青空文庫アーカイブ

画の悲み
国木田独歩

-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)画《え》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)至極|温順《おとな》しく

[#]:入力者注
(例)にっこり[#「にっこり」に傍点]
-------------------------------------------------------

 画《え》を好かぬ小供《こども》は先《ま》ず少ないとしてその中《うち》にも自分は小供の時、何よりも画が好きであった。(と岡本某が語りだした)。
 好きこそ物の上手《じょうず》とやらで、自分も他の学課の中《うち》画では同級生の中自分に及ぶものがない。画と数学となら、憚《はばか》りながら誰《たれ》でも来いなんて、自分も大《おおい》に得意がっていたのである。しかし得意ということは多少競争を意味する。自分の画の好きなことは全く天性といっても可《よ》かろう、自分を独《ひとり》で置けば画ばかり書いていたものだ。
 独で画を書いているといえば至極|温順《おとな》しく聞えるが、そのくせ自分ほど腕白者《わんぱくもの》は同級生の中《うち》にないばかりか、校長が持て余して数々《しばしば》退校を以《もっ》て嚇《おど》したのでも全校第一ということが分る。
 全校第一腕白でも数学でも。しかるに天性好きな画では全校第一の名誉を志村《しむら》という少年に奪われていた。この少年は数学は勿論《もちろん》、その他の学力も全校生徒中、第二流以下であるが、画の天才に至っては全く並ぶものがないので、僅《わずか》に塁を摩そうかとも言われる者は自分一人、その他は、悉《ことごと》く志村の天才を崇《あが》め奉っているばかりであった。ところが自分は志村を崇拝しない、今に見ろという意気|込《ごみ》で頻《しき》りと励《は》げんでいた。
 元来志村は自分よりか歳《とし》も兄、級も一年上であったが、自分は学力優等というので自分のいる級《クラス》と志村のいる級とを同時にやるべく校長から特別の処置をせられるので自然志村は自分の競争者となっていた。
 然《しか》るに全校の人気、校長教員を始め何百の生徒の人気は、温順《おとな》しい志村に傾いている、志村は色の白い柔和な、女にして見たいような少年、自分は美少年ではあったが、乱暴な傲慢《ごうまん》な、喧嘩《けんか》好きの少年、おまけに何時《いつ》も級の一番を占めていて、試験の時は必らず最優等の成績を得る処から教員は自分の高慢が癪《しゃく》に触《さわ》り、生徒は自分の圧制が癪に触り、自分にはどうしても人気が薄い。そこで衆人《みんな》の心持は、せめて画でなりと志村を第一として、岡本の鼻柱を挫《くだ》いてやれというつもりであった。自分はよくこの消息を解していた。そして心中ひそかに不平でならぬのは志村の画必ずしも能《よ》く出来ていない時でも校長をはじめ衆人《みんな》がこれを激賞し、自分の画は確かに上出来であっても、さまで賞《ほ》めてくれ手のないことである。少年《こども》ながらも自分は人気というものを悪《にく》んでいた。
 或日学校で生徒の製作物の展覧会が開かれた。その出品は重に習字、図画、女子は仕立物《したてもの》等で、生徒の父兄姉妹は朝からぞろぞろと押かける。取りどりの評判。製作物を出した生徒は気が気でない、皆《み》なそわそわして展覧室を出たり入ったりしている。自分もこの展覧会に出品するつもりで画紙《えがみ》一枚に大きく馬の頭を書いた。馬の顔を斜《はす》に見た処で、無論少年の手には余る画題であるのを、自分はこの一挙に由《よっ》て是非志村に打勝《うちかと》うという意気込だから一生懸命、学校から宅に帰ると一室に籠《こも》って書く、手本を本《もと》にして生意気にも実物の写生を試み、幸い自分の宅から一丁ばかり離れた桑園《くわばたけ》の中に借馬屋《しゃくばや》があるので、幾度《いくたび》となく其処《そこ》の厩《うまや》に通《かよ》った。輪廓といい、陰影といい、運筆といい、自分は確《たしか》にこれまで自分の書いたものは勿論、志村が書いたものの中《うち》でこれに比ぶべき出来はないと自信して、これならば必ず志村に勝つ、いかに不公平な教員や生徒でも、今度こそ自分の実力に圧倒さるるだろうと、大勝利を予期して出品した。
 出品の製作は皆《みん》な自宅で書くのだから、何人《なんぴと》も誰が何を書くのか知らない、また互に秘密にしていた。殊《こと》に志村と自分は互の画題を最も秘密にして知らさないようにしていた。であるから自分は馬を書きながらも志村は何を書いているかという問《とい》を常に懐《いだ》いていたのである。
