青空文庫アーカイブ

ものわかりよさ
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

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 昔から女にもとめられている日常の美徳の一つに、ものわかりのよさ、ということがある。
 とかく女が狭い生活にとじこめられていたために、人生の視野がせばまって、我執だの偏執だのが女につきものの気質のように見られた一方の、その対蹠的な要求とでもいうべきものだったのかもしれない。やきもちをやかないこと、そして物わかりのよいこと。その二つが身に備わっているとなれば、賢い女のうちに入れることはまぎれもなかった。
 女にものわかりのよさをもとめられたのは、昔だけのことだろうか。男の世界によい意味でも目の上の瘤にならないように、わるい意味でも邪魔っけにならないように、女のものわかりよさが求められたのは、昔ばかりのことだろうか。
 ぐるりと生活を見わたすと、今日でもやはり、女に向かってこの同じものわかりよさが何かにつけもち出されていると思う。君はわからない女だ、という言葉の内容は、君はわからない男だというと同じ内容ではいわれていないのが実際だと思う。わからない男だ、というとき、その言葉には相手が人生的なことかあるいは職業的なことか、何はともあれ原理的な点で正当な理解をもっていないという意味がこめられている。わからない女だね、という表現は、いつの場合も決してそれほど原理的なことの判断についていわれるのではない。むしろ日常の一寸したこと、男の側からいえば、そういうものだよ、というようなとき、それがすらりとうなずけない女の心を、わからない女と表現することの方が多い。
 しずかに考えてみると、ものわかりのいいということと、物の理解が正しくて深いということは全く別である。今日の若い世代のものは、誰しも人間としてより正しく深く自分の一生についても考えわかって生きてゆきたい慾望をもっているし、同時に、そのように考える精神のよりどころについてある自信なさにおかれてもいる。そのために、本当に考えて責任をもって生きたいという心持が、ある場合は、女はものわかりよくなくてはならない、というどこからかの声に動揺させられたりしがちだと思われる。
 大体に、ものわかりのよさの本質は、発見の精神ではなくて適応の精神であり、創造への感情ではなくて、従属への感情である。ものわかりよさは、高い人間の明知とはちがった性質のものである。一方に深い質問を抱いてそれを追究して新しい何かの価値を人生にもたらして来るような、そういう建設の意力を、ものわかりよさはもっていない。ものわかりよさは、いつでも現在その人の生活する世間で通用している型どおりのものの上手なとりあわせを心得ているということである。善悪の判断のあり来りの型だの、表通りはそうでも、裏の小路はこうついていて、そこの歩きかたはこうこうという要領や、人間はあまりの真実はかえって嫌う臆病さをもっていること、嘘も方便ということ、労少くして功多きを賢しとするしきたり、それらをみんなわきまえていて、下品に流れず、さりとて実際からそれず、生活の棹をさしてゆく術を、ものわかりのよさ、というのである。
 女であれば、世間並に娘時代の修業をつんだら、親の社会的な位置にもふさわしい結婚をおとなしくうけいれて、良人をよく満足させる努力の余力でいくらかは自分も楽しませ、良人の立身出世をよろこび、身分相当の家庭生活をやってゆく、そういうものがものわかりのいい女性であるとされている。良人のある程度までの浮気も、家庭生活が守られてゆけば、とものわかりよく、この程度のことは今の世の中では常識だからと地位から来るあれこれの利得に潔癖すぎもしない。そういうのも、やはりものわかりのわるい女には入らないのである。
 若い女性の成長にとっては、ものわかりよさが遙に複雑な陰翳をなげると思う。それこそは青春のかえがたい贈物である知識欲や成長への欲望、よりよい生活へ憧れるみずみずしい心の動きは、現実にぶつかって、一つ一つその強さを試みられているわけだが、その現実は、青春の思いや人間の成長をねがう善意に対して、何と荒っぽい容赦ない体当りをしばしばくらわせることだろう。
 もし私たちの悲しみや苦しみ、悲劇が人間としての悪意からだけ生じるものならば、古今の傑れた文学が何かの意味での人間悲劇を扱っている根拠が失れるであろう。悲劇というものに人の魂をうつ美があり得ないであろう。人間の最も純真な善意、まじりけのない善良な希望、そのものが現実の歴史の波濤の間でそれなりに表現されず、ましてや成就されないことがどっさりある。善意は現代社会の矛盾のうちでいつも冒険におかれているのである。
