青空文庫アーカイブ

怨霊借用
泉鏡花

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)傍《かたわら》に

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)一昨年頃|故人《なきひと》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)孤影|※[#「(火+火)/訊のつくり」、第4水準2-79-80]然《けいぜん》として
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       一

 婦人は、座の傍《かたわら》に人気のまるでない時、ひとりでは按摩《あんま》を取らないが可《い》いと、昔気質《むかしかたぎ》の誰でもそう云う。上《かみ》はそうまでもない。あの下《しも》の事を言うのである。閨《ねや》では別段に注意を要するだろう。以前は影絵、うつし絵などでは、巫山戯《ふざけ》たその光景を見せたそうで。――御新姐《ごしんぞ》さん、……奥さま。……さ、お横に、とこれから腰を揉《も》むのだが、横にもすれば、俯向《うつむけ》にもする、一つくるりと返して、ふわりと柔くまた横にもしよう。水々しい魚《うお》は、真綿、羽二重の俎《まないた》に寝て、術者はまな箸《ばし》を持たない料理人である。衣《きぬ》を透《とお》して、肉を揉み、筋を萎《なや》すのであるから恍惚《うっとり》と身うちが溶ける。ついたしなみも粗末になって、下じめも解けかかれば、帯も緩くなる。きちんとしていてさえざっとこの趣。……遊山《ゆさん》旅籠《はたご》、温泉宿などで寝衣《ねまき》、浴衣に、扱帯《しごき》、伊達巻《だてまき》一つの時の様子は、ほぼ……お互に、しなくっても可《よ》いが想像が出来る。膚《はだ》を左右に揉む拍子に、いわゆる青練《あおねり》も溢《こぼ》れようし、緋縮緬《ひぢりめん》も友染《ゆうぜん》も敷いて落ちよう。按摩をされる方《かた》は、対手《あいて》を盲《めくら》にしている。そこに姿の油断がある。足くびの時なぞは、一応は職業行儀に心得て、太脛《ふくらはぎ》から曲げて引上げるのに、すんなりと衣服《きもの》の褄《つま》を巻いて包むが、療治をするうちには双方の気のたるみから、踵《かかと》を摺下《ずりさが》って褄が波のようにはらりと落ちると、包ましい膝のあたりから、白い踵が、空にふらふらとなり、しなしなとして、按摩の手の裡《うち》に糸の乱るるがごとく縺《もつ》れて、艶《えん》に媚《なまめ》かしい上掻《うわがい》、下掻《したがい》、ただ卍巴《まんじともえ》に降る雪の中を倒《さかし》に歩行《ある》く風情になる。バッタリ真暗《まっくら》になって、……影絵は消えたものだそうである。
 ――聞くにつけても、たしなむべきであろうと思う。――
 が、これから話す、わが下町娘《したまちっこ》のお桂《けい》ちゃん――いまは嫁して、河崎夫人であるのに、この行為、この状があったと言うのでは決してない。
 問題に触れるのは、お桂ちゃんの母親で、もう一昨年頃|故人《なきひと》の数に入ったが、照降町《てりふりちょう》の背負商《しょいあきな》いから、やがて宗右衛門町の角地面に問屋となるまで、その大島屋の身代八分は、その人の働きだったと言う。体量も二十一貫ずッしりとした太腹《ふとっぱら》で、女長兵衛と称《たた》えられた。――末娘《すえっこ》で可愛いお桂ちゃんに、小遣《こづかい》の出振《だしっぷ》りが面白い……小買ものや、芝居へ出かけに、お母さんが店頭《みせさき》に、多人数立働く小僧中僧|若衆《わかしゅ》たちに、気は配っても見ないふりで、くくり頤《あご》の福々しいのに、円々とした両肱《りょうひじ》の頬杖《ほおづえ》で、薄眠りをしている、一段高い帳場の前へ、わざと澄ました顔して、(お母さん、少しばかり。)黙って金箱から、ずらりと掴出《つかみだ》して渡すのが、掌《てのひら》が大きく、慈愛が余るから、……痩《やせ》ぎすで華奢《きゃしゃ》なお桂ちゃんの片手では受切れない、両の掌に積んで、銀貨の小粒なのは指からざらざらと溢《こぼ》れたと言う。……亡きあとでも、その常用だった粗末な手ぶんこの中に、なおざりにちょっと半紙に包んで、(桂坊へ、)といけぞんざいに書いたものを開けると、水晶の浄土|珠数《じゅず》一|聯《れん》、とって十九のまだ嫁入前の娘に、と傍《はた》で思ったのは大違い、粒の揃った百幾顆《ひゃくいくつ》の、皆真珠であった。
 姉娘に養子が出来て、養子の魂を見取ってからは、いきぬきに、時々伊豆の湯治に出掛けた。――この温泉旅館の井菊屋と云うのが定宿《じょうやど》[#ルビの「じょうやど」は底本では「じやうやど」]で、十幾年来、馴染《なじみ》も深く、ほとんど親類づき合いになっている。その都度秘蔵娘のお桂さんの結綿《ゆいわた》島田に、緋鹿子《ひがのこ》、匹田《ひった》、絞《しぼり》の切《きれ》、色の白い細面《ほそおもて》、目に張《はり》のある、眉の優しい、純下町風俗のを、山が育てた白百合の精のように、袖に包んでいたのは言うまでもない。……
「……その大島屋の先《せん》の大きいおかみさんが、ごふびんに思召《おぼしめ》しましてな。……はい、ええ、右の小僧按摩を――小一《こいち》と申したでござりますが、本名で、まだ市名《いちな》でも、斎号でもござりません、……見た処が余り小《ちっ》こいので、お客様方には十六と申す事に、師匠も言いきけてはありますし、当人も、左様に人様には申しておりましたが、この川の下流の釜《かま》ヶ淵《ふち》――いえ、もし、渡月橋《とげつきょう》で見えます白糸の滝の下の……あれではござりません。もっとずッと下流になります。――その釜ヶ淵へ身を投げました時、――小一は二十《はたち》で、従って色気があったでござりますよ。」
「二十にならなくったって、色気の方は大丈夫あるよ。――私が手本だ。」
 と言って、肩を揉ませながら、快活に笑ったのは、川崎|欣七郎《きんしちろう》、お桂ちゃんの夫で、高等商業出の秀才で、銀行員のいい処、年は四十だが若々しい、年齢にちと相違はあるが、この縁組に申分はない。次の室《ま》つき井菊屋の奥、香都良川添《かつらがわぞい》の十畳に、もう床は並べて、膝まで沈むばかりの羽根毛《はね》蒲団《ぶとん》に、ふっくりと、たんぜんで寛《くつろ》いだ。……
 寝床を辷《すべ》って、窓下の紫檀《したん》の机に、うしろ向きで、紺地に茶の縞《しま》お召の袷羽織《あわせばおり》を、撫肩《なでがた》にぞろりと掛けて、道中の髪を解放《ときはな》し、あすあたりは髪結《かみゆい》が来ようという櫛巻《くしまき》が、房《ふっさ》りしながら、清らかな耳許《みみもと》に簪《かんざし》の珊瑚《さんご》が薄色に透通る。……男を知って二十四の、きじの雪が一層あくが抜けて色が白い。眉が意気で、口許に情が籠《こも》って、きりりとしながら、ちょっとお転婆に片褄《かたづま》の緋の紋縮緬《もんちりめん》の崩れた媚《なまめ》かしさは、田舎源氏の――名も通う――桂樹《かつらぎ》という風がある。
 お桂夫人は知らぬ顔して、間違って、愛読する……泉の作で「山吹」と云う、まがいものの戯曲を、軽い頬杖で読んでいた。
「御意で、へ、へ、へ、」
