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若杉裁判長
菊池寛

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)若杉浩三《わかすぎこうぞう》氏

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)判事|若杉浩三《わかすぎこうぞう》氏
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 △△△地方裁判所の、刑事部の裁判長をしている、判事|若杉浩三《わかすぎこうぞう》氏は若い時、かなり敬虔《けいけん》なクリスチャンでありました。
 が、普通クリスチャンの青年が、社会に出てしまうと、まるきり物忘れをしたように、けろりとクリスチャンでなくなるように、若杉さんも、いつの間にか、青年時代の信仰をどこかへ置き忘れていました。それは、大学時代に作ったたくさんのノートの中へ置き忘れたのか、それとも司法官試補の時にむやみに追い使われた、ある地方の区裁判所の事務所のベンチに置き忘れたのかわかりません。
 が、今では若杉さんは、決してクリスチャンではありません。誰が見ても、あの法服を着て法廷に澄まし込んでいる若杉裁判長が、青年時代に、熱烈な信仰を懐いていたことには、気がつきますまい。が、ドイツの学生が、若い時に血気に任せて盛んに決闘をやった傷痕が、官僚政府に出仕して意気地なしの老官吏に成り果てた後までも、彼らの老顔の皺の間に残っているように、若杉裁判長の青年時代の信仰も、やっぱりどこかに痕跡を残していたようです。
 それはほかでもありません。若杉裁判長は、罪人に対して非常に深い同情を持っていたことです。ことにその罪人が、犯した罪を少しでも後悔し、懺悔でもしているような様子が見えると、裁判長の判決は、立会の検事を呆気《あっけ》にとらせるほど、寛大でありました。むろんこんな時、立会の検事は必ず控訴をしました。その控訴が棄却になることもありましたが、かえって原判決が取り消されて、もっと重い判決が下ることもしばしばありました。
 もとより、裁判長としては、自分の下した判決が取り消されることは、決してその人にとっては、名誉でありません。が、それにもかかわらず、若杉裁判長の判決は、いつも寛大に失するくらいでありました。裁判長が若杉判事だと知ると、事情を知った被告は、小躍りして欣《よろこ》ぶまでになりました。
 世人を戦慄させたような極悪人の場合は別として、世人は、被告が寛大の刑に処せられることに対して、大した抗議を懐くものではありません。否、その被告人にいくらかでも同情すべき点がある時などは、世人は刑罰が軽ければ軽いほど、一種の快感を感ずるものです。まして、その被告人に少しでも縁故のある人たちが欣ぶのは、無理もありません。こうした訳合で、若杉裁判長が、いつの間にか名裁判長の名を謳われ出したのも、決して不道理ではありますまい。
 むろん、若杉裁判長が、罪ということについて、普通の裁判長とは、まったく違った考えを懐いていたことも当然なことです。この人は、どちらかといえば、決して、裁判官という柄ではなかったのです。あの薄暗い法廷で厳しい顔をしている法官としては、あまりに繊細な感情を持ち過ぎていたのです。実際当人も、最初から法科を、やろうなどという意志は、毛頭無かったのです。東京の高等学校にいた頃は、文科で、しかも哲学志望でありました。当人の考えでは、将来は教育家になるつもりでいたらしいのです。むろん教育家といっても、人間の精神に強い力を与え得るような、本物の教育家になるつもりでいたのです。が、教育家志望の若杉浩三がどうして法科に転じたかについては、二つの原因があります。一つは、非常に崇拝していた森田という同窓生が、急に文科志望を止めて、法科へ転ずる決心をしたからです。なんでも、森田という人は、一年からずうっと文科の首席を通してきた人ですが、卒業する半年前になると、その人の兄さんという人が、「将来文科では、とても飯が食えない。このさい思い切って法科へ変ったらどうか」と、いってきたそうです。実際、文科を出て困っている実例はその頃も多かったとみえ、非常に聡明な森田という人は、すぐ転科をする決心をしたそうです。自分よりは成績もよく、学資も豊富な森田君が、将来の生活問題を気にして転科をするとなると、当時の若杉裁判長も、勢い首を傾けなければなりませんでした。
