青空文庫アーカイブ

湯ヶ原より
国木田独歩

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)内山君《うちやまくん》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)去《さる》十三|日《にち》

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(例)※[#「にんべん+就」、第3水準1-14-40、431-11]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)飽《あ》き/\した
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 内山君《うちやまくん》足下《そくか》
 何故《なぜ》そう急《きふ》に飛《と》び出《だ》したかとの君《きみ》の質問《しつもん》は御尤《ごもつとも》である。僕《ぼく》は不幸《ふかう》にして之《これ》を君《きみ》に白状《はくじやう》してしまはなければならぬことに立到《たちいた》つた。然《しか》し或《あるひ》はこれが僕《ぼく》の幸《さいはひ》であるかも知《し》れない、たゞ僕《ぼく》の今《いま》の心《こゝろ》は確《たし》かに不幸《ふかう》と感[#「感」に丸傍点]じて居《を》るのである、これを幸《さいはひ》であつたと知[#「知」に丸傍点]ることは今後《こんご》のことであらう。しかし將來《このさき》これを幸《さいはひ》であつた[#「あつた」に丸傍点]と知《し》る時《とき》と雖《いへど》も、たしかに不幸《ふかう》である[#「ある」に丸傍点]と感《かん》ずるに違《ちが》いない。僕《ぼく》は知《し》らないで宜《よ》い、唯《た》だ感《かん》じたくないものだ。
『こゝに一人《ひとり》の少女《せうぢよ》あり。』小説《せうせつ》は何時《いつ》でもこんな風《ふう》に初《はじ》まるもので、批評家《ひゝやうか》は戀《こひ》の小説《せうせつ》にも飽《あ》き/\したとの御注文《ごちゆうもん》、然《しか》し年若《としわか》いお互《たがひ》の身《み》に取《と》つては、事《こと》の實際《じつさい》が矢張《やは》りこんな風《ふう》に初《はじま》るのだから致《いた》し方《かた》がない。僕《ぼく》は批評家《ひゝやうか》の御注文《ごちゆうもん》に應《おう》ずべく神樣《かみさま》が僕《ぼく》及《およ》び人類《じんるゐ》を造《つく》つて呉《く》れなかつたことを感謝《かんしや》する。
 去《さる》十三|日《にち》の夜《よ》、僕《ぼく》は獨《ひと》り机《つくゑ》に倚掛《よりかゝ》つてぼんやり[#「ぼんやり」に傍点]考《かんが》へて居《ゐ》た。十|時《じ》を過《す》ぎ家《いへ》の者《もの》は寢《ね》てしまひ、外《そと》は雨《あめ》がしと/\降《ふ》つて居《ゐ》る。親《おや》も兄弟《きやうだい》もない僕《ぼく》の身《み》には、こんな晩《ばん》は頗《すこぶ》る感心《かんしん》しないので、おまけに下宿住《げしゆくずまひ》、所謂《いはゆ》る半夜燈前十年事[#「半夜燈前十年事」に白丸傍点]、一時和雨到心頭[#「一時和雨到心頭」に白丸傍点]といふ一|件《けん》だから堪忍《たまつ》たものでない、まづ僕《ぼく》は泣《な》きだしさうな顏《かほ》をして凝然《じつ》と洋燈《ランプ》の傘《かさ》を見《み》つめて居《ゐ》たと想像《さう/″\》し給《たま》へ。
 此時《このとき》フと思《おも》ひ出《だ》したのはお絹《きぬ》のことである、お絹《きぬ》、お絹《きぬ》、君《きみ》は未《ま》だ此名《このな》にはお知己《ちかづき》でないだらう。君《きみ》ばかりでない、僕《ぼく》の朋友《ほういう》の中《うち》、何人《なんぴと》も未《いま》だ此名《このな》が如何《いか》に僕《ぼく》の心《こゝろ》に深《ふか》い、優《やさ》しい、穩《おだや》かな響《ひゞき》を傳《つた》へるかの消息《せうそく》を知《し》らないのである。『こゝに一人《ひとり》の少女《せうぢよ》あり、其名《そのな》を絹《きぬ》といふ』と僕《ぼく》は小説批評家《せうせつひゝやうか》への面當《つらあて》に今《いま》一|度《ど》特筆《とくひつ》大書《たいしよ》する。