 さて展覧会の当日、恐らく全校数百の生徒中|尤《もっと》も胸を轟《とどろ》かして、展覧室に入った者は自分であろう。図画室は既に生徒及び生徒の父兄姉妹で充満《いっぱい》になっている。そして二枚の大画(今日のいわゆる大作)が並べて掲げてある前は最も見物人が集《たか》っている。二枚の大画は言わずとも志村の作と自分の作。
 一見自分は先ず荒胆《あらぎも》を抜かれてしまった。志村の画題はコロンブスの肖像ならんとは! しかもチョークで書いてある。元来学校では鉛筆画ばかりで、チョーク画は教えない。自分もチョークで画くなど思いもつかんことであるから、画の善悪《よしあし》はともかく、先ずこの一事で自分は驚いてしまった。その上ならず、馬の頭と髭髯面《しぜんめん》を被《おお》う堂々たるコロンブスの肖像とは、一見まるで比べ者にならんのである。かつ鉛筆の色はどんなに巧みに書いても到底チョークの色には及ばない。画題といい色彩といい、自分のは要するに少年が書いた画、志村のは本物である。技術の巧拙は問う処でない、掲げて以て衆人の展覧に供すべき製作としては、いかに我慢強い自分も自分の方が佳《い》いとは言えなかった。さなきだに志村崇拝の連中は、これを見て歓呼している。「馬も佳いがコロンブスは如何《どう》だ!」などいう声があっちでもこっちでもする。
 自分は学校の門を走り出た。そして家《うち》には帰らず、直ぐ田甫《たんぼ》へ出た。止めようと思うても涙が止まらない。口惜《くやし》いやら情けないやら、前後夢中で川の岸まで走って、川原《かわら》の草の中に打倒《ぶったお》れてしまった。
 足をばたばたやって大声を上げて泣いて、それで飽き足らず起上って其処《そこ》らの石を拾い、四方八方に投げ付けていた。
 こう暴《あば》れているうちにも自分は、彼奴《きゃつ》何時《いつ》の間《ま》にチョーク画を習ったろう、何人《だれ》が彼奴に教えたろうとそればかり思い続けた。
 泣いたのと暴れたので幾干《いくら》か胸がすくと共に、次第に疲れて来たので、いつか其処に臥《ね》てしまい、自分は蒼々《そうそう》たる大空を見上げていると、川瀬の音が淙々《そうそう》として聞える。若草を薙《な》いで来る風が、得ならぬ春の香《か》を送って面《かお》を掠《かす》める。佳《い》い心持になって、自分は暫時《しばら》くじっとしていたが、突然、そうだ自分もチョークで画いて見よう、そうだという一念に打たれたので、そのまま飛び起き急いで宅《うち》に帰えり、父の許《ゆるし》を得て、直ぐチョークを買い整え画板《がばん》を提《ひっさ》げ直ぐまた外に飛び出した。
 この時まで自分はチョークを持ったことがない。どういう風に書くものやら全然《まるで》不案内であったがチョークで書いた画を見たことは度々《たびたび》あり、ただこれまで自分で書かないのは到底まだ自分どもの力に及ばぬものとあきらめていたからなので、志村があの位い書けるなら自分も幾干《いくら》か出来るだろうと思ったのである。
 再び先の川辺《かわばた》へ出た。そして先ず自分の思いついた画題は水車《みずぐるま》、この水車はその以前鉛筆で書いたことがあるので、チョークの手始めに今一度これを写生してやろうと、堤を辿《たど》って上流の方へと、足を向けた。
 水車は川向《かわむこう》にあってその古めかしい処、木立《こだち》の繁《しげ》みに半ば被《おお》われている案排《あんばい》、蔦葛《つたかずら》が這《は》い纏《まと》うている具合、少年心《こどもごころ》にも面白い画題と心得ていたのである。これを対岸から写すので、自分は堤を下《お》りて川原の草原《くさはら》に出ると、今まで川柳の蔭《かげ》で見えなかったが、一人の少年が草の中に坐って頻《しき》りに水車を写生しているのを見つけた。自分と少年とは四、五十|間《けん》隔たっていたが自分は一見して志村であることを知った。彼は一心になっているので自分の近《ちかづ》いたのに気もつかぬらしかった。
 おやおや、彼奴《きゃつ》が来ている、どうして彼奴は自分の先へ先へと廻《ま》わるだろう、忌《い》ま忌《い》ましい奴だと大《おおい》に癪《しゃく》に触《さわ》ったが、さりとて引返えすのはなお慊《いや》だし、如何《どう》してくれようと、そのまま突立《つった》って志村の方を見ていた。
 彼は熱心に書いている。草の上に腰から上が出て、その立てた膝《ひざ》に画板が寄掛《よせか》けてある、そして川柳の影が後《うしろ》から彼の全身を被い、ただその白い顔の辺《あたり》から肩先へかけて楊《やなぎ》を洩《も》れた薄い光が穏かに落ちている。これは面白ろい、彼奴《きゃつ》を写してやろうと、自分はそのまま其処《そこ》に腰を下して、志村その人の写生に取りかかった。それでも感心なことには、画板に向うと最早志村もいまいましい奴など思う心は消えて書く方に全く心を奪《と》られてしまった。
 彼は頭《かしら》を上げては水車を見、また画板に向う、そして折り折りさも愉快らしい微笑を頬《ほお》に浮べていた。彼が微笑するごとに、自分も我知らず微笑せざるを得なかった。
