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薬草取
泉鏡花

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)日光掩蔽《にっこうおんぺい》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)空|澄《す》み、

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)※[#「目+句」、第4水準2-81-91、45-10]
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       一

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日光掩蔽《にっこうおんぺい》  地上清涼《ちじょうしょうりょう》  靉靆垂布《あいたいすいぶ》  如可承攬《にょかしょうらん》
其雨普等《ごうぶとう》  四方倶下《しほうぐげ》  流樹無量《りゅうじゅむりょう》  率土充洽《そつどじゅうごう》
山川険谷《さんせんけんこく》  幽邃所生《ゆうすいしょじょう》  卉木薬艸《きぼくやくそう》  大小諸樹《だいしょうしょじゅ》
[#ここで字下げ終わり]
「もし憚《はばかり》ながらお布施《ふせ》申しましょう。」
 背後《うしろ》から呼ぶ優《やさ》しい声に、医王山《いおうざん》の半腹、樹木の鬱葱《うっそう》たる中を出《い》でて、ふと夜の明けたように、空|澄《す》み、気|清《きよ》く、時しも夏の初《はじめ》を、秋見る昼の月の如《ごと》く、前途遥《ゆくてはるか》なる高峰《たかね》の上に日輪《にちりん》を仰《あお》いだ高坂《こうさか》は、愕然《がくぜん》として振返《ふりかえ》った。
 人の声を聞き、姿を見ようとは、夢にも思わぬまで、遠く里を離れて、はや山深く入っていたのに、呼懸《よびか》けたのは女であった。けれども、高坂は一見して、直《ただち》に何ら害心《がいしん》のない者であることを認め得た。
 女は片手拝《かたておが》みに、白い指尖《ゆびさき》を唇にあてて、俯向《うつむ》いて経《きょう》を聞きつつ、布施をしようというのであるから、
「否《いや》、私《わし》は出家《しゅっけ》じゃありません。」
 と事もなげに辞退しながら、立停《たちどま》って、女のその雪のような耳許《みみもと》から、下膨《しもぶく》れの頬《ほお》に掛《か》けて、柔《やわらか》に、濃い浅葱《あさぎ》の紐《ひも》を結んだのが、露《つゆ》の朝顔の色を宿《やど》して、加賀笠《かががさ》という、縁《ふち》の深いので眉《まゆ》を隠した、背には花籠《はなかご》、脚《あし》に脚絆《きゃはん》、身軽に扮装《いでた》ったが、艶麗《あでやか》な姿を眺めた。
 かなたは笠の下から見透《みすか》すが如くにして、
「これは失礼なことを申しました。お姿は些《ちっ》ともそうらしくはございませんが、結構な御経《おきょう》をお読みなさいますから、私《わたくし》は、あの、御出家ではございませんでも、御修行者《ごしゅぎょうじゃ》でいらっしゃいましょうと存じまして。」
 背広の服で、足拵《あしごしら》えして、帽《ぼう》を真深《まぶか》に、風呂敷包《ふろしきづつみ》を小さく西行背負《さいぎょうじょい》というのにしている。彼は名を光行《みつゆき》とて、医科大学の学生である。
 時に、妙法蓮華経薬草諭品《みょうほうれんげきょうやくそうゆほん》、第五偈《だいごげ》の半《なかば》を開いたのを左の掌《たなそこ》に捧《ささ》げていたが、右手《めて》に支《つ》いた力杖《ステッキ》を小脇に掻上《かいあ》げ、
「そりゃまあ、修行者は修行者だが、まだ全然《まるで》素人《しろうと》で、どうして御布施《ごふせ》を戴くようなものじゃない。
 読方《よみかた》だって、何だ、大概《たいがい》、大学朱熹章句《だいがくしゅきしょうく》で行《ゆ》くんだから、尊《とうと》い御経《おきょう》を勿体《もったい》ないが、この山には薬の草が多いから、気の所為《せい》か知らん。麓《ふもと》からこうやって一里ばかりも来たかと思うと、風も清々《すがすが》しい薬の香《か》がして、何となく身に染《し》むから、心願《しんがん》があって近頃から読み覚えたのを、誦《とな》えながら歩行《ある》いているんだ。」
 かく打明《うちあ》けるのが、この際|自他《じた》のためと思ったから、高坂は親しく先《ま》ず語って、さて、
「姉《ねえ》さん、お前さんは麓《ふもと》の村にでも住んでいる人なんか。」
「はい、二俣村《ふたまたむら》でございます。」
「あああの、越中《えっちゅう》の蛎波《となみ》へ通《かよ》う街道で、此処《ここ》に来る道の岐《わか》れる、目まぐるしいほど馬の通る、彼処《あすこ》だね。」
「さようでございます。もう路《みち》が悪うございまして、車が通りませんものですから、炭でも薪《たきぎ》でも、残らず馬に附けて出しますのでございます。
 それに丁《ちょう》どこの御山《みやま》の石の門のようになっております、戸室口《とむろぐち》から石を切出《きりだ》しますのを、皆《みんな》馬で運びますから、一人で五|疋《ひき》も曳《ひ》きますのでございますよ。」
「それではその麓から来たんだね、唯《たった》一人。……」
 静《しずか》に歩《ほ》を移していた高坂は、更にまた女の顔を見た。
「はい、一人でございます、そしてこちらへ参りますまで、お姿を見ましたのは、貴方《あなた》ばかりでございますよ。」
 いかにもという面色《おももち》して、
「私《わたし》もやっぱり、そうさ、半里ばかりも後《あと》だった、途中で年寄った樵夫《きこり》に逢《あ》って、路《みち》を聞いた外《ほか》にはお前さんきり。
 どうして往《い》って還《かえ》るまで、人《ひと》ッ子《こ》一人《ひとり》いようとは思わなかった。」
 この辺《あたり》唯《ただ》なだらかな蒼海原《あおうなばら》、沖へ出たような一面の草を※[#「目+句」、第4水準2-81-91、45-10]《みまわ》しながら、
「や、ものを言っても一つ一つ谺《こだま》に響くぞ、寂《さび》しい処《ところ》へ、能《よ》くお前さん一人で来たね。」
 女は乳《ち》の上へ右左、幅広く引掛《ひっか》けた桃色の紐に両手を挟《はさ》んで、花籃《はなかご》を揺直《ゆりなお》し、
「貴方《あなた》、その樵夫《きこり》の衆《しゅう》にお尋ねなすって可《よ》うございました。そんなに嶮《けわ》しい坂ではございませんが、些《ちっ》とも人が通《かよ》いませんから、誠に知れにくいのでございます。」
「この奥の知れない山の中へ入るのに、目標《めじるし》があの石ばかりじゃ分らんではないかね。
 それも、南北《みなみきた》、何方《どちら》か医王山道《いおうざんみち》とでも鑿《ほ》りつけてあればまだしもだけれど、唯《ただ》河原に転《ころが》っている、ごろた石の大きいような、その背後《うしろ》から草の下に細い道があるんだもの、ちょいと間違えようものなら、半年|経歴《へめぐ》っても頂《いただき》には行《ゆ》かれないと、樵夫《きこり》も言ったんだが、全体何だって、そんなに秘《かく》して置く山だろう。全くあの石の裏より外《ほか》に、何処《どこ》も路はないのだろうか。」
「ございませんとも、この路筋《みちすじ》さえ御存じで在《い》らっしゃれば、世を離れました寂しさばかりで、獣《けだもの》も可恐《おそろしい》のはおりませんが、一足でも間違えて御覧なさいまし、何千|丈《じょう》とも知れぬ谷で、行留《ゆきどま》りになりますやら、断崖《きりぎし》に突当《つきあた》りますやら、流《ながれ》に岩が飛びましたり、大木の倒れたので行《ゆ》く前《さき》が塞《ふさが》ったり、その間には草樹《くさき》の多いほど、毒虫もむらむらして、どんなに難儀でございましょう。
 旧《もと》へ帰るか、倶利伽羅峠《くりからとうげ》へ出抜《でぬ》けますれば、無事に何方《どちら》か国へ帰られます。それでなくって、無理に先へ参りますと、終局《しまい》には草一条《くさひとすじ》も生えません焼山《やけやま》になって、餓死《うえじに》をするそうでございます。
 本当に貴方《あなた》がおっしゃいます通り、樵夫《きこり》がお教え申しました石は、飛騨《ひだ》までも末広《すえひろ》がりの、医王の要石《かなめいし》と申しまして、一度|踏外《ふみはず》しますと、それこそ路がばらばらになってしまいますよ。」
 名だたる北国《ほくこく》秘密の山、さもこそと思ったけれども、
「しかし一体、医王というほど、此処《ここ》で薬草が採れるのに、何故《なぜ》世間とは隔《へだた》って、行通《ゆきかよい》がないのだろう。」
「それは、あの承《うけたまわ》りますと、昔から御領主の御禁山《おとめやま》で、滅多《めった》に人をお入れなさらなかった所為《せい》なんでございますって。御領主ばかりでもござんせん。結構な御薬《おくすり》の採れます場所は、また御守護の神々《かみがみ》仏様《ほとけさま》も、出入《ではいり》をお止《と》め遊ばすのでございましょうと存じます。」