 と唯今《ただいま》の御前《ごぜん》のおおせに、恐入った体《てい》して、肩からずり下って、背中でお叩頭《じぎ》をして、ポンと浮上ったように顔を擡《もた》げて、鼻をひこひこと行《や》った。この謙斎坊さんは、座敷は暖かだし、精を張って、つかまったから、十月の末だと云うのに、むき身|絞《しぼり》の襦袢《じゅばん》、大肌脱《おおはだぬぎ》になっていて、綿八丈の襟の左右へ開《はだ》けた毛だらけの胸の下から、紐《ひも》のついた大蝦蟇口《おおがまぐち》を溢出《はみだ》させて、揉んでいる。
「で、旦那《だんな》、身投げがござりましてから、その釜ヶ淵……これはただ底が深いというだけの事でありましょうで、以来そこを、提灯《ちょうちん》ヶ淵――これは死にます時に、小一が冥途《めいど》を照しますつもりか、持っておりましたので、それに、夕顔ヶ淵……またこれは、その小按摩に様子が似ました処から。」
「いや、それは大したものだな。」
 くわっ、とただ口を開けて、横向きに、声は出さずに按摩が笑って、
「ところが、もし、顔が黄色膨れの頭でっかち、えらい出額《おでこ》で。」
「それじゃあ、夕顔の方で迷惑だろう。」
「御意で。」
 とまた一つ、ずり下りざまに叩頭《おじぎ》をして、
「でござりますから瓢箪淵《ひょうたんふち》とでもいたした方が可《よ》かろうかとも申します。小一の顔色《かおつき》が青瓢箪を俯向《うつむ》けにして、底を一つ叩いたような塩梅《あんばい》と、わしども家内なども申しますので、はい、背が低くって小児《こども》同然、それで、時々相修業に肩につかまらせた事もござりますが、手足は大人なみに出来ております。大《おおき》な日和下駄《ひよりげた》の傾《かし》いだのを引摺《ひきず》って、――まだ内弟子の小僧ゆえ、身分ではござりませんから羽織も着ませず……唯今頃はな、つんつるてんの、裾《すそ》のまき上った手織縞か何かで陰気な顔を、がっくりがっくりと、振り振り、(ぴい、ぷう。)と笛を吹いて、杖を突張《つっぱ》って流して歩行《ある》きますと、御存じのお客様は、あの小按摩の通る時は、どうやら毛の薄い頭の上を、不具《かたわ》の烏が一羽、お寺の山から出て附いて行《ゆ》くと申されましたもので。――心掛《ここころがけ》の可《よ》い、勉強家で、まあ、この湯治場は、お庇様《かげさま》とお出入《でいり》さきで稼ぎがつきます。流さずともでござりますが、何も修業と申して、朝も早くから、その、(ぴい、ぷう。)と、橋を渡りましたり、路地を抜けましたり。……それが死にましてからはな、川向うの芸妓屋《げいしゃや》道に、どんな三味線が聞えましても、お客様がたは、按摩の笛というものをお聞きになりますまいでござります。何のまた聞えずともではござりますがな。――へい、いえ、いえそのままでお宜《よろ》しゅう……はい。
 そうした貴方様、勉強家でござりました癖に、さて、これが療治に掛《かか》りますと、希代にのべつ、坐睡《いねむり》をするでござります。古来、姑《しゅうとめ》の目ざといのと、按摩の坐睡は、遠島ものだといたしたくらいなもので。」
 とぱちぱちぱちと指を弾《はじ》いて、
「わしども覚えがござります。修業中小僧のうちは、またその睡《ねむ》い事が、大蛇を枕でござりますて。けれども小一のははげしいので……お客様の肩へつかまりますと、――すぐに、そのこくりこくり。……まず、そのために生命《いのち》を果しましたような次第でござりますが。」
「何かい、歩きながら、川へ落《おっ》こちでもしたのかい。」
「いえ、それは、身投《みなげ》で。」
「ああ、そうだ、――こっちが坐睡をしやしないか。じゃ、客から叱言《こごと》が出て、親方……その師匠にでも叱られたためなんだな。」
「……不断の事で……師匠も更《あらた》めて叱言を云うがものはござりません。それに、晩も夜中も、坐睡ってばかりいると申すでもござりませんでな。」
「そりゃそうだろう――朝から坐睡っているんでは、半分死んでいるのも同《おんな》じだ。」
 と欣七郎は笑って言った。
「春秋の潮時でもござりましょうか。――大島屋の大きいお上《かみ》が、半月と、一月、ずッと御逗留《ごとうりゅう》の事も毎度ありましたが、その御逗留中というと、小一の、持病の坐睡がまた激しく起ります。」
「ふ――」
 と云って、欣七郎はお桂ちゃんの雪の頸許《えりもと》に、擽《くすぐ》ったそうな目を遣《や》った。が、夫人は振向きもしなかった。
「ために、主な出入場《でいりば》の、御当家では、方々のお客さんから、叱言が出ます。かれこれ、大島屋さんのお耳にも入りますな、おかみさんが、可哀相な盲小僧だ。……それ、十六七とばかり御承知で……肥満《こえふと》って身体《からだ》が大《おおき》いから、小按摩一人肩の上で寝た処で、蟷螂《かまぎっちょ》が留まったほどにも思わない。冥利《みょうり》として、ただで、お銭《あし》は遣れないから、肩で船を漕《こ》いでいなと、毎晩のように、お慈悲で療治をおさせになりました。……ところが旦那。」
 と暗い方へ、黒い口を開けて、一息して、
「どうも意固地《いこじ》な……いえ、不思議なもので、その時だけは小按摩が決して坐睡をいたさないでござります。」
「その、おかみさんには電気でもあったのかな。」
「へ、へ、飛んでもない。おかみさんのお傍《そば》には、いつも、それはそれは綺麗な、お美しいお嬢さんが、大好きな、小説本を読んでいるのでござります。」
「娘ッ子が読むんじゃあ、どうせ碌《ろく》な小説じゃあるまいし、碌な娘ではないのだろう。」
「勿体《もったい》ない。――香都良川には月がある、天城山《あまぎやま》には雪が降る、井菊の霞に花が咲く、と土地ではやしましたほどのお嬢さんでござりますよ。」
「按摩さん、按摩さん。」
 と欣七郎が声を刻んだ。
「は、」
「きみも土地じゃ古顔だと云うが。じゃあ、その座敷へも呼ばれただろうし、療治もしただろうと思うが、どうだね。」
「は、それが、つい、おうわさばかり伺いまして、お療治はいたしません、と申すが、此屋《こちら》様なり、そのお座敷は、手前同業の正斎と申す……河豚《ふぐ》のようではござりますが、腹に一向の毒のない男が持分に承っておりましたので、この正斎が、右の小一の師匠なのでござりまして。」
「成程、しかし狭い土地だ。そんなに逗留をしているうちには、きみなんか、その娘ッ子なり、おかみさんを、途中で見掛けた――いや、これは失礼した、見えなかったね。」
「旦那、口幅《くちはば》っとうはござりますが、目で見ますより聞く方が確《たしか》でござります。それに、それお通りだなどと、途中で皆がひそひそ遣ります処へ出会いますと、芬《ぷん》とな、何とも申されません匂が。……温泉から上りまして、梅の花をその……嗅《か》ぎますようで、はい。」
 座には今、その白梅よりやや淡青《うすあお》い、春の李《すもも》の薫《かおり》がしたろう。
 うっかり、ぷんと嗅いで、
「不躾《ぶしつ》け。」
 と思わずしゃべった。
「その香の好《よ》さと申したら、通りすがりの私どもさえ、寐《ね》しなに衣《き》ものを着換えましてからも、身うちが、ほんのりと爽《さわや》いで、一晩、極楽天上の夢を見たでござりますで。一つ部屋で、お傍にでも居ましたら、もう、それだけで、生命《いのち》も惜しゅうはござりますまい。まして、人間のしいなでも、そこは血気《ちのけ》の若い奴《やつ》でござります。死ぬのは本望でござりましたろうが、もし、それや、これやで、釜ヶ淵へ押《おっ》ぱまったでござりますよ。」
 お桂のちょっと振返った目と合って、欣七郎は肩越に按摩を見た。
「じゃあ、なにかその娘さんに、かかり合いでもあったのかね。」

