものにも沢山の種類があるのであろう。その箱の中に、庄平が達者だった時分の写真が偶然一枚混りこんでいた。黒紋付を着て、その勲章のほかに二つ並べて胸に下げている。写真にうつっている方が、却って本物らしく見られるのであった。
 皆、暫くは何も云わずに勲章を眺めていた。やがておさやは黙ったまま、元どおりボール箱の蓋をして、株券と同じところにそれをしまい込んだ。



底本:「宮本百合子全集 第五巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年12月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第五巻」河出書房
   1951(昭和26)年5月発行
初出:「改造」
   1937(昭和12)年6月号
入力:柴田卓治
校正:原田頌子
2002年4月22日作成
2003年7月5日修正
青空文庫作成ファイル:
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