 僕《ぼく》は此《この》少女《せうぢよ》を思《おも》ひ出《だ》すと共《とも》に『戀《こひ》しい』、『見《み》たい』、『逢《あ》ひたい』の情《じやう》がむら/\とこみ上《あ》げて來《き》た。君《きみ》が何《なん》と言《い》はうとも實際《じつさい》さうであつたから仕方《しかた》がない。此《この》天地間《てんちかん》、僕《ぼく》を愛《あい》し、又《また》僕《ぼく》が愛《あい》する者《もの》は唯《た》だ此《この》少女《せうぢよ》ばかりといふ風《ふう》な感情《こゝろもち》が爲《し》て來《き》た。あゝ是《こ》れ『浮《う》きたる心《こゝろ》』だらうか、何故《なにゆゑ》に自然《しぜん》を愛《あい》する心《こゝろ》は清《きよ》く高《たか》くして、少女《せうぢよ》(人間《にんげん》)を戀《こ》ふる心《こゝろ》は『浮《う》きたる心《こゝろ》』、『いやらしい心《こゝろ》』、『不健全《ふけんぜん》なる心《こゝろ》』だらうか、僕《ぼく》は一|念《ねん》こゝに及《およ》べば世《よ》の倫理學者《りんりがくしや》、健全先生《けんぜんせんせい》、批評家《ひゝやうか》、なんといふ動物《どうぶつ》を地球外《ちきうぐわい》に放逐《はうちく》したくなる、西印度《にしいんど》の猛烈《まうれつ》なる火山《くわざん》よ、何故《なにゆゑ》に爾《なんぢ》の熱火《ねつくわ》を此種《このしゆ》の動物《どうぶつ》の頭上《づじやう》には注《そゝ》がざりしぞ!
 僕《ぼく》はお絹《きぬ》が梨《なし》をむいて、僕《ぼく》が獨《ひとり》で入《は》いつてる浴室《よくしつ》に、そつと持《もつ》て來《き》て呉《く》れたことを思《おも》ひ、二人《ふたり》で溪流《けいりう》に沿《そ》ふて散歩《さんぽ》したことを思《おも》ひ、其《その》優《やさ》しい言葉《ことば》を思《おも》ひ、其《その》無邪氣《むじやき》な態度《たいど》を思《おも》ひ、其《その》笑顏《ゑがほ》を思《おも》ひ、思《おも》はず机《つくゑ》を打《う》つて、『明日《あす》の朝《あさ》に行《ゆ》く!』と叫《さ》けんだ。
 お絹《きぬ》とは何人《なんぴと》ぞ、君《きみ》驚《おどろ》く勿《なか》れ、藝者《げいしや》でも女郎《ぢよらう》でもない、海老茶《えびちや》式部《しきぶ》でも島田《しまだ》の令孃《れいぢやう》でもない、美人《びじん》でもない、醜婦《しうふ》でもない、たゞの女《をんな》である、湯原《ゆがはら》の温泉宿《をんせんやど》中西屋《なかにしや》の女中《ぢよちゆう》である! 今《いま》僕《ぼく》の斯《か》う筆《ふで》を執《と》つて居《を》る家《うち》の女中《ぢよちゆう》である! 田舍《ゐなか》の百姓《ひやくしやう》の娘《むすめ》である! 小田原《をだはら》は大都會《だいとくわい》と心得《こゝろえ》て居《ゐ》る田舍娘《ゐなかむすめ》! この娘《むすめ》を僕《ぼく》が知《し》つたのは昨年《さくねん》の夏《なつ》、君《きみ》も御存知《ごぞんぢ》の如《ごと》く病後《びやうご》、赤《せき》十|字社《じしや》の醫者《いしや》に勸《すゝ》められて二ヶ月間《げつかん》此《この》湯原《ゆがはら》に滯在《たいざい》して居《ゐ》た時《とき》である。
 十四|日《か》の朝《あさ》僕《ぼく》は支度《したく》も匆々《そこ/\》に宿《やど》を飛《と》び出《だ》した。銀座《ぎんざ》で半襟《はんえり》、簪《かんざし》、其他《そのた》娘《むすめ》が喜《よろこ》びさうな品《しな》を買《か》ひ整《とゝの》へて汽車《きしや》に乘《の》つた。僕《ぼく》は今日《けふ》まで女《をんな》を喜《よろこ》ばすべく半襟《はんえり》を買《か》はなかつたが、若《も》し彼《あ》の娘《むすめ》に此等《これら》の品《しな》を與《やつ》たら如何《どんな》に喜《よろ》こぶだらうと思《おも》ふと、僕《ぼく》もうれしくつて堪《たま》らなかつた。見榮坊《みえばう》! 世《よ》には見榮《みえ》で女《をんな》に物《もの》を與《や》つたり、與《や》らなかつたりする者《もの》が澤山《たくさん》ある。僕《ぼく》は心《こゝろ》から此《この》貧《まづ》しい贈物《おくりもの》を我愛《わがあい》する田舍娘《ゐなかむすめ》に呈上《ていじやう》する!