 譬《たと》えば仙境《せんきょう》に異霊《いれい》あって、恣《ほしいまま》に人の薬草を採る事を許さずというが如く聞えたので、これが少《すくな》からず心に懸《かか》った。
「それでは何か、私《わたし》なんぞが入って行って、欲《ほし》い草を取って帰っては悪いのか。」
 と高坂はやや気色《けしき》ばんだが、悚然《ぞっ》と肌寒《はださむ》くなって、思わず口の裡《うち》で、
[#ここから4字下げ]
慧雲含潤《えうんがんじゅん》  電光晃耀《でんこうこうよう》  雷声遠震《らいじょうおんしん》  令衆悦予《れいじゅえつよ》
日光掩蔽《にっこうおんぺい》  地上清涼《ちじょうしょうりょう》  靉靆垂布《あいたいすいぶ》  如可承攬《にょかしょうらん》
[#ここで字下げ終わり]

       二

「否《いいえ》、山さえお暴《あら》しなさいませねば、誰方《どなた》がおいでなさいましても、大事ないそうでございます。薬の草もあります上は、毒な草もないことはございません。無暗《むやみ》な者が採りますと、どんな間違《まちがい》になろうも知れませんから、昔から禁札《きんさつ》が打ってあるのでございましょう。
 貴方《あなた》は、そうして御経《おきょう》をお読み遊ばすくらい、縦令《たとい》お山で日が暮れても些《ちっ》ともお気遣《きづかい》な事はございますまいと存じます。」
 言いかけてまた近《ちかづ》き、
「あのさようなら、貴方《あなた》はお薬になる草を採りにおいでなさるのでござんすかい。」
「少々《しょうしょう》無理な願《ねがい》ですがね、身内に病人があって、とても医者の薬では治《なお》らんに極《きま》ったですから、この医王山でなくって外《ほか》にない、私が心当《こころあたり》の薬草を採りに来たんだが、何、姉《ねえ》さんは見懸《みか》けた処《ところ》、花でも摘みに上《あが》るんですか。」
「御覧の通《とおり》、花を売りますものでござんす。二日置き、三日|置《おき》に参って、お山の花を頂いては、里へ持って出て商《あきな》います、丁《ちょう》ど唯今《ただいま》が種々《いろいろ》な花盛《はなざかり》。
 千蛇《せんじゃ》が池《いけ》と申しまして、頂《いただき》に海のような大《おおき》な池がございます。そしてこの山路《やまみち》は何処《どこ》にも清水なぞ流れてはおりません。その代《かわり》暑い時、咽喉《のど》が渇《かわ》きますと、蒼《あお》い小《ちいさ》な花の咲きます、日蔭《ひかげ》の草を取って、葉の汁《つゆ》を噛《か》みますと、それはもう、冷《つめた》い水を一斗《いっと》ばかりも飲みましたように寒うなります。それがないと凌《しの》げませんほど、水の少い処《ところ》ですから、菖蒲《あやめ》、杜若《かきつばた》、河骨《こうほね》はござんせんが、躑躅《つつじ》も山吹《やまぶき》も、あの、牡丹《ぼたん》も芍薬《しゃくやく》も、菊の花も、桔梗《ききょう》も、女郎花《おみなえし》でも、皆《みんな》一所《いっしょ》に開いていますよ、この六月から八月の末《すえ》時分まで。その牡丹だの、芍薬だの、結構な花が取れますから、たんとお鳥目《ちょうもく》が頂けます。まあ、どんなに綺麗《きれい》でございましょう。
 そして貴方《あなた》、お望《のぞみ》の草をお採り遊ばすお心当《こころあたり》はどの辺でござんすえ。」
 と笠《かさ》ながら差覗《さしのぞ》くようにして親しく聞く、時に清《すずし》い目がちらりと見えた。
 高坂は何となく、物語の中なる人を、幽境《ゆうきょう》の仙家《せんか》に導く牧童《ぼくどう》などに逢う思いがしたので、言《ことば》も自《おのず》から慇懃《いんぎん》に、
「私も其処《そこ》へ行《ゆ》くつもりです。四季の花の一時《いっとき》に咲く、何という処《ところ》でしょうな。」
「はい、美女《びじょ》ヶ原《はら》と申します。」
「びじょがはら?」
「あの、美しい女と書きますって。」
 女は俯向《うつむ》いて羞《は》じたる色あり、物の淑《つつま》しげに微笑《ほほえ》む様子。
 可懐《なつかし》さに振返《ふりかえ》ると、
「あれ。」と袖《そで》を斜《ななめ》に、袂《たもと》を取って打傾《うちかたむ》き、
「あれ、まあ、御覧なさいまし。」
 その草染《くさぞめ》の左の袖に、はらはらと五片三片《いつひらみひら》紅《くれない》を点じたのは、山鳥《やまどり》の抜羽《ぬけは》か、非《あら》ず、蝶《ちょう》か、非《あら》ず、蜘蛛《くも》か、非《あら》ず、桜の花の零《こぼ》れたのである。
「どうでございましょう、この二、三ヶ月の間は、何処《どこ》からともなく、こうして、ちらちらちらちら絶えず散って参ります。それでも何処《どこ》に桜があるか分りません。美女ヶ原へ行《ゆ》きますと、十里|南《みなみ》の能登《のと》の岬《みさき》、七里|北《きた》に越中立山《えっちゅうたてやま》、背後《うしろ》に加賀《かが》が見晴せまして、もうこの節《せつ》は、霞《かすみ》も霧もかかりませんのに、見紛《みまご》うようなそれらしい花の梢《こずえ》もござんせぬが、大方《おおかた》この花片《はなひら》は、煩《うるさ》い町方《まちかた》から逃げて来て、遊んでいるのでございましょう。それともあっちこっち山の中を何かの御使《おつかい》に歩いているのかも知れません。」
 と女が高く仰《あお》ぐに連《つ》れ、高坂も葎《むぐら》の中に伸上《のびあが》った。草の緑が深くなって、倒《さかさま》に雲に映《うつ》るか、水底《みなそこ》のような天《てん》の色、神霊秘密《しんれいひみつ》の気《き》を籠《こ》めて、薄紫《うすむらさき》と見るばかり。
「その美女ヶ原までどのくらいあるね、日の暮れない中《うち》行《ゆ》かれるでしょうか。」
「否《いいえ》、こう桜が散って参りますから、直《じき》でございます。私も其処《そこ》まで、お供いたしますが、今日こそ貴方《あなた》のようなお連《つれ》がございますけれど、平時《いつも》は一人で参りますから、日一杯《ひいっぱい》に里まで帰るのでございます。」
「日一杯?」と思いも寄らぬ状《さま》。
「どんなにまた遠い処《ところ》のように、樵夫《きこり》がお教え申したのでござんすえ。」
「何、樵夫に聞くまでもないです。私に心覚《こころおぼえ》が丁《ちゃん》とある。先ず凡《およ》そ山の中を二日も三日も歩行《ある》かなけれゃならないですな。
 尤《もっと》も上《のぼ》りは大抵《たいてい》どのくらいと、そりゃ予《かね》て聞いてはいるんですが、日一杯だのもう直《じき》だの、そんなに輒《たやす》く行《ゆ》かれる処とは思わない。
 御覧なさい、こうやって、五体の満足なはいうまでもない、谷へも落ちなけりゃ、巌《いわ》にも躓《つまず》かず、衣物《きもの》に綻《ほころび》が切れようじゃなし、生爪《なまづめ》一つ剥《はが》しやしない。
 支度《したく》はして来たっても餒《ひもじ》い思いもせず、その蒼《あお》い花の咲く草を捜さなけりゃならんほど渇《かわ》く思いをするでもなし、勿論《もちろん》この先どんな難儀に逢おうも知れんが、それだって、花を取りに里から日帰《ひがえり》をするという、姉《ねえ》さんと一所《いっしょ》に行《ゆ》くんだ、急に日が暮れて闇になろうとも思われないが、全くこれぎりで、一足《ひとあし》ずつ出さえすりゃ、美女ヶ原になりますか。」
「ええ、訳《わけ》はございません、貴方《あなた》、そんなに可恐《おそろしい》処《ところ》と御存じで、その上、お薬を採りに入らしったのでございますか。」
 言下《ごんか》に、
「実際|命懸《いのちがけ》で来ました。」と思い入《い》って答えると、女はしめやかに、
「それでは、よくよくの事でおあんなさいましょうねえ。
 でも何もそんな難《むずか》しい御山《おやま》ではありません。但《ただ》此処《ここ》は霊山《れいざん》とか申す事、酒を覆《こぼ》したり、竹の皮を打棄《うっちゃ》ったりする処《ところ》ではないのでございます。まあ、難有《ありがた》いお寺の庭、お宮の境内《けいだい》、上《うえ》つ方《がた》の御門《ごもん》の内のような、歩けば石一つありませんでも、何となく謹《つつし》みませんとなりませんばかりなのでございます。そして貴方《あなた》は、美女ヶ原にお心覚えの草があって、其処《そこ》までお越し遊ばすに、二日も三日もお懸《かか》りなさらねばなりませんような気がすると仰有《おっしゃ》いますが、何時《いつ》か一度お上《のぼ》り遊ばした事がございますか。」
「一度あるです。」
「まあ。」
「確《たしか》に美女ヶ原というそれでしょうな、何でも躑躅《つつじ》や椿《つばき》、菊も藤も、原《はら》一面に咲いていたと覚えています。けれども土地の名どころじゃない、方角さえ、何処《どこ》が何だか全然《まるで》夢中。
 今だってやっぱり、私は同一《おなじ》この国の者なんですが、その時は何為《なぜ》か家を出て一月|余《あまり》、山へ入って、かれこれ、何でも生れてから死ぬまでの半分は※[#「彳+尚」、第3水準1-84-33、53-6]※[#「彳+羊」、第3水準1-84-32、53-6]《さまよ》って、漸々《ようよう》其処《そこ》を見たように思うですが。」