 経験が多くのものをいう時代もあった。社会の状態が一定して、それが相当の永い期間安定していた時代、その社会のなかでは経験が未来への判断に多くのものを意味した。けれども、私たちが生きているこの現代は、世界じゅうが一つの巨大なうごめきをしていて、硝煙の間で歴史が転換しつつある。経験というものはそういう時代になると、静的に解釈されれば何の力もないことになる。何故なら、去年あることがそうであったという事実は、今年同じあることがそうであるということにはなっていないのだから。去年の経験さえ役に立たないものになって来ているとさえいえる。まして、今日に生きる若い娘にとって、母の若かったとき、お祖母さんの若かったとき、それはかくかくであった、ということが、はたしてどれだけ今日を生き明日へ生きようとする生活の支えとなり得るだろう。
 それらが支えとなるだけの力をもっていないということは感じられて、何か自分たちがこれでよいと思えるものを今日のうちから掴んで来たい、それを力に未来の生活への見とおしも立てて計画も立てたい、そう若い女性たちは考えていると思う。
 だが、そういう若く愛らしい人生への熱意に対して、女への現実は何を要求しているだろう。若いひとたちは、ある年齢になれば大抵自分で働いて経済上にも自立したい心持をもっている。生活にさし迫っていなくても職業はもちたいと思っている人が大部分であろう。社会の需要もこのご頃は女の力を非常に必要としているから、女の働き場所は、ともかく割合にある。だけれども、その働きは、女がより豊富な人間として成長したい心持から求める社会的な勤労の姿では現れず、経済的の点からも自立は不可能なくらいしか報われない。日本では昔からのしきたりがこういうところへ作用していて、若い女は親の娘、良人の妻と考える方便が、近代の経営術のうちに巧にないこまれているから、働く方では一人前、しかし報酬は内職標準という割合がめやすとなっている。働かせはするが、仕事の本流で女は除外されているから、向上の前途も見とおし少い。
 それに加えて、今日でもまだ男のひとたちが、相当の生活力をもつ女には男にその二つが是非ほしいように、やっぱり家庭と仕事とがいるのだという自然なねがいを、自然なこととして納得できずにいるというのは女にとって何と困ったことだろう。
 男のひとたちは、世帯じみた女を好まない心をもっている。モウパッサンの「女の一生」を女の悲惨として理解する心は持っている。オルゼシュコというポーランドの婦人作家の書いた「寡婦マルタ」をよめば、良人に全生活を庇護されてゆくように、その幸福を飾る花であることを目的としたまとまりないいわゆる淑女の教養きり身につけていない善良で気品ある女が、いったん逆境に陥って燃える母の心から終に馬車のわだちの下で命をおとす悲劇を、自分の妻には絶対にあらせまいとねがうであろう。ちゃんとした職業教育は女にも必要であると思う。
 その気持はそれとして偽りのものではないが、しかしながら、今日わが生活の現実として、仕事をもっている妻を想うと、そこに何か家庭らしさに混りものがはさまったように、何か本当の家庭になりきらないものがあるように思う気分が湧くことも、多くの男のひとたちは否定しまい。
 友達には仕事のある女のひとがよいけれど、妻には困るという感情はかなりいまだに普遍性をもっている。
 たとえどんな仕事にしろ、二十二三歳である社会的な水準まで達することはほとんど不可能であるから、この人生に真摯な心で向っている若い女性たちほど、いわば自分の人生への愛と、異性への愛とに苦しんでいると思う。もしそれが正しい扉にふれてうち開かれれば、その奥には我からおもはゆいばかり咲かんとして期待にみちた花園のあることを知っているのに、仕事もすてたくないという単純な女の希望のために、そんな花園のかくされていることはもとより、ひとなみの程度の女らしささえ欠けているように見られたりすることは、若い女のひとにとって何たるくちおしさだろう。
 ものわかりよさの陰翳は、こういう瞬間に女の心にさしこんで来る。私が人生にもとめているのは我ままなのだろうか。そういう謙遜の表現で、忍びこんで来る。人間につまり大切なのは、仕事の上の野心だろうか、つつましい日常の愛だろうか。そのように現実をはなれた観念の上での対比をもとって現れて来る。はたして私にはそれだけの摩擦にたえるだけの、たえてゆくだけの才能があるかしら、そういう否定に立った問いかけもきこえて来る。
 これらのさまざまの声々の底には、女というものはしかじか、女の幸福はしかじか、という定型へのものわかりよさ、困難をさけようとするときのおのずからなるものわかりよさが、作用しているのである。
 愛すべき若い人生のどの位の部分が、この悲しいものわかりよさをのりこえて自身の成長の歴史をつくってゆくだろう。
 現実を知るということ、または大人になったということを、このものわかりよさに屈伏した内容でいうひとの多いことを、私たちはまじめにとりあげなければならないと思う。
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みんな
ふり出しでは、清浄であった
一生懸命であった

