青空文庫アーカイブ

雪の塔
海若藍平《かいじゃくらんぺい》(夢野久作)

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)兄妹《きょうだい》

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(例)へのへのもへし[#「へのへのもへし」に傍点]
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 玉雄と照子は兄妹《きょうだい》で毎日仲よく連れ立って、山を越えて向うの学校に通って、帰りも仲よく一所になって帰って来ました。
 或る日、二人はいつもの通り学校から手を引き合って、唱歌をうたいながら帰りがけ山道にかかりますと、真暗な空から雪がチラチラ降り出して、見ている内に道が真白になりました。
 二人は唱歌を止めて急ぎましたが、雪はだんだん激しくなるばかり。しまいにはあとも先も見えず、どこが道やらわからなくなり、だんだん山深く迷い入って行きました。
 そのうちに日が暮れて、寒い風がヒューヒュー吹きはじめました。二人はお腹が空《す》いた上に寒さに凍《こご》えて、
「お父さん」
「お母さん」
 と泣き叫びながら肩を組んで行きましたが、とうとう二人とも雪で動けなくなって、雪の上に座ってしまいました。もう泣く声も出ず息も凍ってしまいそうで、只《ただ》夢のような気持になりました。
 その時に玉雄は、林の向うを風につれて雲のように吹き渦巻く雪の切れ目切れ目に、一つの高い高い真白な塔のようなものが天まで達《とど》く位立っているのを見付けました。その塔の処々には小さな窓があって、赤や青や黄色や紫の美しい光がさしております。
 玉雄は学校に行く途中、こんな塔が立っているのを一度も見た事がありませんでした。夢ではないかと眼をこすって見ましたが、矢張《やは》り本当に雪の中に立っているようです。玉雄は急に照子の肩をゆすって、
「照ちゃん、御覧よ。ホラあんな高い塔が……あれ、窓から美しい光がさして……さあ早く行きましょうよ、あそこまで」
 けれども可哀そうに照子はもう死んだように横になって、只ぼんやり玉雄の顔を見ているばかりでした。
 玉雄は一生懸命で照子を抱え起して、やっと背中に背負い上げて、膝まで来る雪の中を一足一足塔の方へ近寄りましたが、すぐ近くに見える塔がなかなか遠くて、いくら歩いても近寄られません。そのうちに玉雄は力が尽きて、
「助けて下さい」
 と一声高く叫ぶと、そのまま照子と一所に雪の中に打ち倒れて了《しま》いました。
 その声が聞こえたのかどうだかはわかりませんが、玉雄がたおれると間もなく、向うの白い高い塔の一番下の処の入り口が開いて、そこから大勢の人が出て来ました。見ると、それはどれもこれも身体《からだ》に薄い白い着物たった一枚着た若いお姫様のような人ばかりで、素足で雪の中を舞い踊りながら吹きまわる嵐につれて歌をうたっています。
「ふれふれ雪よ 春は近い
 ふれふれ雪よ 冬はおわる
 ふれふれ真白に ふり積れ雪よ
 吹け吹け風よ 吹き巻け風よ
 一夜のうちに 雪の塔を作れ
 冬と春とが わかれを告げる
 名残のかたみ 雪の塔をつくれ
 冬は行く 春は来る
 ふれふれ 雪よ
 春は来る 冬は行く
 吹け吹け 風よ
 ふれふれ 吹け吹け
 吹き渦 巻いて
 天まで遠く 雪の塔を作れ
 世界の人も 獣《けもの》も鳥も
 野山の草木も 気づかぬうちに
 旭《あさひ》の光りが 照らさぬうちに
 一夜で出来て 一夜で消える
 高い高い 白い白い
 水晶のような 雪の塔を作れ」
 こう歌っているうちに舞姫たちはだんだん玉雄と照子の方へ近付いて来て、二人のまわりをくるくるまわりながら、白い大きな蝶のように美しく踊りまわりました。
 そのうちに大勢の舞姫は踊りながらだんだん二人へ近寄って来て、手に手に二人を舁《かつ》ぎ上げたと思うと、そのまま踊りをやめて雪の塔の中へ連れ込みました。
 雪の塔の中はどんなにか寒いだろうと玉雄は思っていましたが、まるで違って春のように暖かです。舞い姫たちは二人を軽々と舁《かつ》ぎ上げたまま、梯子段《はしごだん》をだんだん上に昇って行きます。
 第一の室は青い光りに満ち満ちておりました。第二の室は赤い光りで照らされています。第三は紫、第四は黄色とだんだん上へ上って行って、とうとう真っ白い光りが真昼のように満ち満ちている一番高い大広間に来て、床の上に降されました。