       二

「飛んだ事を、お嬢さんは何も御存じではござりません。ただ、死にます晩の、その提灯《ちょうちん》の火を、お手ずから点《つ》けて遣わされただけでござります。」
 お桂はそのまま机に凭《よ》った、袖が直って、八口《やつくち》が美しい。
「その晩も、小一按摩が、御当家へ、こッつりこッつりと入りまして、お帳場へ、精霊棚《しょうりょうだな》からぶら下りましたように。――もっとももう時雨の頃で――その瓢箪《ひょうたん》頭を俯向《うつむ》けますと、(おい、霞の五番さんじゃ、今夜御療治はないぞ。)と、こちらに、年久しい、半助と云う、送迎《おくりむかえ》なり、宿引《やどひき》なり、手代なり、……頑固で、それでちょっと剽軽《ひょうきん》な、御存じかも知れません。威勢のいい、」
「あれだね。」
 と欣七郎が云うと、お桂は黙って頷《うなず》いた。
「半助がそう申すと、びしゃびしゃと青菜に塩になりましたっけが、(それでは外様《ほかさま》を伺います。)(ああ、行って来な。内じゃお座敷を廻らせないんだが、お前の事だ。)もっとも、(霞の五番さん)大島屋さんのお上さんの他《ほか》には、好んで揉《も》ませ人《て》はござりません。――どこをどう廻りましたか、宵に来た奴が十時過ぎ、船を漕《こ》いだものが故郷へ立帰ります時分に、ぽかんと帳場へ戻りまして、畏《かしこま》って、で、帰りがけに、(今夜は闇《やみ》でございます、提灯を一つ。)と申したそうで、(おい、来た。)村の衆が出入りの便宜同様に、気軽に何心なく出したげで。――ここがその、少々変な塩梅《あんばい》なのでござりまして、先が盲だとも、盲だからとも、乃至《ないし》、目あきでないとも、そんな事は一向心着かず……それには、ひけ頃で帳場もちょっとごたついていたでもござりましょうか。その提灯に火を点《とも》してやらなかったそうでござりますな。――後での話でござりますが。」
「おやおや、しかし、ありそうな事だ。」
「はい、その提灯を霞の五番へ持って参じました、小按摩が、逆戻りに。――(お桂|様《さん》。)うちのものは、皆お心安だてにお名を申して呼んでおります。そこは御大家でも、お商人《あきんど》の難有《ありがた》さで、これがお邸《やしき》づら……」
 嚔《くしゃみ》の出損《でそこな》った顔をしたが、半間《はんま》に手を留めて、腸《はらわた》のごとく手拭《てぬぐい》を手繰り出して、蝦蟇口《がまぐち》の紐に搦《から》むので、よじって俯《うつ》むけに額を拭《ふ》いた。
 意味は推するに難くない。
 欣七郎は、金口《きんぐち》を点《つ》けながら、
「構わない構わない、俺も素町人だ。」
「いえ、そういうわけではござりませんが。――そのお桂様に、(暗闇《くらやみ》の心細さに、提灯を借りましたけれど、盲に何が見えると、帳場で笑いつけて火を貸しません、どうぞお慈悲……お情《なさけ》に。)と、それ、不具《かたわ》根性、僻《ひが》んだ事を申しますて。お上さんは、もうお床で、こう目をぱっちりと見てござったそうにござります。ところで、お娘ごは何の気なしに点けておやりになりました。――さて、霞から、ずっと参れば玄関へ出られますものを、どういうものか、廊下々々を大廻りをして、この……花から雪を掛けて千鳥に縫って出ましたそうで。……井菊屋のしるしはござりますが、陰気に灯《とも》して、暗い廊下を、黄色な鼠の霜げた小按摩が、影のように通ります。この提灯が、やがて、その夜中に、釜ヶ淵の上、土手の夜泣松の枝にさがって、小一は淵へ、巌《いわ》の上に革緒《かわお》の足駄ばかり、と聞いて、お一方《ひとかた》病人が出来ました。……」
「ああ、娘さんかね。」
「それは……いえ、お優しいお嬢様の事でござります……親しく出入をしたものが、身を投げたとお聞きなされば、可哀相――とは、……それはさ、思召したでござりましょうが、何の義理|時宜《じんぎ》に、お煩いなさって可《よ》いものでござります。病みつきましたのは、雪にござった、独身の御老体で。……
 京阪地《かみがた》の方だそうで、長逗留《ながとうりゅう》でござりました。――カチリ、」
 と言った。按摩には冴《さ》えた音。
「カチリ、へへッへッ。」
 とベソを掻いた顔をする。
 欣七郎は引入れられて、
「カチリ?……どうしたい。」
「お簪《かんざし》が抜けて落ちました音で。」
「簪が?……ちょっと。」
 名は呼びかねつつ注意する。
「いいえ。」
 婀娜《あで》な夫人が言った。
「ええ、滅相な……奥方様、唯今ではござりません。その当時の事で。……上方《かみがた》のお客が宵寐《よいね》が覚めて、退屈さにもう一風呂と、お出かけなさる障子際へ、すらすらと廊下を通って、大島屋のお桂様が。――と申すは、唯今の花、このお座敷、あるいはお隣に当りましょうか。お娘ごには叔父ごにならっしゃる、富沢町さんと申して両国の質屋の旦《だん》が、ちょっと異《おつ》な寸法のわかい御婦人と御楽《おたのし》み、で、大《おおき》いお上さんは、苦い顔をしてござったれど、そこは、長唄のお稽古ともだちか何かで、お桂様は、その若いのと知合でおいでなさる。そこへ――ここへでござります……貴女《あなた》のお座敷は、その時は別棟、向うの霞で。……こちらへ遊びに見えました。もし、そのお帰りがけなのでござりますて。
 上方の御老体が、それなり開けると出会頭《であいがしら》になります。出口が次の間で、もう床の入りました座敷の襖《ふすま》は暗し、また雪と申すのが御存じの通り、当館切っての北国《ほっこく》で、廊下も、それは怪《け》しからず陰気だそうでござりますので、わしどもでも手さぐりでヒヤリとします。暗い処を不意に開けては、若いお娘ご、吃驚《びっくり》もなさろうと、ふと遠慮して立たっせえた。……お通りすがりが、何とも申されぬいい匂で、その香をたよりに、いきなり、横合の暗がりから、お白い頸《えり》へ噛《かじ》りついたものがござります。」……
「…………」
「声はお立てになりません、が、お桂様が、少し屈《かが》みなりに、颯《さっ》と島田を横にお振りなすった、その時カチリと音がしました。思わず、えへんと咳《せき》をして、御老体が覗《のぞ》いてござった障子の破れめへそのまま手を掛けて、お開けなさると、するりと向うへ、お桂様は庭の池の橋がかりの上を、両袖を合せて、小刻みにおいでなさる。蝙蝠《こうもり》だか、蜘蛛だか、奴《やっこ》は、それなり、その角の片側の寝具部屋《やぐべや》へ、ごそりとも言わず消えたげにござりますがな。
 確《たしか》に、カチリと、簪《かんざし》の落ちた音。お拾いなすった間もなかったがと、御老体はお目敏《めざと》い。……翌朝、気をつけて御覧なさると、欄干が取附けてござります、巌組《いわぐみ》へ、池から水の落口の、きれいな小砂利の上に、巌の根に留まって、きらきら水が光って、もし、小雨のようにさします朝晴の日の影に、あたりの小砂利は五色《ごしき》に見えます。これは、その簪の橘《たちばな》が蘂《しべ》に抱きました、真珠の威勢かにも申しますな。水は浅し、拾うのに仔細《しさい》なかったでございますれども、御老体が飛んだ苦労をなさいましたのは……夜具部屋から、膠々《にちゃにちゃ》粘々を筋を引いて、時なりませぬ蛞蝓《なめくじ》の大きなのが一匹……ずるずるとあとを輪取って、舐廻《なめまわ》って、ちょうど簪の見当の欄干の裏へ這込《はいこ》んだのが、屈んだ鼻のさきに見えました。――これには難儀をなすったげで。はい、もっとも、簪がお娘ごのお髪《ぐし》へ戻りましたについては、御老体から、大島屋のお上さんに、その辺のな、もし、従って、小按摩もそれとなくお遠ざけになったに相違ござりません、さ、さ、この上方の御仁《ごじん》でござりますよ。――あくる晩の夜ふけに、提灯を持った小按摩を見て、お煩いなさったのは。――御老体にして見れば、そこらの行《ゆき》がかり上、死際《しにぎわ》のめくらが、面当《つらあて》に形を顕《あら》わしたように思召しましたろうし、立入って申せば、小一の方でも、そのつもりでござりましたかも分りません。勿論、当のお桂様は、何事も御存じはないのでござります。第一、簪のカチリも、咳のえへんも、その御老体が、その後三度めにか四度めにか湯治にござって、(もう、あのお娘《こ》も、円髷《まるまげ》に結われたそうな。実は、)とこれから帳場へも、つい出入《でいり》のものへも知れ渡りましたでござります。――ところが、大島屋のお上さんはおなくなりなさいます、あとで、お嫁入など、かたがた、三年にも四年にも、さっぱりおいでがござりません。もっともお栄え遊ばすそうで。……ただ、もし、この頃も承りますれば、その上方の御老体は、今年当月も御湯治で、つい四五日《しごんち》あとにお立ちかえりだそうでござりますが。――ふと、その方が御覧になったら、今度のは御病気どころか、そのまま気絶をなさろうかも知れませぬ。
 ――夜泣松の枝へ、提灯を下げまして、この……旧暦の霜月、二十七日でござりますな……真の暗やみの薄明《うすあかり》に、しょんぼりと踞《かが》んでおります。そのむくみ加減といい、瓢箪頭のひしゃげました工合《ぐあい》、肩つき、そっくり正《しょう》のものそのままだと申すことで……現に、それ。」
「ええ。」
 お桂もぞッとしたように振向いて肩をすぼめた。
「わしどもが、こちらへ伺います途中でも、もの好きなのは、見て来た、見に行くと、高声で往来が騒いでいました。」

