青空文庫アーカイブ

竜潭譚《りゆうたんだん》
泉鏡花

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)躑躅《つつじ》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)五、六尺|隔《へだ》てたる

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(例)[#ページの左右中央に]
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[#ページの左右中央に]
   躑躅か丘  鎮守の社  かくれあそび  あふ魔が時  大沼
   五位鷺  九ツ谺  渡船  ふるさと  千呪陀羅尼
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     躑 躅《つつじ》 か 丘《おか》

 日は午《ご》なり。あらら木《ぎ》のたらたら坂に樹《き》の蔭もなし。寺の門《もん》、植木屋の庭、花屋の店など、坂下を挟《さしはさ》みて町の入口にはあたれど、のぼるに従ひて、ただ畑《はた》ばかりとなれり。番小屋めきたるもの小だかき処《ところ》に見ゆ。谷には菜《な》の花《はな》残りたり。路《みち》の右左、躑躅《つつじ》の花の紅《くれない》なるが、見渡す方《かた》、見返る方《かた》、いまを盛《さかり》なりき。ありくにつれて汗《あせ》少しいでぬ。
 空よく晴れて一点の雲もなく、風あたたかに野面《のづら》を吹けり。
 一人にては行《ゆ》くことなかれと、優《やさ》しき姉上のいひたりしを、肯《き》かで、しのびて来つ。おもしろきながめかな。山の上の方《かた》より一束《ひとたば》の薪《たきぎ》をかつぎたる漢《おのこ》おり来《きた》れり。眉《まゆ》太く、眼《め》の細きが、向《むこう》ざまに顱巻《はちまき》したる、額《ひたい》のあたり汗になりて、のしのしと近づきつつ、細き道をかたよけてわれを通せしが、ふりかへり、
 「危ないぞ危ないぞ。」
 といひずてに眦《まなじり》に皺《しわ》を寄せてさつさつと行過《ゆきす》ぎぬ。
 見返ればハヤたらたらさがりに、その肩《かた》躑躅《つつじ》の花にかくれて、髪《かみ》結《ゆ》ひたる天窓《あたま》のみ、やがて山蔭《やまかげ》に見えずなりぬ。草がくれの径《こみち》遠く、小川流るる谷間《たにあい》の畦道《あぜみち》を、菅笠《すげがさ》冠《かむ》りたる婦人《おんな》の、跣足《はだし》にて鋤《すき》をば肩にし、小さき女《むすめ》の児《こ》の手をひきて彼方《あなた》にゆく背姿《うしろすがた》ありしが、それも杉の樹立《こだち》に入りたり。
 行《ゆ》く方《かた》も躑躅なり。来《こ》し方《かた》も躑躅なり。山土《やまつち》のいろもあかく見えたる。あまりうつくしさに恐しくなりて、家路に帰らむと思ふ時、わがゐたる一株《ひとかぶ》の躑躅のなかより、羽音《はおと》たかく、虫のつと立ちて頬を掠《かす》めしが、かなたに飛びて、およそ五、六尺|隔《へだ》てたる処《ところ》に礫《つぶて》のありたるそのわきにとどまりぬ。羽をふるふさまも見えたり。手をあげて走りかかれば、ぱつとまた立ちあがりて、おなじ距離五、六尺ばかりのところにとまりたり。そのまま小石を拾ひあげて狙《ねら》ひうちし、石はそれぬ。虫はくるりと一ツまはりて、また旧《もと》のやうにぞをる。追ひかくれば迅《はや》くもまた遁《に》げぬ。遁ぐるが遠くには去らず、いつもおなじほどのあはひを置きてはキラキラとささやかなる羽《は》ばたきして、鷹揚《おうよう》にその二《ふた》すぢの細き髯《ひげ》を上下《うえした》にわづくりておし動かすぞいと憎《にく》さげなりける。
 われは足踏《あしぶみ》して心《こころ》いらてり。そのゐたるあとを踏みにじりて、
 「畜生、畜生。」
 と呟《つぶや》きざま、躍《おど》りかかりてハタと打ちし、拳《こぶし》はいたづらに土によごれぬ。
 渠《かれ》は一足《ひとあし》先なる方《かた》に悠々《ゆうゆう》と羽《は》づくろひす。憎しと思ふ心を籠《こ》めて瞻《みまも》りたれば、虫は動かずなりたり。つくづく見れば羽蟻《はあり》の形して、それよりもやや大《おおい》なる、身はただ五彩《ごさい》の色を帯びて青みがちにかがやきたる、うつくしさいはむ方《かた》なし。
 色彩あり光沢《こうたく》ある虫は毒なりと、姉上の教へたるをふと思ひ出《い》でたれば、打置《うちお》きてすごすごと引返《ひつかえ》せしが、足許《あしもと》にさきの石の二《ふた》ツに砕《くだ》けて落ちたるより俄《にわか》に心動き、拾ひあげて取つて返し、きと毒虫をねらひたり。
 このたびはあやまたず、したたかうつて殺しぬ。嬉《うれ》しく走りつきて石をあはせ、ひたと打《うち》ひしぎて蹴飛《けと》ばしたる、石は躑躅《つつじ》のなかをくぐりて小砂利《こじやり》をさそひ、ばらばらと谷深くおちゆく音しき。
 袂《たもと》のちり打《うち》はらひて空を仰《あお》げば、日脚《ひあし》やや斜《ななめ》になりぬ。ほかほかとかほあつき日向《ひなた》に唇かわきて、眼のふちより頬のあたりむず痒《がゆ》きこと限りなかりき。
 心着《こころづ》けば旧来《もとき》し方《かた》にはあらじと思ふ坂道の異《こと》なる方《かた》にわれはいつかおりかけゐたり。丘ひとつ越えたりけむ、戻る路《みち》はまたさきとおなじのぼりになりぬ。見渡せば、見まはせば、赤土の道幅せまく、うねりうねり果《はて》しなきに、両側つづきの躑躅《つつじ》の花、遠き方《かた》は前後を塞《ふさ》ぎて、日かげあかく咲込《さきこ》めたる空のいろの真蒼《まさお》き下に、彳《たたず》むはわれのみなり。