 そうする中《うち》に、志村は突然|起《た》ち上がって、その拍子に自分の方を向いた、そして何にも言いがたき柔和な顔をして、にっこり[#「にっこり」に傍点]と笑った。自分も思わず笑った。
「君《きみ》は何を書いているのだ、」と聞くから、
「君を写生していたのだ。」
「僕は最早水車を書いてしまったよ。」
「そうか、僕はまだ出来ないのだ。」
「そうか、」と言って志村はそのまま再び腰を下ろし、もとの姿勢になって、
「書き給え、僕はその間《ま》にこれを直すから。」
 自分は画き初めたが、画いているうち、彼を忌ま忌ましいと思った心は全く消えてしまい、かえって彼が可愛くなって来た。そのうちに書き終ったので、
「出来た、出来た!」と叫ぶと、志村は自分の傍《そば》に来り、
「おや君はチョークで書いたね。」
「初めてだから全然《まるで》画にならん、君はチョーク画を誰に習った。」
「そら先達《せんだって》東京から帰って来た奥野さんに習った。しかしまだ習いたてだから何にも書けない。」
「コロンブスは佳《よ》く出来ていたね、僕は驚いちゃッた。」
 それから二人は連立《つれだ》って学校へ行った。この以後自分と志村は全く仲が善《よ》くなり、自分は心から志村の天才に服し、志村もまた元来が温順《おとな》しい少年であるから、自分をまたなき朋友《ほうゆう》として親しんでくれた。二人で画板を携え野山を写生して歩いたことも幾度か知れない。
 間もなく自分も志村も中学校に入ることとなり、故郷の村落を離れて、県の中央なる某町に寄留することとなった。中学に入っても二人は画を書くことを何よりの楽《たのしみ》にして、以前と同じく相伴うて写生に出掛けていた。
 この某町から我村落まで七里、もし車道をゆけば十三里の大迂廻《おおまわり》になるので我々は中学校の寄宿舎から村落に帰る時、決して車に乗らず、夏と冬の定期休業ごとに必ず、この七里の途《みち》を草鞋《わらじ》がけで歩いたものである。
 七里の途はただ山ばかり、坂あり、谷あり、渓流《けいりゅう》あり、淵《ふち》あり、滝あり、村落あり、児童あり、林あり、森あり、寄宿舎の門を朝早く出て日の暮に家《うち》に着くまでの間、自分はこれらの形、色、光、趣きを如何《どう》いう風に画いたら、自分の心を夢のように鎖《と》ざしている謎《なぞ》を解くことが出来るかと、それのみに心を奪《と》られて歩いた。志村も同じ心、後《あと》になり先になり、二人で歩いていると、時々は路傍に腰を下ろして鉛筆の写生を試み、彼が起《た》たずば我も起たず、我筆をやめずんば彼もやめないという風で、思わず時が経《た》ち、驚ろいて二人とも、次の一里を駆足《かけあし》で飛んだこともあった。
 爾来《じらい》数年《すねん》、志村は故《ゆえ》ありて中学校を退いて村落に帰り、自分は国を去って東京に遊学することとなり、いつしか二人の間には音信もなくなって、忽《たちま》ちまた四、五年経ってしまった。東京に出てから、自分は画を思いつつも画を自ら書かなくなり、ただ都会の大家の名作を見て、僅《わずか》に自分の画心《えごころ》を満足さしていたのである。
 ところが自分の二十の時であった、久しぶりで故郷の村落に帰った。宅の物置にかつて自分が持《もち》あるいた画板があったのを見つけ、同時に志村のことを思いだしたので、早速人に聞いて見ると、驚くまいことか、彼は十七の歳《とし》病死したとのことである。
 自分は久しぶりで画板と鉛筆を提《ひっさ》げて家を出た。故郷の風景は旧《もと》の通りである、しかし自分は最早以前の少年ではない、自分はただ幾歳《いくつ》かの年を増《ま》したばかりでなく、幸か不幸か、人生の問題になやまされ、生死の問題に深入りし、等しく自然に対しても以前の心には全く趣を変えていたのである。言いがたき暗愁は暫時《しばらく》も自分を安めない。
 時は夏の最中《もなか》自分はただ画板を提げたというばかり、何を書いて見る気にもならん、独《ひと》りぶらぶらと野末に出た。かつて志村と共に能《よ》く写生に出た野末に。
 闇《やみ》にも歓《よろこ》びあり、光にも悲《かなしみ》あり、麦藁帽《むぎわらぼう》の廂《ひさし》を傾けて、彼方《かなた》の丘、此方《こなた》の林を望めば、まじまじと照る日に輝いて眩《まば》ゆきばかりの景色。自分は思わず泣いた。



底本:「日本児童文学名作集(上)」桑原三郎・千葉俊二編、岩波文庫、岩波書店
   1994(平成6)年2月16日第1刷発行
底本の親本:「国木田独歩全集 2」学習研究社
   1964(昭和39)年7月1日初版発行
初出:「青年界」第一巻第二号
   1902(明治35)年8月1日発行
入力:鈴木厚司
校正:mayu
2001年5月28日公開
青空文庫作成ファイル:このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

前のページに戻る 青空文庫アーカイブ