 高坂は語りつつも、長途《ちょうと》に苦《くるし》み、雨露《あめつゆ》に曝《さら》された当時を思い起すに付け、今も、気弱り、神《しん》疲れて、ここに深山《みやま》に塵《ちり》一つ、心に懸《かか》らぬ折ながら、なおかつ垂々《たらたら》と背《そびら》に汗。
 糸のような一条路《ひとすじみち》、背後《うしろ》へ声を運ぶのに、力を要した所為《せい》もあり、薬王品《やくおうほん》を胸に抱《いだ》き、杖を持った手に帽《ぼう》を脱ぐと、清き額《ひたい》を拭《ぬぐ》うのであった。
 それと見る目も敏《さと》く、
「もし、御案内がてら、あの、私がお前《さき》へ参りましょう。どうぞ、その方がお話も承《うけたまわ》りようございますから。」
 一議《いちぎ》に及ばず、草鞋《わらじ》を上げて、道を左へ片避《かたよ》けた、足の底へ、草の根が柔《やわらか》に、葉末《はずえ》は脛《はぎ》を隠したが、裾《すそ》を引く荊《いばら》もなく、天地《てんち》閑《かん》に、虫の羽音《はおと》も聞えぬ。

       三

「御免なさいまし。」
 と花売《はなうり》は、袂《たもと》に留《と》めた花片《はなびら》を惜《おし》やはらはら、袖《そで》を胸に引合せ、身を細くして、高坂の体を横に擦抜《すりぬ》けたその片足も葎《むぐら》の中、路はさばかり狭いのである。
 五尺ばかり前にすらりと、立直《たちなお》る後姿、裳《もすそ》を籠めた草の茂り、近く緑に、遠く浅葱《あさぎ》に、日の色を隈取《くまど》る他に、一|木《ぼく》のありて長く影を倒すにあらず。
 背後《うしろ》から声を掛け、
「大分《だいぶん》草深くなりますな。」
「段々|頂《いただき》が近いんですよ。やがてこの生《はえ》が人丈《ひとだけ》になって、私の姿が見えませんようになりますと、それを潜《くぐ》って出ます処《ところ》が、もう花の原でございます。」
 と撫肩《なでかた》の優しい上へ、笠の紐|弛《ゆる》く、紅《べに》のような唇をつけて、横顔で振向《ふりむ》いたが、清《すず》しい目許《めもと》に笑《えみ》を浮べて、
「どうして貴方《あなた》はそんなにまあ唐天竺《からてんじく》とやらへでもお出《い》で遊ばすように遠い処とお思いなさるのでございましょう。」
 高坂は手なる杖を荒く支《つ》いて、土を騒がす事さえせず、慎《つつし》んで後《あと》に続き、
「久しい以前です。一体誰でも昔の事は、遠く隔《へだた》ったように思うのですから、事柄と一所《いっしょ》に路までも遙《はるか》に考えるのかも知れません。そうして先ず皆《みんな》夢ですよ。
 けれども不残《のこらず》事実で。
 私が以前美女ヶ原で、薬草を採ったのは、もう二十年、十年が一昔《ひとむかし》、ざっと二昔《ふたむかし》も前になるです、九歳《ここのつ》の年の夏。」
「まあ、そんなにお稚《ちいさ》い時。」
「尤《もっと》も一人じゃなかったです。さる人に連れられて来たですが、始め家を迷って出た時は、東西も弁《わきま》えぬ、取って九歳《ここのつ》の小児《こども》ばかり。
 人は高坂の光《みい》、私の名ですね、光坊《みいぼう》が魔に捕《と》られたのだと言いました。よくこの地で言う、あの、天狗《てんぐ》に攫《さら》われたそれです。また実際そうかも知れんが、幼心《おさなごころ》で、自分じゃ一端《いっぱし》親を思ったつもりで。
 まだ両親《ふたおや》ともあったんです。母親が大病で、暑さの取附《とッつき》にはもう医者が見放したので、どうかしてそれを復《なお》したい一心で、薬を探しに来たんですな。」
 高坂は少時《しばらく》黙った。
「こう言うと、何か、さも孝行の吹聴《ふいちょう》をするようで人聞《ひとぎき》が悪いですが、姉さん、貴女《あなた》ばかりだから話をする。
 今でこそ、立派な医者もあり、病院も出来たけれど、どうして城下が二里四方に開《ひら》けていたって、北国《ほくこく》の山の中、医者らしい医者もない。まあまあその頃、土地第一という先生まで匙《さじ》を投げてしまいました。打明けて、父が私たちに聞かせるわけのものじゃない。母様《おっかさん》は病気《きいきい》が悪いから、大人《おとな》しくしろよ、くらいにしてあったんですが、何となく、人の出入《ではいり》、家《うち》の者の起居挙動《たちいふるまい》、大病というのは知れる。
 それにその名医というのが、五十|恰好《かっこう》で、天窓《あたま》の兀《は》げたくせに髪の黒い、色の白い、ぞろりとした優形《やさがた》な親仁《おやじ》で、脈を取るにも、蛇《じゃ》の目《め》の傘《かさ》を差すにも、小指を反《そら》して、三本の指で、横笛を吹くか、女郎《じょろう》が煙管《きせる》を持つような手付《てつき》をする、好かない奴。
 私がちょこちょこ近処《きんじょ》だから駈出《かけだ》しては、薬取《くすりとり》に行《ゆ》くのでしたが、また薬局というのが、その先生の甥《おい》とかいう、ぺろりと長い顔の、額《ひたい》から紅《べに》が流れたかと思う鼻の尖《さき》の赤い男、薬箪笥《くすりだんす》の小抽斗《こひきだし》を抜いては、机の上に紙を並べて、調合をするですが、先ずその匙加減《さじかげん》が如何《いか》にも怪《あや》しい。
 相応《そうおう》に流行《はや》って、薬取《くすりとり》も多いから、手間取《てまど》るのが焦《じれ》ったさに、始終|行《ゆ》くので見覚えて、私がその抽斗《ひきだし》を抜いて五つも六つも薬局の机に並べて遣《や》る、終《しまい》には、先方《さき》の手を待たないで、自分で調合をして持って帰りました。私のする方が、かえって目方《めかた》が揃《そろ》うくらい、大病だって何だって、そんな覚束《おぼつか》ない薬で快くなろうとは思えんじゃありませんか。
 その頃父は小立野《こだつの》と言う処《ところ》の、験《げん》のある薬師《やくし》を信心で、毎日参詣するので、私もちょいちょい連れられて行ったです。
 後《のち》は自分ばかり、乳母《うば》に手を曳《ひ》かれてお詣《まいり》をしましたッけ。別に拝みようも知らないので、唯《ただ》、母親の病気の快くなるようと、手を合せる、それも遊び半分。
 六月の十五日は、私の誕生日で、その日、月代《さかやき》を剃《そ》って、湯に入ってから、紋着《もんつき》の袖《そで》の長いのを被《き》せてもらいました。
 私がと言っては可笑《おかし》いでしょう。裾模様《すそもよう》の五《いつ》ツ紋《もん》、熨斗目《のしめ》の派手な、この頃聞きゃ加賀染《かがぞめ》とかいう、菊だの、萩《はぎ》だの、桜だの、花束が紋《もん》になっている、時節に構わず、種々《いろいろ》の花を染交《そめま》ぜてあります。尤《もっと》も今時《いまどき》そんな紋着を着る者はない、他国《たこく》には勿論《もちろん》ないですね。
 一体この医王山に、四季の花が一時《いちじ》に開く、その景勝を誇るために、加賀《かが》ばかりで染めるのだそうですな。
 まあ、その紋着を着たんですね、博多《はかた》に緋《ひ》の一本独鈷《いっぽんどっこ》の小児帯《こどもおび》なぞで。
 坊やは綺麗《きれい》になりました。母も後毛《おくれげ》を掻上《かきあ》げて、そして手水《ちょうず》を使って、乳母《うば》が背後《うしろ》から羽織《はお》らせた紋着に手を通して、胸へ水色の下じめを巻いたんだが、自分で、帯を取って〆《しめ》ようとすると、それなり力が抜けて、膝を支《つ》いたので、乳母が慌《あわて》て確乎《しっかり》抱《だ》くと、直《すぐ》に天鵝絨《びろうど》の括枕《くくりまくら》に鳩尾《みぞおち》を圧《おさ》えて、その上へ胸を伏せたですよ。
 産《う》んで下すった礼を言うのに、唯《ただ》御機嫌|好《よ》うとさえ言えば可《い》いと、父から言いつかって、枕頭《まくらもと》に手を支《つ》いて、其処《そこ》へ。顔を上げた私と、枕に凭《もた》れながら、熟《じっ》と眺めた母と、顔が合うと、坊や、もう復《なお》るよと言って、涙をはらはら、差俯向《さしうつむ》いて弱々《よわよわ》となったでしょう。
 父が肩を抱いて、徐《そっ》と横に寝かした。乳母が、掻巻《かいまき》を被《き》せ懸けると、襟《えり》に手をかけて、向うを向いてしまいました。
 台所から、中の室《ま》から、玄関あたりは、ばたばた人の行交《ゆきか》う音。尤《もっと》も帯をしめようとして、濃いお納戸《なんど》の紋着に下じめの装《なり》で倒れた時、乳母が大声で人を呼んだです。
 やがて医者《せんせい》が袴《はかま》の裾《すそ》を、ずるずるとやって駈け込んだ。私には戸外《おもて》へ出て遊んで来いと、乳母が言ったもんだから、庭から出たです。今も忘れない。何とも言いようのない、悲しい心細い思いがしましたな。」
 花売《はなうり》は声細く、
「御道理《ごもっとも》でございますねえ。そして母様《おっかさん》はその後《のち》快《よ》くおなりなさいましたの。」
「お聞きなさい、それからです。
 小児《こども》は切《せめ》て仏の袖《そで》に縋《すが》ろうと思ったでしょう。小立野《こだつの》と言うは場末《ばすえ》です。先ず小さな山くらいはある高台、草の茂った空地沢山《あきちだくさん》な、人通りのない処《ところ》を、その薬師堂《やくしどう》へ参ったですが。
