青空文庫アーカイブ

女性週評
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)閲《けみ》して

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(例)[#地付き]〔一九四〇年六月―七月〕
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        大雷雨

 大雷雨の空が夕焼のように赤らんでいるのを大変不思議に思いながら寝て、けさ新聞を見たら、落雷で丸之内の官衙が九つ灰燼に帰した出来ごとを知った。愛する東京よ、東京よ。何と自然の力の下に素朴な姿を横たえていることだろう。

        青少年を護る

 青少年工がこの頃の景気の中で、とかく誘惑に負け、その青春を蝕ばまれるのをふせぎ又指導するために、厚生省が産業報国の機関を動員して、優良会員数名ずつを行動隊に組織し、工場地帯、玉の井、亀戸その他の盛り場へ送り、危い一歩の手前で若者たちを目覚ましてやる方策が決定した。結構なことだと思う。
 お互に故郷を出て働いている身であれば、それらの優良行動隊員にも、工場生活の青少年の心の内は十分の実感でわかる筈だろう。ただお目付役の威厳で、目の前でその小路を引きかえさせるばかりでは、若い心の何かの渇きや遣り場のなさがそのまま高尚な希望へ変るものでないことも、実感でわかっていよう。若い心の同感と鼓舞と共々な努力として、行動隊員が活動することを衷心から期待する。

        不良への警告

 真面目な親と娘たちにとって毎年のぞましからぬシーズンのおくりものがある。それは不良青年に対する警告である。けれども息子たちの母は同じ意味で不良な娘への警告もよみとっているのではなかろうか。不良な男女は根絶され難い。親は何をよりどころとして子供らを信じ、若い娘は自身にどんなよりどころを見出したらよいのか。虫が好かない、というしゃれた表現を日本人は持っている。人間を直感するこの虫の好みが高められ明瞭になりさえすれば、誘惑というきまりの悪い言葉は可愛い娘たちのぐるりから消えるのである。

        日本一健康児

 日本一の健康児弘君と小枝子さんのすくすくとはぐくまれた体と心の心持よさ。よろこび溢れている親御さんたちの笑顔、誰しもこの少年少女の前途を祝福してやりたい。
 今年第十一回目であれば、第一回の日本一たちはもう二十三四歳になっていよう、どんな環境と状態で嘗ての日本一健康児たちは今日を生活しているだろうか。それが知りたい。
 人間の成長と環境との関係を真剣に考える人々は、お祝の儀式がすんだ後の永い歳月を子供たちがいかに閲《けみ》して行くかという人生の事実にこまやかな視線を向けずにはいられまい。

        目に余る贅沢

 金銀の使用がとめられている時代なのにデパートの特別売場の飾窓には、金糸や銀糸をぎっしり織込んだ反物が出ていて、その最新流行品は高価だが、或る種の女のひとはその金めだろうけれどいかつい新品を身につけて不思議もなさそうな面ざしであった。この初夏に一反百円のお召単衣はおどろくに足りないもののように現れていたし、レース羽織というものも出来た。
 それらはいずれも、金はあるところにはあるもんなんですよ、と声に出してささやいているようであった。

        婦人挺身隊

 贅沢品の製造がとめられることになり、贅沢を警告する任務が精勤の婦人挺身隊にゆだねられることになった。
 この日本で、女の贅沢をひかえさせるために女の挺身隊がいるなどとは、何と情ないことだろう。今の時代に目にあまる贅沢などというものは、つまり女が社会を見ている眼の狭さ、小ささ、愚かしさを語るだけのものだ。ひとの儲ける金を浪費する女の感情のだらしなさが映っている。
 素人の女が玄人っぽいまねをするという近頃の一部の傾向も、その機会にあたっているのである。

        婦人と読書

 相変らず本がよく売れている。女のひとも本をよけい読むようになったのは嬉しい。
 けれども、本をよむ婦人の何割が未婚のひとで、その何割が家庭をもっている婦人たちだろうか。妻たちよ。母たちよ。肉体のいよいよ永い若々しさへの努力とともに、精神の若い弾力を保つ心がけこそ、新しい日本の女性の美の必要であると思う。

