青空文庫アーカイブ

高野聖《こうやひじり》
泉鏡花

-------------------------------------------------------
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)高野聖《こうやひじり》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)参謀《さんぼう》本部|編纂《へんさん》の地図を

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)※[#「目」+「句」 101-3]《みまわ》している様子
-------------------------------------------------------

     一   

「参謀《さんぼう》本部|編纂《へんさん》の地図をまた繰開《くりひら》いて見るでもなかろう、と思ったけれども、余りの道じゃから、手を触《さわ》るさえ暑くるしい、旅の法衣《ころも》の袖《そで》をかかげて、表紙を附《つ》けた折本になってるのを引張《ひっぱ》り出した。
 飛騨《ひだ》から信州へ越《こ》える深山《みやま》の間道で、ちょうど立休らおうという一本の樹立《こだち》も無い、右も左も山ばかりじゃ、手を伸《の》ばすと達《とど》きそうな峰《みね》があると、その峰へ峰が乗り、巓《いただき》が被《かぶ》さって、飛ぶ鳥も見えず、雲の形も見えぬ。
 道と空との間にただ一人我ばかり、およそ正午《しょうご》と覚しい極熱《ごくねつ》の太陽の色も白いほどに冴《さ》え返った光線を、深々と戴《いただ》いた一重《ひとえ》の檜笠《ひのきがさ》に凌《しの》いで、こう図面を見た。」
 旅僧《たびそう》はそういって、握拳《にぎりこぶし》を両方|枕《まくら》に乗せ、それで額を支えながら俯向《うつむ》いた。
 道連《みちづれ》になった上人《しょうにん》は、名古屋からこの越前敦賀《えちぜんつるが》の旅籠屋《はたごや》に来て、今しがた枕に就いた時まで、私《わたし》が知ってる限り余り仰向《あおむ》けになったことのない、つまり傲然《ごうぜん》として物を見ない質《たち》の人物である。
 一体東海道|掛川《かけがわ》の宿《しゅく》から同じ汽車に乗り組んだと覚えている、腰掛《こしかけ》の隅《すみ》に頭《こうべ》を垂れて、死灰《しかい》のごとく控《ひか》えたから別段目にも留まらなかった。
 尾張《おわり》の停車場《ステイション》で他《ほか》の乗組員は言合《いいあわ》せたように、残らず下りたので、函《はこ》の中にはただ上人と私と二人になった。
 この汽車は新橋を昨夜九時半に発《た》って、今夕《こんせき》敦賀に入ろうという、名古屋では正午《ひる》だったから、飯に一折の鮨《すし》を買った。旅僧も私と同じくその鮨を求めたのであるが、蓋《ふた》を開けると、ばらばらと海苔《のり》が懸《かか》った、五目飯《ちらし》の下等なので。
(やあ、人参《にんじん》と干瓢《かんぴょう》ばかりだ。)と粗忽《そそ》ッかしく絶叫《ぜっきょう》した。私の顔を見て旅僧は耐《こら》え兼ねたものと見える、くっくっと笑い出した、もとより二人ばかりなり、知己《ちかづき》にはそれからなったのだが、聞けばこれから越前へ行って、派は違《ちが》うが永平寺《えいへいじ》に訪ねるものがある、但《ただ》し敦賀に一|泊《ぱく》とのこと。
 若狭《わかさ》へ帰省する私もおなじ処《ところ》で泊《とま》らねばならないのであるから、そこで同行の約束《やくそく》が出来た。
 かれは高野山《こうやさん》に籍《せき》を置くものだといった、年配四十五六、柔和《にゅうわ》ななんらの奇《き》も見えぬ、懐《なつか》しい、おとなしやかな風采《とりなり》で、羅紗《らしゃ》の角袖《かくそで》の外套《がいとう》を着て、白のふらんねるの襟巻《えりまき》をしめ、土耳古形《トルコがた》の帽《ぼう》を冠《かぶ》り、毛糸の手袋《てぶくろ》を嵌《は》め、白足袋《しろたび》に日和下駄《ひよりげた》で、一見、僧侶《そうりょ》よりは世の中の宗匠《そうしょう》というものに、それよりもむしろ俗か。
(お泊りはどちらじゃな、)といって聞かれたから、私は一人旅の旅宿のつまらなさを、しみじみ歎息《たんそく》した、第一|盆《ぼん》を持って女中が坐睡《いねむり》をする、番頭が空世辞《そらせじ》をいう、廊下《ろうか》を歩行《ある》くとじろじろ目をつける、何より最も耐《た》え難《がた》いのは晩飯の支度《したく》が済むと、たちまち灯《あかり》を行燈《あんどん》に換《か》えて、薄暗《うすぐら》い処でお休みなさいと命令されるが、私は夜が更《ふ》けるまで寐《ね》ることが出来ないから、その間の心持といったらない、殊《こと》にこの頃《ごろ》は夜は長し、東京を出る時から一晩の泊《とまり》が気になってならないくらい、差支《さしつか》えがなくば御僧《おんそう》とご一所《いっしょ》に。 
 快く頷《うなず》いて、北陸地方を行脚《あんぎゃ》の節はいつでも杖《つえ》を休める香取屋《かとりや》というのがある、旧《もと》は一|軒《けん》の旅店《りょてん》であったが、一人女《ひとりむすめ》の評判なのがなくなってからは看板を外《はず》した、けれども昔《むかし》から懇意《こんい》な者は断らず泊めて、老人《としより》夫婦が内端《うちわ》に世話をしてくれる、宜《よろ》しくばそれへ、その代《かわり》といいかけて、折を下に置いて、
(ご馳走《ちそう》は人参と干瓢ばかりじゃ。)
 とからからと笑った、慎《つつし》み深そうな打見《うちみ》よりは気の軽い。

     二

 岐阜《ぎふ》ではまだ蒼空《あおぞら》が見えたけれども、後は名にし負う北国空、米原《まいばら》、長浜《ながはま》は薄曇《うすぐもり》、幽《かすか》に日が射《さ》して、寒さが身に染みると思ったが、柳《やな》ヶ瀬《せ》では雨、汽車の窓が暗くなるに従うて、白いものがちらちら交《まじ》って来た。
(雪ですよ。)
(さようじゃな。)といったばかりで別に気に留めず、仰《あお》いで空を見ようともしない、この時に限らず、賤《しず》ヶ岳《たけ》が、といって、古戦場を指した時も、琵琶湖《びわこ》の風景を語った時も、旅僧はただ頷いたばかりである。
 敦賀で悚毛《おぞけ》の立つほど煩《わずら》わしいのは宿引《やどひき》の悪弊《あくへい》で、その日も期したるごとく、汽車を下《おり》ると停車場《ステイション》の出口から町端《まちはな》へかけて招きの提灯《ちょうちん》、印傘《しるしがさ》の堤《つつみ》を築き、潜抜《くぐりぬ》ける隙《すき》もあらなく旅人を取囲んで、手《て》ン手《で》に喧《かまびす》しく己《おの》が家号《やごう》を呼立《よびた》てる、中にも烈《はげ》しいのは、素早《すばや》く手荷物を引手繰《ひったく》って、へい難有《ありがと》う様《さま》で、を喰《くら》わす、頭痛持は血が上るほど耐《こら》え切れないのが、例の下を向いて悠々《ゆうゆう》と小取廻《ことりまわ》しに通抜《とおりぬ》ける旅僧は、誰《たれ》も袖を曳《ひ》かなかったから、幸いその後に跟《つ》いて町へ入って、ほっという息を吐《つ》いた。
 雪は小止《おやみ》なく、今は雨も交らず乾いた軽いのがさらさらと面《おもて》を打ち、宵《よい》ながら門《かど》を鎖《とざ》した敦賀の通《とおり》はひっそりして一条二条|縦横《たてよこ》に、辻《つじ》の角は広々と、白く積った中を、道の程《ほど》八町ばかりで、とある軒下《のきした》に辿《たど》り着いたのが名指《なざし》の香取屋。
 床《とこ》にも座敷《ざしき》にも飾《かざ》りといっては無いが、柱立《はしらだち》の見事な、畳《たたみ》の堅《かた》い、炉《ろ》の大いなる、自在鍵《じざいかぎ》の鯉《こい》は鱗《うろこ》が黄金造《こがねづくり》であるかと思わるる艶《つや》を持った、素《す》ばらしい竈《へッつい》を二ツ並《なら》べて一斗飯《いっとめし》は焚《た》けそうな目覚《めざま》しい釜《かま》の懸《かか》った古家《ふるいえ》で。
 亭主は法然天窓《ほうねんあたま》、木綿の筒袖《つつそで》の中へ両手の先を竦《すく》まして、火鉢《ひばち》の前でも手を出さぬ、ぬうとした親仁《おやじ》、女房《にょうぼう》の方は愛嬌《あいきょう》のある、ちょっと世辞のいい婆《ばあ》さん、件《くだん》の人参と干瓢の話を旅僧が打出すと、にこにこ笑いながら、縮緬雑魚《ちりめんざこ》と、鰈《かれい》の干物《ひもの》と、とろろ昆布《こんぶ》の味噌汁《みそしる》とで膳《ぜん》を出した、物の言振取成《いいぶりとりなし》なんど、いかにも、上人《しょうにん》とは別懇《べっこん》の間と見えて、連《つれ》の私の居心《いごころ》のいいといったらない。
 やがて二階に寝床《ねどこ》を拵《こしら》えてくれた、天井《てんじょう》は低いが、梁《うつばり》は丸太で二抱《ふたかかえ》もあろう、屋の棟《むね》から斜《ななめ》に渡《わた》って座敷の果《はて》の廂《ひさし》の処では天窓《あたま》に支《つか》えそうになっている、巌乗《がんじょう》な屋造《やづくり》、これなら裏の山から雪崩《なだれ》が来てもびくともせぬ。
 特に炬燵《こたつ》が出来ていたから私はそのまま嬉《うれ》しく入った。寝床はもう一組おなじ炬燵に敷《し》いてあったが、旅僧はこれには来《きた》らず、横に枕を並べて、火の気のない臥床《ねどこ》に寝た。
 寝る時、上人は帯を解かぬ、もちろん衣服も脱《ぬ》がぬ、着たまま円《まる》くなって俯向形《うつむきなり》に腰からすっぽりと入って、肩《かた》に夜具《やぐ》の袖《そで》を掛《か》けると手を突《つ》いて畏《かしこま》った、その様子《ようす》は我々と反対で、顔に枕をするのである。
 ほどなく寂然《ひっそり》として寐《ね》に就きそうだから、汽車の中でもくれぐれいったのはここのこと、私は夜が更けるまで寐ることが出来ない、あわれと思ってもうしばらくつきあって、そして諸国を行脚なすった内のおもしろい談《はなし》をといって打解《うちと》けて幼《おさな》らしくねだった。
 すると上人は頷いて、私《わし》は中年から仰向けに枕に就かぬのが癖《くせ》で、寝るにもこのままではあるけれども目はまだなかなか冴えている、急に寐就かれないのはお前様とおんなじであろう。出家《しゅっけ》のいうことでも、教《おしえ》だの、戒《いましめ》だの、説法とばかりは限らぬ、若いの、聞かっしゃい、と言って語り出した。後で聞くと宗門名誉《しゅうもんめいよ》の説教師で、六明寺《りくみんじ》の宗朝《しゅうちょう》という大和尚《だいおしょう》であったそうな。