 その上に、若杉さんは、こうしたできごとに会っていたことがあります。なんでも、高等学校の確か二年生であった頃ですが、若杉さんは、ある晩、春日《かすが》町から伝通院《でんつういん》の方へ富坂《とみざか》を登っていたそうです。すると、半分ばかり、坂を上って右側にあるミルク屋の前に、二、三人、人だかりがしているのです。何かと思って立ち止まると、そのミルク屋の中から、土工体の男が、立派な服装《なり》をした紳士の右の手を、縄で縛って連れ出してくるのです。一組かと思うと、そうした組合せがいくつも後から出てくるのです。どの組もどの組も、縛っている方が労働者の風をして、縛られている方が紳士の服装をしているから、奇体です。今から考えれば、それは賭場へ手が入ったので、珍しくもなんともないのですが、その頃は、そうした実世間のできごとにまったく無経験であった若杉さんは、呆気にとられて見ていたとのことです。すると、若杉さんの前へ、もう一人青年が来たそうです。この男はこの場の事情を若杉さん以上に知らなかったと見え、ミルク屋の入口に近づいて、家の中を覗き込むようにしていたそうです。すると、もう縛り上げる罪人の種が尽きたとみえ、いちばん最後に手ぶらでミルク屋を出ようとした土工体の男は、入口に立ち塞がっているこの青年が邪魔になったとみえ、
「退《ど》け! 何を見ていやがるんだ」と、怒鳴りつけたばかりでなく、荒々しくその青年を突き退けました。むろんこの青年は、この男が自分の持たぬある権力を持った刑事であることを知りません。 
「何をするんだい!」と、怒鳴り返しながら、勢いよくその刑事に、飛びかかりました。するとその刑事は、
「何! 反抗する! 反抗するなら、警察へ来い」と、いいながら、乱暴にも、その青年の手を、縛りにかかりました。おそらく、同僚が皆それぞれ獲物を連れて帰るのに、自分一人、手ぶらで帰るのは、この刑事にとってはちょっと不快なことであったのに相違ありません。なんでもいいから、ともかくも、一人縛って帰ろうという、悪い了見らしかったのです。青年は、相手が刑事だときくと少したじたじとしたようでしたが、それでも威勢よく反抗していました。が、力において勝った刑事は、難なく青年の右の手に捕縄をかけて、とうとう引っ張って行くじゃありませんか。おそらく、職務執行妨害とでもいうような罪名で、ともかくも、警察へ拉《らっ》して行こうという肚らしいのです。しかも若杉さんたちの立っていたところから、二、三間離れたところへ引きずって行ってから、顔を二つ三つひっぱたいたらしい、音さえきこえたそうです。おそらく、こんな刑事の乱暴は、現代の進歩した警察制度の下では、決して行われてはおりますまい。が、若杉さんの高等学校時代、即ち今から十数年前では、明らかに行われていたことに相違ありません。
 多感《センシティブ》な青年であった若杉さんが、これを見て極度に憤慨したのも、無理はありません。人権の蹂躪、人間に対する侮辱、それは正義の観念があくまでも強かった若杉さんにとっては、身の毛もよだつほどの不平であったのです。彼は、国家の権力が、こうした野蛮な人間によって乱用せられることを、身震いするほど恐ろしく思いました。
 その晩、寄宿舎へ帰ってからも、そうした不正に対する義憤は、なかなか静まりませんでした。床に就いてからも、またそのことを思い続けていました。その時にふと、将来法律を学んで、こうした無辜《むこ》の人々のために、侃諤《かんがく》の弁を振ってみようかという考えが、若杉さんの心に浮びました。
 若杉さんが、法科を選んだ遠因は、おそらくそこにあるのでしょう。が、直接の原因は、自分の尊敬する森田君が、急に文科を見限って法科に転じたためでしょう。その頃は、まだ今のように、法科生過剰の現象はありませんでしたから、法科へ転科するのは、今よりもずっと容易でした。が、弁護士になるはずであった若杉さんは、弁護士があまりに世俗的な、あまりに実際的な商売であるのに、嫌気がさし、卒業間際になってから、志を翻して、司法官になったのです。