     鎮 守《ちんじゆ》 の 社《やしろ》

 坂は急ならず長くもあらねど、一つ尽《つく》ればまたあらたに顕《あらわ》る。起伏あたかも大波の如く打続《うちつづ》きて、いつ坦《たん》ならむとも見えざりき。
 あまり倦《う》みたれば、一ツおりてのぼる坂の窪《くぼみ》に踞《つくば》ひし、手のあきたるまま何《なに》ならむ指もて土にかきはじめぬ。さといふ字も出来たり。くといふ字も書きたり。曲りたるもの、直《すぐ》なるもの、心の趣くままに落書《らくがき》したり。しかなせるあひだにも、頬のあたり先刻《さき》に毒虫の触れたらむと覚ゆるが、しきりにかゆければ、袖《そで》もてひまなく擦《こす》りぬ。擦りてはまたもの書きなどせる、なかにむつかしき字のひとつ形よく出来たるを、姉に見せばやと思ふに、俄《にわか》にその顔の見たうぞなりたる。
 立《たち》あがりてゆくてを見れば、左右より小枝を組みてあはひも透《す》かで躑躅《つつじ》咲きたり。日影ひとしほ赤《あこ》うなりまさりたるに、手を見たれば掌《たなそこ》に照りそひぬ。
 一文字にかけのぼりて、唯《と》見ればおなじ躑躅のだらだらおりなり。走りおりて走りのぼりつ。いつまでかかくてあらむ、こたびこそと思ふに違《たが》ひて、道はまた蜿《うね》れる坂なり。踏心地《ふみごこち》柔《やわら》かく小石ひとつあらずなりぬ。
 いまだ家には遠しとみゆるに、忍びがたくも姉の顔なつかしく、しばらくも得《え》堪《た》へずなりたり。
 再びかけのぼり、またかけりおりたる時、われしらず泣きてゐつ。泣きながらひたばしりに走りたれど、なほ家ある処《ところ》に至らず、坂も躑躅も少しもさきに異らずして、日の傾くぞ心細き。肩、背のあたり寒うなりぬ。ゆふ日あざやかにぱつと茜《あかね》さして、眼もあやに躑躅の花、ただ紅《くれない》の雪の降積《ふりつ》めるかと疑はる。
 われは涙の声たかく、あるほど声を絞《しぼ》りて姉をもとめぬ。一《ひと》たび二《ふた》たび三《み》たびして、こたへやすると耳を澄《すま》せば、遥《はるか》に滝の音聞えたり。どうどうと響くなかに、いと高く冴《さ》えたる声の幽《かすか》に、
 「もういいよ、もういいよ。」
 と呼びたる聞えき。こはいとけなき我がなかまの隠れ遊びといふものするあひ図なることを認め得たる、一声《ひとこえ》くりかへすと、ハヤきこえずなりしが、やうやう心たしかにその声したる方《かた》にたどりて、また坂ひとつおりて一つのぼり、こだかき所に立ちて瞰《み》おろせば、あまり雑作《ぞうさ》なしや、堂の瓦屋根《かわらやね》、杉の樹立《こだち》のなかより見えぬ。かくてわれ踏迷《ふみまよ》ひたる紅《くれない》の雪のなかをばのがれつ。背後《うしろ》には躑躅《つつじ》の花飛び飛びに咲きて、青き草まばらに、やがて堂のうらに達せし時は一株《ひとかぶ》も花のあかきはなくて、たそがれの色、境内《けいだい》の手洗水《みたらし》のあたりを籠《こ》めたり。柵《さく》結《ゆ》ひたる井戸ひとつ、銀杏《いちよう》の古《ふ》りたる樹あり、そがうしろに人の家の土塀《どべい》あり。こなたは裏木戸のあき地にて、むかひに小さき稲荷《いなり》の堂あり。石の鳥居《とりい》あり。木の鳥居あり。この木の鳥居の左の柱には割れめありて太き鉄の輪を嵌《は》めたるさへ、心たしかに覚えある、ここよりはハヤ家に近しと思ふに、さきの恐しさは全く忘れ果てつ。ただひとへにゆふ日照りそひたるつつじの花の、わが丈《たけ》よりも高き処《ところ》、前後左右を咲埋《さきうず》めたるあかき色のあかきがなかに、緑と、紅《くれない》と、紫と、青白《せいはく》の光を羽色《はいろ》に帯びたる毒虫のキラキラと飛びたるさまの広き景色のみぞ、画《え》の如く小さき胸にゑがかれける。

     かくれあそび

 さきにわれ泣きいだして救《すくい》を姉にもとめしを、渠《かれ》に認められしぞ幸《さいわい》なる。いふことを肯《き》かで一人いで来《き》しを、弱りて泣きたりと知られむには、さもこそとて笑はれなむ。優《やさ》しき人のなつかしけれど、顔をあはせていひまけむは口惜《くちお》しきに。
 嬉《うれ》しく喜ばしき思ひ胸にみちては、また急に家に帰らむとはおもはず。ひとり境内《けいだい》に彳《たたず》みしに、わツといふ声、笑ふ声、木の蔭、井戸の裏、堂の奥、廻廊の下よりして、五ツより八《や》ツまでなる児《こ》の五、六人|前後《あとさき》に走り出《い》でたり、こはかくれ遊びの一人《いちにん》が見いだされたるものぞとよ。二人三人《ふたりみたり》走り来て、わが其処《そこ》に立てるを見つ。皆|瞳《ひとみ》を集めしが、
 「お遊びな、一所《いつしよ》にお遊びな。」とせまりて勧めぬ。小家《こいえ》あちこち、このあたりに住むは、かたゐといふものなりとぞ。風俗少しく異なれり。児《こ》どもが親たちの家|富《と》みたるも好《よ》き衣《きぬ》着たるはあらず、大抵《たいてい》跣足《はだし》なり。三味線《さみせん》弾《ひ》きて折々《おりおり》わが門《かど》に来《きた》るもの、溝川《みぞかわ》に鰌《どじよう》を捕ふるもの、附木《つけぎ》、草履《ぞうり》など鬻《ひさ》ぎに来るものだちは、皆この児《こ》どもが母なり、父なり、祖母などなり。さるものとはともに遊ぶな、とわが友は常に戒《いまし》めつ。さるに町方《まちかた》の者としいへば、かたゐなる児《こ》ども尊《とうと》び敬ひて、頃刻《しばらく》もともに遊ばんことを希《こいねが》ふや、親しく、優しく勉めてすなれど、不断はこなたより遠ざかりしが、その時は先にあまり淋《さび》しくて、友|欲《ほ》しき念の堪《た》へがたかりしその心のまだ失せざると、恐しかりしあとの楽しきとに、われは拒《こば》まずして頷《うなず》きぬ。
 児《こ》どもはさざめき喜びたりき。さてまたかくれあそびを繰返すとて、拳《けん》してさがすものを定めしに、われその任にあたりたり。面《おもて》を蔽《おお》へといふままにしつ。ひツそとなりて、堂の裏崖《うらがけ》をさかさに落つる滝の音どうどうと松杉《まつすぎ》の梢《こずえ》ゆふ風に鳴り渡る。かすかに、
 「もう可《い》いよ、もう可いよ。」
 と呼ぶ声、谺《こだま》に響けり。眼をあくればあたり静まり返りて、たそがれの色また一際《ひときわ》襲ひ来《きた》れり。大《おおい》なる樹のすくすくとならべるが朦朧《もうろう》としてうすぐらきなかに隠れむとす。
 声したる方《かた》をと思ふ処《ところ》には誰《たれ》もをらず。ここかしこさがしたれど人らしきものあらざりき。
 また旧《もと》の境内《けいだい》の中央に立ちて、もの淋しく瞶《みまわ》しぬ。山の奥にも響くべく凄《すさま》じき音して堂の扉を鎖《とざ》す音しつ、闃《げき》としてものも聞えずなりぬ。
 親しき友にはあらず。常にうとましき児どもなれば、かかる機会《おり》を得てわれをば苦めむとや企《たく》みけむ。身を隠したるまま密《ひそか》に遁《に》げ去りたらむには、探せばとて獲《え》らるべき。益《やく》もなきことをとふと思ひうかぶに、うちすてて踵《くびす》をかへしつ。さるにても万一《もし》わがみいだすを待ちてあらばいつまでも出《い》でくることを得ざるべし、それもまたはかりがたしと、心《こころ》迷《まよ》ひて、とつ、おいつ、徒《いたずら》に立ちて困《こう》ずる折しも、何処《いずく》より来《きた》りしとも見えず、暗うなりたる境内の、うつくしく掃《は》いたる土のひろびろと灰色なせるに際立《きわだ》ちて、顔の色白く、うつくしき人、いつかわが傍《かたわら》にゐて、うつむきざまにわれをば見き。
 極めて丈高《たけたか》き女なりし、その手を懐《ふところ》にして肩を垂れたり。優《やさ》しきこゑにて、
 「こちらへおいで。こちら。」
 といひて前《さき》に立ちて導きたり。見知りたる女《ひと》にあらねど、うつくしき顔の笑《えみ》をば含みたる、よき人と思ひたれば、怪《あや》しまで、隠れたる児《こ》のありかを教ふるとさとりたれば、いそいそと従ひぬ。