 朝の内に月代《さかやき》、沐浴《ゆあみ》なんかして、家を出たのは正午《ひる》過《すぎ》だったけれども、何時《いつ》頃薬師堂へ参詣して、何処《どこ》を歩いたのか、どうして寝たのか。
 翌朝《あくるあさ》はその小立野から、八坂《はっさか》と言います、八段《やきだ》に黒い滝の落ちるような、真暗《まっくら》な坂を降りて、川端へ出ていた。川は、鈴見《すずみ》という村の入口で、流《ながれ》も急だし、瀬の色も凄《すご》いです。
 橋は、雨や雪に白《しら》っちゃけて、長いのが処々《ところどころ》、鱗《うろこ》の落ちた形に中弛《なかだる》みがして、のらのらと架《かか》っているその橋の上に茫然《ぼんやり》と。
 後《のち》に考えてこそ、翌朝《あくるあさ》なんですが、その節《せつ》は、夜を何処《どこ》で明かしたか分らないほどですから、小児《こども》は晩方《ばんがた》だと思いました。この医王山の頂《いただき》に、真白な月が出ていたから。
 しかし残月《ざんげつ》であったんです。何為《なぜ》かというにその日の正午《ひる》頃、ずっと上流の怪《あや》しげな渡《わたし》を、綱に掴《つか》まって、宙へ釣《つる》されるようにして渡った時は、顔が赫《かっ》とする晃々《きらきら》と烈《はげし》い日当《ひあたり》。
 こういうと、何だか明方《あけがた》だか晩方《ばんがた》だか、まるで夢のように聞えるけれども、渡《わたし》を渡ったには全く渡ったですよ。
 山路《やまじ》は一日がかりと覚悟をして、今度来るには麓《ふもと》で一泊したですが、昨日《きのう》丁度《ちょうど》前《ぜん》の時と同一《おなじ》時刻、正午《ひる》頃です。岩も水も真白な日当《ひあたり》の中を、あの渡《わたし》を渡って見ると、二十年の昔に変らず、船着《ふなつき》の岩も、船出《ふなで》の松も、確《たしか》に覚えがありました。
 しかし九歳《ここのつ》で越した折は、爺《じい》さんの船頭がいて船を扱いましたっけ。
 昨日《きのう》は唯《ただ》綱を手繰《たぐ》って、一人で越したです。乗合《のりあい》も何《なんに》もない。
 御存じの烈しい流《ながれ》で、棹《さお》の立つ瀬はないですから、綱は二条《ふたすじ》、染物《そめもの》をしんし[#「しんし」に傍点]張《ばり》にしたように隙間《すきま》なく手懸《てがかり》が出来ている。船は小さし、胴《どう》の間《ま》へ突立《つッた》って、釣下《つりさが》って、互違《たがいちがい》に手を掛けて、川幅三十|間《けん》ばかりを小半時《こはんとき》、幾度《いくたび》もはっと思っちゃ、危《あぶな》さに自然《ひとりで》に目を塞《ふさ》ぐ。その目を開ける時、もし、あの丈《たけ》の伸びた菜種《なたね》の花が断崕《がけ》の巌越《いわごし》に、ばらばら見えんでは、到底《とても》この世の事とは思われなかったろうと考えます。
 十里四方には人らしい者もないように、船を纜《もや》った大木の松の幹に立札《たてふだ》して、渡船銭《わたしせん》三文とある。
 話は前後《あとさき》になりました。
 そこで小児《こども》は、鈴見《すずみ》の橋に彳《たたず》んで、前方《むこう》を見ると、正面の中空《なかぞら》へ、仏の掌《てのひら》を開いたように、五本の指の並んだ形、矗々《すくすく》立ったのが戸室《とむろ》の石山《いしやま》。靄《もや》か、霧か、後《うしろ》を包んで、年に二、三度|好《よ》く晴れた時でないと、蒼《あお》く顕《あらわ》れて見えないのが、即《すなわ》ちこの医王山です。
 其処《そこ》にこの山があるくらいは、予《かね》て聞いて、小児心《こどもごころ》にも方角を知っていた。そして迷子《まいご》になったか、魔に捉《と》られたか、知れもしないのに、稚《ちいさ》な者は、暢気《のんき》じゃありませんか。
 それが既に気が変になっていたからであろうも知れんが、お腹《なか》が空かぬだけに一向《いっこう》苦にならず。壊れた竹の欄干《らんかん》に掴《つかま》って、月の懸《かか》った雲の中の、あれが医王山と見ている内に、橋板《はしいた》をことこと踏んで、
 向《むこう》の山に、猿が三|疋《びき》住みやる。中の小猿が、能《よ》う物《もの》饒舌《しゃべ》る。何と小児《こども》ども花折《はなお》りに行《ゆ》くまいか。今日の寒いに何の花折りに。牡丹《ぼたん》、芍薬《しゃくやく》、菊の花折りに。一本折っては笠に挿《さ》し、二本折っては、蓑《みの》に挿し、三枝《みえだ》四枝《よえだ》に日が暮れて……とふと唄いながら。……
 何となく心に浮んだは、ああ、向うの山から、月影に見ても色の紅《くれない》な花を採って来て、それを母親の髪に挿したら、きっと病気が復《なお》るに違いないと言う事です。また母は、その花を簪《かんざし》にしても似合うくらい若かったですな。」
 高坂は旧《もと》来た方《かた》を顧《かえり》みたが、草の外《ほか》には何もない、一歩《ひとあし》前《さき》へ花売《はなうり》の女、如何《いか》にも身に染《し》みて聞くように、俯向《うつむ》いて行《ゆ》くのであった。
「そして確《たしか》に、それが薬師《やくし》のお告《つげ》であると信じたですね。
 さあ思い立っては矢《や》も楯《たて》も堪《たま》らない、渡り懸けた橋を取って返して、堤防《どて》伝いに川上へ。
 後《あと》でまた渡《わたし》を越えなければならない路ですがね、橋から見ると山の位置《ありか》は月の入《い》る方へ傾いて、かえって此処《ここ》から言うと、対岸《むこうぎし》の行留《ゆきどま》りの雲の上らしく見えますから、小児心《こどもごころ》に取って返したのが丁《ちょう》ど幸《さいわい》と、橋から渡場《わたしば》まで行《ゆ》く間の、あの、岩淵《いわぶち》の岩は、人を隔てる医王山の一《いち》の砦《とりで》と言っても可《よ》い。戸室《とむろ》の石山《いしやま》の麓が直《すぐ》に流《ながれ》に迫る処《ところ》で、累《かさな》り合った岩石だから、路は其処《そこ》で切れるですものね。
 岩淵をこちらに見て、大方《おおかた》跣足《はだし》でいたでしょう、すたすた五里も十里も辿《たど》った意《つもり》で、正午《ひる》頃に着いたのが、鳴子《なるこ》の渡《わたし》。」

       四

「馬士《まご》にも、荷担夫《にかつぎ》にも、畑打《はたう》つ人にも、三|人《にん》二|人《にん》ぐらいずつ、村一つ越しては川沿《かわぞい》の堤防《どて》へ出るごとに逢ったですが、皆《みんな》唯《ただ》立停《たちどま》って、じろじろ見送ったばかり、言葉を懸ける者はなかったです。これは熨斗目《のしめ》の紋着振袖《もんつきふりそで》という、田舎に珍《めずら》しい異形《いぎょう》な扮装《なり》だったから、不思議な若殿、迂濶《うかつ》に物も言えないと考えたか、真昼間《まっぴるま》、狐が化けた? とでも思ったでしょう。それとも本人|逆上返《のぼせかえ》って、何を言われても耳に入らなかったのかも解《わか》らんですよ。
 ふとその渡場《わたしば》の手前で、背後《うしろ》から始めて呼び留めた親仁《おやじ》があります。兄《にい》や、兄《にい》やと太い調子。
 私は仰向《あおむ》いて見ました。
 ずんぐり脊《せ》の高い、銅色《あかがねいろ》の巌乗造《がんじょうづくり》な、年配四十五、六、古い単衣《ひとえ》の裾《すそ》をぐいと端折《はしょ》って、赤脛《からずね》に脚絆《きゃはん》、素足に草鞋《わらじ》、かっと眩《まばゆ》いほど日が照るのに、笠は被《かぶ》らず、その菅笠《すげがさ》の紐に、桐油合羽《とうゆがっぱ》を畳《たた》んで、小さく縦《たて》に長く折ったのを結《ゆわ》えて、振分《ふりわ》けにして肩に投げて、両提《ふたつさげ》の煙草入《たばこいれ》、大きいのをぶら提《さ》げて、どういう気か、渋団扇《しぶうちわ》で、はたはたと胸毛を煽《あお》ぎながら、てくりてくり寄って来て、何処《どこ》へ行《ゆ》くだ。
 御山《おやま》へ花を取りに、と返事すると、ふんそれならば可《よ》し、小父《おじ》が同士《どうし》に行って遣《や》るべい。但《ただし》、この前《さき》の渡《わたし》を一つ越さねばならぬで、渡守《わたしもり》が咎立《とがめだて》をすると面倒じゃ、さあ、負《おぶ》され、と言うて背中を向けたから、合羽《かっぱ》を跨《また》ぐ、足を向うへ取って、猿《さる》の児《こ》背負《おんぶ》、高く肩車に乗せたですな。
 その中《うち》も心の急《せ》く、山はと見ると、戸室《とむろ》が低くなって、この医王山が鮮明《あざやか》な深翠《ふかみどり》、肩の上から下に瞰下《みおろ》されるような気がしました。位置は変って、川の反対《むこう》の方に見えて来た、なるほど渡《わたし》を渡らねばなりますまい。
 足を圧《おさ》えた片手を後《うしろ》へ、腰の両提《ふたつさげ》の中をちゃらちゃらさせて、爺様《じさま》頼んます、鎮守《ちんじゅ》の祭礼《まつり》を見に、頼まれた和郎《わろ》じゃ、と言うと、船を寄せた老人《としより》の腰は、親仁《おやじ》の両提《ふたつさげ》よりもふらふらして干柿《ほしがき》のように干《ひ》からびた小さな爺《じじい》。
 やがて綱に掴《つか》まって、縋《すが》ると疾《はや》い事!