 謙斎のこの話の緒《いとぐち》も、はじめは、その事からはじまった。
 それ、谿川《たにがわ》の瀬、池水の調べに通《かよ》って、チャンチキ、チャンチキ、鉦入《かねい》りに、笛の音、太鼓の響《ひびき》が、流れつ、堰《せ》かれつ、星の静《しずか》な夜《よ》に、波を打って、手に取るごとく聞えよう。
 実は、この温泉の村に、新《あらた》に町制が敷かれたのと、山手《やまのて》に遊園地が出来たのと、名所に石の橋が竣成したのと、橋の欄干に、花電燈が点《つ》いたのと、従って景気が可《よ》いのと、儲《もうか》るのと、ただその一つさえ祭の太鼓は賑《にぎわ》うべき処に、繁昌《はんじょう》が合奏《オオケストラ》を演《や》るのであるから、鉦は鳴す、笛は吹く、続いて踊らずにはいられない。
 何年めかに一度という書入れ日がまた快晴した。
 昼は屋台が廻って、この玄関前へも練込んで来て、芸妓連《げいしゃれん》は地に並ぶ、雛妓《おしゃく》たちに、町の小女《こおんな》が交《まじ》って、一様の花笠で、湯の花踊と云うのを演《や》った。屋台のまがきに、藤、菖蒲《あやめ》、牡丹《ぼたん》の造り花は飾ったが、その紅紫の色を奪って目立ったのは、膚脱《はだぬぎ》の緋《ひ》より、帯の萌葱《もえぎ》と、伊達巻の鬱金《うこん》縮緬《ちりめん》で。揃って、むら兀《はげ》の白粉《おしろい》が上気して、日向《ひなた》で、むらむらと手足を動かす形は、菜畠《なばたけ》であからさまに狐が踊った。チャンチキ、チャンチキ、田舎の小春の長閑《のどけ》さよ。
 客は一統、女中たち男衆《おとこしゅ》まで、挙《こぞ》って式台に立ったのが、左右に分れて、妙に隅を取って、吹溜《ふきだま》りのように重《かさな》り合う。真中《まんなか》へ拭込《ふきこ》んだ大廊下が通って、奥に、霞へ架けた反橋《そりはし》が庭のもみじに燃えた。池の水の青く澄んだのに、葉ざしの日加減で、薄藍《うすあい》に、朧《おぼろ》の銀に、青い金に、鯉の影が悠然と浮いて泳いで、見ぶつに交った。ひとりお桂さんの姿を、肩を、褄《つま》を、帯腰を、彩ったものであった。
 この夫婦は――新婚旅行の意味でなく――四五年来、久しぶりに――一昨日温泉へ着いたばかりだが、既に一週間も以前から、今日の祝日の次第、献立|書《がき》が、処々《ところどころ》、紅《くれない》の二重圏点つきの比羅《びら》になって、辻々、塀、大寺の門、橋の欄干に顕《あら》われて、芸妓《げいしゃ》の屋台囃子《やたいばやし》とともに、最も注意を引いたのは、仮装行列の催《もよおし》であった。有志と、二重圏点、かさねて、飛入勝手次第として、祝賀委員が、審議の上、その仮装の優秀なるものには、三等まで賞金美景を呈すとしたのに、読者も更《あらた》めて御注意を願いたい。
 だから、踊屋台の引いて帰る囃子の音に誘われて、お桂が欣七郎とともに町に出た時は、橋の上で弁慶に出会い、豆府屋から出る緋縅《ひおどし》の武者を見た。床屋の店に立掛《たちかか》ったのは五人男の随一人、だてにさした尺八に、雁《かり》がねと札を着けた。犬だって浮かれている。石垣下には、鶩《あひる》が、がいがいと鳴立てた、が、それはこの川に多い鶺鴒《せきれい》が、仮装したものではない。
 泰西の夜会の例に見ても、由来仮装は夜のものであるらしい。委員と名のる、もの識《しり》が、そんな事は心得た。行列は午後五時よりと、比羅に認《したた》めてある。昼はかくれて、不思議な星のごとく、颯《さっ》と夜《よ》の幕を切って顕《あらわ》れる筈《はず》の処を、それらの英雄|侠客《きょうかく》は、髀肉《ひにく》の歎《たん》に堪えなかったに相違ない。かと思えば、桶屋《おけや》の息子の、竹を削って大桝形《おおますがた》に組みながら、せっせと小僧に手伝わして、しきりに紙を貼《は》っているのがある。通りがかりの馬方と問答する。「おいらは留《や》めようと思ったが、この景気じゃあ、とても引込《ひっこ》んでいられない。」「はあ、何に化けるね。」「凧《たこ》だ……黙っていてくれよ。おいらが身体《からだ》をそのまま大凧に張って飛歩行《とびある》くんだ。両方の耳にうなりをつけるぜ。」「魂消《たまげ》たの、一等賞ずらえ。」「黙っててくんろよ。」馬がヒーンと嘶《いなな》いた。この馬が迷惑した。のそりのそりと歩行《ある》き出すと、はじめ、出会ったのは緋縅の武者で、続いて出たのは雁がね、飛んで来たのは弁慶で、争って騎《の》ろうとする。揉《も》みに揉んで、太刀と長刀《なぎなた》が左右へ開いて、尺八が馬上に跳返った。そのかわり横田圃《よこたんぼ》へ振落された。
 ただこのくらいな間《ま》だったが――山の根に演芸館、花見座の旗を、今日はわけて、山鳥のごとく飜した、町の角の芸妓屋《げいしゃや》の前に、先刻の囃子屋台が、大《おおき》な虫籠《むしかご》のごとくに、紅白の幕のまま、寂寞《せきばく》として据《すわ》って、踊子の影もない。はやく町中《まちなか》、一練《ひとねり》は練廻って剰《あま》す処がなかったほど、温泉の町は、さて狭いのであった。やがて、新造の石橋で列を造って、町を巡《まわ》りすました後では、揃ってこの演芸館へ練込んで、すなわち放楽の乱舞となるべき、仮装行列を待顔に、掃清《はききよ》められた状《さま》のこのあたりは、軒提灯《のきぢょうちん》のつらなった中に、かえって不断より寂しかった。
 峰の落葉が、屋根越に――
 日蔭の冷い細流《せせらぎ》を、軒に流して、ちょうどこの辻の向角《むこうかど》に、二軒並んで、赤毛氈《あかもうせん》に、よごれ蒲団《ぶとん》を継《つぎ》はぎしたような射的店《しゃてきみせ》がある。達磨《だるま》落し、バットの狙撃《そげき》はつい通りだが、二軒とも、揃って屋根裏に釣った幽霊がある。弾丸《たま》が当ると、ガタリざらざらと蛇腹に伸びて、天井から倒《さかさま》に、いずれも女の幽霊が、ぬけ上った青い額と、縹色《はなだいろ》の細い頤《あご》を、ひょろひょろ毛から突出して、背筋を中反りに蜘蛛《くも》のような手とともに、ぶらりと下る仕掛けである。
「可厭《いや》な、あいかわらずね……」
 お桂さんが引返そうとした時、歩手前《あしてまえ》の店のは、白張《しらはり》の暖簾《のれん》のような汚れた天蓋《てんがい》から、捌髪《さばきがみ》の垂れ下った中に、藍色の片頬《かたほ》に、薄目を開けて、片目で、置据えの囃子屋台を覗《のぞ》くように見ていたし、先隣《さきどなり》なのは、釣上げた古行燈《ふるあんどん》の破《やぶれ》から、穴へ入ろうとする蝮《まむし》の尾のように、かもじの尖《さき》ばかりが、ぶらぶらと下っていた。
 帰りがけには、武蔵坊《むさしぼう》も、緋縅も、雁がねも、一所に床屋の店に見た。が、雁がねの臆面《おくめん》なく白粉を塗りつつ居たのは言うまでもなかろう。
 ――小一按摩のちびな形が、現に、夜泣松の枝の下へ、仮装の一個《ひとつ》として顕《あらわ》れている――
 按摩の謙斎が、療治しつつ欣七郎に話したのは――その夜、食後の事なのであった。