 こうした経歴を持っている若杉裁判長が、普通の裁判官に比して、より内面的で、より人道的で、悪人や罪人を普通の人間とはまったく違った生存物だと見るような弊が少しも無かったのも当然だと思われます。その上若杉さんの罪悪観には、キリスト教的の分子が、よほど多量に含まれていた上に、すべての犯罪においても、人間的《ヒューマン》な動機を十分汲み取ることができたので、どうしても罪人を憎みきれなかったのでしょう。この罪人の血管を流れている血も、俺の血管を流れている血も、そう大した相違があるものではないという、裁判官としてはあまりに人間的《ヒューマン》に過ぎた信念が、常に若杉さんの裁判心理の中に動いていたのでしょう。もう一つ若杉さんの心理に動いていた感情は、どんなことがあっても、冤罪《えんざい》の人を作ってはならぬという考えでした。よく裁判の話の時に、引き合いになる格言ですが、「たとい九人の有罪者を逸するとも、一人の冤罪者《えんざいしゃ》を作ることなかれ」という戒《いまし》めです。若杉さんの胸には、そうした考慮が常に激しく動いていたらしいのです。
 まあ、言葉を換えていいますれば、若杉裁判長の判決がいかにも寛大であったということは、裁判長の人道的《ヒューマニスチック》な人格からの当然の帰結だといってもよいでしょう。 若杉裁判長が、罪人に対する理解のこもった同情は、だんだん立会の検事にも伝染したとみえ、最初ほどは検事が頻々《ひんぴん》と控訴しなくなりました。
 が、時々は、若杉さんに対して、課刑が寛大に失するという非難がないでもありませんでした。そうした非難をする人でも、若杉裁判長の人格の底深く植えつけられた信念の力強さを知ると、いつの間にか、そうした非難を忘れるともなく、捨ててしまうようでした。
 若杉裁判長が、いかにも人情を噛み分けた、同情の溢《あふ》るるような判決を被告に下した実例は数え切れないほどあります。放蕩無頼《ほうとうぶらい》の兄が、父にたびたび無心をした揚げ句、父が応ぜぬのを憤って、棍棒を振って、打ってかかったのを居合せた弟が見るに見兼ね、棍棒をもぎとるなり、兄をただ一打ちに打ち殺した事件の裁判なども、若杉裁判長の名声を挙げた、名裁判の一つでありました。普通の裁判官なら、たとえ被告に同情をするにしても、尊親族《そんしんぞく》殺人という罪名に拘泥して、どんな酌量をしても四、五年の実刑は課したでしょう。が、若杉裁判長は、罪を憎んで五年の懲役をいい渡すと同時に、執行猶予の恩典を付けることを忘れませんでした。この被告については、村の村長を筆頭として、百五十名が連署した嘆願書が出ていたほどですから、当人をはじめ、一村|挙《こぞ》って小躍りして欣びました。
 まだ、こんな事件を数えるなら、いくつもありましょう。若杉裁判長としても、刑法の涙ともいうベき執行猶予の恩典を十分に利用して、どちらかといえば、機械的《メカニカル》に失しやすい法律の運用に、一味の人情味を加えるということは、裁判官としても、愉快なことであるに違いありません。
 そうしたわけで、五万以上も人口のあるこの△△△市で、若杉裁判長といえば、名裁判長として令名が嘖々《さくさく》たるものでありました。
 が、若杉さんの令名が、頂上に達した頃でしょう。次にお話しするような、事件が起りました。誰でも、一度か二度かは、地方の新聞紙で見たことがあると思いますが、関西地方には、しばしば起る、あの「中学生のジゴマ」という事件です。これは活動写真の悪影響の一つだといって、世の識者たちが活動写真を非難する材料の一つとしているようですが、ちょうど△△△市にも、「中学生のジゴマ事件」が起って市民の目をそばだてしめました。しかも、その犯人が、規律の厳粛で評判のよい、県立中学の生徒で、しかも級長をしている優等生で、その上色白の美少年であったというのですから、世人を驚かしたのも無理はありません。