 ここまで来るうちに二人ともすっかりあたたまって、着物まで乾いてしまいましたので、二人は床の上に下されると、唯驚いてしまってあたりをキョロキョロ見まわしました。
 兄も妹も雪の塔の大きいのに驚きました。四方の壁も天井も床も銀のように輝いていて、大広間の天井や隅々には四季の花が眩《まばゆ》い位美しく咲いて、室の真中に天井から吊りさがった青白いランプの光りで照らされています。
 ランプのまわりには餅花《もちばな》や羽子板、ゴム鞠、運動具、おもちゃの船、車などが一パイに吊され、どれを見ても欲しくない物は一つもありません。
 室の正面には黄金のお太陽《ひ》様《さま》と白金《しろがね》のお月様を祭ってあります。その前には、鉄の冠を戴いて、白い顔に黒い髯《ひげ》を勢《いきおい》よく生やし、紺青《こんじょう》の着物を着た立派な冬の男神《おがみ》と、緑色の髪に花の冠を戴いて、桃色の長い着物を着た春の女神とが座わっています。その左右にはお釈迦様、イエス様、七福神、達磨《だるま》さん、鍾馗《しょうき》大臣、サンタクローズ、桃太郎、金太郎、花咲爺、乙姫様や浦島太郎、熊、鹿、猪や兎なぞいう獣《けもの》や鳥やお魚や山水天狗、つるまむし、へのへのもへしなぞいうおなじみの連中が四方へずらりと居流れて、今宴会の最中でしたが、玉雄と照子の兄妹《きょうだい》が這入って来ると、皆万歳と言って歓迎をして、二人を正面の冬の男神と春の女神の前に座らせました。
 二人は今までお話しには聞いていましたが、まさかこんなものが本当にいようとは思わなかったので、何とあいさつしてよいやら、只胸をドキドキさして、顔を真赤にしてお辞儀をして座りました。
 二人がここで頂いた御馳走は、何が何だかわからぬ位沢山で、丁度お腹は空いていたし、そのお美味《いし》かった事、頬ぺたも落ちそうで、あとから出たお菓子や果物までも一つ残さず食べてしまいました。
 御馳走が済むと五分間演説が初まりました。
 いの一番に飛び出したのは真《ま》っ黒々《くろくろ》の唐金《からかね》のお釈迦様でした。
「みなさん、私はいろいろな人から拝まれて、いろいろなおそなえものやお賽銭をたくさんいただきます。しかし私を拝んだり、いろいろなものを供えたりする人は、みんな欲ばりばかりで、私にすこしばかりのものをくれて、大変な幸福ばかり祈りますから、私は知らん顔をしております。しかし毎年四月八日の私の誕生日になると、子供たちが大勢来て、私の頭の上を花で飾って、頭から甘茶をかけてお祝いをしてくれます。私はこんなに親切に可愛がってもらうと、うれしくてうれしくてたまりません。私は欲ばりの大人に拝まれるよりも、こんなに親切な子供達に可愛がられる方がよっぽどうれしゅう御座います」
 皆はパチパチと手をたたいて、お釈迦様の演説に感心をしました。
 その次にはイエス様が立ち上って演説をしました。
「私もお釈迦様と同じように誕生日《クリスマス》には子供たちに可愛がられます。しかし困った事には日本の子供は、私の誕生日を祝うことよりも私の家来のサンタクローズにいろいろのものを貰う方を楽しみにするようです。又も一つ困った事には、クリスマスの日には子供より大人の方が夢中になって、クリスマスツリーを飾ったり、クリスマスプレゼントを遣ったり貰ったりしますが、そのためによく子供の方がお留守になって、クリスマスの日になると、『うるさいからあっちへ行っていらっしゃい』なぞと叱られる事があります。私は可哀そうで可哀そうでたまりません。ふだん大人は忙しくてゆっくり子供と遊ばれぬ事が多いのです。しかしクリスマスの日だけは子供の日ですから、大人の人は一生懸命になって子供を喜ばすようにしてやって頂きたいと思います」
 皆は又も手を拍《う》って賛成しました。
 お釈迦様とイエス様のお話が済むと、七福神が揃って飛び出して「七福踊り」というのを踊りました。これをはじめにして乙姫の「竜宮の舞い」、達磨大師の「コロコロ踊り」、花咲爺の「花咲踊り」、舌切雀の「雀踊り」、桃太郎の「剣舞」、金太郎の「力持ち」、獣《けもの》のダンス、鳥のダンスなぞが次から次へ数限りなく、いつまで見ても面白う御座いました。
 その一番おしまいには「へのへのもへし」「山水天狗」「つるまむし」の三人が手を引き合って飛び出して、へのへの踊りというのをやりました。そのうたはこうでした。
「へのへのもへし[#「へのへのもへし」に傍点]につるまむし[#「つるまむし」に傍点]
 山水天狗[#「山水天狗」に傍点]の三人は
 生まれ故郷は知らねども
 かしこやここの白壁や
 扉や窓に現われて
 誰が描《か》いたと睨まれる