       三

「半助さん、半助さん。」
 すらすらと、井菊の広い帳場の障子へ、姿を見せたのはお桂さんである。
 あの奥の、花の座敷から来た途中は――この家《や》での北国だという――雪の廊下を通った事は言うまでもない。
 カチリ……
 ハッと手を挙げて、珊瑚《さんご》の六分珠《ろくぶだま》をおさえながら、思わず膠《にかわ》についたように、足首からむずむずして、爪立ったなり小褄《こづま》を取って上げたのは、謙斎の話の舌とともに、蛞蝓《なめくじ》のあとを踏んだからで、スリッパを脱ぎ放しに釘でつけて、身ぶるいをして衝《つ》と抜いた。湯殿から蒸しかかる暖い霧も、そこで、さっと肩に消えて、池の欄干を伝う、緋鯉《ひごい》の鰭《ひれ》のこぼれかかる真白《まっしろ》な足袋はだしは、素足よりなお冷い。で……霞へ渡る反橋《そりばし》を視《み》れば、そこへ島田に結った初々しい魂が、我身を抜けて、うしろ向きに、気もそぞろに走る影がして、ソッと肩をすぼめたなりに、両袖を合せつつ呼んだのである。
「半助さん……」ここで踊屋台を視《み》た、昼の姿は、鯉を遊ばせた薄《うす》もみじのさざ波であった。いまは、その跡を慕って大鯰《おおなまず》が池から雫《しずく》をひたひたと引いて襲う気勢《けはい》がある。

 謙斎の話は、あれからなお続いて、小一の顕われた夜泣松だが、土地の名所の一つとして、絵葉書で売るのとは場所が違う。それは港街道の路傍《みちばた》の小山の上に枝ぶりの佳いのを見立てたので。――真の夜泣松は、汽車から来る客たちのこの町へ入る本道に、古い石橋の際に土をあわれに装《も》って、石地蔵が、苔蒸《こけむ》し、且つ砕けて十三体。それぞれに、樒《しきみ》、線香を手向けたのがあって、十三塚と云う……一揆《いっき》の頭目でもなし、戦死をした勇士でもない。きいても気の滅入《めい》る事は、むかし大饑饉《おおききん》の年、近郷から、湯の煙を慕って、山谷《さんこく》を這出《はいで》て来た老若男女《ろうにゃくなんにょ》の、救われずに、菜色して餓死した骨を拾い集めて葬ったので、その塚に沿った松なればこそ、夜泣松と言うのである。――昼でも泣く。――仮装した小按摩の妄念は、その枝下、十三地蔵とは、間に水車の野川が横に流れて石橋の下へ落ちて、香都良川へ流込む水筋を、一つ跨《また》いだ処に、黄昏《たそがれ》から、もう提灯を釣《つる》して、裾《すそ》も濡れそうに、ぐしゃりと踞《しゃが》んでいる。
 今度出来た、谷川に架けた新石橋は、ちょうど地蔵の斜向《すじむか》い。でその橋向うの大旅館の庭から、仮装は約束のごとく勢揃をして、温泉の町へ入ったが、――そう云ってはいかがだけれど、饑饉|年《どし》の記念だから、行列が通るのに、四角な行燈《あんどん》も肩を円くして、地蔵前を半輪《はんわ》によけつつ通った。……そのあとへ、人魂《ひとだま》が一つ離れたように、提灯の松の下、小按摩の妄念は、列の中へ加わらずに孤影|※[#「(火+火)/訊のつくり」、第4水準2-79-80]然《けいぜん》として残っている。……
 ぬしは分らない、仮装であるから。いずれ有志の一人と、仮装なかまで四五人も誘ったが、ちょっと手を引張《ひっぱ》っても、いやその手を引くのが不気味なほど、正《しょう》のものの身投げ按摩で、びくとも動かないでいる。……と言うのであった。
 ――これを云った謙斎は、しかし肝心な事を言いわすれた、あとで分ったが、誘うにも、同行を促すにも、なかまがこもごも声を掛けたのに、小按摩は、おくびほども口を利かない。「ぴい、ぷう。」舌のかわりに笛を。「ぴいぷう」とただ笛を吹いた。――

