青空文庫アーカイブ

映画
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)襯衣《シャツ》

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(例)[#地付き]〔一九三七年四月〕
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 雨傘をさし、爪革のかかった下駄をはいて、小さい本の包みをかかえながら、私は濡れた鋪道を歩いていた。夕方七時すぎごろで、その日は朝からの雨であった。私は、その夜手許におかなければならない本があったし、かたがたうちにいるのがいやで、外に出て来たのであった。自分が親切と思ってしたこと、そのことが思っていたような結果としてはあらわれず、自分が自分の親切に甘えたということばかりが思い当るような気持のことがあって、私はうちにいたくなかった。そして、雨の外を歩いていた。
 いろいろの心持を感じながら歩いていて、或る通りのわきに出たら、そこの映画館の方で頻りにベルが鳴りつづけている。割引のしらせである。
 思いついて、私は一つの広い改正道路を横切って、銀映座の前へ行った。雨傘をさして外套の襟などを立てた黒い人の列が、そう大して人通りのない横丁のこっちの端までのびている。列のなかには派手なマフラーをした若い女のひともいたりして、傘が傾くと、別に連れもないらしい白い顔がぽつねんと見える。まだ切符は売り出していないのであった。
 その時間からは、「女人哀愁」というのとニュースとが見られるわけである。私は特別にその映画を目ざして行ったのではなかったが、観てもいいという心持で、列の最後の方にまわって傘をさしたまま往来に立っていた。
「ちょいと、まだ大丈夫よ! ホラ、見なさいってば……」
 その横丁へどこかの家の裏口が向っていて、そこのガラス戸が開き、そこから女の首がのぞき、高い声で姿の見えない誰かに云っている。その女の顔は、うしろから灯かげがさしてアスファルトの上に落ちているから、こっちからは見えない。
 一番おしまいであった私の後に、若くもない男が又来て列についた。人数は疎らだのに、さしている傘ばかりが重なり合うようで、猶暫く立っていたら、その横丁へ自動車が入って来て、おとなしい人の列を道路に沿ってたてに押しつけてしまった。
 私は、一人でそんな風にして偶然映画を観ることがよくあるが、その気分は気のあった友達とつれ立ったりして観る時とまるきり違って面白いものがある。
 何年も前モスクワに暮していた時分には、よく夜ひとりで近所の映画を観た。部屋に友達を一人でおいてやるためには外へ出なければならなかった。あっちは一時間半ぐらいで循環する。私のよく行ったところは小さい映画館だもので、下の食糧品店は夜になるとすっかり暗く閉っている。わきの方にチラチラとイルミネーションのついた看板が淋しく一二枚出ている狭い入口があって、そこから階段をあがって行くと、二階が映画館になっているのであった。
 冬だと、誰でも靴の上にもう一つ重ねてフェルトの厚ぼったい防寒靴をはいて外を歩くのだが、ところによると映画館でもそれを脱がなければならないところがある。そして、下足に預ける。皆がそれをやるからひどい混雑でいやな思いもする。近所のその映画館は小さくて、きたないかわり、防寒靴をはいたままでよかった。それがたいへんに気易い。切符を買って、入るとそこが広間の待合室で、真中に緑色の縮緬紙の大きな蝶結びをつけた埃っぽい棕梠の鉢植が一つ飾ってあって、壁に沿って椅子が並べてある。
 どんなすいた晩でも、そこでは七八人の楽師が待っている人のために音楽を奏していた。或る晩、それらの楽師たちが第九シムフォニーをやっていた。全く意気込んで、そこにきいている人たちの理解にかかわらず、今晩はこれをやるんだという意気込みかたでやっている。私は仔熊のような防寒靴をはいたまま、外套も着たまま腰かけてそれを聴いていて、好意を感じた。鼠色のフランネルの襯衣《シャツ》を着たりして、手の赤い楽師たちのその熱心さのなかには、人類の芸術の宝をもう一度本当に自分たちのものとして持ち直そうとしている、その土地全体の気風の若々しさが映って感じられたのであった。
 外国のひとたちは旅行して汽車にのっても、停車場へ止ったときは降りて、プラットフォームを散歩する。そういう活動的な習慣はこのごろ若い人々の間に移って来て、旅の楽しさ、旅の間に動いている人間らしい目付の溌剌とした輝きが快く目にとまるようになった。そんな、けちな街の映画館でさえ、人々が少し溜ると、誰からとなく広間の中に列をつくってぐるりと歩きはじめるのがしきたりであった。連れのあるひとは連れと並んで、若い男は女のひとの腕などをとって、何か自分たちの間で喋りながら、ゆっくりした足どりでぐるぐる広間の中をまわって歩く。つれがなくて一人でいても、それを眺めるか、さもなければいつしか自分もその列のなかにはいりこんで、それぞれ思っていることは別なのだけれども、自分が外国人なのも忘れ、大勢の中に一人いる独特の心安さ、休息のようなものを感じながら、時間がすごせるのであった。
 銀映座の割引の切符を小さい窓口で買い、釣銭をうけとりながら、私はまざまざと馴染《なじみ》ふかかったその町の穢い映画館で過したいくつかの夜のことを思い出した。
 ある年のある日の午後、本郷座をひとりで観ていて、私はなんだか胸が燃えるような思いになって、中途で外へ出てしまったことがある。
 それは、アメリカの映画で、女が無実の罪で監獄に入れられ、愛する男と金網越しに会わされる。ぴったりと女が自分の掌を金網にあて、男も自分の手のひらをそこへ合わせ、互いに求める心とあたたかみとをつたえ合おうとする情景であった。私には見ていられない苦しいものがあった。
 その晩は銀映座で、本の包を膝の上に置きながら、私は、目を瞠って、ロンドンの水晶宮焔上の光景を観た。
 数年前の夏の夜、その水晶宮に花火祭があって、私は小さい妹をつれて、それを見物した。そのガラスづくりの巨大な建物が、銀幕の上で燃えとけて行く。やがて鉄骨だけの姿になった廃墟がうつし出されても、思い出は何と不思議だろう。その有様と私の心にある夏の夜のクリスタル・パレスの景色とは合わさって一つのものとなろうとしないのであった。
[#地付き]〔一九三七年四月〕



底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「若草」
   1937(昭和12)年4月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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