 雀《すずめ》が鳴子《なるこ》を渡るよう、猿が梢《こずえ》を伝うよう、さらさら、さっと。」
 高坂は思わず足踏《あしぶみ》をした、草の茂《しげり》がむらむらと揺《ゆら》いで、花片《はなびら》がまたもや散り来る――二片三片《ふたひらみひら》、虚空《おおぞら》から。――
「左右へ傾く舷《ふなばた》へ、流《ながれ》が蒼く搦《から》み着いて、真白に颯《さっ》と翻《ひるがえ》ると、乗った親仁も馴れたもので、小児《こども》を担《かつ》いだまま仁王立《におうだち》。
 真蒼《まっさお》な水底《みなそこ》へ、黒く透《す》いて、底は知れず、目前《めさき》へ押被《おっかぶ》さった大巌《おおいわ》の肚《はら》へ、ぴたりと船が吸寄《すいよ》せられた。岸は可恐《おそろし》く水は深い。
 巌角《いわかど》に刻《きざ》を入れて、これを足懸《あしがか》りにして、こちらの堤防《どて》へ上《あが》るんですな。昨日《きのう》私が越した時は、先ず第一番の危難に逢うかと、膏汗《あぶらあせ》を流して漸々《ようよう》縋《すが》り着いて上《あが》ったですが、何、その時の親仁は……平気なものです。」
 高坂は莞爾《にっこり》して、
「爪尖《つまさき》を懸けると更に苦《く》なく、負《おぶ》さった私の方がかえって目を塞《ふさ》いだばかりでした。
 さて、些《ちっ》と歩行《ある》かっせえと、岸で下してくれました。それからは少しずつ次第に流《ながれ》に遠ざかって、田の畦《あぜ》三つばかり横に切れると、今度は赤土《あかつち》の一本道、両側にちらほら松の植わっている処《ところ》へ出ました。
 六月の中ばとはいっても、この辺には珍《めずら》しい酷《ひど》く暑い日だと思いましたが、川を渡り切った時分から、戸室山《とむろやま》が雲を吐いて、処々《ところどころ》田の水へ、真黒な雲が往《い》ったり、来たり。
 並木《なみき》の松と松との間が、どんよりして、梢《こずえ》が鳴る、と思うとはや大粒な雨がばらばら、立樹《たちき》を五本と越えない中《うち》に、車軸を流す烈しい驟雨《ゆうだち》。ちょッ待て待て、と独言《ひとりごと》して、親仁《おやじ》が私の手を取って、そら、台なしになるから脱げと言うままにすると、帯を解いて、紋着《もんつき》を剥《は》いで、浅葱《あさぎ》の襟《えり》の細く掛《かか》った襦袢《じゅばん》も残らず。
 小児《こども》は糸も懸けぬ全裸体《まるはだか》。
 雨は浴《あび》るようだし、恐《こわ》さは恐し、ぶるぶる顫《ふる》えると、親仁が、強いぞ強いぞ、と言って、私の衣類を一丸《ひとまる》げにして、懐中を膨《ふく》らますと、紐を解いて、笠を一文字に冠《かぶ》ったです。
 それから幹に立たせて置いて、やがて例の桐油合羽《とうゆがっぱ》を開いて、私の天窓《あたま》からすっぽりと目ばかり出るほど、まるで渋紙《しぶかみ》の小児《こども》の小包。
 いや! 出来た、これなら海を潜《もぐ》っても濡れることではない、さあ、真直《まっすぐ》に前途《むこう》へ駈け出せ、曳《えい》、と言うて、板で打《ぶ》たれたと思った、私の臀《しり》をびたりと一つ。
 濡れた団扇《うちわ》は骨ばかりに裂けました。
 怪飛《けしと》んだようになって、蹌踉《よろ》けて土砂降《どしゃぶり》の中を飛出《とびだ》すと、くるりと合羽《かっぱ》に包まれて、見えるは脚ばかりじゃありませんか。
 赤蛙《あかがえる》が化けたわ、化けたわと、親仁《おやじ》が呵々《からから》と笑ったですが、もう耳も聞えず真暗三宝《まっくらさんぼう》。何か黒山《くろやま》のような物に打付《ぶッつ》かって、斛斗《もんどり》を打って仰様《のけざま》に転ぶと、滝のような雨の中に、ひひんと馬の嘶《いなな》く声。
 漸々《ようよう》人の手に扶《たす》け起《おこ》されると、合羽を解いてくれたのは、五十ばかりの肥った婆《ばあ》さん。馬士《まご》が一人|腕組《うでぐみ》をして突立《つッた》っていた。門《かど》の柳の翠《みどり》から、黒駒《くろこま》の背へ雫《しずく》が流れて、はや雲切《くもぎれ》がして、その柳の梢《こずえ》などは薄雲の底に蒼空《あおぞら》が動いています。
 妙なものが降り込んだ。これが豆腐《とうふ》なら資本《もとで》入《い》らずじゃ、それともこのまま熨斗《のし》を附けて、鎮守様《ちんじゅさま》へ納《おさ》めさっしゃるかと、馬士《まご》は掌《てのひら》で吸殻《すいがら》をころころ遣《や》る。
 主《ぬし》さ、どうした、と婆さんが聞くんですが、四辺《あたり》をきょときょと※[#「目+句」、第4水準2-81-91、67-13]《みまわ》すばかり。
 何処《どこ》から出た乞食《こじき》だよ、とまた酷《ひど》いことを言います。尤《もっと》も裸体《はだか》が渋紙《しぶかみ》に包まれていたんじゃ、氏素性《うじすじょう》あろうとは思わぬはず。
 衣物《きもの》を脱がせた親仁《おやじ》はと、唯《ただ》悔《くや》しく、来た方を眺めると、脊《せ》が小さいから馬の腹を透《す》かして雨上りの松並木、青田《あおだ》の縁《へり》の用水に、白鷺《しらさぎ》の遠く飛ぶまで、畷《なわて》がずっと見渡されて、西日がほんのり紅《あか》いのに、急な大雨で往来《ゆきき》もばったり、その親仁らしい姿も見えぬ。
 余《あまり》の事にしくしく泣き出すと、こりゃ餒《ひもじゅ》うて口も利けぬな、商売品《あきないもの》で銭《ぜに》を噛ませるようじゃけれど、一つ振舞《ふるも》うて遣《や》ろかいと、汚《きたな》い土間に縁台《えんだい》を並べた、狭ッくるしい暗い隅《すみ》の、苔《こけ》の生えた桶《おけ》の中から、豆腐《とうふ》を半挺《はんちょう》、皺手《しわで》に白く積んで、そりゃそりゃと、頬辺《ほっぺた》の処《ところ》へ突出《つきだ》してくれたですが、どうしてこれが食べられますか。
 そのくせ腹は干《ほ》されたように空いていましたが、胸一杯になって、頭《かぶり》を掉《ふ》ると、はて食好《しょくごのみ》をする犬の、と呟《つぶや》いて、ぶくりとまた水へ落して、これゃ、慈悲を享《う》けぬ餓鬼《がき》め、出て失《う》せと、私の胸へ突懸《つッか》けた皺だらけの手の黒さ、顔も漆《うるし》で固めたよう。
 黒婆《くろばば》どの、情《なさけ》ない事せまいと、名もなるほど黒婆というのか、馬士《まご》が中へ割って入《い》ると、貸《かし》を返せ、この人足めと怒鳴《どな》ったです。するとその豆腐の桶のある後《うしろ》が、蜘蛛《くも》の巣だらけの藤棚で、これを地境《じざかい》にして壁も垣《かき》もない隣家《となり》の小家《こいえ》の、炉《ろ》の縁《ふち》に、膝に手を置いて蹲《うずくま》っていた、十《とお》ばかりも年上らしいお媼《ばあ》さん。
 見兼ねたか、縁側《えんがわ》から摺《ず》って下《お》り、ごつごつ転がった石塊《いしころ》を跨《また》いで、藤棚を潜《くぐ》って顔を出したが、柔和《にゅうわ》な面相《おもざし》、色が白い。
 小児衆《こどもしゅう》小児衆、私《わし》が許《とこ》へござれ、と言う。疾《はや》く白媼《しろうば》が家《うち》へ行《ゆ》かっしゃい、借《かり》がなくば、此処《ここ》へ馬を繋ぐではないと、馬士《まご》は腰の胴乱《どうらん》に煙管《きせる》をぐっと突込《つッこ》んだ。
 そこで裸体《はだか》で手を曳《ひ》かれて、土間の隅を抜けて、隣家《となり》へ連込《つれこ》まれる時分には、鳶《とび》が鳴いて、遠くで大勢の人声、祭礼《まつり》の太鼓《たいこ》が聞えました。」
 高坂は打案《うちあん》じ、
「渡場《わたしば》からこちらは、一生私が忘れない処《ところ》なんだね、で今度来る時も、前《さき》の世の旅を二度する気で、松一本、橋一ツも心をつけて見たんだけれども、それらしい家もなく、柳の樹も分らない。それに今じゃ、三里ばかり向うを汽車が素通りにして行《ゆ》くようになったから、人通《ひとどおり》もなし。大方、その馬士《まご》も、老人《としより》も、もうこの世の者じゃあるまいと思う、私は何だかその人たちの、あのまま影を埋《うず》めた、丁《ちょう》どその上を、姉《ねえ》さん。」
 花売《はなうり》は後姿《うしろすがた》のまま引留《ひきと》められたようになって停《とま》った。