 半ば聞ずてにして、すっと袖の香とともに、花の座敷を抜けた夫人は、何よりも先にその真偽のほどを、――そんな事は遊びずきだし一番|明《あかる》い――半助に、あらためて聞こうとした。懸念に処する、これがお桂のこの場合の第一の手段であったが。……
 居ない。
「おや、居ないの。」
 一層袖口を引いて襟冷く、少しこごみ腰に障子の小間《こま》から覗くと、鉄の大火鉢ばかり、誰も見えぬ。
「まあ。」
 式台わきの横口にこう、ひょこりと出るなり、モオニングのひょろりとしたのが、とまずシルクハットを取って高慢に叩頭《おじぎ》したのは……
「あら。」
 附髯《つけひげ》をした料理番。並んで出たのは、玄関下足番の好男子で、近頃夢中になっているから思いついた、頭から顔一面、厚紙を貼って、胡粉《ごふん》で潰《つぶ》した、不断女の子を悩ませる罪滅しに、真赤《まっか》に塗った顔なりに、すなわちハアトの一《ワン》である。真赤な中へ、おどけて、舌を出しておじぎをした。
「可厭《いや》だ。……ちょいと、半助さんは。」
「あいつは、もう。」
 揃って二人ともまたおじぎをして、
「昼間っから行方知れずで。」
 と口々に云う処へ、チャンチキ、チャンチキ、どどどん、ヒューラが、直ぐそこへ。――女中の影がむらむらと帳場へ湧《わ》く、客たちもぞろぞろ出て来る。……血の道らしい年増の女中が、裾長《すそなが》にしょろしょろしつつ、トランプの顔を見て、目で嬌態《しな》をやって、眉をひそめながら肩でよれついたのと、入交《いれまじ》って、門際へどっと駈出《かけだ》す。
 夫人も、つい誘われて門《かど》へ立った。
 高張《たかはり》、弓張《ゆみはり》が門の左右へ、掛渡した酸漿提灯《ほおずきぢょうちん》も、燦《ぱっ》と光が増したのである。
 桶屋《おけや》の凧《たこ》は、もう唸《うな》って先へ飛んだろう。馬二頭が、鼻あらしを霜夜にふつふつと吹いて曳《ひ》く囃子屋台を真中《まんなか》に、磽※[#「石+角」、第3水準1-89-6]《こうかく》たる石ころ路《みち》を、坂なりに、大師|道《みち》のいろはの辻のあたりから、次第さがりに人なだれを打って来た。弁慶の長刀《なぎなた》が山鉾《やまぼこ》のように、見える、見える。御曹子《おんぞうし》は高足駄、おなじような桃太郎、義士の数が三人ばかり。五人男が七人居て、雁《かり》がねが三羽揃った。……チャンチキ、チャンチキ、ヒューラと囃《はや》して、がったり、がくり、列も、もう乱れ勝《がち》で、昼の編笠をてこ舞に早がわりの芸妓《げいしゃ》だちも、微酔《ほろよい》のいい機嫌。青い髯《ひげ》も、白い顔も、紅《べに》を塗ったのも、一斉にうたうのは鰌《どじょう》すくいの安来節《やすぎぶし》である。中にぶッぶッぶッぶッと喇叭《らっぱ》ばかり鳴すのは、――これはどこかの新聞でも見た――自動車のつくりものを、腰にはめて行《ゆ》くのである。
 時に、井菊屋はほとんど一方の町はずれにあるから、村方へこぼれた祝場《いわいば》を廻り済《すま》して、行列は、これから川向《かわむこう》の演芸館へ繰込むのの、いまちょうど退汐時《ひきしおどき》。人は一倍群ったが、向側が崖沿《がけぞい》の石垣で、用水の流《ながれ》が急激に走るから、推《お》されて蹈《ふみ》はずす憂《うれい》があるので、群集は残らず井菊屋の片側に人垣を築いたため、背後《うしろ》の方の片袖の姿斜めな夫人の目には、山から星まじりに、祭屋台が、人の波に乗って、赤く、光って流れた。
 その影も、灯《ともしび》も、犬が三匹ばかり、まごまご殿《しんがり》しながらついて、川端の酸漿提灯の中へぞろぞろと黒くなって紛れたあとは、彳《たたず》んで見送る井菊屋の人たちばかり。早や内へ入るものがあって、急に寂しくなったと思うと、一足|後《おく》れて、暗い坂から、――異形《いぎょう》なものが下りて来た。
 疣々《いぼいぼ》打った鉄棒《かなぼう》をさし荷《にな》いに、桶屋も籠屋《かごや》も手伝ったろう。張抜《はりぬき》らしい真黒《まっくろ》な大釜《おおがま》を、蓋《ふた》なしに担いだ、牛頭《ごず》、馬頭《めず》の青鬼、赤鬼。青鬼が前へ、赤鬼が後棒《あとぼう》で、可恐《おそろ》しい面を被《かぶ》った。縫いぐるみに相違ないが、あたりが暗くなるまで真に迫った。……大釜の底にはめらめらと真赤《まっか》な炎を彩って燃《もや》している。
 青鬼が、
「ぼうぼう、ぼうぼう、」
 赤鬼が、
「ぐらッぐらッ、ぐらッぐらッ。」
 と陰気な合言葉で、国境の連山を、黒雲に背負《しょ》って顕《あらわ》れた。
 青鬼が、
「ぼうぼう、ぼうぼう、」
 赤鬼が、
「ぐらッぐらッ、ぐらッぐらッ。」
 よくない洒落《しゃれ》だ。――が、訳がある。……前に一度、この温泉町《ゆのまち》で、桜の盛《さかり》に、仮装会を催した事があった。その時、墓を出た骸骨《がいこつ》を装って、出歯《でっぱ》をむきながら、卒堵婆《そとば》を杖について、ひょろひょろ、ひょろひょろと行列のあとの暗がりを縫って歩行《ある》いて、女|小児《こども》を怯《おび》えさせて、それが一等賞になったから。……
 地獄の釜も、按摩の怨念《おんねん》も、それから思着いたものだと思う。一国の美術家でさえ模倣を行《や》る、いわんや村の若衆《わかしゅ》においてをや、よくない真似をしたのである。
「ぼうぼう、ぼうぼう。」
「ぐらッぐらッ、ぐらッぐらッ。」
「あら、半助だわ。」
 と、ひとりの若い女中が言った。
 石を、青と赤い踵《かかと》で踏んで抜けた二頭の鬼が、後《うしろ》から、前を引いて、ずしずしずしと小戻りして、人立《ひとだち》の薄さに、植込の常磐木《ときわぎ》の影もあらわな、夫人の前へ寄って来た。
 赤鬼が最も著しい造声《つくりごえ》で、
「牛頭《ごず》よ、牛頭よ、青牛よ。」
「もうー、」
 と牛の声で応じたのである。
「やい、十三塚にけつかる、小按摩な。」
「もう。」
「これから行って、釜へ打込《ぶちこ》め。」
「もう。」
「そりゃ――歩《あゆ》べい。」
「もう。」
「ああ、待って。」
 お桂さんは袖を投げて一歩《ひとあし》して、
「待って下さいな。」
 と釜のふちを白い手で留めたと思うと、
「お熱々《つつ》。」
 と退《すさ》って耳を圧《おさ》えた。わきあけも、襟も、乱るる姿は、電燭《でんき》の霜に、冬牡丹《ふゆぼたん》の葉ながらくずるるようであった。

