青空文庫アーカイブ

木の芽だち
――地方文化発展の意義――
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)漸々《ようよう》

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(例)[#地付き]〔一九四六年五・六月〕
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 この頃は、日本じゅうのあちらこちらの都会を中心として、文化的な動きが著しくなって来ている。
 これ迄、その町から一冊の雑誌も出ていなかったようなところからも、かなり念の入った出版物が発行されるようになった。東京そのほかの大都会は破壊された。地方の小都市は、その犠牲からまぬがれた。そこには様々の理由から紙がある。印刷所がある。民主日本の新らしい潮はそれらの条件にさし加って、若い世代を中心とした文化の動きが見られるようになって来たというのが、一応の事情である。
 けれども、この文化の中心の全国的な散開という新しい事実には、それだけの現象にとどまらず、明日の日本にとって、私たちの明日のよろこばしい生活にとって、深甚な意味をもっていると考えられる。
 アメリカは勿論のこと、イギリスでもフランスでも、文化の中心は決してただ一ヵ所の首都に集注されてはいない。ボストンだけが文化の中心ではないし、パリだけが文化の中軸をなしていると云えない。それぞれの国は、各地方に、独自的な伝統と特色とをゆたかにもちながら全体としてその国の人民の宝として十分評価されるだけの文化をもって来ている。それは、昔のヨーロッパが、封建諸王によって分割統治されていた時代の首都が、既に一定の文化水準に達していたということも原因である。けれども、もっと重大なことは、それらの封建都市は、やがて近代社会の発達とともに次第に市民的都市となって行ったという歴史である。経済の上に、従って政治的権力の上に、自分たちの意志を明瞭に反映しはじめた近代第三階級(ブルジョア)としての市民たちが、自身の活溌な精神の表現として、自分たちの市に、大学を建て、大図書館を建て、劇場を建てた。例えば、アムステルダムの大市場は、世界の物資を集散して目を瞠らせる壮観を呈した。同時にその市場を運営していたアムステルダムの市民は、ルーベンス、レンブラントの芸術を生む母胎ともなった。ハンザ同盟に加っていたヨーロッパのいくつかの自由都市は、それぞれのわが市から出発して商業の上で世界を一まわりしていたばかりでなく、当時の文化を、めいめいのところで最高にまで開花させていたのであった。
 寧ろ、現代の資本主義が強く文化分野を支配するようになってから、その取引場としてパリ、ロンドン、ニューヨークという風な首都が、文化・芸術の成果を集中しはじめた。文化・芸術の結実は、そのものとして人民に愛され、貴ばれる本質から変化させられて商品化し、投資の対象と化して来ているのである。
 第二次世界大戦まで、パリは芸術の都と云われて来た。それは、ヨーロッパにおいてのフランスが、封建時代からより進んだ文化をもちつづけて今日に到ったからでもあるが、他面には、パリというものがもちつづけたその伝統的な地位によって、おのずから文化において世界最大の取引市場の一つとなっていることからも来ている。ヨーロッパ、アメリカの文化・芸術の純文化的、芸術的価値は、パリという関所を通過して、初めて存在を確実にされると思われた。同時に、世界の文化的商業の面から、パリで売れる、ということが一つの商品価値証明のようになった。ウィーンで有名だった藤田嗣治、というのと、パリで有名だった藤田嗣治というのとでは、一般のうける印象がちがう。日本において彼の作品の商品価値がちがう。戦時に、軍部がこの画家を利用することにおいての熱心さまでが違ったのである。
 アメリカでもヨーロッパでも、真実な文化人、芸術家たちは、文化・芸術の悪質な商業化に対して、いつも戦って来た。科学者たちも、この闘いには参加している。これらの人々は、自分たちの国の経済事情に、民主主義というもののより高い発展がもたらされなければ、文化の商品化は払拭されないことを知っている。資本というものの天性は、一つの悪鬼に似ている。人間の労力から生まれた資本はためこまれて、やがて人間を喰いはじめ、その精神的所産までを貪婪に食いつくそうとする。それに対して、ヨーロッパは、自身の流血をもって闘った。第二次世界戦争の結果は、こういう意味で、疑いなくこれからのヨーロッパ文化を或る程度まで変えようとしているのである。