「貴女《あなた》と二人で歩行《ある》いているように思うですがね。」
「それからどう遊ばした、まあお話しなさいまし。」
 と静《しずか》に前へ。高坂も徐《おもむ》ろに、
「娘が来て世話をするまで、私《わし》には衣服《きもの》を着せる才覚もない。暑い時節じゃで、何ともなかろが、さぞ餒《ひもじ》かろうで、これでも食わっしゃれって。
 囲炉裡《いろり》の灰の中に、ぶすぶすと燻《くすぶ》っていたのを、抜き出してくれたのは、串《くし》に刺した茄子《なす》の焼いたんで。
 ぶくぶく樺色《かばいろ》に膨《ふく》れて、湯気《ゆげ》が立っていたです。
 生豆腐《なまどうふ》の手掴《てづかみ》に比べては、勿体《もったい》ない御料理と思った。それにくれるのが優《やさ》しげなお婆さん。
 地《つち》が性《しょう》に合うで好《よ》う出来るが、まだこの村でも初物《はつもの》じゃという、それを、空腹《すきばら》へ三つばかり頬張《ほおば》りました。熱い汁《つゆ》が下腹《したばら》へ、たらたらと染《し》みた処《ところ》から、一睡《ひとねむり》して目が覚めると、きやきや痛み出して、やがて吐くやら、瀉《くだ》すやら、尾籠《びろう》なお話だが七顛八倒《しちてんはっとう》。能《よく》も生きていられた事と、今でも思うです。しかし、もうその時は、命の親の、優しい手に抱かれていました。世にも綺麗《きれい》な娘で。
 人心地《ひとごこち》もなく苦しんだ目が、幽《かすか》に開《あ》いた時、初めて見た姿は、艶《つやや》かな黒髪《くろかみ》を、男のような髷《まげ》に結んで、緋縮緬《ひぢりめん》の襦袢《じゅばん》を片肌《かたはだ》脱いでいました。日が経《た》って医王山へ花を採りに、私の手を曳《ひ》いて、楼《たかどの》に朱の欄干《てすり》のある、温泉宿を忍んで裏口から朝月夜《あさづきよ》に、田圃道《たんぼみち》へ出た時は、中形《ちゅうがた》の浴衣《ゆかた》に襦子《しゅす》の帯をしめて、鎌を一挺、手拭《てぬぐい》にくるんでいたです。その間《あいだ》に、白媼《しろうば》の内《うち》を、私を膝に抱いて出た時は、髷《まげ》を唐輪《からわ》のように結《ゆ》って、胸には玉を飾って、丁《ちょう》ど天女《てんにょ》のような扮装《いでたち》をして、車を牛に曳かせたのに乗って、わいわいという群集《ぐんじゅ》の中を、通ったですが、村の者が交《かわ》る交《がわ》る高く傘を※[#「敬/手」、第3水準1-84-92、71-7]掛《さしか》けて練《ね》ったですね。
 村端《むらはずれ》で、寺に休むと、此処《ここ》で支度《したく》を替えて、多勢《おおぜい》が口々《くちぐち》に、御苦労、御苦労というのを聞棄《ききず》てに、娘は、一人の若い者に負《おんぶ》させた私にちょっと頬摺《ほおずり》をして、それから、石高路《いしだかみち》の坂を越して、賑《にぎや》かに二階屋《にかいや》の揃った中の、一番|屋《や》の棟《むね》の高い家へ入ったですが、私は唯《ただ》幽《かすか》に呻吟《うめ》いていたばかり。尤《もっと》も白姥《しろうば》の家に三晩《みばん》寝ました。その内も、娘は外へ出ては帰って来て、膝枕《ひざまくら》をさせて、始終|集《たか》って来る馬蠅《うまばえ》を、払ってくれたのを、現に苦《くるし》みながら覚えています。車に乗った天女に抱かれて、多人数《たにんず》に囲まれて通《かよ》った時、庚申堂《こうしんどう》の傍《わき》に榛《はん》の木で、半《なか》ば姿を秘《かく》して、群集《ぐんじゅ》を放れてすっくと立った、脊《せい》の高い親仁《おやじ》があって、熟《じっ》と私どもを見ていたのが、確《たしか》に衣服を脱がせた奴と見たけれども、小児《こども》はまだ口が利けないほど容体《ようだい》が悪かったんですな。
 私はただその気高《けだか》い艶麗《あでやか》な人を、今でも神か仏かと、思うけれど、後《あと》で考えると、先ずこうだろうと、思われるのは、姥《うば》の娘で、清水谷《しみずだに》の温泉へ、奉公《ほうこう》に出ていたのを、祭に就《つ》いて、村の若い者が借りて来て八ヶ|村《そん》九ヶ|村《そん》をこれ見よと喚《わめ》いて歩行《ある》いたものでしょう。娘はふとすると、湯女《ゆな》などであったかも知れないです。」

       五

「それからその人の部屋とも思われる、綺麗《きれい》な小座敷《こざしき》へ寝かされて、目の覚める時、物の欲しい時、咽《のど》の乾く時、涙の出る時、何時《いつ》もその娘が顔を見せない事はなかったです。
 自分でも、もう、病気が復《なお》ったと思った晩、手を曳いて、てらてら光る長い廊下《ろうか》を、湯殿《ゆどの》へ連れて行って、一所《いっしょ》に透通《すきとお》るような温泉《いでゆ》を浴びて、岩を平《たいら》にした湯槽《ゆぶね》の傍《わき》で、すっかり体を流してから、櫛《くし》を抜いて、私の髪を柔《やわらか》く梳《す》いてくれる二櫛三櫛《ふたくしみくし》、やがてその櫛を湯殿の岩の上から、廊下の灯《あかり》に透《すか》して、気高い横顔で、熟《じっ》と見て、ああ好《い》い事、美しい髪も抜けず、汚《きたな》い虫も付かなかったと言いました。私も気がさして一所《いっしょ》に櫛を瞶《みつ》めたが、自分の膚《はだ》も、人の体も、その時くらい清く、白く美しいのは見た事がない。
 私は新しい着物を着せられ、娘は桃色の扱帯《しごき》のまま、また手を曳いて、今度は裏梯子《うらばしご》から二階へ上《あが》った。その段を昇り切ると、取着《とッつき》に一室《ひとま》、新しく建増《たてま》したと見えて、襖《ふすま》がない、白い床《ゆか》へ、月影が溌《ぱっ》と射した。両側の部屋は皆|陰々《いんいん》と灯《ともし》を置いて、鎮《しずま》り返った夜半《よなか》の事です。
 好《い》い月だこと、まあ、とそのまま手を取って床板を蹈んで出ると、小窓《こまど》が一つ。それにも障子《しょうじ》がないので、二人で覗《のぞ》くと、前の甍《いらか》は露が流れて、銀が溶けて走るよう。
 月は山の端《は》を放れて、半腹《はんぷく》は暗いが、真珠を頂いた峰は水が澄んだか明るいので、山は、と聞くと、医王山だと言いました。
 途端にくゎいと狐が鳴いたから、娘は緊乎《しっか》と私を抱く。その胸に額《ひたい》を当てて、私は我知らず、わっと泣いた。
 怖《こわ》くはないよ、否《いいえ》怖いのではないと言って、母親の病気の次第。
 こういう澄み渡った月に眺めて、その色の赤く輝く花を採って帰りたいと、始《はじめ》てこの人ならばと思って、打明《うちあ》けて言うと、暫《しばら》く黙って瞳《ひとみ》を据《す》えて、私の顔を見ていたが、月夜に色の真紅《しんく》な花――きっと探しましょうと言って、――可《よ》し、可《よ》し、女の念《おもい》で、と後《あと》を言い足したですね。
 翌晩《あくるばん》、夜更《よふ》けて私を起しますから、素《もと》よりこっちも目を開けて待った処《ところ》、直ぐに支度《したく》をして、その時、帯をきりりと〆《し》めた、引掛《ひっかけ》に、先刻《さっき》言いましたね、刃《は》を手拭《てぬぐい》でくるくると巻いた鎌一|挺《ちょう》。
 それから昨夜《ゆうべ》の、その月の射す窓から密《そっ》と出て、瓦屋根《かわらやね》へ下りると、夕顔の葉の搦《から》んだ中へ、梯子《はしご》が隠して掛けてあった。伝《つたわ》って庭へ出て、裏木戸の鍵をがらりと開けて出ると、有明月《ありあけづき》の山の裾《すそ》。
 医王山は手に取るように見えたけれど、これは秘密の山の搦手《からめて》で、其処《そこ》から上《のぼ》る道はないですから、戸室口《とむろぐち》へ廻って、攀《よ》じ上《のぼ》ったものと見えます。さあ、此処《ここ》からが目差《めざ》す御山《おやま》というまでに、辻堂《つじどう》で二晩《ふたばん》寝ました。
 後《あと》はどう来たか、恐《こわ》い姿、凄《すご》い者の路を遮《さえぎ》って顕《あらわ》るる度《たび》に、娘は私を背後《うしろ》に庇《かば》うて、その鎌を差翳《さしかざ》し、矗《すっく》と立つと、鎧《よろ》うた姫神《ひめがみ》のように頼母《たのも》しいにつけ、雲の消えるように路が開けてずんずんと。」