       四

「小一さん、小一さん。」
 たとえば夜の睫毛《まつげ》のような、墨絵に似た松の枝の、白張《しらはり》の提灯は――こう呼んで、さしうつむいたお桂の前髪を濃く映した。
 婀娜《あだ》にもの優しい姿は、コオトも着ないで、襟に深く、黒に紫の裏すいた襟巻をまいたまま、むくんだ小按摩の前に立って、そと差覗《さしのぞ》きながら言ったのである。
 褄《つま》が幻のもみじする、小流《こながれ》を横に、その一条《ひとすじ》の水を隔てて、今夜は分けて線香の香の芬《ぷん》と立つ、十三地蔵の塚の前には外套《がいとう》にくるまって、中折帽《なかおれぼう》を目深《まぶか》く、欣七郎が杖《ステッキ》をついて彳《たたず》んだ。
(――実は、彼等が、ここに夜泣松の下を訪れたのは、今夜これで二度めなのであった――)
 はじめに。……話の一筋が歯に挟《はさま》ったほどの事だけれど、でも、その不快について処置をしたさに、二人が揃って、祭の夜《よ》を見物かたがた、ここへ来た時は。……「何だ、あの謙斎か、按摩め。こくめいで律儀らしい癖に法螺《ほら》を吹いたな。」そこには松ばかり、地蔵ばかり、水ばかり、何の影も見えなかった。空の星も晃々《きらきら》として、二人の顔も冴々《さえざえ》と、古橋を渡りかけて、何心なく、薬研《やげん》の底のような、この横流《よこながれ》の細滝に続く谷川の方を見ると、岸から映るのではなく、川瀬に提灯が一つ映った。
 土地を知った二人が、ふとこれに心を取られて、松の方《かた》へ小戻りして、向合った崖縁に立って、谿河《たにがわ》を深く透かすと、――ここは、いまの新石橋が架《かか》らない以前に、対岸から山伝いの近道するのに、樹の根、巌角《いわかど》を絶壁に刻んだ径《こみち》があって、底へ下りると、激流の巌から巌へ、中洲の大巌で一度中絶えがして、板ばかりの橋が飛々《とびとび》に、一煽《ひとあお》り飜って落つる白波のすぐ下流は、たちまち、白昼も暗闇《やみ》を包んだ釜ヶ淵なのである。
 そのほとんど狼の食い散《ちら》した白骨のごとき仮橋の上に、陰気な暗い提灯の一つ灯《び》に、ぼやりぼやりと小按摩が蠢《うご》めいた。
 思いがけない事ではない。二人が顔を見合せながら、目を放さず、立つうちに、提灯はこちらに動いて、しばらくして一度、ふわりと消えた。それは、巌《いわ》の根にかくれたので、やがて、縁日ものの竜燈のごとく、雑樹《ぞうき》の梢《こずえ》へかかった。それは崖へ上って街道へ出たのであった。
 ――その時は、お桂の方が、衝《つ》と地蔵の前へ身を躱《かわ》すと、街道を横に、夜泣松の小按摩の寄る処を、
「や、御趣向だなあ。」と欣七郎が、のっけに快活に砕けて出て、
「疑いなしだ、一等賞。」
 小按摩は、何も聞かない振《ふり》をして、蛙《かわず》が手を※[#「てへん+爭」、第4水準2-13-24]《もが》くがごとく、指で捜《さぐ》りながら、松の枝に提灯を釣すと、謙斎が饒舌《しゃべ》った約束のごとく、そのまま、しょぼんと、根に踞《かが》んで、つくばい立《だち》の膝の上へ、だらりと両手を下げたのであった。
「おい。一等賞君、おい一杯飲もう。一所に来たまえ。」
 その時だ。
「ぴい、ぷう。」
 笛を銜《くわ》えて、唇を空ざまに吹上げた。
「分ったよ、一等賞だよ。」
「ぴい、ぷう。」
「さ、祝杯を上げようよ。」
「ぴい、ぷう。」
 空嘯《そらうそぶ》いて、笛を鳴す。
 夫人が手招きをした。何が故に、そのうしろに竜女の祠《ほこら》がないのであろう、塚の前に面影に立った。
「ちえッ」舌うちとともに欣七郎は、強情、我慢、且つ執拗《しつよう》な小按摩を見棄てて、招かれた手と肩を合せた、そうして低声《こごえ》をかわしかわし、町の祭の灯《ともしび》の中へ、並んでスッと立去った。
「ぴい、ぷう。……」

「小一さん。」
 しばらくして、引返して二人来た時は、さきにも言った、欣七郎が地蔵の前に控えて、夫人自ら小按摩に対したのである。
「ぴい、ぷう。」
「小一さん。」
「ぴい、ぷう。」
「大島屋の娘はね、幽霊になってしまったのよ。」
 と一歩《ひとあし》ひきさま、暗い方に隠れて待った、あの射的店の幽霊を――片目で覗いていた方のである――竹棹《たけざお》に結《ゆわ》えたなり、ずるりと出すと、ぶらりと下って、青い女が、さばき髪とともに提灯を舐《な》めた。その幽霊の顔とともに、夫人の黒髪、びん掻《かき》に、当代の名匠が本質《きじ》へ、肉筆で葉を黒漆《くろうるし》一面に、緋《ひ》の一輪椿の櫛《くし》をさしたのが、したたるばかり色に立って、かえって打仰いだ按摩の化ものの真向《まっこう》に、一太刀、血を浴びせた趣があった。
「一所に、おいでなさいな、幽霊と。」
 水ぶくれの按摩の面《おもて》は、いちじくの実の腐れたように、口をえみわって、ニヤリとして、ひょろりと立った。
 お桂さんの考慮《かんがえ》では、そうした……この手段を選んで、小按摩を芸妓屋《げいしゃや》町の演芸館。……仮装会の中心点へ送込もうとしたのである。そうしてしまえば、ねだ下、天井裏のばけものまでもない……雨戸の外の葉裏にいても気味の悪い芋虫を、銀座の真中《まんなか》へ押放《おっぱな》したも同然で、あとは、さばさばと寐覚《ねざめ》が可《い》い。
 ……思いつきで、幽霊は、射的店で借りた。――欣七郎は紳士だから、さすがにこれは阻《はば》んだので、かけあいはお桂さんが自分でした。毛氈《もうせん》に片膝のせて、「私も仮装をするんですわ。」令夫人といえども、下町娘《したまちッこ》だから、お祭り気は、頸脚《えりあし》に幽《かすか》な、肌襦袢《はだじゅばん》ほどは紅《くれない》に膚《はだ》を覗《のぞ》いた。……
 もう容易《たやす》い。……つくりものの幽霊を真中《まんなか》に、小按摩と連立って、お桂さんが白木の両ぐりを町に鳴すと、既に、まばらに、消えたのもあり、消えそうなのもある、軒提灯の蔭を、つかず離れず、欣七郎が護《まも》って行《ゆ》く。
 芸妓屋町へ渡る橋手前へ、あたかも巨寺《おおでら》の門前へ、向うから渡る地蔵の釜《かま》。
「ぼうぼう、ぼうぼう。」
「ぐらッぐらッ、ぐらッぐらッ。」
「や、小按摩が来た……出掛けるには及ばぬわ、青牛よ。」
「もう。」
 と、吠《ほ》える。
「ぴい、ぷう。」
「ぼうぼう、ぼうぼう。」
「ぐらッぐらッ、ぐらッぐらッ。」
 そこで、一行異形のものは、鶩《あひる》の夢を踏んで、橋を渡った。
 鬼は、お桂のために心を配って来たらしい。
 演芸館の旗は、人の顔と、頭との中に、電飾に輝いた。……町の角から、館の前の広場へひしと詰《つま》って、露台に溢《あふ》れたからである。この時は、軒提灯のあと始末と、火の用心だけに家々に残ったもののほか、町を挙げてここへ詰掛けたと言って可《い》い。
 そのかわり、群集の一重《ひとえ》うしろは、道を白く引いて寂然《しん》としている。
「おう、お嬢さん……そいつを持ちます、俺の役だ。」
 赤鬼は、直ちに半助の地声であった。
 按摩の頭は、提灯とともに、人垣の群集の背後《うしろ》についた。
「もう、要らないわ、此店《ここ》へ返して、ね。」
 と言った。
「青牛よ。」
「もう。」
「生白い、いい肴《さかな》だ。釜で煮べい。」
「もう。」
 館の電飾が流るるように、町並の飾竹が、桜のつくり枝とともに颯《さっ》と鳴った。更けて山颪《やまおろし》がしたのである。
 竹を掉抜《ふるいぬ》きに、たとえば串から倒《さかさ》に幽霊の女を釜の中へ入れようとした時である。砂礫《すなつぶて》を捲《ま》いて、地を一陣の迅《と》き風がびゅうと、吹添うと、すっと抜けて、軒を斜《ななめ》に、大屋根の上へ、あれあれ、もの干を離れて、白帷子《しろかたびら》の裾《すそ》を空に、幽霊の姿は、煙筒《えんとつ》の煙が懐手をしたように、遥《はるか》に虚空へ、遥に虚空へ――
 群集はもとより、立溢《たちあふ》れて、石の点頭《うなず》くがごとく、踞《かが》みながら視《み》ていた、人々は、羊のごとく立って、あッと言った。
 小一按摩の妄念も、人混《ひとごみ》の中へ消えたのである。