     あ ふ 魔《ま》 が 時《とき》

 わが思ふ処《ところ》に違《たが》はず、堂の前を左にめぐりて少しゆきたる突《つき》あたりに小さき稲荷《いなり》の社《やしろ》あり。青き旗、白き旗、二、三本その前に立ちて、うしろはただちに山の裾《すそ》なる雑樹《ぞうき》斜めに生《お》ひて、社の上を蔽《おお》ひたる、その下のをぐらき処《ところ》、孔《あな》の如き空地《くうち》なるをソとめくばせしき。瞳《ひとみ》は水のしたたるばかり斜《ななめ》にわが顔を見て動けるほどに、あきらかにその心ぞ読まれたる。
 さればいささかもためらはで、つかつかと社《やしろ》の裏をのぞき込む、鼻うつばかり冷たき風あり。落葉、朽葉《くちば》堆《うずたか》く水くさき土のにほひしたるのみ、人の気勢《けはい》もせで、頸《えり》もとの冷《ひやや》かなるに、と胸をつきて見返りたる、またたくまと思ふ彼《か》の女《ひと》はハヤ見えざりき。何方《いずかた》にか去りけむ、暗くなりたり。
 身の毛よだちて、思はず※[#「※」は「口+阿」、第4水準2-4-5、16-7]呀《あなや》と叫びぬ。
 人顔《ひとがお》のさだかならぬ時、暗き隅《すみ》に行《ゆ》くべからず、たそがれの片隅には、怪しきものゐて人を惑《まど》はすと、姉上の教へしことあり。
 われは茫然《ぼうぜん》として眼《まなこ》を※[#「※」は「目+爭」、第3水準、1-88-85、16-10]《みは》りぬ。足ふるひたれば動きもならず、固くなりて立ちすくみたる、左手《ゆんで》に坂あり。穴の如く、その底よりは風の吹き出《い》づると思ふ黒《こく》闇々《あんあん》たる坂下より、ものののぼるやうなれば、ここにあらば捕へられむと恐しく、とかうの思慮もなさで社《やしろ》の裏の狭きなかににげ入りつ。眼を塞《ふさ》ぎ、呼吸《いき》をころしてひそみたるに、四足《よつあし》のものの歩むけはひして、社の前を横ぎりたり。
 われは人心地《ひとごこち》もあらで見られじとのみひたすら手足を縮めつ。さるにてもさきの女《ひと》のうつくしかりし顔、優《やさし》かりし眼を忘れず。ここをわれに教へしを、今にして思へばかくれたる児《こ》どものありかにあらで、何らか恐しきもののわれを捕へむとするを、ここに潜《ひそ》め、助かるべしとて、導きしにはあらずやなど、はかなきことを考へぬ。しばらくして小提灯《こぢようちん》の火影《ほかげ》あかきが坂下より急ぎのぼりて彼方《かなた》に走るを見つ。ほどなく引返《ひつかえ》してわがひそみたる社《やしろ》の前に近づきし時は、一人ならず二人三人《ふたりみたり》連立《つれだ》ちて来《きた》りし感あり。
 あたかもその立留《たちどま》りし折から、別なる跫音《あしおと》、また坂をのぼりてさきのものと落合《おちあ》ひたり。
 「おいおい分らないか。」
 「ふしぎだな、なんでもこの辺で見たといふものがあるんだが。」
 とあとよりいひたるはわが家《いえ》につかひたる下男の声に似たるに、あはや出《い》でむとせしが、恐しきものの然《さ》はたばかりて、おびき出《いだ》すにやあらむと恐しさは一《ひと》しほ増しぬ。
 「もう一度念のためだ、田圃《たんぼ》の方でも廻つて見よう、お前も頼む。」
 「それでは。」といひて上下《うえした》にばらばらと分れて行《ゆ》く。
 再び寂《せき》としたれば、ソと身うごきして、足をのべ、板めに手をかけて眼ばかりと思ふ顔少し差出《さしい》だして、外《と》の方《かた》をうかがふに、何ごともあらざりければ、やや落着《おちつ》きたり。怪《あや》しきものども、何とてやはわれをみいだし得む、愚《おろか》なる、と冷《ひやや》かに笑ひしに、思ひがけず、誰《たれ》ならむたまぎる声して、あわてふためき遁《に》ぐるがありき。驚きてまたひそみぬ。
 「ちさとや、ちさとや。」と坂下あたり、かなしげにわれを呼ぶは、姉上の声なりき。