 日本では、この間の事情が大分、異っていると思う。
 第一、封建時代の日本大名たちは、自身低い文化しかもたない軍事的な支配者であった。日本の封建性は世界に類がないほど狭い国土の中でしめつけられて発達し、諸大名と徳川とは君臣というきびしい身分関係にしばられていた。ヨーロッパにおける諸王と国王との対等に近い関係とはまるで性質がちがっていた。諸大名に対する密偵制度、抑圧制度は実にゆき届いていたから、分別のある諸大名は、世襲の領地を徳川から奪われないために、中傷をさけるための工夫に、自分たちの分別の最も優秀な部分を浪費した。余り賢くあること、余り英邁であること、それさえも脅威をもたらした。殿様は馬鹿でなければならなかった。そういう日本の封建の気風の中では、一つの藩が、とびぬけて卓抜な学者、芸術家をもっているということさえも不安であった。
 東北の伊達一族は、その胆力と智略とで、徳川から特別の関心をもたれた。聰明な伊達の家長たちは、その危険を十分に洞察した。伊達政宗がわざと大酔して空寝入りをし、自分の大刀に錆の出ていることを盗見させた逸話は有名である。伊達模様という一つの流行語が作られ、今日までそれは日本の生きた言葉としてのこっている。その源泉は、やはりこの伊達の智慧であった。浪費と軽薄の表徴として、それによって、徳川の警戒心をゆるめようとして途方もなく派手な大模様の衣類をつけて登城した伊達に対して、伊達模様という云いかたが出来たのであった。しかし、これらの逆用されている智慧は、文化のひろびろとした開花をうながすには、暗く寒くありすぎた。
 前田家のような大大名の藩で発達した文化が、能・茶の湯、宗教では禅であるということも意味がある。当時の社会生活から一応は游離して、精神と富との避難所としての文化が辛うじて生きのびた。
 僅に、九州や中国の、徳川からの監視にやや遠い地域の大名たちだけが、密貿易や僅かの海外との交渉で、より新しい生活への刺戟となる文化を摂取した。維新に、薩長が中心となったということは、深い必然があったのである。
 ところで、この明治維新、日本の資本主義国家の誕生は、ヨーロッパの自由都市の市民が、第三階級として自身の経済力にたって近代の社会機構に移って行ったのとは、全く性質を異にする。
 明治政府は市民が下からこしらえた政府ではなかった。日本の社会生産と経済とは、封建のままの土地制度、耕農手段を基礎としていて、一握りの進歩的大名と、革新的下級武士と、外部からのヨーロッパ、アメリカとの力が結合して倒幕運動がおこされ、日本の近代企業、銀行、会社の創立は、すべて、政府の上からの保護を必要とした。大名と武士とが結合して権力を掌握し、近代化そうとした日本の明治政府が、地主・軍人の保守性、侵略性をもって出発したことは、明らかな必然である。市民階級が擡頭して作った近代ヨーロッパ社会と全然ちがう半封建の明治がはじまった。
 明治の大啓蒙家であった福沢諭吉が、自分の著書にいつも東京平民福沢諭吉と署名したことを知らないものはない。これは彼の気骨を物語っている。その反面に、明治が、その現実において、どんなにまで封建的であり、身分の観念と結びついた官僚主義が横行していたかを語っているのである。
 市民社会を土台としてそこから近代化した日本ではなかった、という一つの事実は、明治以来の日本の文化に、重大な関係をもっている。
 日本全国の諸企業が独立独歩出来なくて、中央政府の保護を必要としたという一つのことは、同時に日本中の各都市の独自な発展、経済的能力が乏しかったことを証明している。当然、それらの都市での文化も、決して強い独特な隆盛をもち得なかったのであった。
 乏しい故の中央集権が、日本各地方の文化にそれぞれ独特な、ゆたかな展開を可能としなかった上に、一層わるいことは、その状態のまま文化面でも出版業のような利潤追求の企業はどんどん成長して行ったことである。