     三

「今にもう一人ここへ来て寝るそうじゃが、お前様と同国じゃの、若狭の者で塗物《ぬりもの》の旅商人《たびあきんど》。いやこの男なぞは若いが感心に実体《じってい》な好《よ》い男。
 私《わたし》が今話の序開《じょびらき》をしたその飛騨の山越《やまごえ》をやった時の、麓《ふもと》の茶屋で一緒《いっしょ》になった富山《とやま》の売薬という奴《やつ》あ、けたいの悪い、ねじねじした厭《いや》な壮佼《わかいもの》で。
 まずこれから峠《とうげ》に掛《かか》ろうという日の、朝早く、もっとも先《せん》の泊《とまり》はものの三時ぐらいには発《た》って来たので、涼しい内に六里ばかり、その茶屋までのしたのじゃが朝晴でじりじり暑いわ。
 慾張《よくばり》抜いて大急ぎで歩いたから咽《のど》が渇《かわ》いてしようがあるまい、早速《さっそく》茶を飲もうと思うたが、まだ湯が沸《わ》いておらぬという。
 どうしてその時分じゃからというて、めったに人通《ひとどおり》のない山道、朝顔の咲《さ》いてる内に煙が立つ道理もなし。
 床几《しょうぎ》の前には冷たそうな小流《こながれ》があったから手桶《ておけ》の水を汲《く》もうとしてちょいと気がついた。
 それというのが、時節柄《じせつがら》暑さのため、恐《おそろ》しい悪い病が流行《はや》って、先に通った辻などという村は、から一面に石灰《いしばい》だらけじゃあるまいか。 
(もし、姉《ねえ》さん。)といって茶店の女に、
(この水はこりゃ井戸《いど》のでござりますか。)と、きまりも悪し、もじもじ聞くとの。
(いんね、川のでございます。)という、はて面妖《めんよう》なと思った。
(山したの方には大分|流行病《はやりやまい》がございますが、この水は何《なに》から、辻の方から流れて来るのではありませんか。)
(そうでねえ。)と女は何気《なにげ》なく答えた、まず嬉《うれ》しやと思うと、お聞きなさいよ。
 ここに居て、さっきから休んでござったのが、右の売薬じゃ。このまた万金丹《まんきんたん》の下廻《したまわり》と来た日には、ご存じの通り、千筋《せんすじ》の単衣《ひとえ》に小倉《こくら》の帯、当節は時計を挟《はさ》んでいます、脚絆《きゃはん》、股引《ももひき》、これはもちろん、草鞋《わらじ》がけ、千草木綿《ちぐさもめん》の風呂敷包《ふろしきづつみ》の角《かど》ばったのを首に結《ゆわ》えて、桐油合羽《とうゆがっぱ》を小さく畳《たた》んでこいつを真田紐《さなだひも》で右の包につけるか、小弁慶《こべんけい》の木綿の蝙蝠傘《こうもりがさ》を一本、おきまりだね。ちょいと見ると、いやどれもこれも克明《こくめい》で分別のありそうな顔をして。
 これが泊《とまり》に着くと、大形の浴衣《ゆかた》に変って、帯広解《おびひろげ》で焼酎《しょうちゅう》をちびりちびり遣《や》りながら、旅籠屋《はたごや》の女のふとった膝《ひざ》へ脛《すね》を上げようという輩《やから》じゃ。
(これや、法界坊《ほうかいぼう》。)
 なんて、天窓《あたま》から嘗《な》めていら。
(異《おつ》なことをいうようだが何かね、世の中の女が出来ねえと相場がきまって、すっぺら坊主になってやっぱり生命《いのち》は欲しいのかね、不思議じゃあねえか、争われねえもんだ、姉さん見ねえ、あれでまだ未練のある内がいいじゃあねえか、)といって顔を見合せて二人でからからと笑った。
 年紀《とし》は若し、お前様《まえさん》、私《わし》は真赤《まっか》になった、手に汲んだ川の水を飲みかねて猶予《ためら》っているとね。
 ポンと煙管《きせる》を払《はた》いて、
(何、遠慮《えんりょ》をしねえで浴びるほどやんなせえ、生命《いのち》が危くなりゃ、薬を遣《や》らあ、そのために私《わし》がついてるんだぜ、なあ姉さん。おい、それだっても無銭《ただ》じゃあいけねえよ、憚《はばか》りながら神方《しんぽう》万金丹、一|貼《じょう》三百だ、欲しくば買いな、まだ坊主に報捨《ほうしゃ》をするような罪は造らねえ、それともどうだお前いうことを肯《き》くか。)といって茶店の女の背中を叩《たた》いた。
 私《わし》はそうそうに遁出《にげだ》した。
 いや、膝だの、女の背中だのといって、いけ年《とし》を仕《つかまつ》った和尚が業体《ぎょうてい》で恐入《おそれい》るが、話が、話じゃからそこはよろしく。」

