青空文庫アーカイブ

婦人の生活と文学
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)千々《ちぢ》

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(例)[#地付き]〔一九四七年二月〕
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 日本の社会の空気が、いくらかのびのびと各人の心持を表現させるようになってから、一年と少しの時が経った。けれども文学の面に、案外新人の進出が目ざましくない。この事実について、多くの注目がむけられている。新人の進出が思うほどはかばかしくないということのなかに、婦人の作家、詩人、戯曲家なども、どうして続々と出て来ないのだろうという疑問がふくまれているのである。
 この数年間に、日本の女性が経験したことといえば、その人々一人一人にとって未曾有のことであった。同時に、日本の婦人の歴史にとって未曾有のことであった。行きずりの若い女の人の話がふと耳に入ると、その言葉の中には、その人が引揚げて来た遠い国の地名がいわれていたりする。生活経験というものだけが、文学を創る可能性であるなら、日本に婦人作家は輩出しなければならない。どんな人でも、語るべき一つの物語はもっているのだから。
 青年たちにしても、そうだと思う。今日二十代の人々の若い人生には、経験したこと、といえば実にどっさりのものがある。だのに、若い文学の領域をいくような新鮮な力で、それらは創作の活動に表現されて来ていないのである。何故だろう。
 少くとも文学の感じがわかっている心は、自分が経験して強く印象され感銘されたことだからというだけで、それを書いたところで、文学として意味がないということを理解している。では、その人間的な感動を文学であらしめるものは何か、という点になると、これまでの文学の解釈は十分答を出しきっていない。文学的な才能という、ありふれた、そして、有害な言葉が、そこへのって来る。特に、婦人は、才能がある、ない、ということにかかわって、消極的にさせられて来た。各人の人生と生活の経験を文学であらしめるものは、文学的才能などという、浅薄な偶然な資質ばかりではないと思う。人間性をゆすぶる様々の経験に対して、自分としてそれをどう感じ、理解し、その経験から何を獲て生きぬけて来たか、という諸関係について、本人がどうはっきりそれをつかんでいるか、という点が文学となって再現されるキイ・ポイントである。従って感動が二重になる。あることを経験しているときの、じかにそこから来る感動。それが直接で深く、どんな婦人のこころをもゆりうごかす文学となるためには、もう一重くりかえされ、しかも、自分からはなした、感動がいる。ある婦人が、ある事件・事情のなかで、そういう風に感動して生きた、という人間現実そのものについて、改めて感動する。それで、はじめて小説もかけるのである。
 婦人の感受性はつよい。けれども、自分として感動した経験をそれだけで時とともに消させ鎮めさせてしまう。一重の個人的感動で終って、それを女としての感動、人間としての感動にまでひろげて二度目の感動を経験してゆく能力が弱い。婦人が、生活経験の多様さにかかわらず、それを人生的に収穫せず、文学的に再現しない理由だと思われる。
 これは、日本のこれまでの社会が、すべての人の精神を、はっきり、社会人として目ざましていなかったせいである。今日青年たちの思いは千々《ちぢ》であるのに、芸術への表現がおくれているのもそのせいであるし、婦人の文学的発言がためらいがちなのも、そのせいである。
 すべての婦人が、きびしい現実を生きとおして来た今、これまでの女流文学的空気は、美しさの魅力もないし、人間真実に訴える力ももっていない。今日から明日への文学は、人生の根幹へ手を入れて、それをつかみ出して見直すだけの、社会的理解力を必要として来ている。婦人の文学的創造の可能がたっぷりつよくなるためにも、必要なのはそのことであると思う。[#地付き]〔一九四七年二月〕



底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年11月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
   1952(昭和27)年5月発行
初出:「朝日新聞」
   1947(昭和22)年2月3日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月27日作成
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