     大  沼《おおぬま》

 「ゐないツて私《わたし》あどうしよう、爺《じい》や。」
 「根ツからゐさつしやらぬことはござりますまいが、日は暮れまする。何せい、御心配なこんでござります。お前様《まえさま》遊びに出します時、帯の結《むすび》めを丁《とん》とたたいてやらつしやれば好《よ》いに。」
 「ああ、いつもはさうして出してやるのだけれど、けふはお前私にかくれてそツと出て行つたろうではないかねえ。」
 「それはハヤ不念《ぶねん》なこんだ。帯の結《むすび》めさへ叩《たた》いときや、何がそれで姉様なり、母様《おふくろさま》なりの魂《たましい》が入るもんだで魔《エテ》めはどうすることもしえないでごす。」
 「さうねえ。」とものかなしげに語らひつつ、社《やしろ》の前をよこぎりたまへり。
 走りいでしが、あまりおそかりき。
 いかなればわれ姉上をまで怪《あやし》みたる。
 悔《く》ゆれど及ばず、かなたなる境内《けいだい》の鳥居のあたりまで追ひかけたれど、早やその姿は見えざりき。
 涙ぐみて彳《たたず》む時、ふと見る銀杏《いちよう》の木のくらき夜の空に、大《おおい》なる円《まる》き影して茂れる下に、女の後姿《うしろすがた》ありてわが眼《まなこ》を遮《さえぎ》りたり。
 あまりよく似たれば、姉上と呼ばむとせしが、よしなきものに声かけて、なまじひにわが此処《ここ》にあるを知られむは、拙《つたな》きわざなればと思ひてやみぬ。
 とばかりありて、その姿またかくれ去りつ。見えずなればなほなつかしく、たとへ恐しきものなればとて、かりにもわが優《やさ》しき姉上の姿に化《け》したる上は、われを捕へてむごからむや。さきなるはさもなくて、いま幻に見えたるがまことその人なりけむもわかざるを、何とて言《ことば》はかけざりしと、打泣《うちな》きしが、かひもあらず。
 あはれさまざまのものの怪《あや》しきは、すべてわが眼《まなこ》のいかにかせし作用なるべし、さらずば涙にくもりしや、術《すべ》こそありけれ、かなたなる御手洗《みたらし》にて清めてみばやと寄りぬ。
 煤《すす》けたる行燈《あんどう》の横長きが一つ上にかかりて、ほととぎすの画《え》と句など書いたり。灯《ひ》をともしたるに、水はよく澄《す》みて、青き苔《こけ》むしたる石鉢《いしばち》の底もあきらかなり。手に掬《むす》ばむとしてうつむく時、思ひかけず見たるわが顔はそもそもいかなるものぞ。覚えず叫びしが心を籠《こ》めて、気を鎮《しず》めて、両の眼《まなこ》を拭《ぬぐ》ひ拭ひ、水に臨《のぞ》む。
 われにもあらでまたとは見るに忍びぬを、いかでわれかかるべき、必ず心の迷へるならむ、今こそ、今こそとわななきながら見直したる、肩をとらへて声ふるはし、
 「お、お、千里《ちさと》。ええも、お前は。」と姉上ののたまふに、縋《すが》りつかまくみかへりたる、わが顔を見たまひしが、
 「あれ!」
 といひて一足すさりて、
 「違つてたよ、坊や。」とのみいひずてに衝《つ》と馳《は》せ去りたまへり。
 怪《あや》しき神のさまざまのことしてなぶるわと、あまりのことに腹立たしく、あしずりして泣きに泣きつつ、ひたばしりに追いかけぬ。捕へて何をかなさむとせし、そはわれ知らず。ひたすらものの口惜《くちお》しければ、とにかくもならばとてなむ。
 坂もおりたり、のぼりたり、大路《おおみち》と覚しき町にも出《い》でたり、暗き径《こみち》も辿《たど》りたり、野もよこぎりぬ。畦《あぜ》も越えぬ。あとをも見ずて駈けたりし。
 道いかばかりなりけむ、漫々たる水面やみのなかに銀河の如く横《よこた》はりて、黒き、恐しき森四方をかこめる、大沼《おおぬま》とも覚しきが、前途《ゆくて》を塞《ふさ》ぐと覚ゆる蘆《あし》の葉の繁きがなかにわが身体《からだ》倒れたる、あとは知らず。

     五 位 鷺《ごいさぎ》

 眼のふち清々《すがすが》しく、涼しき薫《かおり》つよく薫ると心着《こころづ》く、身は柔《やわら》かき蒲団《ふとん》の上に臥したり。やや枕をもたげて見る、竹縁《ちくえん》の障子《しようじ》あけ放《はな》して、庭つづきに向ひなる山懐《やまふところ》に、緑の草の、ぬれ色青く生茂《おいしげ》りつ。その半腹《はんぷく》にかかりある厳角《いわかど》の苔《こけ》のなめらかなるに、一挺《いつちよう》はだか蝋《ろう》に灯《ひ》ともしたる灯影《ほかげ》すずしく、筧《かけい》の水むくむくと湧《わ》きて玉《たま》ちるあたりに盥《たらい》を据ゑて、うつくしく髪《かみ》結《ゆ》うたる女《ひと》の、身に一糸もかけで、むかうざまにひたりてゐたり。
 筧《かけい》の水はそのたらひに落ちて、溢《あふ》れにあふれて、地の窪《くぼ》みに流るる音しつ。
 蝋《ろう》の灯《ひ》は吹くとなき山おろしにあかくなり、くらうなりて、ちらちらと眼に映ずる雪なす膚《はだえ》白かりき。
 わが寝返《ねがえ》る音に、ふとこなたを見返り、それと頷《うなず》く状《さま》にて、片手をふちにかけつつ片足を立てて盥《たらい》のそとにいだせる時、颯《さ》と音して、烏《からす》よりは小さき鳥の真白《ましろ》きがひらひらと舞ひおりて、うつくしき人の脛《はぎ》のあたりをかすめつ。そのままおそれげもなう翼を休めたるに、ざぶりと水をあびせざま莞爾《につこ》とあでやかに笑うてたちぬ。手早く衣《きぬ》もてその胸をば蔽《おお》へり。鳥はおどろきてはたはたと飛去《とびさ》りぬ。
 夜の色は極めてくらし、蝋《ろう》を取りたるうつくしき人の姿さやかに、庭下駄《にわげた》重く引く音しつ。ゆるやかに縁《えん》の端に腰をおろすとともに、手をつきそらして捩向《ねじむ》きざま、わがかほをば見つ。
 「気分は癒《なお》つたかい、坊や。」
 といひて頭《こうべ》を傾けぬ。ちかまさりせる面《おもて》けだかく、眉あざやかに、瞳《ひとみ》すずしく、鼻やや高く、唇の紅《くれない》なる、額《ひたい》つき頬のあたり※[#「※」は「くさかんむり+月+曷」、第3水準1-91-26、22-11]《ろう》たけたり。こは予《かね》てわがよしと思ひ詰《つめ》たる雛《ひな》のおもかげによく似たれば貴《とうと》き人ぞと見き。年は姉上よりたけたまへり。知人《しりびと》にはあらざれど、はじめて逢ひし方《かた》とは思はず、さりや、誰《たれ》にかあるらむとつくづくみまもりぬ。
 またほほゑみたまひて、
 「お前あれは斑猫《はんみよう》といつて大変な毒虫なの。もう可《い》いね、まるでかはつたやうにうつくしくなつた、あれでは姉様《ねえさん》が見違へるのも無理はないのだもの。」
 われもさあらむと思はざりしにもあらざりき。いまはたしかにそれよと疑はずなりて、のたまふままに頷《うなず》きつ。あたりのめづらしければ起きむとする夜着《よぎ》の肩、ながく柔《やわら》かにおさへたまへり。
 「ぢつとしておいで、あんばいがわるいのだから、落着《おちつ》いて、ね、気をしづめるのだよ、可《い》いかい。」
 われはさからはで、ただ眼《め》をもて答へぬ。
 「どれ。」といひて立つたる折、のしのしと道芝《みちしば》を踏む音して、つづれをまとうたる老夫《おやじ》の、顔の色いと赤きが縁《えん》近《ちこ》う入《はい》り来つ。
 「はい、これはお児《こ》さまがござらつせえたの、可愛《かわい》いお児じや、お前様も嬉《うれ》しかろ。ははは、どりや、またいつものを頂きましよか。」
 腰をななめにうつむきて、ひつたりとかの筧《かけい》に顔をあて、口をおしつけてごつごつごつとたてつづけにのみたるが、ふツといきを吹きて空を仰《あお》ぎぬ。
 「やれやれ甘いことかな。はい、参ります。」
 と踵《くびす》を返すを、こなたより呼びたまひぬ。
 「ぢいや、御苦労だが。また来ておくれ、この児《こ》を返さねばならぬから。」
 「あいあい。」
 と答へて去る。山風《やまかぜ》颯《さつ》とおろして、彼《か》の白き鳥また翔《た》ちおりつ。黒き盥《たらい》のふちに乗りて羽《は》づくろひして静まりぬ。
 「もう、風邪を引かないやうに寝させてあげよう、どれそんなら私も。」とて静《しずか》に雨戸をひきたまひき。