 犯罪の手段は、やっぱり紋切型の通り、その少年は、△△△市の町端れにある、ある富豪の家に脅迫状を送って、「何月何日の夜に、鎮守の八幡の大鳥居の下へ、金二百円を新聞包みにして置くこと。もし実行しないならば、全家を爆裂弾をもって焼き払うべし」というたわいもないことを並べたてたのです。その家でもどうせ性質《たち》の悪い悪戯だろうということで、そのまま打ち捨てておきますと驚くじゃありませんか、丁度その約束の日の前夜に、その富豪の家の門前に当って、一大爆音がきこえたというのです。が、これはおそらくこの事件を伝えた新聞紙の誇張であったのでしょう。当の犯罪者の少年は、癇癪玉《かんしゃくだま》を一緒に、三つばかりぶつけたといっておりますから、そんな大した音のしなかったのは確かです。脅迫状のために、内心いくらかびくついていた富豪の一家が、この爆声を聞いて、色を変じたというのは、あながち誇張ではありますまい。捨てておいては一大事というので、早速警察へ人をやりまして、脅迫状が舞い込んでからの一部始終を訴え出でました。長い間、事件が無くて、閑散に苦しんでいた警察は、この訴えをきいて蘇《よみがえ》ったように活動を始めました。脅迫状に指定された翌晩が来ると、警察署長以下、警部一名、刑事巡査六名がことごとく変装して、鎮守の森を遠巻きにしたそうです。そして柔道初段という刑事と、撃剣が三級という腕節《うでっぷし》の強い刑事とが、選ばれてその大鳥居の陰に身を隠しました。そして、いかにも札束でも入っていそうな新聞包みを、その鳥居のちょうど真下に置きました。
 その晩は非常にいい月夜で、刑事たちも一種ロマンチックな心持で、ジゴマ団の襲来を待っていました。すると、刑事たちがいい加減退屈した頃に、爪先上りになった参詣道を、マントを着た一人の男が急ぎ足に上ってきたそうです。刑事たちは、固唾《かたず》をのみました、そして、少しでも、その男に不審な挙動がありましたら、すぐ飛びかかろうという、身構えをしました。すると、その男は、鳥居の下まで来て、足を止めたかと思うと、一度あたりを見回してから、夜目にもしるきその新聞包みをそっと取り上げたではありませんか。柔道の方の刑事が、獅子が獲物にでも飛びつくような勢いで、電光のように飛びかかりました。刑事は、むろん一大格闘を予期して飛びついたのですが、案外にも刑事の強い腕には、女のような華奢《きゃしゃ》な身体が触りました。撃剣の方の刑事が吹いた呼子で集まった署長以下の五人は、この少年を一目見ると、皆おやおやという顔をしました。
 が、その弱々しい少年が、この恐喝取財未遂の犯人に相違ありませんでした。
 その少年が、轟々たる世評のうちに、公判に付せられたのは申すまでもありません。全体、未成年者でもあるし、微罪不検挙になるはずであったのですが、この少年が、癇癪玉でもって実際に恐喝したということが、この少年のために、非常に不利な結果を及ぼしました。
 が、この少年が予審で有罪になり、公判に付せられることになっても、この少年の同情者は、あまり失望しませんでした。公判となれば裁判長は若杉さんだ、実刑を課するようなことは決してあるまいと、皆が思っていたからです。
 第一回の公判が開かれました。若杉裁判長の冒頭の尋問には、被告に対する溢れるような同情が見えました。被告の少年も、臆面もなく犯罪事実を述べたてました。そして、少年の無鉄砲さが、時々裁判長を苦笑させました。実際、この少年は、冒険譚《ぼうけんだん》などにかぶれた少年が往々無鉄砲なことをやるのと同じような意味で、しらずしらずこの大それた犯罪に陥ったようです。要するに、少年に特有なロマンチックな傾向が、つい邪道に陥ったのに過ぎませんでした。若杉裁判長は、少年の心理に、十分同情することができました。だから、立会の検事が、少年の心理に少しの理解を持たない峻厳な論告をした時、どうしても、心のうちで首肯することができませんでした。
 弁護士の熱烈な弁護をきかない前から、執行猶予を与えるということは、裁判長の肚の中では、もうきまっていたらしいです。弁護士は、二時間に近いほどの雄弁を振いました。弁護士の弁護の力点はなんでも、この少年の犯罪は、これ少年自身の罪にあらずして、社会の罪である。換言すれば、教育家と活動写真との罪であるといったふうな主旨でした。が、実際裁判官の眼下に、蒼くなって、神妙に控えている少年を見た時は、誰でも憐憫の情を催さずには、いられませんでしたろう。色白の丸顔で、愛くるしい少年でした。実際、この少年が、ほんの悪戯《いたずら》でやったことを、警察署が大騒ぎをやって恐喝取財という大事件にこさえ上げた観がないでもありませんでしたから。