     四
 
「私《わし》も腹立紛《はらたちまぎ》れじゃ、無暗《むやみ》と急いで、それからどんどん山の裾《すそ》を田圃道《たんぼみち》へかかる。
 半町ばかり行くと、路《みち》がこう急に高くなって、上《のぼ》りが一カ処、横からよく見えた、弓形《ゆみなり》でまるで土で勅使橋《ちょくしばし》がかかってるような。上を見ながら、これへ足を踏懸《ふみか》けた時、以前の薬売《くすりうり》がすたすたやって来て追着《おいつ》いたが。
 別に言葉も交《かわ》さず、またものをいったからというて、返事をする気はこっちにもない。どこまでも人を凌《しの》いだ仕打《しうち》な薬売は流眄《しりめ》にかけて故《わざ》とらしゅう私《わし》を通越《とおりこ》して、すたすた前へ出て、ぬっと小山のような路の突先《とっさき》へ蝙蝠傘を差して立ったが、そのまま向うへ下りて見えなくなる。
 その後から爪先上《つまさきあが》り、やがてまた太鼓《たいこ》の胴《どう》のような路の上へ体が乗った、それなりにまた下《くだ》りじゃ。
 売薬は先へ下りたが立停《たちどま》ってしきりに四辺《あたり》を※[#「目」+「句」 101-3]《みまわ》している様子、執念《しゅうねん》深く何か巧《たく》んだかと、快からず続いたが、さてよく見ると仔細《しさい》があるわい。
 路はここで二条《ふたすじ》になって、一条《いちじょう》はこれからすぐに坂になって上《のぼ》りも急なり、草も両方から生茂《おいしげ》ったのが、路傍《みちばた》のその角《かど》の処にある、それこそ四抱《よかかえ》、そうさな、五抱《いつかかえ》もあろうという一本の檜《ひのき》の、背後《うしろ》へ蜿《うね》って切出したような大巌《おおいわ》が二ツ三ツ四ツと並んで、上の方へ層《かさ》なってその背後へ通じているが、私《わし》が見当をつけて、心組《こころぐ》んだのはこっちではないので、やっぱり今まで歩いて来たその幅《はば》の広いなだらかな方が正《まさ》しく本道、あと二里足らず行けば山になって、それからが峠になるはず。
 と見ると、どうしたことかさ、今いうその檜じゃが、そこらに何《なんに》もない路を横断《よこぎ》って見果《みはて》のつかぬ田圃の中空《なかぞら》へ虹《にじ》のように突出ている、見事な。根方《ねがた》の処《ところ》の土が壊《くず》れて大鰻《おおうなぎ》を捏《こ》ねたような根が幾筋ともなく露《あらわ》れた、その根から一筋の水がさっと落ちて、地の上へ流れるのが、取って進もうとする道の真中に流出《ながれだ》してあたりは一面。
 田圃が湖にならぬが不思議で、どうどうと瀬《せ》になって、前途《ゆくて》に一叢《ひとむら》の藪《やぶ》が見える、それを境にしておよそ二町ばかりの間まるで川じゃ。礫《こいし》はばらばら、飛石のようにひょいひょいと大跨《おおまた》で伝えそうにずっと見ごたえのあるのが、それでも人の手で並べたに違《ちが》いはない。
 もっとも衣服《きもの》を脱いで渡るほどの大事なのではないが、本街道にはちと難儀《なんぎ》過ぎて、なかなか馬などが歩行《ある》かれる訳《わけ》のものではないので。
 売薬もこれで迷ったのであろうと思う内、切放《きりはな》れよく向《むき》を変えて右の坂をすたすたと上りはじめた。見る間《ま》に檜を後《うしろ》に潜《くぐ》り抜けると、私《わし》が体の上あたりへ出て下を向き、
(おいおい、松本《まつもと》へ出る路はこっちだよ、)といって無造作《むぞうさ》にまた五六歩。
 岩の頭へ半身を乗出して、
(茫然《ぼんやり》してると、木精《こだま》が攫《さら》うぜ、昼間だって容赦《ようしゃ》はねえよ。)と嘲《あざけ》るがごとく言い棄《す》てたが、やがて岩の陰《かげ》に入って高い処の草に隠《かく》れた。
 しばらくすると見上げるほどな辺《あたり》へ蝙蝠傘の先が出たが、木の枝《えだ》とすれすれになって茂《しげみ》の中に見えなくなった。
(どッこいしょ、)と暢気《のんき》なかけ声で、その流の石の上を飛々《とびとび》に伝って来たのは、茣蓙《ござ》の尻当《しりあて》をした、何にもつけない天秤棒《てんびんぼう》を片手で担いだ百姓《ひゃくしょう》じゃ。」

     五

「さっきの茶店《ちゃみせ》からここへ来るまで、売薬の外は誰《だれ》にも逢《あ》わなんだことは申上げるまでもない。
 今別れ際《ぎわ》に声を懸けられたので、先方《むこう》は道中の商売人と見ただけに、まさかと思っても気迷《きまよい》がするので、今朝《けさ》も立ちぎわによく見て来た、前にも申す、その図面をな、ここでも開けて見ようとしていたところ。
(ちょいと伺《うかが》いとう存じますが、)
(これは何でござりまする、)と山国の人などは殊《こと》に出家と見ると丁寧《ていねい》にいってくれる。
(いえ、お伺い申しますまでもございませんが、道はやっぱりこれを素直《まっすぐ》に参るのでございましょうな。)
(松本へ行かっしゃる? ああああ本道じゃ、何ね、この間の梅雨《つゆ》に水が出て、とてつもない川さ出来たでがすよ。)
(まだずっとどこまでもこの水でございましょうか。)
(何のお前様、見たばかりじゃ、訳はござりませぬ、水になったのは向うのあの藪までで、後はやっぱりこれと同一《おなじ》道筋で山までは荷車が並んで通るでがす。藪のあるのは旧《もと》大きいお邸《やしき》の医者様の跡でな、ここいらはこれでも一ツの村でがした、十三年前の大水の時、から一面に野良《のら》になりましたよ、人死《ひとじに》もいけえこと。ご坊様歩行《ぼうさまある》きながらお念仏でも唱えてやってくれさっしゃい。)と問わぬことまで深切《しんせつ》に話します。それでよく仔細《しさい》が解《わか》って確《たしか》になりはなったけれども、現に一人|踏迷《ふみまよ》った者がある。
(こちらの道はこりゃどこへ行くので、)といって売薬の入った左手《ゆんで》の坂を尋《たず》ねて見た。
(はい、これは五十年ばかり前までは人が歩行《ある》いた旧道でがす。やっぱり信州へ出まする、先は一つで七里ばかり総体近うござりますが、いや今時《いまどき》往来の出来るのじゃあござりませぬ。去年もご坊様、親子|連《づれ》の巡礼《じゅんれい》が間違えて入ったというで、はれ大変な、乞食《こじき》を見たような者じゃというて、人命に代りはねえ、追《おっ》かけて助けべえと、巡査様《おまわりさま》が三人、村の者が十二人、一組になってこれから押登って、やっと連れて戻《もど》ったくらいでがす。ご坊様も血気に逸《はや》って近道をしてはなりましねえぞ、草臥《くたび》れて野宿をしてからがここを行かっしゃるよりはましでござるに。はい、気を付けて行かっしゃれ。)
 ここで百姓に別れてその川の石の上を行こうとしたがふと猶予《ためら》ったのは売薬の身の上で。
 まさかに聞いたほどでもあるまいが、それが本当ならば見殺《みごろし》じゃ、どの道私は出家《しゅっけ》の体、日が暮《く》れるまでに宿へ着いて屋根の下に寝るには及《およ》ばぬ、追着《おッつ》いて引戻してやろう。罷違《まかりちご》うて旧道を皆|歩行《ある》いても怪《け》しゅうはあるまい、こういう時候じゃ、狼《おおかみ》の旬《しゅん》でもなく、魑魅魍魎《ちみもうりょう》の汐《しお》さきでもない、ままよ、と思うて、見送ると早《は》や深切な百姓の姿も見えぬ。
(よし。)
 思切《おもいき》って坂道を取って懸《かか》った、侠気《おとこぎ》があったのではござらぬ、血気に逸《はや》ったではもとよりない、今申したようではずっともう悟《さと》ったようじゃが、いやなかなかの臆病者《おくびょうもの》、川の水を飲むのさえ気が怯《ひ》けたほど生命《いのち》が大事で、なぜまたと謂《い》わっしゃるか。
 ただ挨拶《あいさつ》をしたばかりの男なら、私は実のところ、打棄《うっちゃ》っておいたに違いはないが、快からぬ人と思ったから、そのままで見棄てるのが、故《わざ》とするようで、気が責めてならなんだから、」
 と宗朝はやはり俯向《うつむ》けに床《とこ》に入ったまま合掌《がっしょう》していった。
「それでは口でいう念仏にも済まぬと思うてさ。」