 夜來《やらい》の雨《あめ》はあがつたが、空氣《くうき》は濕《しめ》つて、空《そら》には雲《くも》が漂《たゞよ》ふて居《ゐ》た。夏《なつ》の初《はじめ》の旅《たび》、僕《ぼく》は何《なに》よりも是《これ》が好《すき》で、今日《こんにち》まで數々《しば/\》此《この》季節《きせつ》に旅行《りよかう》した、然《しか》しあゝ何等《なんら》の幸福《かうふく》ぞ、胸《むね》に樂《たの》しい、嬉《う》れしい空想《くうさう》を懷《いだ》きながら、今夜《こんや》は彼《あ》の娘《むすめ》に遇《あ》はれると思《おも》ひながら、今夜《こんや》は彼《あ》の清《きよ》く澄《す》んだ温泉《をんせん》に入《はひ》られると思《おも》ひながら、此《この》好時節《かうじせつ》に旅行《りよかう》せんとは。
 國府津《こふづ》で下《お》りた時《とき》は日光《につくわう》雲間《くもま》を洩《も》れて、新緑《しんりよく》の山《やま》も、野《の》も、林《はやし》も、眼《め》さむるばかり輝《かゞや》いて來《き》た。愉快《ゆくわい》! 電車《でんしや》が景氣《けいき》よく走《はし》り出《だ》す、函嶺《はこね》諸峰《しよほう》は奧《おく》ゆかしく、嚴《おごそ》かに、面《おもて》を壓《あつ》して近《ちかづ》いて來《く》る! 輕《かる》い、淡々《あは/\》しい雲《くも》が沖《おき》なる海《うみ》の上《うへ》を漂《たゞよ》ふて居《を》る、鴎《かもめ》が飛《と》ぶ、浪《なみ》が碎《くだ》ける、そら雲《くも》が日《ひ》を隱《か》くした! 薄《うす》い影《かげ》が野《の》の上《うへ》を、海《うみ》の上《うへ》を這《は》う、忽《たちま》ち又《また》明《あか》るくなる、此時《このとき》僕《ぼく》は決《けつ》して自分《じぶん》を不幸《ふしあはせ》な男《をとこ》とは思《おも》はなかつた。又《また》決《けつ》して厭世家《えんせいか》たるの權利《けんり》は無《な》かつた。
 小田原《をだはら》へ着《つ》いて何時《いつ》も感《かん》ずるのは、自分《じぶん》もどうせ地上《ちじやう》に住《す》むならば此處《こゝ》に住《す》みたいといふことである。古《ふる》い城《しろ》、高《たか》い山《やま》、天《てん》に連《つ》らなる大洋《たいやう》、且《か》つ樹木《じゆもく》が繁《しげ》つて居《を》る。洋畫《やうぐわ》に依《よ》つて身《み》を立《た》てやうといふ僕《ぼく》の空想《くうさう》としては此處《こゝ》に永住《えいぢゆう》の家《いへ》を持《も》ちたいといふのも無理《むり》ではなからう。
 小田原《をだはら》から先《さき》は例《れい》の人車鐵道《じんしやてつだう》。僕《ぼく》は一|時《とき》も早《はや》く湯原《ゆがはら》へ着《つ》きたいので好《す》きな小田原《をだはら》に半日《はんにち》を送《おく》るほどの樂《たのしみ》も捨《すて》て、電車《でんしや》から下《お》りて晝飯《ちうじき》を終《をは》るや直《す》ぐ人車《じんしや》に乘《の》つた。人車《じんしや》へ乘《の》ると最早《もはや》半分《はんぶん》湯《ゆ》ヶ原《はら》に着《つ》いた氣《き》になつた。此《この》人車鐵道《じんしやてつだう》の目的《もくてき》が熱海《あたみ》、伊豆山《いづさん》、湯《ゆ》ヶ原《はら》の如《ごと》き温泉地《をんせんち》にあるので、これに乘《の》れば最早《もはや》大丈夫《だいぢやうぶ》といふ氣《き》になるのは温泉行《をんせんゆき》の人々《ひと/″\》皆《み》な同感《どうかん》であらう。