     九《ここの》 ツ 谺《こだま》

 やがて添臥《そいぶし》したまひし、さきに水を浴びたまひし故《ゆえ》にや、わが膚《はだ》をりをり慄然《りつぜん》たりしが何の心もなうひしと取縋《とりすが》りまゐらせぬ。あとをあとをといふに、をさな物語|二《ふた》ツ三《み》ツ聞かせ給《たま》ひつ。やがて、
 「一《ひと》ツ谺《こだま》、坊や、二《ふた》ツ谺《こだま》といへるかい。」
 「二ツ谺。」
 「三《み》ツ谺《こだま》、四《よ》ツ谺《こだま》といつて御覧。」
 「四ツ谺。」
 「五《いつ》ツ谺《こだま》。そのあとは。」
 「六《む》ツ谺《こだま》。」
 「さうさう七《なな》ツ谺《こだま》。」
 「八《や》ツ谺《こだま》。」
 「九《ここの》ツ谺《こだま》――ここはね、九《ここの》ツ谺《こだま》といふ処《ところ》なの。さあもうおとなにして寝るんです。」
 背に手をかけ引寄《ひきよ》せて、玉《たま》の如きその乳房《ちぶさ》をふくませたまひぬ。露《あらわ》に白き襟《えり》、肩のあたり鬢《びん》のおくれ毛はらはらとぞみだれたる、かかるさまは、わが姉上とは太《いた》く違へり。乳《ちち》をのまむといふを姉上は許したまはず。
 ふところをかいさぐれば常に叱《しか》りたまふなり。母上みまかりたまひてよりこのかた三年《みとせ》を経《へ》つ。乳《ち》の味は忘れざりしかど、いまふくめられたるはそれには似ざりき。垂玉《すいぎよく》の乳房《ちぶさ》ただ淡雪《あわゆき》の如く含むと舌にきえて触るるものなく、すずしき唾《つば》のみぞあふれいでたる。
 軽く背《せな》をさすられて、われ現《うつつ》になる時、屋《や》の棟《むね》、天井の上と覚《おぼ》し、凄《すさ》まじき音してしばらくは鳴りも止《や》まず。ここにつむじ風吹くと柱《はしら》動く恐しさに、わななき取《とり》つくを抱《だ》きしめつつ、
 「あれ、お客があるんだから、もう今夜は堪忍《かんにん》しておくれよ、いけません。」
 とキとのたまへば、やがてぞ静まりける。
 「恐《こわ》くはないよ。鼠《ねずみ》だもの。」
 とある、さりげなきも、われはなほその響《ひびき》のうちにものの叫びたる声せしが耳に残りてふるへたり。
 うつくしき人はなかばのりいでたまひて、とある蒔絵《まきえ》ものの手箱のなかより、一口《ひとふり》の守刀《まもりがたな》を取出《とりだ》しつつ鞘《さや》ながら引《ひき》そばめ、雄々《おお》しき声にて、
 「何が来てももう恐くはない。安心してお寝よ。」とのたまふ、たのもしき状《さま》よと思ひてひたとその胸にわが顔をつけたるが、ふと眼をさましぬ。残燈《ありあけ》暗く床柱《とこばしら》の黒うつややかにひかるあたり薄き紫の色《いろ》籠《こ》めて、香《こう》の薫《かおり》残りたり。枕をはづして顔をあげつ。顔に顔をもたせてゆるく閉《とじ》たまひたる眼《め》の睫毛《まつげ》かぞふるばかり、すやすやと寝入りてゐたまひぬ。ものいはむとおもふ心おくれて、しばし瞻《みまも》りしが、淋《さび》しさにたへねばひそかにその唇に指さきをふれて見ぬ。指はそれて唇には届かでなむ、あまりよくねむりたまへり。鼻をやつままむ眼をやおさむとまたつくづくと打《うち》まもりぬ。ふとその鼻頭《はなさき》をねらひて手をふれしに空《くう》を捻《ひね》りて、うつくしき人は雛《ひな》の如く顔の筋《すじ》ひとつゆるみもせざりき。またその眼のふちをおしたれど水晶のなかなるものの形を取らむとするやう、わが顔はそのおくれげのはしに頬をなでらるるまで近々《ちかぢか》とありながら、いかにしても指さきはその顔に届かざるに、はては心いれて、乳《ち》の下に面《おもて》をふせて、強く額《ひたい》もて圧《お》したるに、顔にはただあたたかき霞《かすみ》のまとふとばかり、のどかにふはふはとさはりしが、薄葉《うすよう》一重《ひとえ》の支《ささ》ふるなく着けたる額《ひたい》はつと下に落ち沈むを、心着《こころづ》けば、うつくしき人の胸は、もとの如く傍《かたわら》にあをむきゐて、わが鼻は、いたづらにおのが膚《はだ》にぬくまりたる、柔《やわらか》き蒲団《ふとん》に埋《うも》れて、をかし。