 描《か》き散らかしたわるものは
 私はちゃんと知っている
 けれども云ったら大変だ
 だから私はだまってる

 描《か》いた坊ちゃん嬢ちゃんは
 蔭の方からクスクスクス
 赤い舌をペロペロペロ

 父さん母さん憤《おこ》り出し
 急いで消して終《しま》うけど
 またそのうちに私等は
 他の処にあらわれる
 いくつもいくつもあらわれる

 だれも消さないその時は
 雨にたたかれ洗われて
 次第次第に消えて行く

 消えない間のおたのしみ
 さあさあ踊らせ歌わんせ
 山水天狗[#「山水天狗」に傍点]につるまむし[#「つるまむし」に傍点]
 へのへのもへし[#「へのへのもへし」に傍点]のひとおどり」
 この踊りの可笑《おか》しくて面白い事、お腹の皮が撚《よじ》れるようで、皆手を拍《う》って喜びました。
 踊りがすっかり済みますと、最前の舞い姫が又大勢現われて、二人を胴上げをするように舁《かつ》ぎ上げて、雪の塔の絶頂に登りました。
 ここは屋根も何も無い広場で、四方の雪景色が一|眼《め》に見渡せます。もうすっかり雪が晴れて、空にはダイヤモンドを数限り無く散らしたように星の光りが瞬いています。西の方に今しも満月が沈みかかり、青い透《す》きとおった光りを、見渡す限り、処々が埋もれた野や山や河や海や森林に投げています。その美しい事……。
 舞い姫たちは、兄妹《きょうだい》を席場の真中の一番高い処の台の上に立たせて、パノラマのような四方《よも》の景色を見渡させながら、雪の台のまわりを歌をうたって踊ってまわりました。
「冬と春との神々の
 今宵《こよい》ひと夜のおわかれに
 降らせた雪に埋もれた
 可愛い仲好い兄妹《きょうだい》は
 雪のしとねに雪まくら
 夢路に遊ぶ雪の塔

 お伽噺《とぎばなし》でおなじみの
 おもしろおかしい人たちと
 仲よく遊んだよろこびも
 今宵と夜のうつつぞと
 夢にも知らぬあかつきの
 光りに消ゆる雪の塔

 野から山へと冬は去り
 海から野へと春は来る
 冬のゆくえを尋ぬれば
 消えてあと無き雪の塔
 春のふるさと尋ぬれば
 消えてあと無き雪の塔

 あとには可愛い仲のよい
 兄と妹の夢がたり
 楽しく嬉しくなつかしく
 一夜のうちに消え果てた
 綺麗な綺麗な雪の塔」
 こんな歌をおどりながら舞いめぐる舞い姫の姿は、次第次第にうすれうすれて消えて行きました。
 白い着物を着た舞い姫たちが消え消えとうすくなって行くと一所に空の星の光りもうすらいで、お月様もいつのまにか西へ落ちてしまって、あたりが明るくなると思う間もなく、東の山の上に紫の雲が一つ一つ湧き出して、右に左にゆらゆらと靉靆《たなびき》はじめました。
 兄妹《きょうだい》は夢のようになってこの美しい景色に見とれているうちに、だんだんと明るくなって、やがて東の山から真赤の太陽の光りが野にも山にも一面にサーッと流れました。
 それと一所に舞い姫の姿はすっかりどこへかフッと消えてしまって、あとにはただ玉雄と照子と二人だけ残りました……………………と思う間もなく、太陽の光りに照らされた雪の塔は見る見るうちに溶け出して、ユラユラと二三遍動いたと見る間《ま》に、根元からドタドタドタと一度に崩れ落ちてしまいました。
「アッ」
「助けて」
 と叫んで玉雄と照子が時々眼をさましますとコハ如何に、二人はあたたかい寝床の中に寝かされて、お父さんとお母さんが心配そうに介抱しておられました。
 二人が眼をさましたのを見ると、お父さんとお母さんは一時に二人を抱き締《しめ》て喜ばれました。そうしてこう云われました。
「まあ、お前達はよく助かってくれたね。お前達が帰りが遅いので、お父さんとお母さんはお迎えに行ったけれども、雪が降ってわからない。それから村中の人を頼んで探してもらって、やっと杉林の中で抱き合ってたおれているお前達を見つけたのだよ。私達はお前達が死ぬかと思ってどれ位心配したか」
 と云ううちにお母さんは嬉し涙をこぼされました。
 その時にお父さんはこう云われました。
「それにしても不思議な事がある。お前達がまだ眼を醒まさないうちに、お前達はさも面白そうに囈語《うわごと》を云ったり、手をたたいたりしていた。それが二人とも丁度同じ夢を見ているように、同じ時に手をたたいたり面白がったり、巧《うま》い巧いと云ったりしていた。一体お前たちはどんな夢を見ていたのか。お父さんに聞かしてくれないか」
 玉雄と照子は寝床の中で顔を見合わせて、不思議そうに眼をまん丸くしました。



底本:「夢野久作全集1」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年5月22日 第1刷発行
入力:柴田卓治
校正:もりみつじゅんじ
2000年3月6日公開
青空文庫作成ファイル:このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


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