 時に高坂は布を断つが如き音を聞いて、唯《と》見ると、前へ立った、女の姿は、その肩あたりまで草隠《くさがく》れになったが、背後《うしろ》ざまに手を動かすに連《つ》れて、鋭《と》き鎌、磨ける玉の如く、弓形《ゆみなり》に出没して、歩行《ある》き歩行《ある》き掬切《すくいぎり》に、刃形《はがた》が上下《うえした》に動くと共に、丈《たけ》なす茅萱《ちがや》半《なか》ばから、凡《およ》そ一抱《ひとかかえ》ずつ、さっくと切れて、靡《なび》き伏して、隠れた土が歩一歩《ほいっぽ》、飛々《とびとび》に顕《あらわ》れて、五尺三尺一尺ずつ、前途《ゆくて》に渠《かれ》を導くのである。
 高坂は、悚然《ぞっ》として思わず手を挙《あ》げ、かつて婦《おんな》が我に為《な》したる如く伏拝《ふしおが》んで粛然《しゅくぜん》とした。
 その不意に立停《たちどま》ったのを、行悩《ゆきなや》んだと思ったらしい、花売《はなうり》は軽《かろ》く見返り、
「貴方《あなた》、もう些《ちっ》とでございますよ。」
「どうぞ。」といった高坂は今更ながら言葉さえ謹《つつし》んで、
「美女ヶ原に今もその花がありましょうか。」
「どうも身に染《し》むお話。どうぞ早く後《あと》をお聞《きか》せなさいまし、そしてその時、その花はござんしたか。」
「花は全くあったんですが、何時《いつ》もそうやって美女ヶ原へお出《いで》の事だから、御存じはないでしょうか。」
「参りましたら、その姉《ねえ》さんがなすったように、一所《いっしょ》にお探し申しましょう。」
「それでも私は月の出るのを待ちますつもり。その花籠《はなかご》にさえ一杯になったら、貴女《あなた》は日一杯に帰るでしょう。」
「否《いいえ》、いつも一人で往復《ゆきかえり》します時は、馴れて何とも思いませんでございましたけれども、※[#「(來+攵)/心」、第4水準2-12-72、76-2]《なま》じお連《つれ》が出来て見ますと、もう寂《さび》しくって一人では帰られませんから、御一所《ごいっしょ》にお帰りまでお待ち申しましょう。その代《かわり》どうぞ花籠の方はお手伝い下さいましな。」
「そりゃ、いうまでもありません。」
「そしてまあ、どんな処《ところ》にございましたえ。」
「それこそ夢のようだと、いうのだろうと思います。路《みち》すがら、そうやって、影のような障礙《しょうがい》に出遇って、今にも娘が血に染まって、私は取って殺さりょうと、幾度《いくたび》思ったか解《わか》りませんが、黄昏《たそがれ》と思う時、その美女ヶ原というのでしょう。凡《およそ》八|町《ちょう》四方ばかりの間、扇の地紙《じがみ》のような形に、空にも下にも充満《いっぱい》の花です。
 そのまま二人で跪《ひざまず》いて、娘がするように手を合せておりました。月が出ると、余り容易《たやす》い。つい目の前の芍薬《しゃくやく》の花の中に花片《はなびら》の形が変って、真紅《まっか》なのが唯《ただ》一輪。
 採って前髪《まえがみ》に押頂《おしいただ》いた時、私の頭《つむり》を撫《な》でながら、余《あまり》の嬉《うれ》しさ、娘ははらはらと落涙《らくるい》して、もう死ぬまで、この心を忘れてはなりませんと、私の頭《つむり》に挿《さ》させようとしましたけれども、髪は結んでないのですから、そこで娘が、自分の黒髪に挿しました。人の簪《かんざし》の花になっても、月影に色は真紅《しんく》だったです。
 母様《おっかさん》の御大病《ごたいびょう》、一刻も早くと、直《すぐ》に、美女ヶ原を後《あと》にしました
 引返す時は、苦《く》もなく、すらすらと下りられて、早や暁《あかつき》の鶏《とり》の声。
 嬉《うれ》しや人里も近いと思う、月が落ちて明方《あけがた》の闇を、向うから、洶々《どやどや》と四、五人|連《づれ》、松明《たいまつ》を挙《あ》げて近寄った。人可懐《ひとなつかし》くいそいそ寄ると、いずれも屈竟《くっきょう》な荒漢《あらおのこ》で。
 中《うち》に一人、見た事のある顔と、思い出した。黒婆《くろばば》が家に馬を繋いだ馬士《まご》で、その馬士、二人の姿を見ると、遁《に》がすなと突然《いきなり》、私を小脇に引抱《ひっかか》える、残った奴が三人四人で、ええ! という娘を手取足取《てとりあしとり》。
 何処《どこ》をどう、どの方角をどのくらい駈けたかまるで夢中です。
 やがて気が付くと、娘と二人で、大《おおき》な座敷の片隅に、馬士《まご》交《まじ》り七、八人に取巻かれて坐っていました。
 何百年か解《わか》らない古襖《ふるぶすま》の正面、板の間《ま》のような床《ゆか》を背負《しょ》って、大胡坐《おおあぐら》で控えたのは、何と、鳴子《なるこ》の渡《わたし》を仁王立《におうだち》で越した抜群《ばつぐん》なその親仁《おやじ》で。
 恍惚《うっとり》した小児《こども》の顔を見ると、過日《いつか》の四季の花染《はなぞめ》の袷《あわせ》を、ひたりと目の前へ投げて寄越《よこ》して、大口《おおぐち》を開《あ》いて笑った。
 や、二人とも気に入った、坊主《ぼうず》は児《こ》になれ、女はその母《おっか》になれ、そして何時《いつ》までも娑婆《しゃば》へ帰るな、と言ったんです。
 娘は乱髪《みだれがみ》になって、その花を持ったまま、膝に手を置いて、首垂《うなだ》れて黙っていた。その返事を聞く手段であったと見えて、私は二晩、土間の上へ、可恐《おそろし》い高い屋根裏に釣った、駕籠《かご》の中へ入れて釣《つる》されたんです。紙に乗せて、握飯《にぎりめし》を突込《つッこ》んでくれたけれど、それが食べられるもんですか。
 垂《たれ》から透《すか》して、土間へ焚火《たきび》をしたのに雪のような顔を照らされて、娘が縛られていたのを見ましたが、それなり目が眩《くら》んでしまったです。どんと駕籠《かご》が土間に下りた時、中から五、六|疋《ぴき》鼠がちょろちょろと駈出《かけだ》したが、代《かわり》に娘が入って来ました。
 薫《かおり》の高い薬を噛んで口移しに含められて、膝に抱かれたから、一生懸命に緊乎《しっかり》縋《すが》り着くと、背中へ廻った手が空を撫《な》でるようで、娘は空蝉《うつせみ》の殻《から》かと見えて、唯《たっ》た二晩がほどに、糸のように瘠《や》せたです。
 もうお目に懸《かか》られぬ、あの花染《はなぞめ》のお小袖《こそで》は記念《かたみ》に私に下さいまし。しかし義理がありますから、必ずこんな処《ところ》に隠家《かくれが》があると、町へ帰っても言うのではありません、と蒼白い顔して言い聞かす中《うち》に、駕籠《かご》が舁《か》かれて、うとうとと十四、五|町《ちょう》。
 奥様、此処《ここ》まで、と声がして、駕籠が下りると、一人手を取って私を外へ出しました。
 左右《ひだりみぎ》に土下座《どげざ》して、手を支《つ》いていた中に馬士《まご》もいた。一人が背中に私を負《おぶ》うと、娘は駕籠から出て見送ったが、顔に袖《そで》を当てて、長柄《ながえ》にはッと泣伏《なきふ》しました。それッきり。」
 高坂は声も曇って、
「私を負《おぶ》った男は、村を離れ、川を越して、遙《はるか》に鈴見《すずみ》の橋の袂《たもと》に差置《さしお》いて帰りましたが、この男は唖《おうし》と見えて、長い途《みち》に一言も物を言やしません。
 私は死んだ者が蘇生《よみがえ》ったようになって、家《うち》へ帰りましたが、丁度《ちょうど》全三月《まるみつき》経《た》ったです。
 花を枕頭《まくらもと》に差置《さしお》くと、その時も絶え入っていた母は、呼吸《いき》を返して、それから日増《ひまし》に快《よ》くなって、五年経ってから亡くなりました。魔隠《まかくし》に逢った小児《こども》が帰った喜びのために、一旦《いったん》本復《ほんぷく》をしたのだという人もありますが、私は、その娘の取ってくれた薬草の功徳《くどく》だと思うです。
 それにつけても、恩人は、と思う。娘は山賊に捕われた事を、小児心《こどもごころ》にも知っていたけれども、堅《かた》く言付《いいつ》けられて帰ったから、その頃三ヶ国|横行《おうこう》の大賊《たいぞく》が、つい私どもの隣《となり》の家《うち》へ入った時も、何《なんに》も言わないで黙っていました。