 どんな国でも、都会人口よりは、農村人口が多い。利益を求めるものの本能は、数を重要に見る。従って、儲けるための出版業者は、いつも「地方」を対象におき、そこで売れるためには、決して「地方的水準」を高めようとせず、それに媚び、おもねり、面白がられることを商売の上手とした。
「地方巡り」という一つの文化上のタイプは出版から、娯楽から、あらゆる面に存在している。吉本興業のような漫才発明の興行者から、今度除名された講談社まで、彼等の尨大な富は、地方を文化の市場として、地方の低さを餌食にして、築き上げられたのである。
 都会の文化と地方の文化とは分裂させられていた。企業家にとって、地方は、文化的殖民地めいた関係におかれた。地方そのものの文化的創造力は高めようとされず、その性格をより充実させ、高貴ならしめようとは援助されず、ただ、欲求だけをもっていて、それと引かえに与えられるいかがわしい一冊の本であった。一晩の観劇に対して、無抵抗に支払うものとしてだけ扱われて来たのである。
 ここにも、これまでの日本の封建性と近代資本社会の混合した恐ろしい害悪が現われている。
 こういう文化機構であったからこそ、戦争中の日本人民は、あのように侵略思想で統一され、偽瞞されつくした。金を儲ける文化企業者は、人民の生血そのものをも、平気で自分の利益に換えた。軍閥・資本家の結托というと、政治綱領めいて響くが、現実はまざまざとその真実であることを示しているのである。

 日本の民主化ということは、実に実に重大な意味をもっている。日本の民主化は、全くじかに、私たちの人間性の主張と自覚と、人間として生きるよろこびの確保ということに結びついているのである。
 地方文化と都会文化との分裂、地方が文化上の搾取に会うことは、民主精神が伸長して、地方における人民自治の実質が高まったとき、根底から変化させられる。
 社会政治の全面に、わたしたちの健全な判断力が反映してゆくにつれて、文化に対しても私たちは、自主の権威にみちた選択の自由をもち、創造の自由を得るのである。
 本当の民主の生活とそのこころが身につけば、地方が所謂地方主義に陥ることもなくなって来る。自分の地方だけの独特性、その価値、その主張を固執する心理の原因は、一方に単調な、画一な中央主義がある場合である。このいずれも亦、十分の民主化のない社会文化におこる危険であり、民主化によってだけ解放される困難なのである。
 今日、地方に、文化の動きが多いということは、ただそれだけのことではないと思える。日本の全社会が、どんなに動き出して来ているかという証拠であると思う。若い世代が、自分たちの青春と発展の可能を、自覚して実現しようとしはじめていることであると思う。文化の波音は、その社会、その地方のいのちの動きの歌である。解放への羽づくろいの気配なのである。
 このことは、今日、地方に紙があり、印刷能力があるという偶然以上の意義をもっていることとして、十分に会得されなければならないと思う。
 今はじめて、私たちは公然として人民たる自分を生かしはじめた。私たちの文化も、漸々《ようよう》これから私たちのものとして成長しはじめようとしている。あらゆる日本の隅々から、あらゆる日本の町々から、日本の人民の議論と、笑いと、真摯な物語りとやさしい心情の流露とが溢れて、荒廃した日本を沃土としなければならないのである。
 日本は、このように小さい島である。けれども、南と北に弓なりに張られていて、地方の文化的テムペラメントは貧しいということは出来ない。それらは、より豊かにより豊かにと、成育しなければならないのである。
 そして、小さいながらも充実した文化をもつ人民の日本として、晴れ晴れと、自信にみちた明るい瞳をもって世界に登場しようと希うのである。[#地付き]〔一九四六年五・六月〕



底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年6月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
   1952(昭和27)年1月発行
初出:「巨人」
   1946(昭和21)年5・6月合併号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
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