     六

「さて、聞かっしゃい、私《わし》はそれから檜《ひのき》の裏を抜けた、岩の下から岩の上へ出た、樹《き》の中を潜《くぐ》って草深い径《こみち》をどこまでも、どこまでも。
 するといつの間にか今上った山は過ぎてまた一ツ山が近《ちかづ》いて来た、この辺《あたり》しばらくの間は野が広々として、さっき通った本街道よりもっと幅の広い、なだらかな一筋道。
 心持《こころもち》西と、東と、真中《まんなか》に山を一ツ置いて二条《ふたすじ》並んだ路のような、いかさまこれならば槍《やり》を立てても行列が通ったであろう。
 この広《ひろ》ッ場《ぱ》でも目の及ぶ限り芥子粒《けしつぶ》ほどの大《おおき》さの売薬の姿も見ないで、時々焼けるような空を小さな虫が飛び歩行《ある》いた。
 歩行《ある》くにはこの方が心細い、あたりがぱッとしていると便《たより》がないよ。もちろん飛騨越《ひだごえ》と銘《めい》を打った日には、七里に一軒十里に五軒という相場、そこで粟《あわ》の飯にありつけば都合も上《じょう》の方ということになっております。それを覚悟《かくご》のことで、足は相応に達者、いや屈《くっ》せずに進んだ進んだ。すると、だんだんまた山が両方から逼《せま》って来て、肩に支《つか》えそうな狭いとこになった、すぐに上《のぼり》。
 さあ、これからが名代《なだい》の天生《あもう》峠と心得たから、こっちもその気になって、何しろ暑いので、喘《あえ》ぎながらまず草鞋《わらじ》の紐《ひも》を緊直《しめなお》した。
 ちょうどこの上口《のぼりぐち》の辺に美濃《みの》の蓮大寺《れんだいじ》の本堂の床下《ゆかした》まで吹抜《ふきぬ》けの風穴《かざあな》があるということを年経《とした》ってから聞きましたが、なかなかそこどころの沙汰《さた》ではない、一生懸命《いっしょうけんめい》、景色《けしき》も奇跡《きせき》もあるものかい、お天気さえ晴れたか曇ったか訳が解らず、目《ま》じろぎもしないですたすたと捏《こ》ねて上《のぼ》る。
 とお前様お聞かせ申す話は、これからじゃが、最初に申す通り路がいかにも悪い、まるで人が通いそうでない上に、恐しいのは、蛇《へび》で。両方の叢《くさむら》に尾と頭とを突込んで、のたりと橋を渡しているではあるまいか。
 私《わし》は真先《まっさき》に出会《でっくわ》した時は笠《かさ》を被《かぶ》って竹杖《たけづえ》を突いたまま、はッと息を引いて膝《ひざ》を折って坐《すわ》ったて。
 いやもう生得大嫌《しょうとくだいきらい》、嫌《きらい》というより恐怖《こわ》いのでな。
 その時はまず人助けにずるずると尾を引いて、向うで鎌首《かまくび》を上げたと思うと草をさらさらと渡った。
 ようよう起上《おきあが》って道の五六町も行くと、またおなじように、胴中《どうなか》を乾かして尾も首も見えぬのが、ぬたり!
 あッというて飛退《とびの》いたが、それも隠れた。三度目に出会ったのが、いや急には動かず、しかも胴体の太さ、たとい這出《はいだ》したところでぬらぬらとやられてはおよそ五分間ぐらい尾を出すまでに間《ま》があろうと思う長虫と見えたので、やむことをえず私《わし》は跨《また》ぎ越した、とたんに下腹《したっぱら》が突張《つッぱ》ってぞッと身の毛、毛穴が残らず鱗《うろこ》に変って、顔の色もその蛇のようになったろうと目を塞《ふさ》いだくらい。
 絞《しぼ》るような冷汗《ひやあせ》になる気味の悪さ、足が竦《すく》んだというて立っていられる数《すう》ではないからびくびくしながら路を急ぐとまたしても居たよ。
 しかも今度のは半分に引切《ひっき》ってある胴から尾ばかりの虫じゃ、切口が蒼《あおみ》を帯びてそれでこう黄色な汁《しる》が流れてぴくぴくと動いたわ。
 我を忘れてばらばらとあとへ遁帰《にげかえ》ったが、気が付けば例のがまだ居るであろう、たとい殺されるまでも二度とはあれを跨《また》ぐ気はせぬ。ああさっきのお百姓がものの間違《まちがい》でも故道《ふるみち》には蛇がこうといってくれたら、地獄《じごく》へ落ちても来なかったにと照りつけられて、涙《なみだ》が流れた、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、今でもぞっとする。」と額に手を。

     七

「果《はてし》が無いから肝《きも》を据《す》えた、もとより引返す分ではない。旧《もと》の処《ところ》にはやっぱり丈足《じょうた》らずの骸《むくろ》がある、遠くへ避《さ》けて草の中へ駈《か》け抜けたが、今にもあとの半分が絡《まと》いつきそうで耐《たま》らぬから気臆《きおくれ》がして足が筋張《すじば》ると石に躓《つまず》いて転んだ、その時|膝節《ひざぶし》を痛めましたものと見える。
 それからがくがくして歩行《ある》くのが少し難渋《なんじゅう》になったけれども、ここで倒《たお》れては温気《うんき》で蒸殺《むしころ》されるばかりじゃと、我身で我身を激《はげ》まして首筋を取って引立てるようにして峠の方へ。
 何しろ路傍《みちばた》の草いきれが恐《おそろ》しい、大鳥の卵見たようなものなんぞ足許《あしもと》にごろごろしている茂り塩梅《あんばい》。
 また二里ばかり大蛇《おろち》の蜿《うね》るような坂を、山懐《やまぶところ》に突当《つきあた》って岩角を曲って、木の根を繞《めぐ》って参ったがここのことで余りの道じゃったから、参謀《さんぼう》本部の絵図面を開いて見ました。
 何やっぱり道はおんなじで聞いたにも見たのにも変《かわり》はない、旧道はこちらに相違はないから心遣《こころや》りにも何にもならず、もとより歴《れっき》とした図面というて、描《か》いてある道はただ栗《くり》の毬《いが》の上へ赤い筋が引張ってあるばかり。
 難儀《なんぎ》さも、蛇も、毛虫も、鳥の卵も、草いきれも、記してあるはずはないのじゃから、さっぱりと畳《たた》んで懐《ふところ》に入れて、うむとこの乳の下へ念仏を唱え込んで立直ったはよいが、息も引かぬ内《うち》に情無《なさけな》い長虫が路を切った。
 そこでもう所詮叶《しょせんかな》わぬと思ったなり、これはこの山の霊《れい》であろうと考えて、杖を棄《す》てて膝を曲げ、じりじりする地《つち》に両手をついて、
(誠に済みませぬがお通しなすって下さりまし、なるたけお午睡《ひるね》の邪魔《じゃま》になりませぬようにそっと通行いたしまする。
 ご覧《らん》の通り杖も棄てました。)と我折《がお》れしみじみと頼んで額を上げるとざっという凄《すさま》じい音で。
 心持《こころもち》よほどの大蛇と思った、三尺、四尺、五尺四方、一丈余、だんだんと草の動くのが広がって、傍《かたえ》の渓《たに》へ一文字にさっと靡《なび》いた、果《はて》は峰《みね》も山も一斉に揺《ゆら》いだ、恐毛《おぞげ》を震《ふる》って立竦《たちすく》むと涼しさが身に染みて、気が付くと山颪《やまおろし》よ。
 この折から聞えはじめたのはどっという山彦《こだま》に伝わる響《ひびき》、ちょうど山の奥に風が渦巻《うづま》いてそこから吹起《ふきおこ》る穴があいたように感じられる。
 何しろ山霊感応あったか、蛇は見えなくなり暑さも凌《しの》ぎよくなったので、気も勇《いさ》み足も捗取《はかど》ったが、ほどなく急に風が冷たくなった理由を会得《えとく》することが出来た。
 というのは目の前に大森林があらわれたので。
 世の譬《たとえ》にも天生《あもう》峠は蒼空《あおぞら》に雨が降るという、人の話にも神代《かみよ》から杣《そま》が手を入れぬ森があると聞いたのに、今までは余り樹がなさ過ぎた。
 今度は蛇のかわりに蟹《かに》が歩きそうで草鞋《わらじ》が冷えた。しばらくすると暗くなった、杉、松、榎《えのき》と処々《ところどころ》見分けが出来るばかりに遠い処から幽《かすか》に日の光の射《さ》すあたりでは、土の色が皆黒い。中には光線が森を射通《いとお》す工合《ぐあい》であろう、青だの、赤だの、ひだが入《い》って美しい処があった。
 時々|爪尖《つまさき》に絡《から》まるのは葉の雫《しずく》の落溜《おちたま》った糸のような流《ながれ》で、これは枝を打って高い処を走るので。ともするとまた常磐木《ときわぎ》が落葉する、何の樹とも知れずばらばらと鳴り、かさかさと音がしてぱっと檜笠《ひのきがさ》にかかることもある、あるいは行過ぎた背後《うしろ》へこぼれるのもある、それ等《ら》は枝から枝に溜《たま》っていて何十年ぶりではじめて地の上まで落ちるのか分らぬ。」