 人車《じんしや》は徐々《じょ/\》として小田原《をだはら》の町《まち》を離《はな》れた。僕《ぼく》は窓《まど》から首《くび》を出《だ》して見《み》て居《ゐ》る。忽《たちま》ちラツパを勇《いさ》ましく吹《ふ》き立《た》てゝ車《くるま》は傾斜《けいしや》を飛《と》ぶやうに滑《すべ》る。空《そら》は名殘《なごり》なく晴《は》れた。海風《かいふう》は横《よこ》さまに窓《まど》を吹《ふ》きつける。顧《かへり》みると町《まち》の旅館《りよかん》の旗《はた》が竿頭《かんとう》に白《しろ》く動《うご》いて居《を》る。
 僕《ぼく》は頭《かしら》を轉《てん》じて行手《ゆくて》を見《み》た。すると軌道《レール》に沿《そ》ふて三|人《にん》、田舍者《ゐなかもの》が小田原《をだはら》の城下《じやうか》へ出《で》るといふ旅裝《いでたち》、赤《あか》く見《み》えるのは娘《むすめ》の、白《しろ》く見《み》えるのは老母《らうぼ》の、からげた腰《こし》も頑丈《ぐわんぢやう》らしいのは老父《おやぢ》さんで、人車《じんしや》の過《す》ぎゆくのを避《さ》ける積《つも》りで立《た》つて此方《こつち》を向《む》いて居《ゐ》る。『オヤお絹《きぬ》!』と思《おも》ふ間《ま》もなく車《くるま》は飛《と》ぶ、三|人《にん》は忽《たちま》ち窓《まど》の下《した》に來《き》た。
『お絹《きぬ》さん!』と僕《ぼく》は思《おも》はず手《て》を擧《あ》げた。お絹《きぬ》はにつこり笑《わら》つて、さつと顏《かほ》を赤《あか》めて、禮《れい》をした。人《ひと》と車《くるま》との間《あひだ》は見《み》る/\遠《とほ》ざかつた。
 若《も》し同車《どうしや》の人《ひと》が無《な》かつたら僕《ぼく》は地段駄《ぢだんだ》を踏《ふ》んだらう、帽子《ばうし》を投《な》げつけたゞらう。僕《ぼく》と向《む》き合《あ》つて、眞面目《まじめ》な顏《かほ》して居《ゐ》る役人《やくにん》らしい先生《せんせい》が居《ゐ》るではないか、僕《ぼく》は唯《た》だがつかりして手《て》を拱《こま》ぬいてしまつた。
 言《い》はでも知《し》るお絹《きぬ》は最早《もはや》中西屋《なかにしや》に居《ゐ》ないのである、父母《ふぼ》の家《いへ》に歸《かへ》り、嫁入《よめいり》の仕度《したく》に取《と》りかゝつたのである。昨年《さくねん》の夏《なつ》も他《た》の女中《ぢよちゆう》から小田原《をだはら》のお婿《むこ》さんなど嬲《なぶ》られて居《ゐ》たのを自分《じぶん》は知《し》つて居《ゐ》る、あゝ愈々《いよ/\》さうだ! と思《おも》ふと僕《ぼく》は慊《いや》になつてしまつた。一口《ひとくち》に言《い》へば、海《うみ》も山《やま》もない、沖《おき》の大島《おほしま》、彼《あ》れが何《なん》だらう。大浪《おほなみ》小浪《こなみ》の景色《けしき》、何《なん》だ。今《いま》の今《いま》まで僕《ぼく》をよろこばして居《ゐ》た自然《しぜん》は、忽《たちま》ちの中《うち》に何《なん》の面白味《おもしろみ》もなくなつてしまつた。僕《ぼく》とは他人《たにん》になつてしまつた。
 湯原《ゆがはら》の温泉《をんせん》は僕《ぼく》になじみ[#「なじみ」に傍点]の深《ふか》い處《ところ》であるから、たとひお絹《きぬ》が居《ゐ》ないでも僕《ぼく》に取《と》つて興味《きようみ》のない譯《わけ》はない、然《しか》し既《すで》にお絹《きぬ》を知《し》つた後《のち》の僕《ぼく》には、お絹《きぬ》の居《ゐ》ないことは寧《むし》ろ不愉快《ふゆくわい》の場所《ばしよ》となつてしまつたのである。不愉快《ふゆくわい》の人車《じんしや》に搖《ゆ》られて此《こ》の淋《さ》びしい溪間《たにま》に送《おく》り屆《とゞ》けられることは、頗《すこぶ》る苦痛《くつう》であつたが、今更《いまさら》引返《ひきか》へす事《こと》も出來《でき》ず、其日《そのひ》の午後《ごゝ》五|時頃《じごろ》、此宿《このやど》に着《つ》いた。突然《とつぜん》のことであるから宿《やど》の主人《あるじ》を驚《おどろ》かした。主人《あるじ》は忠實《ちゆうじつ》な人《ひと》であるから、非常《ひじやう》に歡迎《くわんげい》して呉《く》れた。湯《ゆ》に入《はひ》つて居《ゐ》ると女中《ぢよちゆう》の一人《ひとり》が來《き》て、