       五

 土地の風説に残り、ふとして、浴客の耳に伝うる処は……これだけであろうと思う。
 しかし、少し余談がある。とにかく、お桂さんたちは、来た時のように、一所に二人では帰らなかった。――

 風に乗って、飛んで、宙へ消えた幽霊のあと始末は、半助が赤鬼の形相のままで、蝙蝠《バット》を吹かしながら、射的店へ話をつけた。此奴《こいつ》は褌《ふんどし》にするため、野良猫の三毛を退治《たいじ》て、二月越《ふたつきごし》内証《ないしょ》で、もの置《おき》で皮を乾《ほ》したそうである。
 笑話の翌朝は、引続き快晴した。近山裏の谷間には、初茸《はつたけ》の残り、乾《から》びた占地茸《しめじ》もまだあるだろう、山へ行く浴客も少くなかった。
 お桂さんたちも、そぞろ歩行《ある》きした。掛稲《かけいね》に嫁菜の花、大根畑に霜の濡色も暖い。
 畑中の坂の中途から、巨刹《おおでら》の峰におわす大観音に詣でる広い道が、松の中を上《のぼ》りになる山懐《やまふところ》を高く蜒《うね》って、枯草葉の径《こみち》が細く分れて、立札の道しるべ。歓喜天御堂、と指《ゆびさ》して、……福徳を授け給う……と記してある。
「福徳って、お金ばかりじゃありませんわ。」
 欣七郎は朝飯《あさはん》前の道がものういと言うのに、ちょいと軽い小競合《こぜりあい》があったあとで、参詣《おまいり》の間を一人待つ事になった。
「ここを、……わきへ去《い》っては可厭《いや》ですよ……一人ですから。」
 お桂さんは勢《いきおい》よく乾いた草を分けて攀《よ》じ上った。欣七郎の目に、その姿が雑樹《ぞうき》に隠れた時、夫人の前には再びやや急な石段が顕《あら》われた。軽く喘《あえ》いで、それを上ると、小高い皿地の中窪みに、垣も、折戸もない、破屋《あばらや》が一軒あった。
 出た、山の端《は》に松が一樹。幹のやさしい、そこの見晴しで、ちょっと下に待つ人を見ようと思ったが、上って来た方は、紅甍《こうぼう》[#ルビの「こうぼう」は底本では「こうばう」]と粉壁《ふんぺき》と、そればかりで夫は見えない。あと三方はまばらな農家を一面の畑の中に、弘法大師[#「弘法大師」は底本では「引法大師」]奥の院、四十七町いろは道が見えて、向うの山の根を香都良川が光って流れる。わきへ引込んだ、あの、辻堂の小さく見える処まで、昨日、午《ひる》ごろ夫婦《ふたり》で歩行《ある》いた、――かえってそこに、欣七郎の中折帽が眺められるようである。

 ああ、今朝もそのままな、野道を挟んだ、飾竹に祭提灯の、稲田ずれに、さらさらちらちらと風に揺れる処で、欣七郎が巻煙草《まきたばこ》を出すと、燐寸《マッチ》を忘れた。……道の奥の方から、帽子も被《かぶ》らないで、土地のものらしい。霜げた若い男が、蝋燭《ろうそく》を一束買ったらしく、手にして来たので、湯治場の心安さ、遊山《ゆさん》気分で声を掛けた。
「ちょいと、燐寸はありませんか。」
 ぼんやり立停《たちどま》って、二人を熟《じっ》と視《み》て、
「はい、私《わし》どもの袂《たもと》には、あっても人魂《ひとだま》でしてな。」
 すたすたと分れたのが、小上《このぼ》りの、畦《あぜ》を横に切れて入った。
「坊主らしいな。……提灯の蝋燭を配るのかと思ったが。」
 俗ではあったが、うしろつきに、欣七郎がそう云った。
 そう言った笑顔に。――自分が引添うているようで、現在《いま》、朝湯の前でも乳のほてり、胸のときめきを幹でおさえて、手を遠見に翳《かざ》すと、出端《でばな》のあし許《もと》の危《あやう》さに、片手をその松の枝にすがった、浮腰を、朝風が美しく吹靡《ふきなび》かした。
 しさって褄《つま》を合せた、夫に対する、若き夫人の優しい身だしなみである。
 まさか、この破屋に、――いや、この松と、それより梢《こずえ》の少し高い、対《つい》の松が、破屋の横にややまた上坂《のぼりざか》の上にあって、根は分れつつ、枝は連理に連《つらな》った、濃い翠《みどり》の色越《いろごし》に、額を捧げて御堂がある。
 夫人は衣紋《えもん》を直しつつ近着いた。
 近づくと、
「あッ、」
 思わず、忍音《しのびね》を立てた――見透《みすか》す六尺ばかりの枝に、倒《さかさま》に裾を巻いて、毛を蓬《おどろ》に落ちかかったのは、虚空に消えた幽霊である。と見ると顔が動いた、袖へ毛だらけの脚が生え、脇腹の裂目に獣の尾の動くのを、狐とも思わず、気は確《たしか》に、しかと犬と見た。が、人の香を慕ったか、そばえて幽霊を噛《か》みちらし、まつわり振った、そのままで、裾を曳《ひ》いて、ずるずると寄って来るのに、はらはらと、慌《あわただ》しく踵《きびす》を返すと、坂を落ち下りるほどの間《ま》さえなく、帯腰へ疾《と》く附着《くッつ》いて、ぶるりと触るは、髪か、顔か。
 花の吹雪に散るごとく、裾も袖も輪に廻って、夫人は朽ち腐れた破屋の縁へ飛縋《とびすが》った。
「誰か、誰方《どなた》か、誰方か。」
「うう、うう。」
 と寝惚声《ねぼけごえ》して、破障子《やぶれしょうじ》[#ルビの「しょうじ」は底本では「しやうじ」]を開けたのは、頭も、顔も、そのままの小一按摩の怨念であった。
「あれえ。」
 声は死んで、夫人は倒れた。
 この声が聞えるのには間遠《まどお》であった。最愛最惜の夫人の、消息の遅さを案じて、急心《せきごころ》に草を攀《よ》じた欣七郎は、歓喜天の御堂より先に、たとえば孤屋《ひとつや》の縁外《えんそと》の欠けた手水鉢《ちょうずばち》に、ぐったりと頤《あご》をつけて、朽木の台にひざまずいて縋った、青ざめた幽霊を見た。
 横ざまに、杖《ステッキ》で、敲《たた》き払った。が、人気勢《ひとげはい》のする破障子《やれしょうじ》を、及腰《およびごし》に差覗《さしのぞ》くと、目よりも先に鼻を撲《う》った、このふきぬけの戸障子にも似ず、したたかな酒の香である。
 酒ぎらいな紳士は眉をひそめて、手巾《ハンケチ》で鼻を蔽《おお》いながら、密《そっ》と再び覗《のぞ》くと斉《ひと》しく、色が変って真蒼《まっさお》になった。
 竹の皮散り、貧乏徳利の転《ころが》った中に、小一按摩は、夫人に噛《かじ》りついていたのである。
 読む方は、筆者が最初に言ったある場合を、ごく内端《うちわ》に想像さるるが可《い》い。

 小一に仮装したのは、この山の麓《ふもと》に、井菊屋の畠の畑つくりの老僕と日頃懇意な、一人棲《ひとりずみ》の堂守であった。
[#地から1字上げ]大正十四(一九二五)年三月



底本:「泉鏡花集成7」ちくま文庫、筑摩書房
   1995(平成7)年12月4日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十二巻」岩波書店
   1940(昭和15)年11月20日第1刷発行
※疑問点の確認にあたっては、底本の親本を参照しました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:今井忠夫
2003年8月30日作成
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