     八

「心細さは申すまでもなかったが、卑怯《ひきょう》なようでも修行《しゅぎょう》の積まぬ身には、こういう暗い処の方がかえって観念に便《たより》がよい。何しろ体が凌《しの》ぎよくなったために足の弱《よわり》も忘れたので、道も大きに捗取《はかど》って、まずこれで七分は森の中を越したろうと思う処で五六尺|天窓《あたま》の上らしかった樹の枝から、ぼたりと笠の上へ落ち留まったものがある。
 鉛《なまり》の錘《おもり》かとおもう心持、何か木の実ででもあるかしらんと、二三度振ってみたが附着《くッつ》いていてそのままには取れないから、何心なく手をやって掴《つか》むと、滑《なめ》らかに冷《ひや》りと来た。
 見ると海鼠《なまこ》を裂《さ》いたような目も口もない者じゃが、動物には違いない。不気味で投出そうとするとずるずると辷《すべ》って指の尖《さき》へ吸ついてぶらりと下った、その放れた指の尖から真赤な美しい血が垂々《たらたら》と出たから、吃驚《びっくり》して目の下へ指をつけてじっと見ると、今折曲げた肱《ひじ》の処へつるりと垂懸《たれかか》っているのは同形《おなじかたち》をした、幅が五分、丈《たけ》が三寸ばかりの山海鼠《やまなまこ》。
 呆気《あっけ》に取られて見る見る内に、下の方から縮みながら、ぶくぶくと太って行くのは生血《いきち》をしたたかに吸込むせいで、濁《にご》った黒い滑らかな肌《はだ》に茶褐色《ちゃかっしょく》の縞《しま》をもった、疣胡瓜《いぼきゅうり》のような血を取る動物、こいつは蛭《ひる》じゃよ。
 誰《た》が目にも見違えるわけのものではないが、図抜《ずぬけ》て余り大きいからちょっとは気がつかぬであった、何の畠《はたけ》でも、どんな履歴《りれき》のある沼《ぬま》でも、このくらいな蛭はあろうとは思われぬ。
 肱をばさりと振《ふる》ったけれども、よく喰込《くいこ》んだと見えてなかなか放れそうにしないから不気味《ぶきみ》ながら手で抓《つま》んで引切ると、ぷつりといってようよう取れる、しばらくも耐《たま》ったものではない、突然《いきなり》取って大地へ叩《たた》きつけると、これほどの奴等《やつら》が何万となく巣をくって我《わが》ものにしていようという処、かねてその用意はしていると思われるばかり、日のあたらぬ森の中の土は柔《やわらか》い、潰《つぶ》れそうにもないのじゃ。
 ともはや頸《えり》のあたりがむずむずして来た、平手《ひらて》で扱《こい》て見ると横撫《よこなで》に蛭の背《せな》をぬるぬるとすべるという、やあ、乳の下へ潜《ひそ》んで帯の間にも一|疋《ぴき》、蒼《あお》くなってそッと見ると肩の上にも一筋。
 思わず飛上って総身《そうしん》を震いながらこの大枝の下を一散にかけぬけて、走りながらまず心覚えの奴だけは夢中《むちゅう》でもぎ取った。
 何にしても恐しい今の枝には蛭が生《な》っているのであろうとあまりの事に思って振返ると、見返った樹の何の枝か知らずやっぱり幾《いく》ツということもない蛭の皮じゃ。
 これはと思う、右も、左も、前の枝も、何の事はないまるで充満《いっぱい》。
 私は思わず恐怖《きょうふ》の声を立てて叫《さけ》んだ、すると何と? この時は目に見えて、上からぼたりぼたりと真黒な痩《や》せた筋の入った雨が体へ降かかって来たではないか。
 草鞋を穿《は》いた足の甲《こう》へも落ちた上へまた累《かさな》り、並んだ傍《わき》へまた附着《くッつ》いて爪先《つまさき》も分らなくなった、そうして活《い》きてると思うだけ脈を打って血を吸うような、思いなしか一ツ一ツ伸縮《のびちぢみ》をするようなのを見るから気が遠くなって、その時不思議な考えが起きた。
 この恐しい山蛭《やまびる》は神代《かみよ》の古《いにしえ》からここに屯《たむろ》をしていて、人の来るのを待ちつけて、永い久しい間にどのくらい何斛《なんごく》かの血を吸うと、そこでこの虫の望《のぞみ》が叶《かな》う、その時はありったけの蛭が残らず吸っただけの人間の血を吐出《はきだ》すと、それがために土がとけて山一ツ一面に血と泥《どろ》との大沼にかわるであろう、それと同時にここに日の光を遮《さえぎ》って昼もなお暗い大木が切々《きれぎれ》に一ツ一ツ蛭になってしまうのに相違《そうい》ないと、いや、全くの事で。」

     九

「およそ人間が滅びるのは、地球の薄皮《うすかわ》が破れて空から火が降るのでもなければ、大海が押被《おっかぶ》さるのでもない、飛騨国《ひだのくに》の樹林《きばやし》が蛭になるのが最初で、しまいには皆《みんな》血と泥の中に筋の黒い虫が泳ぐ、それが代《だい》がわりの世界であろうと、ぼんやり。
 なるほどこの森も入口では何の事もなかったのに、中へ来るとこの通り、もっと奥深く進んだら早《は》や残らず立樹《たちき》の根の方から朽《く》ちて山蛭になっていよう、助かるまい、ここで取殺される因縁《いんねん》らしい、取留《とりと》めのない考えが浮んだのも人が知死期《ちしご》に近《ちかづ》いたからだとふと気が付いた。
 どの道死ぬるものなら一足でも前へ進んで、世間の者が夢《ゆめ》にも知らぬ血と泥の大沼の片端《かたはし》でも見ておこうと、そう覚悟《かくご》がきまっては気味の悪いも何もあったものじゃない、体中|珠数生《じゅずなり》になったのを手当《てあたり》次第に掻《か》い除《の》け※[#「てへん」に「劣」 117-2]《むし》り棄《す》て、抜き取りなどして、手を挙げ足を踏んで、まるで躍《おど》り狂う形で歩行《ある》き出した。
 はじめの中《うち》は一廻《ひとまわり》も太ったように思われて痒《かゆ》さが耐《たま》らなかったが、しまいにはげっそり痩《や》せたと感じられてずきずき痛んでならぬ、その上を容赦《ようしゃ》なく歩行《ある》く内にも入交《いりまじ》りに襲《おそ》いおった。
 既《すで》に目も眩《くら》んで倒れそうになると、禍《わざわい》はこの辺が絶頂であったと見えて、隧道《トンネル》を抜けたように、遥《はるか》に一輪《いちりん》のかすれた月を拝んだのは、蛭の林の出口なので。
 いや蒼空《あおぞら》の下へ出た時には、何のことも忘れて、砕《くだ》けろ、微塵《みじん》になれと横なぐりに体を山路《やまじ》へ打倒《うちたお》した。それでからもう砂利《じゃり》でも針でもあれと地《つち》へこすりつけて、十余りも蛭の死骸《しがい》を引《ひっ》くりかえした上から、五六|間《けん》向うへ飛んで身顫《みぶるい》をして突立《つッた》った。
 人を馬鹿《ばか》にしているではありませんか。あたりの山では処々《ところどころ》茅蜩殿《ひぐらしどの》、血と泥の大沼になろうという森を控《ひか》えて鳴いている、日は斜《ななめ》、渓底《たにそこ》はもう暗い。
 まずこれならば狼《おおかみ》の餌食《えじき》になってもそれは一思《ひとおもい》に死なれるからと、路はちょうどだらだら下《おり》なり、小僧さん、調子はずれに竹の杖を肩にかついで、すたこら遁《に》げたわ。
 これで蛭に悩まされて痛いのか、痒《かゆ》いのか、それとも擽《くすぐ》ったいのか得《え》もいわれぬ苦しみさえなかったら、嬉《うれ》しさに独《ひと》り飛騨山越《ひだやまごえ》の間道《かんどう》で、お経《きょう》に節《ふし》をつけて外道踊《げどうおどり》をやったであろう、ちょっと清心丹《せいしんたん》でも噛砕《かみくだ》いて疵口《きずぐち》へつけたらどうだと、だいぶ世の中の事に気がついて来たわ。抓《つね》っても確《たしか》に活返《いきかえ》ったのじゃが、それにしても富山の薬売はどうしたろう、あの様子《ようす》ではとうに血になって泥沼に。皮ばかりの死骸は森の中の暗い処、おまけに意地の汚《きたな》い下司《げす》な動物が骨までしゃぶろうと何百という数でのしかかっていた日には、酢《す》をぶちまけても分る気遣《きづかい》はあるまい。
 こう思っている間、件《くだん》のだらだら坂は大分長かった。
 それを下《くだ》り切ると流が聞えて、とんだ処に長さ一間ばかりの土橋がかかっている。
 はやその谷川の音を聞くと我身で持余《もてあま》す蛭の吸殻《すいがら》を真逆《まっさかさま》に投込んで、水に浸《ひた》したらさぞいい心地《ここち》であろうと思うくらい、何の渡りかけて壊《こわ》れたらそれなりけり。
 危いとも思わずにずっと懸《かか》る、少しぐらぐらしたが難なく越した。向うからまた坂じゃ、今度は上《のぼ》りさ、ご苦労千万。」