        教壇の未亡人

 勇士の未亡人で、新しい生活の道を教壇に見出したひとたちが、いよいよ一ヵ年の師範教育を終えて、九段の対面もすました。
 百数十名のこれらの健康な夫人たち若い母たちが、子供と共に経験したこの一年には一言で尽しきれない決心と希望と努力とがこめられている。
 決意のかたいこの人々が益々体も健やかに精神のひろやかなゆとりをも持って活動される事を切望する。
 只でさえ女の先生を見る周囲の目は、そこに女の鑑を見ようとする傾きがつよいが、勇士の妻という事を、女先生の責任感に加重して負わせ過ぎないだけの親切な同情が必要であろう。

        豆双葉の死

 豆双葉金一君が、はるばる九州から上京した三日目に、旅疲れから哀れ果敢《はか》なく六つの命を終ったことは世人をおどろかし又様々の感想を抱かせた。
 父親の波多江さんが、愛子を解剖に付したことはこの際極めて有意義であったと思う。金一君の死が世人に与えた教訓は、その解剖の結果親の心得べき科学の知識で裏づけられた。
 どちらかと云えば例外なこの事件だけれども、世の父母たちは多くのことを学んだのであった。

        交通事故の際

 北千住の電車衝突では主に女子供が負傷した。この事故は今日私たちの住む世相人心の或る面を露骨に示した点で特別な意味がある。日本人が誇りとして世界に知られているのは子供を大切にすること、弱い者を助ける芳しい人情ではなかったか。
 興亜の精神は我がちの我身専一を男に教えることではなかった筈である。
 この頃の交通機関の恐ろしい混雑は、乗り降りの秩序を市民に教えるより先に、腕力、脚力、なにおッの気合を助成した。大いに猛省がいる。女は、自分の息子や良人や兄弟たちに、一台のりおくれても、正しい列で秩序を保つようにすすめなければならない。
 女の静かな勇気が、よりよい日本をつくってゆくためにこういう面でも切実に必要とされて来ている。

        米飯ぬきデー

 節米、米飯ぬきデーがはじめられる。主婦たちの機智と愛とは一層台所での活躍を求められる。
 人間はあらゆる生きものの中で一番何でも食べる能力をもっている。決して悲観に及ばない。けれども、科学的な知識は益々大切である。難関をのりこす精神力も、肉体が土台である。

        女靴一足二十円

 二十円と価のきまった女靴は、靴屋に云わせれば冬物なんかお穿けになるようなものは出来ますまい、という話である。
 悪妻は、良人から渡された金がすくないと、それで出来る賄いはこれですよ、とひどいものを並べて辟易させるというさもしい手を心得ている。
 贅沢品とりしまりの標準は月収三百円とかいわれているが、これに該当する生活者は日本の全人口の僅何割かに過ぎない。標準の低下を叫ばれるのは当然である。そして、一方に、悪妻的さもしい手を用いる隙を与えないように、原料その他の価が考慮されて欲しい。

        教員の生活保証

 事変以来、小学教員の不足と、その不足を至急に補うことから生じる質の低下とは心ある者を考えさせていたが、偶《たまたま》小学校教員の万引横領事件が発覚したということである。
 これは勿論最も不幸な例外であろうが、どんなに優良な教師たちも、不良な者を犯罪に導いたと同じ今日の経済的な困難にはさらされている。この事実はなかなか複雑であり、重大でもあると思う。
 入学試験の新考査法についてこの春様々の論調があったとき、衆口おのずから一致したのは、小学教員のおかれている経済的誘惑の点であった。
 謹直な教師たちに屈辱感を与えたにちがいないその問題は、しかし、愈《いよいよ》物的条件の切迫した来春どんな形で再燃するだろうか。それ迄に、適切な策が立てられることを切望する。新しい文部大臣もそのことは考えられるのだろう。[#地付き]〔一九四〇年六月―七月〕



底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
初出:「東京朝日新聞」
   1940(昭和15)年6月20、29日号、7月6、13、20日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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