『小山《こやま》さんお氣《き》の毒《どく》ですね。』
『何故《なぜ》?』
『お絹《きぬ》さんは最早《もう》居《ゐ》ませんよ、』と言《い》ひ捨《す》てゝばた/\と逃《に》げて去《い》つた。哀《あは》れなる哉《かな》、これが僕《ぼく》の失戀《しつれん》の弔詞《てうじ》である! 失戀《しつれん》?、失戀《しつれん》が聞《き》いてあきれる。僕《ぼく》は戀《こひ》して居《ゐ》たのだらうけれども、夢《ゆめ》に、實《じつ》に夢《ゆめ》にもお絹《きぬ》をどうしやうといふ事《こと》はなかつた、お絹《きぬ》も亦《ま》た、僕《ぼく》を憎《に》くからず思《おも》つて居《ゐ》たらう、決《けつ》して其《それ》以上《いじやう》のことは思《おも》はなかつたに違《ちが》ひない。
 處《ところ》が其夜《そのよ》、女中《ぢよちゆう[#「ぢよちゆう」は底本では「ぢうちゆう」と誤植]》どもが僕《ぼく》の部屋《へや》に集《あつま》つて、宿《やど》の娘《むすめ》も來《き》た。お絹《きぬ》の話《はなし》が出《で》て、お絹《きぬ》は愈々《いよ/\》小田原《をだはら》に嫁《よめ》にゆくことに定《き》まつた一|條《でう》を聞《き》かされた時《とき》の僕《ぼく》の心持《こゝろもち》、僕《ぼく》の運命《うんめい》が定《さだま》つたやうで、今更《いまさら》何《なん》とも言《い》へぬ不快《ふくわい》でならなかつた。しからば矢張《やはり》失戀《しつれん》であらう! 僕《ぼく》はお絹《きぬ》を自分《じぶん》の物《もの》、自分《じぶん》のみを愛《あい》すべき人《ひと》と、何時《いつ》の間《ま》にか思込《おもひこ》んで居《ゐ》たのであらう。
 土産物《みやげもの》は女中《ぢよちゆう》や娘《むすめ》に分配《ぶんぱい》してしまつた。彼等《かれら》は確《たし》かによろこんだ、然《しか》し僕《ぼく》は嬉《うれ》しくも何《なん》ともない。
 翌日《よくじつ》は雨《あめ》、朝《あさ》からしよぼ/\と降《ふ》つて陰鬱《いんうつ》極《きは》まる天氣《てんき》。溪流《けいりう》の水《みづ》増《ま》してザア/\と騷々《さう/″\》しいこと非常《ひじやう》。晝飯《ひるめし》に宿《やど》の娘《むすめ》が給仕《きふじ》に來《き》て、僕《ぼく》の顏《かほ》を見《み》て笑《わら》ふから、僕《ぼく》も笑《わら》はざるを得《え》ない。
『貴所《あなた》はお絹《きぬ》に逢《あ》ひたくつて?』
『可笑《をか》しい事《こと》を言《い》ひますね、昨年《さくねん》あんなに世話《せわ》になつた人《ひと》に會《あ》ひたいのは當然《あたりまへ》だらうと思《おも》ふ。』
『逢《あ》はして上《あ》げましようか?』
『難有《ありがた》いね、何分《なにぶん》宜《よろ》しく。』
『明日《あした》きつとお絹《きぬ》さん宅《うち》へ來《き》ますよ。』
『來《き》たら宜《よろ》しく被仰《おつしやつ》て下《くだ》さい、』と僕《ぼく》が眞實《ほんたう》にしないので娘《むすめ》は默《だま》つて唯《た》だ笑《わら》つて居《ゐ》た。お絹《きぬ》は此娘《このむすめ》と從姉妹《いとこどうし》なのである。