     十

「とてもこの疲《つか》れようでは、坂を上るわけには行くまいと思ったが、ふと前途《ゆくて》に、ヒイインと馬の嘶《いなな》くのが谺《こだま》して聞えた。
 馬士《まご》が戻《もど》るのか小荷駄《こにだ》が通るか、今朝一人の百姓に別れてから時の経ったは僅《わずか》じゃが、三年も五年も同一《おんなじ》ものをいう人間とは中を隔《へだ》てた。馬が居るようではともかくも人里に縁があると、これがために気が勇んで、ええやっと今|一揉《ひともみ》。
 一軒の山家《やまが》の前へ来たのには、さまで難儀《なんぎ》は感じなかった。夏のことで戸障子のしまりもせず、殊《こと》に一軒家、あけ開いたなり門というてもない、突然《いきなり》破縁《やれえん》になって男が一人、私《わし》はもう何の見境もなく、
(頼《たの》みます、頼みます、)というさえ助《たすけ》を呼ぶような調子で、取縋《とりすが》らぬばかりにした。
(ご免《めん》なさいまし、)といったがものもいわない、首筋をぐったりと、耳を肩で塞《ふさ》ぐほど顔を横にしたまま小児《こども》らしい、意味のない、しかもぼっちりした目で、じろじろと門に立ったものを瞻《みつ》める、その瞳《ひとみ》を動かすさえ、おっくうらしい、気の抜けた身の持方。裾短《すそみじ》かで袖《そで》は肱《ひじ》より少い、糊気《のりけ》のある、ちゃんちゃんを着て、胸のあたりで紐《ひも》で結《ゆわ》えたが、一ツ身のものを着たように出ッ腹の太り肉《じし》、太鼓《たいこ》を張ったくらいに、すべすべとふくれてしかも出臍《でべそ》という奴《やつ》、南瓜《かぼちゃ》の蔕《へた》ほどな異形《いぎょう》な者を片手でいじくりながら幽霊《ゆうれい》の手つきで、片手を宙にぶらり。
 足は忘れたか投出した、腰がなくば暖簾《のれん》を立てたように畳《たた》まれそうな、年紀《とし》がそれでいて二十二三、口をあんぐりやった上唇《うわくちびる》で巻込めよう、鼻の低さ、出額《でびたい》。五分刈《ごぶがり》の伸《の》びたのが前は鶏冠《とさか》のごとくになって、頸脚《えりあし》へ撥《は》ねて耳に被《かぶさ》った、唖《おし》か、白痴《ばか》か、これから蛙《かえる》になろうとするような少年。私《わし》は驚いた、こっちの生命《いのち》に別条はないが、先方様《さきさま》の形相《ぎょうそう》。いや、大別条《おおべつじょう》。
(ちょいとお願い申します。)
 それでもしかたがないからまた言葉をかけたが少しも通ぜず、ばたりというと僅《わずか》に首の位置をかえて今度は左の肩を枕《まくら》にした、口の開いてること旧《もと》のごとし。
 こういうのは、悪くすると突然《いきなり》ふんづかまえて臍を捻《ひね》りながら返事のかわりに嘗《な》めようも知れぬ。
 私《わし》は一足|退《すさ》ったが、いかに深山だといってもこれを一人で置くという法はあるまい、と足を爪立《つまだ》てて少し声高《こわだか》に、
(どなたぞ、ご免なさい、)といった。
 背戸《せど》と思うあたりで再び馬の嘶《いなな》く声。
(どなた、)と納戸《なんど》の方でいったのは女じゃから、南無三宝《なむさんぼう》、この白い首には鱗《うろこ》が生えて、体は床《ゆか》を這《は》って尾をずるずると引いて出ようと、また退《すさ》った。
(おお、お坊様《ぼうさま》。)と立顕《たちあらわ》れたのは小造《こづくり》の美しい、声も清《すず》しい、ものやさしい。
 私《わし》は大息を吐《つ》いて、何にもいわず、
(はい。)と頭《つむり》を下げましたよ。
 婦人《おんな》は膝《ひざ》をついて坐《すわ》ったが、前へ伸上《のびあが》るようにして、黄昏《たそがれ》にしょんぼり立った私《わし》が姿を透《す》かして見て、
(何か用でござんすかい。)
 休めともいわずはじめから宿の常世《つねよ》は留守《るす》らしい、人を泊《と》めないときめたもののように見える。
 いい後《おく》れてはかえって出そびれて頼むにも頼まれぬ仕誼《しぎ》にもなることと、つかつかと前へ出た。
 丁寧《ていねい》に腰を屈《かが》めて、
(私は、山越で信州へ参ります者ですが旅籠《はたご》のございます処まではまだどのくらいでございましょう。)

     十一

(あなたまだ八里|余《あまり》でございますよ。)
(その他《ほか》に別に泊めてくれます家《うち》もないのでしょうか。)
(それはございません。)といいながら目《ま》たたきもしないで清《すず》しい目で私《わし》の顔をつくづく見ていた。
(いえもう何でございます、実はこの先一町行け、そうすれば上段の室《へや》に寝かして一晩|扇《あお》いでいてそれで功徳《くどく》のためにする家があると承《うけたまわ》りましても、全くのところ一足も歩行《ある》けますのではございません、どこの物置《ものおき》でも馬小屋の隅《すみ》でもよいのでございますから後生《ごしょう》でございます。)とさっき馬が嘶《いなな》いたのは此家《ここ》より外にはないと思ったから言った。
 婦人《おんな》はしばらく考えていたが、ふと傍《わき》を向いて布の袋《ふくろ》を取って、膝《ひざ》のあたりに置いた桶《おけ》の中へざらざらと一幅《ひとはば》、水を溢《こぼ》すようにあけて縁《ふち》をおさえて、手で掬《すく》って俯向《うつむ》いて見たが、
(ああ、お泊め申しましょう、ちょうど炊《た》いてあげますほどお米もございますから、それに夏のことで、山家は冷えましても夜のものにご不自由もござんすまい。さあ、ともかくもあなた、お上り遊ばして。)
 というと言葉の切れぬ先にどっかと腰を落した。婦人《おんな》はつと身を起して立って来て、
(お坊様、それでござんすがちょっとお断り申しておかねばなりません。)
 はっきりいわれたので私《わし》はびくびくもので、    
(はい、はい。)
(いいえ、別のことじゃござんせぬが、私《わたし》は癖《くせ》として都の話を聞くのが病《やまい》でございます、口に蓋《ふた》をしておいでなさいましても無理やりに聞こうといたしますが、あなた忘れてもその時聞かして下さいますな、ようござんすかい、私は無理にお尋《たず》ね申します、あなたはどうしてもお話しなさいませぬ、それを是非にと申しましても断《た》っておっしゃらないようにきっと念を入れておきますよ。)
 と仔細《しさい》ありげなことをいった。
 山の高さも谷の深さも底の知れない一軒家の婦人《おんな》の言葉とは思うたが保つにむずかしい戒《かい》でもなし、私《わし》はただ頷《うなず》くばかり。
(はい、よろしゅうございます、何事もおっしゃりつけは背《そむ》きますまい。)
 婦人《おんな》は言下《ごんか》に打解《うちと》けて、
(さあさあ汚《きたの》うございますが早くこちらへ、お寛《くつろ》ぎなさいまし、そうしてお洗足《せんそく》を上げましょうかえ。)
(いえ、それには及びませぬ、雑巾《ぞうきん》をお貸し下さいまし。ああ、それからもしそのお雑巾|次手《ついで》にずッぷりお絞《しぼ》んなすって下さると助《たすか》ります、途中《とちゅう》で大変な目に逢《あ》いましたので体を打棄《うっちゃり》りたいほど気味が悪うございますので、一ツ背中を拭《ふ》こうと存じますが、恐入《おそれい》りますな。)
(そう、汗《あせ》におなりなさいました、さぞまあ、お暑うござんしたでしょう、お待ちなさいまし、旅籠《はたご》へお着き遊ばして湯にお入りなさいますのが、旅するお方には何よりご馳走《ちそう》だと申しますね、湯どころか、お茶さえ碌《ろく》におもてなしもいたされませんが、あの、この裏の崖《がけ》を下りますと、綺麗《きれい》な流《ながれ》がございますからいっそそれへいらっしゃッてお流しがよろしゅうございましょう。)
 聞いただけでも飛んでも行きたい。
(ええ、それは何より結構でございますな。)
(さあ、それではご案内申しましょう、どれ、ちょうど私も米を磨《と》ぎに参ります。)と件《くだん》の桶《おけ》を小脇《こわき》に抱《かか》えて、縁側《えんがわ》から、藁草履《わらぞうり》を穿《は》いて出たが、屈《かが》んで板縁《いたえん》の下を覗《のぞ》いて、引出したのは一足の古|下駄《げた》で、かちりと合《あわ》して埃《ほこり》を払《はた》いて揃《そろ》えてくれた。
(お穿《は》きなさいまし、草鞋《わらじ》はここにお置きなすって、)
 私《わし》は手をあげて、一礼して、
(恐入ります、これはどうも、)
(お泊め申すとなりましたら、あの、他生《たしょう》の縁《えん》とやらでござんす、あなたご遠慮を遊ばしますなよ。)まず恐しく調子がいいじゃて。」

