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アワァビット
宮本百合子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)兎角《とかく》

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(例)[#地付き]〔一九二二年七月〕
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 我々の、未だ完全に世界化されない生活感情では、兎角《とかく》外国で起った事は、まるで異った遊星に生じた現象ででもあるかのような、間接さを以て、一般に迎えられる。理論は、既に、或る程度まで宇宙的になっているだろう。然し、真実、一人一人の日常の心が、何処まで汎人類的に活動しているか、時に疑わしく思う。地球上に在るおのおのの集団――国――が、現在どんな有機的関係を持っているか、又、どう云う運命の下に、日夜、同じ太陽を廻っているか。それ等を、わが胸で痛感する者は、決して未だ多過ぎることは無いのである。
 近頃、漸々《ようよう》一体の注意を呼び始めた、ロシアの大飢饉と云うことに対しても、真の意味で、友誼的であるべき諸邦の愛が、私は、余り鈍っていると思う。
 確に或る国は率先して華々しく救済の任務を負い始めた。けれども、その動機に鋭い直覚を持つ者は、切角の施物も、苦々しく味わうことは無いだろうか。
 反対の或る一部は、まるで無感覚な状態に在る。ぼんやりと、耳を掠める風聞。――然し、兎も角、自分達の口腹の慾は満たされて行くのだし……必要なら、誰かがするだろう。――眼を逸《そら》し、物懶《ものうげ》に居隅に踞《うずくま》っていようとするのである。
 幾百年の過去から、恐ろしい伝統、宿命を脱し切れずにいる、所謂《いわゆる》為政者等は、彼等の人間的真情の枯渇に、何かの弁明を見出すかもしれない。けれども、私共、平の人間、真心を以て人間の生活、真の人生と云うものを掴握しようとする者が、互に生きているこの地上の人として、要求され、渇望される協力に、どうしてすげない拒絶が与えられるだろう。自分に窮乏が迫らない為、無邪気にも余り無知識であった人々。又は、目下の露国社会状態に反感を持ち、些の愛も感じられない人々。どうぞ、時々外国の新聞や雑誌に現れる、彼等の恐ろしい飢餓の有様を見て下さい。
 あの痩せ衰え骸骨のようになったロシアの子供等が、往来に――恐らくこれも飢から――斃死《へいし》した駄馬の周囲に蒼蠅のように群がって、我勝ちに屍肉を奪い合っている写真を見たら、恐らく一目で、反感の鬼や独善的な冷淡さは、影を潜めて仕舞うだろう。到底、知らない振は仕切れないものがある。どうにか仕度いと思わずにはいられなく成る。
 勿論、国として、ロシアが受けるべき批評は沢山あるだろう。けれども、何の為に、幾千万の人間が、まるで世界から見すてられ、一滴の愛もない飢餓の裡に犬死にをしなければならないのか。
 世界は、今真剣になるべき時だ。人類の精神の流れが、根柢まで破壊された旧友朋の上に、新たな、健かな、生存の意義を見出そうとしている。非常な不健康や欠乏は、一時も早く改善され、互に、終局の目標に進めることが大切である。
 広くもない地球の上で、幾千万と云う人間が、飢え渇え、獣物にまで成り下っている有様は、万の王宮を以て償えないディスグレースではないだろうか。[#地付き]〔一九二二年七月〕



底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
初出:「東京朝日新聞」
   1922(大正11)年7月23日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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