 この時、若杉裁判長は、弁護士の弁論をききながら、自分の少年時代を回想していました。すると友達の悪太郎に使嗾《しそう》せられて、隣村の林檎畑《りんごばたけ》へ夜襲《ナイトレーデ》を行ったことを、歴然と思い出しました。それは少年の心をわくわくさせるようなロマンチックな冒険でした。それは、法律的に解釈すれば、立派な野外窃盗でした。が、少年時代に、ともすれば誰でも行いやすい奔放な自由な冒険的な悪戯を、ことごとく犯罪視することが、果して正当なことでしょうか。実際、若杉裁判長の心は、この少年に対する同情でいっぱいでありました。むろん、優等生で級長であったという事実も、裁判長の心を動かしたに違いありません。
 判決言い渡しの日は、この次の月曜日ということになって、法廷は閉じられました。
 翌日の新聞紙は、法廷の光景を伝えると同時に、少年が執行猶予の恩典に浴すべきことを、正確なる事実として、予想してありました。被告の少年に対する同情者も、またこのことについては少しの疑念も懐いておりませんでした。
 ところが、その判決があるという、月曜日の三日前、即ち金曜日の晩に、若杉裁判長の身に、偶然ある事件が起りました。
 と、いうのは、その金曜日の晩、それはなんでも三月の何日かに当っていました。若杉さんの家では、産後間もない夫人がまだ産褥《さんじょく》を離れていない時でした。もう男の子三人のお母さんでしたが、いつもお産が長びくので、産後の衰弱は、傍《はた》の見る目も痛々しかったほどです。でその晩も、常ならば夜遅くまで騒ぎ回る男の子も、宵から強制的に寝かされていました。そして若杉さんだけは、次の茶の間に身動きもせずに、寝ている妻に時々言葉を掛けながら、書斎で十二時頃まで、書見に耽《ふけ》っていましたが、十二時を打つを合図に、下女がその部屋に敷いて置いた床の中へ入りました。その時次の間の妻に、言葉を掛けましたが、もう寝てしまったと見えて返事はありませんでした。
 幾時間経ったでしょう。若杉さんは、ふと目をさましました。すると、夫人が寝ている茶の間とは反対の側の居間の方から、コトコトという音がきこえてきました。若杉さんは、大方鼠どもが、居間の棚のうえを駆け回っているのだと思って、再び目を閉じましたが、その物音は、うるさく続いてきました。
 が、いつもは鼠が居間で暴れることはないはずだのにと考えていると、若杉さんはようやく、鼠が暴れる原因がわかりました。それは、妻の産見舞として、到来したたくさんの菓子箱や果物籠などを、棚の上に積み重ねてあったことです。それと気がつくと、若杉さんは声を出して、鼠を追おうと思いましたが、次の間に寝ている妻をおどろかしてはならぬと気がつくと、そっと自分で床を抜け出して、枕元に袖だたみにしてあった着物を着流し、寝るときに消しておいた電灯を捻りました。そして妻を起さぬようにと抜き足して、居間の方へ近づいて、襖《ふすま》を開けました。書斎の電灯の光が開いた襖の間から次の間を照しましたが、それはほんの中央部だけでした。若杉さんは、なんの気なしに次の間へ足を踏み込みました。が、その刹那、ただならぬ気配が、電灯の光の及ばない箪笥《たんす》の置かれた片隅でいたしました。人だ泥棒だと、若杉裁判長は、電気に打たれたようにそこに立ち尽しました。すると、その闇の中から頑丈な一人の大男が、すっくとばかり、若杉さんの目の前に立ちました。実際、若杉さんは、今まで被告函の中に畏《かしこ》まっている大人しい窃盗や強盗や殺人犯なら、幾人見たかわかりません。たいていは、ぺこぺこ頭を下げて、神妙に縮み上っている男ばかりでした。が、今宵若杉さんの前に立っている本当の泥棒は、そう大人しい人間ではありません。見つけられたからは、居直ってやろうという肚を、ありありと見せていました。そこには、裁判官と被告という関係の代りに、赤裸々な人間同士の力ずくの関係しか、予期せられませんでした。一秒、二秒、三秒、泥棒の方でも、動きませんでした。若杉さんの方でも動きませんでした。若杉さんは、全身を押し詰まされるような名状しがたい不快な圧迫を感じていました。が、その中でも、若杉さんの理性は、懸命の力をこめて、善後策を講じていたのです。男の意地としても、裁判官の威厳を保つためにも、泥棒ぐらいは取り押えることが、必要でした。が、その格闘の恐ろしいものの音が、産褥にある妻に与える激動、また居間の向うの六畳に寝ている、幼い三人の愛児に与えるおどろきと危険とを考えると、若杉さんの手は、どうしても延びなかったそうです。若杉さんは、この泥棒に相当の金をやって無事に帰ってくれと哀願しようとさえ考えたくらいです。が、それも裁判官としては、あまりに威厳のないことでした。その時に、ふと「泥棒は逃せばよい」という考えが浮びました。若杉さんは、泥棒の不意の襲撃を避けるために、二、三歩後へ退きながら「わあーっ」と力限りの大声を出しました。が、その声は、まったく予期しない結果をひき起しました。若杉さんは、自分の声が終るか終らぬかに、次の部屋から夫の声に怯《おび》えた妻の恐ろしい悲鳴をききました。それと、同時に居間の向うの部屋からは三人の愛児が、おどろいて泣き出しました。