     十二

「(さあ、私に跟《つ》いてこちらへ、)と件の米磨桶《こめとぎおけ》を引抱《ひっかか》えて手拭《てぬぐい》を細い帯に挟《はさ》んで立った。
 髪は房《ふっさ》りとするのを束《たば》ねてな、櫛《くし》をはさんで簪《かんざし》で留《と》めている、その姿の佳《よ》さというてはなかった。
 私《わし》も手早く草鞋を解《と》いたから、早速古下駄を頂戴《ちょうだい》して、縁から立つ時ちょいと見ると、それ例の白痴殿《ばかどの》じゃ。
 同じく私《わし》が方《かた》をじろりと見たっけよ、舌不足《したたらず》が饒舌《しゃべ》るような、愚《ぐ》にもつかぬ声を出して、
(姉《ねえ》や、こえ、こえ。)といいながら気《け》だるそうに手を持上げてその蓬々《ぼうぼう》と生えた天窓《あたま》を撫《な》でた。
(坊さま、坊さま?)
 すると婦人《おんな》が、下《しも》ぶくれな顔にえくぼを刻んで、三ツばかりはきはきと続けて頷いた。
 少年はうむといったが、ぐたりとしてまた臍《へそ》をくりくりくり。
 私《わし》は余り気の毒さに顔も上げられないでそっと盗むようにして見ると、婦人《おんな》は何事も別に気に懸《か》けてはおらぬ様子、そのまま後へ跟《つ》いて出ようとする時、紫陽花《あじさい》の花の蔭《かげ》からぬいと出た一名の親仁《おやじ》がある。
 背戸《せど》から廻って来たらしい、草鞋を穿《は》いたなりで、胴乱《どうらん》の根付《ねつけ》を紐長《ひもなが》にぶらりと提《さ》げ、銜煙管《くわえぎせる》をしながら並んで立停《たちどま》った。
(和尚《おしょう》様おいでなさい。)
 婦人《おんな》はそなたを振向いて、
(おじ様どうでござんした。)
(さればさの、頓馬《とんま》で間の抜けたというのはあのことかい。根ッから早や狐《きつね》でなければ乗せ得そうにもない奴《やつ》じゃが、そこはおらが口じゃ、うまく仲人《なこうど》して、二月《ふたつき》や三月《みつき》はお嬢様《じょうさま》がご不自由のねえように、翌日《あす》はものにしてうんとここへ担《かつ》ぎ込みます。)
(お頼み申しますよ。)
(承知、承知、おお、嬢様どこさ行かっしゃる。)
(崖の水までちょいと。)
(若い坊様連れて川へ落っこちさっしゃるな、おらここに眼張《がんば》って待っとるに、)と横様《よこざま》に縁にのさり。
(貴僧《あなた》、あんなことを申しますよ。)と顔を見て微笑《ほほえ》んだ。
(一人で参りましょう、)と傍《わき》へ退《の》くと、親仁《おやじ》はくっくっと笑って、
(はははは、さあ、早くいってござらっせえ。)
(おじ様、今日はお前、珍《めずら》しいお客がお二方ござんした、こういう時はあとからまた見えようも知れません、次郎さんばかりでは来た者が弱んなさろう、私《わたし》が帰るまでそこに休んでいておくれでないか。)
(いいともの。)といいかけて、親仁《おやじ》は少年の傍《そば》へにじり寄って、鉄挺《かなてこ》を見たような拳《こぶし》で、背中をどんとくらわした、白痴《ばか》の腹はだぶりとして、べそをかくような口つきで、にやりと笑う。
 私《わし》はぞっとして面《おもて》を背けたが、婦人《おんな》は何気《なにげ》ない体《てい》であった。
 親仁《おやじ》は大口を開いて、
(留守におらがこの亭主を盗むぞよ。)
(はい、ならば手柄《てがら》でござんす、さあ、貴僧《あなた》参りましょうか。)
 背後《うしろ》から親仁が見るように思ったが、導かるるままに壁《かべ》について、かの紫陽花のある方ではない。
 やがて背戸と思う処で左に馬小屋を見た、ことことという音は羽目《はめ》を蹴《け》るのであろう、もうその辺から薄暗くなって来る。
(貴僧《あなた》、ここから下りるのでございます、辷《すべ》りはいたしませぬが、道が酷《ひど》うございますからお静《しずか》に、)という。」

     十三

「そこから下りるのだと思われる、松の木の細くッて度外れに背の高い、ひょろひょろしたおよそ五六間上までは小枝一ツもないのがある。その中を潜《くぐ》ったが、仰《あお》ぐと梢《こずえ》に出て白い、月の形はここでも別にかわりは無かった、浮世《うきよ》はどこにあるか十三夜で。
 先へ立った婦人《おんな》の姿が目さきを放れたから、松の幹《みき》に掴《つか》まって覗《のぞ》くと、つい下に居た。
 仰向《あおむ》いて、
(急に低くなりますから気をつけて。こりゃ貴僧《あなた》には足駄《あしだ》では無理でございましたかしら、宜《よろ》しくば草履《ぞうり》とお取交《とりか》え申しましょう。)
 立後《たちおく》れたのを歩行悩《あるきなや》んだと察した様子、何がさて転げ落ちても早く行って蛭《ひる》の垢《あか》を落したさ。
(何、いけませんければ跣足《はだし》になります分のこと、どうぞお構いなく、嬢様にご心配をかけては済みません。)
(あれ、嬢様ですって、)とやや調子を高めて、艶麗《あでやか》に笑った。
(はい、ただいまあの爺様《じいさん》が、さよう申しましたように存じますが、夫人《おくさま》でございますか。)
(何にしても貴僧《あなた》には叔母《おば》さんくらいな年紀《とし》ですよ。まあ、お早くいらっしゃい、草履もようござんすけれど、刺《とげ》がささりますといけません、それにじくじく湿《ぬ》れていてお気味が悪うございましょうから。)と向う向《むき》でいいながら衣服《きもの》の片褄《かたつま》をぐいとあげた。真白なのが暗《やみ》まぎれ、歩行《ある》くと霜《しも》が消えて行くような。
 ずんずんずんずんと道を下りる、傍《かたわ》らの叢《くさむら》から、のさのさと出たのは蟇《ひき》で。
(あれ、気味が悪いよ。)というと婦人《おんな》は背後《うしろ》へ高々と踵《かかと》を上げて向うへ飛んだ。
(お客様がいらっしゃるではないかね、人の足になんか搦《から》まって、贅沢《ぜいたく》じゃあないか、お前達は虫を吸っていればたくさんだよ。
 貴僧《あなた》ずんずんいらっしゃいましな、どうもしはしません。こう云う処ですからあんなものまで人|懐《なつか》しゅうございます、厭《いや》じゃないかね、お前達と友達をみたようで愧《はずか》しい、あれいけませんよ。)
 蟇はのさのさとまた草を分けて入った、婦人《おんな》はむこうへずいと。
(さあこの上へ乗るんです、土が柔かで壊《く》えますから地面は歩行《ある》かれません。)
 いかにも大木の僵《たお》れたのが草がくれにその幹をあらわしている、乗ると足駄穿《あしだばき》で差支《さしつか》えがない、丸木だけれどもおそろしく太いので、もっともこれを渡り果てるとたちまち流《ながれ》の音が耳に激《げき》した、それまでにはよほどの間《あいだ》。
 仰いで見ると松の樹《き》はもう影も見えない、十三夜の月はずっと低うなったが、今下りた山の頂《いただき》に半ばかかって、手が届きそうにあざやかだけれども、高さはおよそ計り知られぬ。
(貴僧《あなた》、こちらへ。)
 といった婦人《おんな》はもう一息、目の下に立って待っていた。
 そこは早や一面の岩で、岩の上へ谷川の水がかかってここによどみを作っている、川幅は一|間《けん》ばかり、水に臨《のぞ》めば音はさまでにもないが、美しさは玉を解いて流したよう、かえって遠くの方で凄《すさま》じく岩に砕《くだ》ける響《ひびき》がする。
 向う岸はまた一座の山の裾《すそ》で、頂の方は真暗《まっくら》だが、山の端《は》からその山腹を射る月の光に照し出された辺《あたり》からは大石小石、栄螺《さざえ》のようなの、六尺角に切出したの、剣《つるぎ》のようなのやら、鞠《まり》の形をしたのやら、目の届く限り残らず岩で、次第に大きく水に※[#「くさかんむり」に「酉へん」+「隹」、その下に点4個 133-2]《ひた》ったのはただ小山のよう。」

     十四

「(いい塩梅《あんばい》に今日は水がふえておりますから、中へ入りませんでもこの上でようございます。)と甲を浸《ひた》して爪先《つまさき》を屈《かが》めながら、雪のような素足で石の盤《ばん》の上に立っていた。
 自分達が立った側《かわ》は、かえってこっちの山の裾が水に迫って、ちょうど切穴の形になって、そこへこの石を嵌《は》めたような誂《あつらえ》。川上も下流も見えぬが、向うのあの岩山、九十九折《つづらおり》のような形、流は五尺、三尺、一間ばかりずつ上流の方がだんだん遠く、飛々《とびとび》に岩をかがったように隠見《いんけん》して、いずれも月光を浴びた、銀の鎧《よろい》の姿、目《ま》のあたり近いのはゆるぎ糸を捌《さば》くがごとく真白に翻《ひるがえ》って。
(結構な流れでございますな。)
(はい、この水は源が滝《たき》でございます、この山を旅するお方は皆《み》な大風のような音をどこかで聞きます。貴僧《あなた》はこちらへいらっしゃる道でお心着きはなさいませんかい。)
 さればこそ山蛭《やまびる》の大藪《おおやぶ》へ入ろうという少し前からその音を。
(あれは林へ風の当るのではございませんので?)
(いえ、誰《たれ》でもそう申します、あの森から三里ばかり傍道《わきみち》へ入りました処に大滝があるのでございます、それはそれは日本一だそうですが、路《みち》が嶮《けわ》しゅうござんすので、十人に一人参ったものはございません。その滝が荒《あ》れましたと申しまして、ちょうど今から十三年前、恐《おそろ》しい洪水《おおみず》がございました、こんな高い処まで川の底になりましてね、麓《ふもと》の村も山も家も残らず流れてしまいました。この上《かみ》の洞《ほら》も、はじめは二十軒ばかりあったのでござんす、この流れもその時から出来ました、ご覧なさいましな、この通り皆な石が流れたのでございますよ。)
 婦人《おんな》はいつかもう米を精《しら》げ果てて、衣紋《えもん》の乱れた、乳の端《はし》もほの見ゆる、膨《ふく》らかな胸を反《そら》して立った、鼻高く口を結んで目を恍惚《うっとり》と上を向いて頂を仰いだが、月はなお半腹のその累々《るいるい》たる巌《いわお》を照すばかり。
(今でもこうやって見ますと恐《こわ》いようでございます。)と屈んで二《に》の腕《うで》の処を洗っていると。
(あれ、貴僧《あなた》、そんな行儀《ぎょうぎ》のいいことをしていらしってはお召《めし》が濡《ぬ》れます、気味が悪うございますよ、すっぱり裸体《はだか》になってお洗いなさいまし、私が流して上げましょう。)
(いえ、)
(いえじゃあござんせぬ、それ、それ、お法衣《ころも》の袖《そで》が浸《ひた》るではありませんか、)というと突然背後《いきなりうしろ》から帯に手をかけて、身悶《みもだえ》をして縮むのを、邪慳《じゃけん》らしくすっぱり脱《ぬ》いで取った。
 私《わし》は師匠《ししょう》が厳《きび》しかったし、経を読む身体《からだ》じゃ、肌《はだ》さえ脱いだことはついぞ覚えぬ。しかも婦人《おんな》の前、蝸牛《まいまいつぶろ》が城を明け渡したようで、口を利《き》くさえ、まして手足のあがきも出来ず、背中を円くして、膝《ひざ》を合せて、縮かまると、婦人《おんな》は脱がした法衣《ころも》を傍《かたわ》らの枝へふわりとかけた。
(お召はこうやっておきましょう、さあお背《せな》を、あれさ、じっとして。お嬢様とおっしゃって下さいましたお礼に、叔母さんが世話を焼くのでござんす、お人の悪い。)といって片袖を前歯で引上げ、玉のような二の腕をあからさまに背中に乗せたが、じっと見て、
(まあ、)
(どうかいたしておりますか。)
(痣《あざ》のようになって、一面に。)
(ええ、それでございます、酷《ひど》い目に逢《あ》いました。)
 思い出してもぞッとするて。」