みんな中休みでは、まだ
人生の希望をすてなかった

みんなふり出しでは、健康であった
心も、正しかった

みんな、中休みではまだ
自分のコースを話し合って
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(「人生のダイス」竹内てるよ)
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 けれども、自分のダイスがコースをはなれてゆくにつれて、ものわかりよさに敗北してそれに導かれた日常に身をおくと、かつて自分も清浄なふり出しをもったことをせめてものよろこびとする人たちより、それは若かったから、と自嘲して見る人の方が多い。そして、今なお、一生懸命にふり出した時の希望をすてず、悪戦し苦闘している女の仲間を、憫然らしく流し目にみる。ものわかりのわるい人たちとしてみる。
 若さを喪失することにある悪は、フランスの貴族的な女詩人マダム・ノアイユが詠歎したような哲学的な哀愁ではなくて、きわめて現実に人間の善意に対して無反応になったり、嘲笑的になったりすることである。
 どうせこんなものといってしまえば、その人がこの人生に存在する意味さえも失われる。どうせこんなもの、という投げかたは、人生に対する一番傲慢な卑屈さであると思う。
 人は一人一人に複雑な性格や肉体の条件をもっているのだから、どのひとの一生も、不屈であるというわけにゆかず、あらゆる青春が歴史の推進の中軸に立つことはできない。あるとき、心ならずものわかりよさに敗けたとして、私たちはやはり明瞭に自分をごまかさずその敗北を認め、その中での努力をおしまず、善戦をつづけている人々への喝采と励しとその功績を評価するにやぶさかでない精神をもたなければならない。
 今日、ものわかりよさは、そこまでの歴史性に歩み出しているべきではないだろうか。
 女の一応のものわかりよさは、時に醜いことがある。近頃は、情勢の変化につれて、女のひとのなかにもいろいろ役所関係との接触を多くもつひとが出てきている。そういう役人の一人が、ある一夕何人かの指導的な婦人たちを招待して、意見交換ということをした。そのとき一人のひとが、割合ふだんのままの気持で日頃から思っているままの意見を、女の生活の改善という立場から話した。そしたら、その婦人たちのなかでも主だった人と目されている一人が傍の友達に次のようにいったそうだ。あの人は、こんなにして御馳走になっているのに、それに対してああいうことをしゃべるのは失礼だ。気をつけるようにいっておあげなさい、と。わずか一円か二円の食事を御馳走といい、そういう御馳走にあずかった以上、対手のお気にかなうように振舞わなければならないというそのひとのものわかりよさは、何と清潔でないだろう。餌をまかれてそれに支配されて来た男たちの游泳術を、それなりに追随したものわかりよさを、女も社会に出るにつけて身につけてゆくというばかりでは、あまり悲しくはないだろうか。男の世界では同じ餌にしろ大きく、游泳のゴールも華々しいということがあるが、女の場合、御馳走の程度も男仲間のいわゆる饗応とは桁がちがい、そのようにしてゆきつくゴールははたしてどこにあるのだろう。あとには、よごれたものわかりよさだけがそのひとの身と女の歴史とに重ねられてゆくばかりとしたら。
 今日では、個人を超脱した何かより高いもののように仮装されがちな皮相なものわかりのよさが、女の実質をたかめるものでないことを理解するところまで、ものわかりよくならねばなるまい。外からこうしろといわれ、そうしていれば無事だからというものわかりよさから、そうしながらも、何故そのような要求がされるのかそれを知ろうとする心をすてないものわかりよさ、そういうものわかりよさを女の成長のモメントとしてつかまなければならないと思う。
 世界で一番きたない本はバイブルである、という意味のニーチェの言葉が警句というより深い意味をもっているとすれば、それはガリレオ・ガリレーの生涯やホーソンの「緋文字」を見てもわかるとおり、どっさりの人類の叡智や生命や愛が、その一冊の分厚い本の頁のあけたてによって殺戮されてきたからである。常識の中に、浄きいかりを腐らしたからであると思う。
 女のいつわりない女心は、ものわかりよさが腐臭を放っていることをよろこばないのである。
[#地付き]〔一九四〇年十月〕



底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
   1952(昭和27)年8月発行
初出:「婦人画報」
   1940(昭和15)年10月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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