 親子五人の声におどろいたと見え、泥棒はいつの間にかいなくなっていました。むろん、一物《いちもつ》も盗んではいませんでした。
 が、衰弱した身体《からだ》にそうした激動を受けた夫人は、急に高熱が出たのも無理はありません。その翌日は、四十度に近い熱が一日続きました。その上、極度に過敏になった夫人の神経は、些細《ささい》な物音にも怯えるようになりました。主治医は、夫人の生命そのものについても、憂慮を懐くようになりました。
 その上、三人の愛児までが、その夜のできごとがあって以来、妙にものに怯える臆病な子供になりました。
 若杉さん自身も、あの泥棒と相対峙《あいたいじ》した一分間ばかりの、息も詰まるような、不快な、不安な圧迫から、なかなか抜けきることができませんでした。
 若杉さんは、盗賊に見舞われた不快な印象を、まざまざと頭の中に浮べながら、こういうことを考えました。自分は学校を出てから十四、五年の間、罪ということばかりを、考えてきた。そして、その罪に適当な刑罰を課することを、自分の職責としてきた。が、実際自分は本当に罪ということを正当に考えてきたであろうか。それは、あまりに罪を抽象的に考えてきたのではあるまいか。罪人の側からのみ、罪を考えていたのではあるまいか。自分の目の前に畏まっている被告が、いかにも大人しく神妙なのに馴れて、彼らが被害者に及ぼした恐ろしい悪勢力については、なんの考慮をも費やさなかったのではあるまいか。
 そう考えてくると、若杉さんは、自分の過去において下した判決の基礎を為した信念が、だんだん揺《ゆら》いでくるのを感じました。若杉さんを襲った賊、それは罪名からいえば、窃盗未遂でした。が、一家に及ぼした悪影響を考えれば、身の毛もよだつほどです。夫人が、それから受けた激動のために発熱し、その発熱のために衰弱して、ついにはそのために殪《たお》れるようなことがあれば、かの盗賊は形式はともかく、明らかに夫人を殺したのです。また、三人の愛児が受けた悪い影響も、金銭をもっては償いがたい、大なる被害に相違ありません。その上、若杉さん当人が受けた不快な圧迫や不安も、無形ではあるが、重大な被害には相違ありません。
 若杉さんは、生れて初めて、罪の及ぼす影響を、骨身に滲みるほど感じました。
 それは、若杉裁判長の、今まで懐いていた罪悪観を、根底から覆してしまいました。彼は、被害の翌朝、世の中の犯罪者一般に対する憎悪が、初めて自分の心の中に湧き出るのを感じました。が、若杉さんは、自分の感情の転換が、あまりに自分本位の動機から出ていることを心苦しく思いました。が、転換したのは、若杉さんの感情ばかりではありませんでした。若杉さんの思想もある転換を示して、最初に変った感情をぐんぐん裏づけていきました。

 月曜日の午前、予定の通り、ジゴマ中学生の判決言い渡しがありました。たとえ無罪ではなくとも、執行猶予は必ずあるというので、被告の肉親の人たちは、一種の安心をもって傍聴に行きました。
 が、当日に限って、裁判長は少し蒼白な顔をしていました。そして判決文も、いつものように朗々とは響きませんでした。
「被告|何某《なにがし》を禁錮一年に処す」という主文の宣告があった後、いくら待っても、執行猶予の言い渡しが続きませんでした。被告の顔にも、傍聴人の顔にも、深い失望の色が浮びました。
 が、若杉裁判長は、そんなことには一向頓着がないように、理由書の朗読が終ると、ドアを排してさっさと退席してしまいました。



底本:「菊池寛 短編と戯曲」文芸春秋社
   1988(昭和63)年3月25日 第1刷発行
入力:真先芳秋
校正:久保あきら
1999年9月19日公開
2000年10月15日修正
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