     渡  船《わたしぶね》

 夢幻《ゆめまぼろし》ともわかぬに、心をしづめ、眼をさだめて見たる、片手はわれに枕させたまひし元のまま柔《やわら》かに力なげに蒲団《ふとん》のうへに垂れたまへり。
 片手をば胸にあてて、いと白くたをやかなる五指《ごし》をひらきて黄金《おうごん》の目貫《めぬき》キラキラとうつくしき鞘《さや》の塗《ぬり》の輝きたる小さき守刀《まもりがたな》をしかと持つともなく乳《ち》のあたりに落して据《す》ゑたる、鼻たかき顔のあをむきたる、唇のものいふ如き、閉ぢたる眼《め》のほほ笑む如き、髪のさらさらしたる、枕にみだれかかりたる、それも違《たが》はぬに、胸に剣《つるぎ》をさへのせたまひたれば、亡《な》き母上のその時のさまに紛《まが》ふべくも見えずなむ、コハこの君《きみ》もみまかりしよとおもふいまはしさに、はや取除《とりの》けなむと、胸なるその守刀《まもりがたな》に手をかけて、つと引く、せつぱゆるみて、青き光|眼《まなこ》を射《い》たるほどこそあれ、いかなるはずみにか血汐《ちしお》さとほとばしりぬ。眼もくれたり。したしたとながれにじむをあなやと両の拳《こぶし》もてしかとおさへたれど、留《とど》まらで、たふたふと音するばかりぞ淋漓《りんり》としてながれつたへる、血汐《ちしお》のくれなゐ衣《きぬ》をそめつ。うつくしき人は寂《せき》として石像の如く静《しずか》なる鳩尾《みずおち》のしたよりしてやがて半身をひたし尽《つく》しぬ。おさへたるわが手には血の色つかぬに、燈《ともしび》にすかす指のなかの紅《くれない》なるは、人の血の染《そ》みたる色にはあらず、訝《いぶか》しく撫《な》で試《こころ》むる掌《たなそこ》のその血汐にはぬれもこそせね、こころづきて見定むれば、かいやりし夜のものあらはになりて、すずしの絹をすきて見ゆるその膚《はだ》にまとひたまひし紅《くれない》の色なりける。いまはわれにもあらで声高《こわだか》に、母上、母上と呼びたれど、叫びたれど、ゆり動かし、おしうごかししたりしが、効《かい》なくてなむ、ひた泣きに泣く泣くいつのまにか寝たりと覚《おぼ》し。顔あたたかに胸をおさるる心地《ここち》に眼覚めぬ。空青く晴れて日影まばゆく、木も草もてらてらと暑きほどなり。
 われはハヤゆうべ見し顔のあかき老夫《おじ》の背《せな》に負はれて、とある山路《やまじ》を行《ゆ》くなりけり。うしろよりは彼《か》のうつくしき人したがひ来ましぬ。
 さてはあつらへたまひし如く家に送りたまふならむと推《おし》はかるのみ、わが胸の中《うち》はすべて見すかすばかり知りたまふやうなれば、わかれの惜《お》しきも、ことのいぶかしきも、取出《とりい》でていはむは益《やく》なし。教ふべきことならむには、彼方《かなた》より先んじてうちいでこそしたまふべけれ。
 家に帰るべきわが運《うん》ならば、強ひて止《とど》まらむと乞《こ》ひたりとて何かせん、さるべきいはれあればこそ、と大人《おとな》しう、ものもいはでぞ行《ゆ》く。
 断崖の左右に聳《そび》えて、点滴《てんてき》声《こえ》する処《ところ》ありき。雑草《ざつそう》高き径《こみち》ありき。松柏《まつかしわ》のなかを行《ゆ》く処《ところ》もありき。きき知らぬ鳥うたへり。褐色なる獣《けもの》ありて、をりをり叢《くさむら》に躍《おど》り入りたり。ふみわくる道とにもあらざりしかど、去年《こぞ》の落葉《おちば》道を埋《うず》みて、人多く通《かよ》ふ所としも見えざりき。
 をぢは一挺《いつちよう》の斧《おの》を腰にしたり。れいによりてのしのしとあゆみながら、茨《いばら》など生《お》ひしげりて、衣《きぬ》の袖《そで》をさへぎるにあへば、すかすかと切つて払ひて、うつくしき人を通し参らす。されば山路のなやみなく、高き塗下駄《ぬりげた》の見えがくれに長き裾《すそ》さばきながら来たまひつ。
 かくて大沼《おおぬま》の岸に臨みたり。水は漫々として藍《らん》を湛《たた》へ、まばゆき日のかげも此処《ここ》の森にはささで、水面をわたる風寒く、颯々《さつさつ》として声あり。をぢはここに来てソとわれをおろしつ。はしり寄れば手を取りて立ちながら肩を抱《いだ》きたまふ、衣《きぬ》の袖《そで》左右より長くわが肩にかかりぬ。
 蘆間《あしま》の小舟《おぶね》の纜《ともづな》を解きて、老夫《おじ》はわれをかかへて乗せたり。一緒《いつしよ》ならではと、しばしむづかりたれど、めまひのすればとて乗りたまはず、さらばとのたまふはしに棹《さお》を立てぬ。船は出《い》でつ。わツと泣きて立上《たちあが》りしがよろめきてしりゐに倒れぬ。舟といふものにははじめて乗りたり。水を切るごとに眼くるめくや、背後《うしろ》にゐたまへりとおもふ人の大《おおい》なる環《わ》にまはりて前途《ゆくて》なる汀《みぎわ》にゐたまひき。いかにして渡し越したまひつらむと思ふときハヤ左手《ゆんで》なる汀《みぎわ》に見えき。見る見る右手《めて》なる汀《みぎわ》にまはりて、やがて旧《もと》のうしろに立ちたまひつ。箕《み》の形したる大《おおい》なる沼は、汀《みぎわ》の蘆《あし》と、松の木と、建札《たてふだ》と、その傍《かたわら》なるうつくしき人ともろともに緩《ゆる》き環《わ》を描いて廻転し、はじめは徐《おもむ》ろにまはりしが、あとあと急になり、疾《はや》くなりつ、くるくるくると次第にこまかくまはるまはる、わが顔と一尺ばかりへだたりたる、まぢかき処《ところ》に松の木にすがりて見えたまへる、とばかりありて眼の前《さき》にうつくしき顔の※[#「※」は「くさかんむり+月+曷」、第3水準1-91-26、30-13]《ろう》たけたるが莞爾《につこ》とあでやかに笑《え》みたまひしが、そののちは見えざりき。蘆は繁《しげ》く丈《たけ》よりも高き汀《みぎわ》に、船はとんとつきあたりぬ。