 けれども、それから足が附いて、二俣《ふたまた》の奥、戸室《とむろ》の麓《ふもと》、岩で城を築《つ》いた山寺に、兇賊《きょうぞく》籠《こも》ると知れて、まだ邏卒《らそつ》といった時分、捕方《とりかた》が多人数《たにんず》、隠家《かくれが》を取巻いた時、表門の真只中《まっただなか》へ、その親仁《おやじ》だと言います、六尺一つの丸裸体《まるはだか》、脚絆《きゃはん》を堅く、草鞋《わらじ》を引〆《ひきし》め、背中へ十文字に引背負《ひっしょ》った、四季の花染《はなぞめ》の熨斗目《のしめ》の紋着《もんつき》、振袖《ふりそで》が颯《さっ》と山颪《やまおろし》に縺《もつ》れる中に、女の黒髪《くろかみ》がはらはらと零《こぼ》れていた。
 手に一条《ひとすじ》大身《おおみ》の槍《やり》を提《ひっさ》げて、背負《しょ》った女房が死骸でなくば、死人の山を築《きず》くはず、無理に手活《ていけ》の花にした、申訳《もうしわけ》の葬《とむらい》に、医王山の美女ヶ原、花の中に埋《うず》めて帰る。汝《うぬ》ら見送っても命がないぞと、近寄ったのを五、六人、蹴散らして、ぱっと退《ひ》く中を、衝《つ》と抜けると、岩を飛び、岩を飛び、岩を飛んで、やがて槍を杖《つ》いて岩角《いわかど》に隠れて、それなりけりというので、さてはと、それからは私がその娘に出逢う門出《かどで》だった誕生日に、鈴見《すずみ》の橋の上まで来ては、こちらを拝んで帰り帰りしたですが、母が亡《なく》なりました翌年から、東京へ修行に参って、国へ帰ったのは漸《やっ》と昨年。始終望んでいましたこの山へ、後《あと》を尋ねて上《のぼ》る事が、物に取紛《とりまぎ》れている中《うち》に、申訳《もうしわけ》もない飛んだ身勝手な。
 またその薬を頂かねばならないようになったです。以前はそれがために類少《たぐいすくな》い女を一人、犠《いけにえ》にしたくらいですから、今度は自分がどんな辛苦《しんく》も決して厭《いと》わない。いかにもしてその花が欲しいですが。」
 言う中《うち》に胸が迫って、涙を湛《たた》えたためばかりでない。ふと、心付《こころづ》くと消えたように女の姿が見えないのは、草が深くなった所為《せい》であった。
 丈《たけ》より高い茅萱《ちがや》を潜《くぐ》って、肩で掻分《かきわ》け、頭《つむり》で避《よ》けつつ、見えない人に、物言い懸《か》ける術《すべ》もないので、高坂は御経《おきょう》を取って押戴《おしいただ》き、
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山川険谷《さんせんけんこく》  幽邃所生《ゆうすいしょしょう》  卉木薬艸《きぼくやくそう》  大小諸樹《だいしょうしょじゅ》
百穀苗稼《ひゃくこくびょうが》  甘庶葡萄《かんしょぶどう》  雨之所潤《うししょじゅん》  無不豊足《むふぶそく》
乾地普洽《かんちぶごう》  薬木並茂《やくぼくひょうも》  其雲所出《ごうんしょしゅつ》  一味之水《いちみしすい》
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 葎《むぐら》の中に日が射して、経巻《きょうかん》に、蒼く月かと思う草の影が映《うつ》ったが、見つつ進む内に、ちらちらと紅《くれない》来《きた》り、黄《き》来《きた》り、紫《むらさき》去《さ》り、白《しろ》過《す》ぎて、蝶《ちょう》の戯《たわむ》るる風情《ふぜい》して、偈《げ》に斑々《はんはん》と印《いん》したのは、はや咲交《さきまじ》る四季の花。
 忽然《こつねん》として天《てん》開《ひら》け、身は雲に包まれて、妙《たえ》なる薫《かおり》袖《そで》を蔽《おお》い、唯《と》見ると堆《うずたか》き雪の如く、真白《ましろ》き中に紅《くれない》ちらめき、瞶《みつ》むる瞳《ひとみ》に緑|映《えい》じて、颯《さっ》と分れて、一つ一つ、花片《はなびら》となり、葉となって、美女ヶ原の花は高坂の袂《たもと》に匂《にお》ひ、胸に咲いた。
 花売《はなうり》は籠《かご》を下《おろ》して、立休《たちやす》ろうていた。笠を脱いで、襟脚《えりあし》長く玉《たま》を伸《の》べて、瑩沢《つややか》なる黒髪を高く結んだのに、何時《いつ》の間にか一輪の小《ちいさ》な花を簪《かざ》していた、褄《つま》はずれ、袂《たもと》の端、大輪《たいりん》の菊の色白き中に佇《たたず》んで、高坂を待って、莞爾《にっこ》と笑《え》む、美しく気高き面《おも》ざし、威《い》ある瞳に屹《きっ》と射られて、今物語った人とも覚えず、はっと思うと学生は、既に身を忘れ、名を忘れて、唯《ただ》九《ここの》ツばかりの稚児《おさなご》になった思いであった。
「さあ、お話に紛《まぎ》れて遅く来ましたから、もうお月様が見えましょう。それまでにどうぞ手伝って花籠に摘《つ》んで下さいまし。」
 と男を頼るように言われたけれども、高坂はかえって唯々《いい》として、あたかも神に事《つか》うるが如く、左に菊を折り、右に牡丹《ぼたん》を折り、前に桔梗《ききょう》を摘み、後《うしろ》に朝顔を手繰《たぐ》って、再び、鈴見《すずみ》の橋、鳴子《なるこ》の渡《わたし》、畷《なわて》の夕立、黒婆《くろばば》の生豆腐《なまどうふ》、白姥《しろうば》の焼茄子《やきなすび》、牛車《うしぐるま》の天女、湯宿《ゆやど》の月、山路《やまじ》の利鎌《とがま》、賊の住家《すみか》、戸室口《とむろぐち》の別《わかれ》を繰返して語りつつ、やがて一巡した時、花籠は美しく満たされたのである。
 すると籠は、花ながら花の中に埋《う》もれて消えた。
 月影が射したから、伏拝《ふしおが》んで、心を籠《こ》めて、透《す》かし透かし見たけれども、※[#「目+句」、第4水準2-81-91、83-2]《みまわ》したけれども、見遣《みや》ったけれども、ものの薫《かおり》に形あって仄《ほのか》に幻《まぼろし》かと見ゆるばかり、雲も雪も紫も偏《ひとえ》に夜の色に紛《まぎ》るるのみ。
 殆《ほとん》ど絶望して倒れようとした時、思い懸《が》けず見ると、肩を並べて斉《ひと》しく手を合せてすらりと立った、その黒髪の花|唯《ただ》一輪、紅《くれない》なりけり月の光に。
 高坂がその足許《あしもと》に平伏《ひれふ》したのは言うまでもなかった。
 その時肩を落して、美女《たおやめ》が手を取ると、取られて膝をずらして縋着《すがりつ》いて、その帯のあたりに面《おもて》を上げたのを、月を浴びて※[#「くさかんむり/(月+曷)」、第3水準1-91-26、83-9]長《ろうた》けた、優しい顔で熟《じっ》と見て、少し頬《ほお》を傾けると、髪がそちらへはらはらとなるのを、密《そ》と押える手に、簪《かざし》を抜いて、戦《わなな》く医学生の襟《えり》に挟《はさ》んで、恍惚《うっとり》したが、瞳《ひとみ》が動き、
「ああ、お可懐《なつかし》い。思うお方《かた》の御病気はきっとそれで治《なお》ります。」
 あわれ、高坂が緊乎《しっか》と留《と》めた手は徒《いたずら》に茎を掴《つか》んで、袂《たもと》は空に、美女ヶ原は咲満《さきみ》ちたまま、ゆらゆらと前へ出たように覚えて、人の姿は遠くなった。
 立って追おうとすると、岩に牡丹《ぼたん》の咲重《さきかさな》って、白き象《ぞう》の大《おおい》なる頭《かしら》の如き頂《いただき》へ、雲に入《い》るよう衝《つ》と立った時、一度その鮮明《あざやか》な眉《まゆ》が見えたが、月に風なき野となんぬ。
 高坂は※[#「てへん+堂」、第4水準2-13-41、84-3]《どう》と坐した。
 かくて胸なる紅《くれない》の一輪を栞《しおり》に、傍《かたわら》の芍薬《しゃくやく》の花、方《ほう》一尺なるに経《きょう》を据《す》えて、合掌《がっしょう》して、薬王品《やくおうほん》を夜もすがら。



底本:「鏡花短篇集」岩波文庫、岩波書店
   1987(昭和62)年9月16日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第七巻」岩波書店
   1942(昭和17)年7月初版発行
初出:「二六新報」
   1903年(明治36年)5月16-30日
入力:砂場清隆
校正:門田裕志
2001年12月22日公開
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