 午後《ごゝ》は降《ふ》り止《や》んだが晴《は》れさうにもせず雲《くも》は地《ち》を這《は》ふようにして飛《と》ぶ、狹《せま》い溪《たに》は益々《ます/\》狹《せま》くなつて、僕《ぼく》は牢獄《らうごく》にでも坐《すわ》つて居《ゐ》る氣《き》。坐敷《ざしき》に坐《すわ》つたまゝ爲《す》る事《こと》もなく茫然《ぼんやり》と外《そと》を眺《なが》めて居《ゐ》たが、ちらと僕《ぼく》の眼《め》を遮《さへぎ》つて直《す》ぐ又《また》隣家《もより》の軒先《のきさき》で隱《かく》れてしまつた者《もの》がある。それがお絹《きぬ》らしい。僕《ぼく》は直《す》ぐ外《そと》に出《で》た。
 石《いし》ばかりごろ/\した往來《わうらい》の淋《さび》しさ。僅《わづか》に十|軒《けん》ばかりの温泉宿《をんせんやど》。其外《そのほか》の百|姓家《しやうや》とても數《かぞ》える計《ばか》り、物《もの》を商《あきな》ふ家《いへ》も準《じゆん》じて幾軒《いくけん》もない寂寞《せきばく》たる溪間《たにま》! この溪間《たにま》が雨雲《あまぐも》に閉《とざ》されて見《み》る物《もの》悉《こと/″\》く光《ひかり》を失《うしな》ふた時《とき》の光景《くわうけい》を想像《さう/″\》し給《たま》へ。僕《ぼく》は溪流《けいりう》に沿《そ》ふて此《この》淋《さび》しい往來《わうらい》を當《あて》もなく歩《あ》るいた。流《ながれ》を下《くだ》つて行《ゆ》くも二三|丁《ちやう》、上《のぼ》れば一|丁《ちやう》、其中《そのなか》にペンキで塗つた橋《はし》がある、其間《そのあひだ》を、如何《どん》な心地《こゝち》で僕《ぼく》はぶらついた[#「ぶらついた」に傍点]らう。温泉宿《をんせんやど》の欄干《らんかん》に倚《よ》つて外《そと》を眺《なが》めて居《ゐ》る人《ひと》は皆《み》な泣《な》き出《だ》しさうな顏付《かほつき》をして居《ゐ》る、軒先《のきさき》で小供《こども》を負《しよつ》て居《ゐ》る娘《むすめ》は病人《びやうにん》のやうで背《せ》の小供《こども》はめそ/\と泣《な》いて居《ゐ》る。陰鬱《いんうつ》! 屈託《くつたく》! 寂寥《せきれう》! そして僕《ぼく》の眼《め》には何處《どこ》かに悲慘《ひさん》の影《かげ》さへも見《み》えるのである。
 お絹《きぬ》には出逢《であ》はなかつた。當《あた》り前《まへ》である。僕《ぼく》は其《その》翌日《よくじつ》降《ふ》り出《だ》しさうな空《そら》をも恐《おそ》れず十國峠《じつこくたうげ》へと單身《たんしん》宿《やど》を出《で》た。宿《やど》の者《もの》は總《そう》がゝりで止《と》めたが聞《き》かない、伴《とも》を連《つ》れて行《ゆ》けと勸《すゝ》めても謝絶《しやぜつ》。山《やま》は雲《くも》の中《なか》、僕《ぼく》は雲《くも》に登《のぼ》る積《つも》りで遮二無二《しやにむに》登《のぼ》つた。
 僕《ぼく》は今日《けふ》まで斯《こ》んな凄寥《せいれう》たる光景《くわうけい》に出遇《であ》つたことはない。足《あし》の下《した》から灰色《はひいろ》の雲《くも》が忽《たちま》ち現《あら》はれ、忽《たちま》ち消《き》える。草原《くさはら》をわたる風《かぜ》は物《もの》すごく鳴《な》つて耳《みゝ》を掠《かす》める、雲《くも》の絶間絶間《たえま/\》から見《み》える者《もの》は山又山《やままたやま》。天地間《てんちかん》僕《ぼく》一|人《にん》、鳥《とり》も鳴《な》かず。僕《ぼく》は暫《しば》らく絶頂《ぜつちやう》の石《いし》に倚《よ》つて居《ゐ》た。この時《とき》、戀《こひ》もなければ失戀《しつれん》もない、たゞ悽愴《せいさう》の感《かん》に堪《た》えず、我生《わがせい》の孤獨《こどく》を泣《な》かざるを得《え》なかつた。