     ふ る さ と

 をぢはわれを扶《たす》けて船より出《い》だしつ。またその背《せな》を向けたり。
 「泣くでねえ泣くでねえ。もうぢきに坊ツさまの家《うち》ぢや。」と慰めぬ。かなしさはそれにはあらねど、いふもかひなくてただ泣きたりしが、しだいに身のつかれを感じて、手も足も綿の如くうちかけらるるやう肩に負はれて、顔を垂れてぞともなはれし。見覚えある板塀《いたべい》のあたりに来て、日のややくれかかる時、老夫《おじ》はわれを抱《いだ》き下《おろ》して、溝のふちに立たせ、ほくほく打《うち》ゑみつゝ、慇懃《いんぎん》に会釈《えしやく》したり。
 「おとなにしさつしやりませ。はい。」
 といひずてに何地《いずち》ゆくらむ。別れはそれにも惜《お》しかりしが、あと追ふべき力もなくて見おくり果てつ。指す方《かた》もあらでありくともなく歩《ほ》をうつすに、頭《かしら》ふらふらと足の重《おも》たくて行悩《ゆきなや》む、前に行《ゆ》くも、後ろに帰るも皆|見知越《みしりごし》のものなれど、誰《たれ》も取りあはむとはせで往《ゆ》きつ来《きた》りつす。さるにてもなほものありげにわが顔をみつつ行《ゆ》くが、冷《ひやや》かに嘲《あざけ》るが如く憎《にく》さげなるぞ腹立《はらだた》しき。おもしろからぬ町ぞとばかり、足はわれ知らず向直《むきなお》りて、とぼとぼとまた山ある方《かた》にあるき出《いだ》しぬ。
 けたたましき跫音《あしおと》して鷲掴《わしづかみ》に襟《えり》を掴《つか》むものあり。あなやと振返《ふりかえ》ればわが家《いえ》の後見《うしろみ》せる奈四郎《なしろう》といへる力《ちから》逞《たく》ましき叔父の、凄《すさ》まじき気色《けしき》して、
 「つままれめ、何処《どこ》をほツつく。」と喚《わめ》きざま、引立《ひつた》てたり。また庭に引出《ひきいだ》して水をやあびせられむかと、泣叫《なきさけ》びてふりもぎるに、おさへたる手をゆるべず、
 「しつかりしろ。やい。」
 とめくるめくばかり背を拍《う》ちて宙につるしながら、走りて家に帰りつ。立騒《たちさわ》ぐ召《めし》つかひどもを叱《しか》りつも細引《ほそびき》を持て来さして、しかと両手をゆはへあへず奥まりたる三畳の暗き一室《ひとま》に引立《ひつた》てゆきてそのまま柱に縛《いまし》めたり。近く寄れ、喰《くい》さきなむと思ふのみ、歯がみして睨《にら》まへたる、眼《め》の色こそ怪《あや》しくなりたれ、逆《さか》つりたる眦《まなじり》は憑《つ》きもののわざよとて、寄りたかりて口々にののしるぞ無念なりける。
 おもての方《かた》さざめきて、何処《いずく》にか行《ゆ》きをれる姉上帰りましつと覚《おぼ》し、襖《ふすま》いくつかぱたぱたと音してハヤここに来たまひつ。叔父は室《しつ》の外にさへぎり迎へて、
 「ま、やつと取返《とりかえ》したが、縄を解いてはならんぞ。もう眼が血走つてゐて、すきがあると駈け出すぢや。魔《エテ》どのがそれしよびくでの。」
 と戒《いまし》めたり。いふことよくわが心を得たるよ、しかり、隙《ひま》だにあらむにはいかでかここにとどまるべき。
 「あ。」とばかりにいらへて姉上はまろび入りて、ひしと取着《とりつ》きたまひぬ。ものはいはでさめざめとぞ泣きたまへる、おん情《なさけ》手《て》にこもりて抱《いだ》かれたるわが胸|絞《しぼ》らるるやうなりき。
 姉上の膝に臥《ふ》したるあひだに、医師|来《きた》りてわが脈をうかがひなどしつ。叔父は医師とともに彼方《あなた》に去りぬ。
 「ちさや、どうぞ気をたしかにもつておくれ。もう姉様《ねえさん》はどうしようね。お前、私だよ。姉さんだよ。ね、わかるだらう、私だよ。」
 といきつくづくぢつとわが顔をみまもりたまふ、涙痕《るいこん》したたるばかりなり。
 その心の安んずるやう、強《し》ひて顔つくりてニツコと笑うて見せぬ。
 「おお、薄気味《うすきみ》が悪いねえ。」
 と傍《かたわら》にありたる奈四郎《なしろう》の妻なる人|呟《つぶや》きて身ぶるひしき。
 やがてまた人々われを取巻《とりま》きてありしことども責むるが如くに問ひぬ。くはしく語りて疑《うたがい》を解かむとおもふに、をさなき口の順序正しく語るを得むや、根問《ねど》ひ、葉問《はど》ひするに一々《いちいち》説明《ときあ》かさむに、しかもわれあまりに疲れたり。うつつ心に何をかいひたる。
 やうやくいましめはゆるされたれど、なほ心の狂ひたるものとしてわれをあしらひぬ。いふこと信ぜられず、すること皆《みな》人の疑《うたがい》を増すをいかにせむ。ひしと取籠《とりこ》めて庭にも出《いだ》さで日を過しぬ。血色わるくなりて痩《や》せもしつとて、姉上のきづかひたまひ、後見《うしろみ》の叔父夫婦にはいとせめて秘《かく》しつつ、そとゆふぐれを忍びて、おもての景色見せたまひしに、門辺《かどべ》にありたる多くの児《こ》ども我が姿を見ると、一斉《いつせい》に、アレさらはれものの、気狂《きちがい》の、狐つきを見よやといふいふ、砂利《じやり》、小砂利《こじやり》をつかみて投げつくるは不断《ふだん》親しかりし朋達《ともだち》なり。
 姉上は袖《そで》もてわれを庇《かば》ひながら顔を赤うして遁《に》げ入りたまひつ。人目なき処《ところ》にわれを引据《ひきす》ゑつと見るまに取つて伏《ふ》せて、打ちたまひぬ。
 悲しくなりて泣出《なきだ》せしに、あわただしく背《せな》をばさすりて、
 「堪忍《かんにん》しておくれよ、よ、こんなかはいさうなものを。」
 といひかけて、
 「私《わたし》あもう気でも違ひたいよ。」としみじみと掻口説《かきくど》きたまひたり。いつのわれにはかはらじを、何とてさはあやまるや、世にただ一人なつかしき姉上までわが顔を見るごとに、気を確《たしか》に、心を鎮《しず》めよ、と涙ながらいはるるにぞ、さてはいかにしてか、心の狂ひしにはあらずやとわれとわが身を危《あや》ぶむやうそのたびになりまさりて、果《はて》はまことにものくるはしくもなりもてゆくなる。
 たとへば怪《あや》しき糸の十重二十重《とえはたえ》にわが身をまとふ心地《ここち》しつ。しだいしだいに暗きなかに奥深くおちいりてゆく思《おもい》あり。それをば刈払《かりはら》ひ、遁出《のがれい》でむとするにその術《すべ》なく、すること、なすこと、人見て必ず、眉《まゆ》を顰《ひそ》め、嘲《あざけ》り、笑ひ、卑《いやし》め、罵《ののし》り、はた悲《かなし》み憂《うれ》ひなどするにぞ、気あがり、心《こころ》激《げき》し、ただじれにじれて、すべてのもの皆われをはらだたしむ。
 口惜《くちお》しく腹立たしきまま身の周囲《まわり》はことごとく敵《かたき》ぞと思わるる。町も、家も、樹も、鳥籠《とりかご》も、はたそれ何らのものぞ、姉とてまことの姉なりや、さきには一《ひと》たびわれを見てその弟を忘れしことあり。塵《ちり》一つとしてわが眼に入るは、すべてものの化《け》したるにて、恐しきあやしき神のわれを悩まさむとて現《げん》じたるものならむ。さればぞ姉がわが快復《かいふく》を祈る言《ことば》もわれに心を狂はすやう、わざとさはいふならむと、一《ひと》たびおもひては堪《た》ふべからず、力あらば恣《ほしいまま》にともかくもせばやせよかし、近づかば喰ひさきくれむ、蹴飛《けと》ばしやらむ、掻《かき》むしらむ、透《すき》あらばとびいでて、九《ここの》ツ谺《こだま》とをしへたる、たうときうつくしきかのひとの許《もと》に遁《に》げ去らむと、胸の湧《わ》きたつほどこそあれ、ふたたび暗室にいましめられぬ。

