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婦人作家の「不振」とその社会的原因
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)豪《えら》い

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(例)[#地付き]〔一九三三年七月〕
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 婦人作家が振わないと云うことがよく言われますね。之は女の特性によるものか、つまり女に天性その能力がないせいなのか、それとも他の条件によるものなのか。
 婦人作家「不振」の声は今更のことではありません。昔から誰でもが言ったことですが、然し何故に不振なのか、其原因を科学的に説明した人はありませんでした。で、私はその問題を話してみたいと思います。
 婦人作家「不振」の原因は、他のすべての社会現象同様、社会組織の如何にあります。御存知のように日本には徹底したブルジョア革命が無かったから、封建時代の思想、遺習が多分に残っていて、女の文化程度が非常に低い。今日日本で婦人労働者の数は全労働人員の四割七分を占めているが、その大部分は繊維工で、教育程度は平均僅かに小学四年です。婦人の高等教育機関もあるが、それを受け得る者は極く少数のブルジョアに過ぎない。尨大な繊維女工の群はブルジョア日本の特質をなすものでありますが、彼女等の生活は封建的隷属状態より少しも解放されて居らず、ブルジョアは彼女等に、漸く機械の操縦が出来る程度の教育しか許さないのです。
 繊維女工以外の婦人に眼を転じても、事情は同じで、女はなるべく封建的家庭労働や資本家の搾取に都合のよい低い教育しか許されていないのです。正直な所、亭主より豪《えら》い女が出来ては困る! と云うのが支配階級とその亜流の心情なのです。
 このような事情が、文学との関係にどう現れるかと云うに、少数のブルジョア高等教育を受けた女は、知識程度は高いようでも、内容の貧弱な低い生活しか持たないために、例えば宗瑛のような人にしても、結局詰らないものしか書けません。
 では矢田津世子とか大田洋子、堀寿子とか云うような小ブルジョア階級の婦人作家はどうかと言えば、彼女等は苦しい小ブル生活をしている。そして彼女等の生活は小ブル階級の一般的恐慌と密接に結びついて書くもので食べて行かなければならなくなっています。一方ブルジョア雑誌は不景気を切り抜け、民衆を現実から欺瞞する為に低級なエロとナンセンスで売りつけようとします。故に彼等は真面目な作品よりもエロとナンセンスを要求します。彼女等はエロやナンセンスを書くことを悲しいと思う。然し書かねば喰えないから仕方なく書く。真面目な作家はそれを煩悶するとしても、然し積極的にそう云う不健全な社会を改革しようなどと云う熱情は、その階級性によって多く持っていないから、いたずらに感傷主義に浸るだけで、彼女等には正しい生活を建設しようとする気魄に欠けています。芸術作品は単に作品だけが独立して生れるものではない、生活が作品を作るのですから、感傷的逃避的な生活から、立派な作品が生れる筈はありません。
 それならばプロレタリア作家の方はどうか。これは極めて興味ある問題です。女流作家「不振」を叫ぶ批評家達はプロレタリアートの未来を信じません。成程、現在のプロレタリア婦人の文化水準は低い、今直ぐにはいい作品は書けないでしょう。然し現在各地の農村工場から送られて来る通信員の報告又は投書などには、その質において百の大田洋子が寄っても書けないいいものがあります。
 文学の隆盛は階級の隆盛と密接に結びついています。一定の階級が勃興期にある時はその階級の文学も隆興し、その階級が没落期にある時はその階級に属する文学も亦衰滅乃至堕落の道を辿ります。今日のブルジョア文学が段々貧弱になって行くのもそれで、谷崎潤一郎、佐藤春夫などの大家連が滔々として復古主義に赴くのも、没落せんとする者の逃避に他なりません。
 そして、一方新しい文学の光は新興プロレタリアートの陣営に輝きそめています。
 ソヴェト・ロシアでは、プロレタリア革命の後、最も早く文学活動に乗り出して来たのは小学校教員でした。彼女等は下層インテリゲンチャで、新しい社会生活に対して闘争する勤労階級と日常接近する地位にあり、新しい社会への移行の時期に、どこでもソヴェトのために役員となったりして働いた。従って新しい社会を描くことも早かったのです。
 革命前に於けるロシアの一般勤労婦人の状態は、目下の日本同然ひどいものでしたが、ソヴェト政府が樹立されてから、先ず生産において地位が向上し、徹底的に文盲撲滅運動がやられたので、間もなく、プロレタリア婦人の中からも続々と通信員が出、文学活動に進出する者が出て居ります。彼女等は労働の傍ら詩を作り、自分の言いたいところを憚るところなく言うのです。
 革命前の女流文士はどうなったかと申しますと、之も新しい社会と共に進まんとする者は、グングン成長を遂げつつあります。革命前から活動していた女流作家でシャギニャーンと云う人は、水力電気発電所に取材した小説を書いてレーニン賞を得ました。又もとのブルジョア作家も社会的に働き出して、男と同じ大きな取材にもドシドシ取り組んでいます。
 要するに婦人作家の「不振」もその属する階級と密接に結びついているので、階級を離れて女性一般を論じて真相はつかめません。そして歴史の発展を担う進歩的階級――即ち今日ではプロレタリア階級の側に立って、社会を正しくする仕事に協力するのでなければ婦人作家も正しい発展を期することは出来ません。
 知識を合理的に発達させる社会、情操を自由に伸びさせる社会、それは社会主義組織の社会です。そして婦人の幸福は社会主義社会に於てのみ生れます。
 このことは文学に就いても同じです。プロレタリア文学の正しい発展は、歴史的発展と共に有り、社会主義社会に於て最も美わしい精華を持つでしょう。国際性もその時にこそ充分に発揮することが出来ます。
 一見全く個人的の事件と見える我々のいろいろの生活、例えば恋愛の葛藤なども、その拠ってくる所は社会組織にあることを理解する世界観、即ちこの世界を正確に核心にふれて理解しようとするプロレタリア世界観の上に立って、社会発展の運動に協力する時に、すぐれた文学は生れ、婦人作家の発展も期待されるのです。[#地付き]〔一九三三年七月〕



底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年12月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「週刊婦女新聞」
   1933(昭和8)年7月23日号「談話リレー」
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
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