 歸路《かへり》に眞闇《まつくら》に繁《しげ》つた森《もり》の中《なか》を通《とほ》る時《とき》、僕《ぼく》は斯《こ》んな事《こと》を思《おも》ひながら歩《あ》るいた、若《も》し僕《ぼく》が足《あし》を蹈《ふ》み滑《す》べらして此溪《このたに》に落《お》ちる、死《し》んでしまう、中西屋《なかにしや》では僕《ぼく》が歸《かへ》らぬので大騷《おほさわ》ぎを初《はじ》める、樵夫《そま》を※[#「にんべん+就」、第3水準1-14-40、431-11]《やと》ふて僕《ぼく》を索《さが》す、此《この》暗《くら》い溪底《たにそこ》に僕《ぼく》の死體《したい》が横《よこたは》つて居《ゐ》る、東京《とうきやう》へ電報《でんぱう》を打《う》つ、君《きみ》か淡路君《あはぢくん》が飛《と》んで來《く》る、そして僕《ぼく》は燒《や》かれてしまう。天地間《てんちかん》最早《もはや》小山某《こやまなにがし》といふ畫《ゑ》かきの書生《しよせい》は居《ゐ》なくなる! と僕《ぼく》は思《おも》つた時《とき》、思《おも》はず足《あし》を止《とゞ》めた。頭《あたま》の上《うへ》の眞黒《まつくろ》に繁《しげ》つた枝《えだ》から水《みづ》がぼた/\落《お》ちる、墓穴《はかあな》のやうな溪底《たにそこ》では水《みづ》の激《げき》して流《なが》れる音《おと》が悽《すご》く響《ひゞ》く。僕《ぼく》は身《み》の髮《け》のよだつを感《かん》じた。
 死人《しにん》のやうな顏《かほ》をして僕《ぼく》の歸《かへ》つて來《き》たのを見《み》て、宿《やど》の者《もの》は如何《どん》なに驚《おどろ》いたらう。其驚《そのおどろき》よりも僕《ぼく》の驚《おどろ》いたのは此日《このひ》お絹《きぬ》が來《き》たが、午後《ごゝ》又《また》實家《じつか》へ歸《かへ》つたとの事《こと》である。
 其夜《そのよ》から僕《ぼく》は熱《ねつ》が出《で》て今日《けふ》で三日《みつか》になるが未《ま》だ快然《はつきり》しない。山《やま》に登《のぼ》つて風邪《かぜ》を引《ひ》いたのであらう。
 君《きみ》よ、君《きみ》は今《いま》の時文《じぶん》評論家《ひやうろんか》でないから、此《この》三日《みつか》の間《あひだ》、床《とこ》の中《なか》に呻吟《しんぎん》して居《ゐ》た時《とき》考《かんが》へたことを聞《き》いて呉《く》れるだらう。
 戀《こひ》は力《ちから》である、人《ひと》の抵抗《ていかう》することの出來《でき》ない力《ちから》である。此力《このちから》を認識《にんしき》せず、又《また》此力《このちから》を壓《おさ》へ得《う》ると思《おも》ふ人《ひと》は、未《ま》だ此力《このちから》に觸《ふ》れなかつた人《ひと》である。其《その》證據《しようこ》には曾《かつ》て戀《こひ》の爲《た》めに苦《くるし》み悶《もだ》えた人《ひと》も、時《とき》經《た》つて、普通《ふつう》の人《ひと》となる時《とき》は、何故《なにゆゑ》に彼時《あのとき》自分《じぶん》が戀《こひ》の爲《た》めに斯《か》くまで苦悶《くもん》したかを、自分《じぶん》で疑《うた》がう者《もの》である。則《すなは》ち彼《かれ》は戀《こひ》の力《ちから》に觸《ふ》れて居《ゐ》ないからである。同《おな》じ人《ひと》ですら其通《そのとほ》り、況《いは》んや曾《かつ》て戀《こひ》の力《ちから》に觸《ふ》れたことのない人《ひと》が如何《どう》して他人《たにん》の戀《こひ》の消息《せうそく》が解《わか》らう、その樂《たのしみ》が解《わか》らう、其苦《そのくるしみ》が解《わか》らう?。