     千呪陀羅尼《せんじゆだらに》

 毒ありと疑へばものも食はず、薬もいかでか飲まむ、うつくしき顔したりとて、優《やさ》しきことをいひたりとて、いつはりの姉にはわれことばもかけじ。眼にふれて見ゆるものとしいへば、たけりくるひ、罵《ののし》り叫びてあれたりしが、つひには声も出《い》でず、身も動かず、われ人をわきまへず心地《ここち》死ぬべくなれりしを、うつらうつら舁《か》きあげられて高き石壇をのぼり、大《おおい》なる門を入りて、赤土《あかつち》の色きれいに掃《は》きたる一条《ひとすじ》の道長き、右左、石燈籠《いしどうろう》と石榴《ざくろ》の樹の小さきと、おなじほどの距離にかはるがはる続きたるを行《ゆ》きて、香《こう》の薫《かおり》しみつきたる太き円柱《まるばしら》の際《きわ》に寺の本堂に据《す》ゑられつ、ト思ふ耳のはたに竹を破《わ》る響《ひびき》きこえて、僧ども五三人《ごさんにん》一斉に声を揃《そろ》へ、高らかに誦《じゆ》する声耳を聾《ろう》するばかり喧《かし》ましさ堪《た》ふべからず、禿顱《とくろ》ならびゐる木のはしの法師ばら、何をかすると、拳《こぶし》をあげて一|人《にん》の天窓《あたま》をうたむとせしに、一幅《ひとはば》の青き光|颯《さつ》と窓を射て、水晶の念珠《ねんじゆ》瞳《ひとみ》をかすめ、ハツシと胸をうちたるに、ひるみて踞《うずく》まる時、若僧《じやくそう》円柱《えんちゆう》をいざり出《い》でつつ、ついゐて、サラサラと金襴《きんらん》の帳《とばり》を絞《しぼ》る、燦爛《さんらん》たる御廚子《みずし》のなかに尊《とうと》き像《すがた》こそ拝まれたれ。一段高まる経の声、トタンにはたたがみ天地《てんち》に鳴りぬ。
 端厳微妙《たんげんみみよう》のおんかほばせ、雲の袖《そで》、霞《かすみ》の袴《はかま》ちらちらと瓔珞《ようらく》をかけたまひたる、玉《たま》なす胸に繊手《せんしゆ》を添へて、ひたと、をさなごを抱《いだ》きたまへるが、仰《あお》ぐ仰ぐ瞳《ひとみ》うごきて、ほほゑみたまふと、見たる時、やさしき手のさき肩にかかりて、姉上は念じたまへり。
 滝やこの堂にかかるかと、折しも雨の降りしきりつ。渦《うずま》いて寄する風の音、遠き方《かた》より呻《うな》り来て、どつと満山《まんざん》に打《うち》あたる。
 本堂|青光《あおびかり》して、はたたがみ堂の空をまろびゆくに、たまぎりつつ、今は姉上を頼までやは、あなやと膝《ひざ》にはひあがりて、ひしとその胸を抱《いだ》きたれば、かかるものをふりすてむとはしたまはで、あたたかき腕《かいな》はわが背《せな》にて組合《くみあ》はされたり。さるにや気も心もよわよわとなりもてゆく、ものを見る明《あきら》かに、耳の鳴るがやみて、恐しき吹降《ふきぶ》りのなかに陀羅尼《だらに》を呪《じゆ》する聖《ひじり》の声々《こえごえ》さわやかに聞きとられつ。あはれに心細くもの凄《すご》きに、身の置処《おきどころ》あらずなりぬ。からだひとつ消えよかしと両手を肩に縋《すが》りながら顔もてその胸を押しわけたれば、襟《えり》をば掻《か》きひらきたまひつつ、乳《ち》の下にわがつむり押入《おしい》れて、両袖《りようそで》を打《うち》かさねて深くわが背《せな》を蔽《おお》ひ給《たま》へり。御仏《みほとけ》のそのをさなごを抱《いだ》きたまへるもかくこそと嬉《うれ》しきに、おちゐて、心地《ここち》すがすがしく胸のうち安く平《たい》らになりぬ。やがてぞ呪《じゆ》もはてたる。雷《らい》の音も遠ざかる。わが背《せ》をしかと抱《いだ》きたまへる姉上の腕《かいな》もゆるみたれば、ソとその懐《ふところ》より顔をいだしてこはごはその顔をば見上げつ。うつくしさはそれにもかはらでなむ、いたくもやつれたまへりけり。雨風のなほはげしく外《おもて》をうかがふことだにならざる、静まるを待てば夜《よ》もすがら暴通《あれとお》しつ。家に帰るべくもあらねば姉上は通夜《つや》したまひぬ。その一夜の風雨にて、くるま山の山中、俗に九《ここの》ツ谺《こだま》といひたる谷、あけがたに杣《そま》のみいだしたるが、忽《たちま》ち淵《ふち》になりぬといふ。
 里の者、町の人|皆《みな》挙《こぞ》りて見にゆく。日を経《へ》てわれも姉上とともに来《きた》り見き。その日|一天《いつてん》うららかに空の色も水の色も青く澄《す》みて、軟風《なんぷう》おもむろに小波《ささなみ》わたる淵の上には、塵《ちり》一葉《ひとは》の浮べるあらで、白き鳥の翼《つばさ》広きがゆたかに藍碧《らんぺき》なる水面を横ぎりて舞へり。
 すさまじき暴風雨《あらし》なりしかな。この谷もと薬研《やげん》の如き形したりきとぞ。
 幾株《いくかぶ》となき松柏《まつかしわ》の根こそぎになりて谷間に吹倒《ふきたお》されしに山腹の土《つち》落ちたまりて、底をながるる谷川をせきとめたる、おのづからなる堤防をなして、凄《すさ》まじき水をば湛《たた》へつ。一《ひと》たびこのところ決潰《けつかい》せむか、城《じよう》の端《はな》の町は水底《みなそこ》の都となるべしと、人々の恐れまどひて、怠《おこた》らず土を装《も》り石を伏《ふ》せて堅き堤防を築きしが、あたかも今の関屋《せきや》少将の夫人姉上十七の時なれば、年つもりて、嫩《ふたば》なりし常磐木《ときわぎ》もハヤ丈《たけ》のびつ。草|生《お》ひ、苔《こけ》むして、いにしへよりかかりけむと思ひ紛《まが》ふばかりなり。
 あはれ礫《つぶて》を投ずる事なかれ、うつくしき人の夢や驚かさむと、血気なる友のいたづらを叱《しか》り留《とど》めつ。年若く面《おもて》清《きよ》き海軍の少尉候補生は、薄暮暗碧《はくぼあんぺき》を湛《たた》へたる淵《ふち》に臨みて粛然《しゆくぜん》とせり。



底本:「鏡花短篇集」川村二郎編、岩波文庫、岩波書店
   1987(昭和62)年9月16日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第三巻」岩波書店
   1941(昭和16)年12月
※初出:「文芸倶楽部」1896年(明治29)年11月
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:砂場清隆
校正:松永正敏
2000年8月30日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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