 戀《こひ》に迷《まよ》ふを笑《わら》ふ人《ひと》は、怪《あや》しげな傳説《でんせつ》、學説《がくせつ》に迷《まよ》はぬがよい。戀《こひ》は人《ひと》の至情《しゞやう》である。此《この》至情《しゞやう》をあざける人《ひと》は、百|萬年《まんねん》も千|萬年《まんねん》も生《い》きるが可《よ》い、御氣《おき》の毒《どく》ながら地球《ちきう》の皮《かは》は忽《たちま》ち諸君《しよくん》を吸《す》ひ込《こ》むべく待《ま》つて居《ゐ》る、泡《あわ》のかたまり先生《せんせい》諸君《しよくん》、僕《ぼく》は諸君《しよくん》が此《この》不可思議《ふかしぎ》なる大宇宙《だいうちう》をも統御《とうぎよ》して居《ゐ》るやうな顏構《かほつき》をして居《ゐ》るのを見《み》ると冷笑《れいせう》したくなる僕《ぼく》は諸君《しよくん》が今《いま》少《すこ》しく眞面目《まじめ》に、謙遜《けんそん》に、嚴肅《げんしゆく》に、此《この》人生《じんせい》と此《この》天地《てんち》の問題《もんだい》を見《み》て貰《もら》ひたいのである。
 諸君《しよくん》が戀《こひ》を笑《わら》ふのは、畢竟《ひつきやう》、人《ひと》を笑《わら》ふのである、人《ひと》は諸君《しよくん》が思《おも》つてるよりも神祕《しんぴ》なる動物《どうぶつ》である。若《も》し人《ひと》の心《こゝろ》に宿《やど》る所《ところ》の戀《こひ》をすら笑《わら》ふべく信《しん》ずべからざる者《もの》ならば、人生《じんせい》遂《つひ》に何《なん》の價《あたひ》ぞ、人《ひと》の心《こゝろ》ほど嘘僞《きよぎ》な者《もの》は無《な》いではないか。諸君《しよくん》にして若《も》し、月夜《げつや》笛《ふえ》を聞《き》いて、諸君《しよくん》の心《こゝろ》に少《すこ》しにても『永遠《エターニテー》』の俤《おもかげ》が映《うつ》るならば、戀《こひ》を信《しん》ぜよ。若《も》し、諸君《しよくん》にして中江兆民《なかえてうみん》先生《せんせい》と同《どう》一|種《しゆ》であつて、十八|里《り》零圍氣《れいゐき》を振舞《ふりま》はして滿足《まんぞく》して居《ゐ》るならば、諸君《しよくん》は何《なん》の權威《けんゐ》あつて、『春《はる》短《みじか》し何《なに》に不滅《ふめつ》の命《いのち》ぞと』云々《うん/\》と歌《うた》ふ人《ひと》の自由《じいう》に干渉《かんせふ》し得《う》るぞ。『若《わか》い時《とき》は二|度《ど》はない』と稱《しよう》してあらゆる肉慾《にくよく》を恣《ほしい》まゝにせんとする青年男女《せいねんだんぢよ》の自由《じいう》に干渉《かんせふ》し得《う》るぞ。
 内山君《うちやまくん》足下《そくか》、先《ま》づ此位《このくらゐ》にして置《お》かう。さて斯《かく》の如《ごと》くに僕《ぼく》は戀《こひ》其物《そのもの》に隨喜《ずゐき》した。これは失戀《しつれん》の賜《たまもの》かも知《し》れない。明後日《みやうごにち》は僕《ぼく》は歸京《きゝやう》する。
 小田原《をだはら》を通《とほ》る時《とき》、僕《ぼく》は如何《どん》な感《かん》があるだらう。
小山生[#地付き。地より2字あき]



底本:「定本 国木田独歩全集 第二巻」学習研究社
   1964(昭和39)年7月1日初版発行
   1978(昭和53)年3月1日増訂版発行
   1995(平成7)年7月3日増補版発行
入力:鈴木厚司
校正:mayu
2001年11月7日公開
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