     十五

「婦人《おんな》は驚いた顔をして、
(それでは森の中で、大変でございますこと。旅をする人が、飛騨《ひだ》の山では蛭が降るというのはあすこでござんす。貴僧《あなた》は抜道をご存じないから正面《まとも》に蛭の巣をお通りなさいましたのでございますよ。お生命《いのち》も冥加《みょうが》なくらい、馬でも牛でも吸い殺すのでございますもの。しかし疼《うず》くようにお痒《かゆ》いのでござんしょうね。)
(ただいまではもう痛みますばかりになりました。)
(それではこんなものでこすりましては柔《やわら》かいお肌が擦剥《すりむ》けましょう。)というと手が綿のように障《さわ》った。
 それから両方の肩から、背、横腹、臀《いしき》、さらさら水をかけてはさすってくれる。
 それがさ、骨に通って冷たいかというとそうではなかった。暑い時分じゃが、理窟《りくつ》をいうとこうではあるまい、私《わし》の血が沸《わ》いたせいか、婦人《おんな》の温気《ぬくみ》か、手で洗ってくれる水がいい工合《ぐあい》に身に染みる、もっとも質《たち》の佳《い》い水は柔かじゃそうな。
 その心地《ここち》の得《え》もいわれなさで、眠気《ねむけ》がさしたでもあるまいが、うとうとする様子で、疵《きず》の痛みがなくなって気が遠くなって、ひたと附《くっ》ついている婦人《おんな》の身体で、私《わし》は花びらの中へ包まれたような工合。
 山家《やまが》の者には肖合《にあ》わぬ、都にも希《まれ》な器量はいうに及《およ》ばぬが弱々しそうな風采《ふう》じゃ、背中を流す中《うち》にもはッはッと内証《ないしょ》で呼吸《いき》がはずむから、もう断ろう断ろうと思いながら、例の恍惚《うっとり》で、気はつきながら洗わした。
 その上、山の気か、女の香《におい》か、ほんのりと佳い薫《かおり》がする、私《わし》は背後《うしろ》でつく息じゃろうと思った。」
 上人《しょうにん》はちょっと句切って、
「いや、お前様お手近じゃ、その明《あかり》を掻《か》き立ってもらいたい、暗いと怪《け》しからぬ話じゃ、ここらから一番|野面《のづら》で遣《やっ》つけよう。」
 枕《まくら》を並べた上人の姿も朧《おぼろ》げに明《あかり》は暗くなっていた、早速|燈心《とうしん》を明くすると、上人は微笑《ほほえ》みながら続けたのである。
「さあ、そうやっていつの間にやら現《うつつ》とも無しに、こう、その不思議な、結構な薫のする暖《あったか》い花の中へ柔かに包まれて、足、腰、手、肩、頸《えり》から次第《しだい》に天窓《あたま》まで一面に被《かぶ》ったから吃驚《びっくり》、石に尻餅《しりもち》を搗《つ》いて、足を水の中に投げ出したから落ちたと思うとたんに、女の手が背後《うしろ》から肩越しに胸をおさえたのでしっかりつかまった。
(貴僧《あなた》、お傍《そば》に居て汗臭《あせくそ》うはござんせぬかい、とんだ暑がりなんでございますから、こうやっておりましてもこんなでございますよ。)という胸にある手を取ったのを、慌《あわ》てて放して棒のように立った。
(失礼、)
(いいえ誰も見ておりはしませんよ。)と澄《すま》して言う、婦人《おんな》もいつの間にか衣服《きもの》を脱いで全身を練絹《ねりぎぬ》のように露《あらわ》していたのじゃ。
 何と驚《おどろ》くまいことか。
(こんなに太っておりますから、もうお愧《はずか》しいほど暑いのでございます、今時は毎日二度も三度も来てはこうやって汗を流します、この水がございませんかったらどういたしましょう、貴僧《あなた》、お手拭《てぬぐい》。)といって絞《しぼ》ったのを寄越《よこ》した。
(それでおみ足をお拭《ふ》きなさいまし。)
 いつの間にか、体はちゃんと拭いてあった、お話し申すも恐《おそれ》多いが、はははははは。」

     十六

「なるほど見たところ、衣服《きもの》を着た時の姿とは違《ちご》うて肉《しし》つきの豊な、ふっくりとした膚《はだえ》。
(さっき小屋へ入って世話をしましたので、ぬらぬらした馬の鼻息が体中にかかって気味が悪うござんす。ちょうどようございますから私も体を拭きましょう。)
 と姉弟《きょうだい》が内端話《うちわばなし》をするような調子。手をあげて黒髪をおさえながら腋《わき》の下を手拭でぐいと拭き、あとを両手で絞りながら立った姿、ただこれ雪のようなのをかかる霊水で清めた、こういう女の汗は薄紅《うすくれない》になって流れよう。
 ちょいちょいと櫛《くし》を入れて、
(まあ、女がこんなお転婆《てんば》をいたしまして、川へ落《おっ》こちたらどうしましょう、川下《かわしも》へ流れて出ましたら、村里の者が何といって見ましょうね。)
(白桃《しろもも》の花だと思います。)とふと心付いて何の気もなしにいうと、顔が合うた。
 すると、さも嬉《うれ》しそうに莞爾《にっこり》してその時だけは初々《ういうい》しゅう年紀《とし》も七ツ八ツ若やぐばかり、処女《きむすめ》の羞《はじ》を含《ふく》んで下を向いた。
 私《わし》はそのまま目を外《そ》らしたが、その一段の婦人《おんな》の姿が月を浴びて、薄い煙に包まれながら向う岸の※[#「さんずい」に 散 140-10]《しぶき》に濡《ぬ》れて黒い、滑《なめら》かな大きな石へ蒼味《あおみ》を帯びて透通《すきとお》って映るように見えた。
 するとね、夜目で判然《はっきり》とは目に入《い》らなんだが地体《じたい》何でも洞穴《ほらあな》があるとみえる。ひらひらと、こちらからもひらひらと、ものの鳥ほどはあろうという大蝙蝠《おおこうもり》が目を遮《さえぎ》った。
(あれ、いけないよ、お客様があるじゃないかね。)
 不意を打たれたように叫んで身悶《みもだ》えをしたのは婦人《おんな》。
(どうかなさいましたか、)もうちゃんと法衣《ころも》を着たから気丈夫《きじょうぶ》に尋《たず》ねる。
(いいえ、)
 といったばかりできまりが悪そうに、くるりと後向《うしろむき》になった。
 その時小犬ほどな鼠色《ねずみいろ》の小坊主《こぼうず》が、ちょこちょことやって来て、あなやと思うと、崖《がけ》から横に宙をひょいと、背後《うしろ》から婦人《おんな》の背中へぴったり。
 裸体《はだか》の立姿は腰から消えたようになって、抱《だき》ついたものがある。
(畜生《ちくしょう》、お客様が見えないかい。)
 と声に怒《いかり》を帯びたが、
(お前達は生意気《なまいき》だよ、)と激しくいいさま、腋の下から覗《のぞ》こうとした件《くだん》の動物の天窓《あたま》を振返《ふりかえ》りさまにくらわしたで。
 キッキッというて奇声を放った、件の小坊主はそのまま後飛《うしろと》びにまた宙を飛んで、今まで法衣《ころも》をかけておいた、枝の尖《さき》へ長い手で釣《つる》し下《さが》ったと思うと、くるりと釣瓶覆《つるべがえし》に上へ乗って、それなりさらさらと木登《きのぼり》をしたのは、何と猿《さる》じゃあるまいか。
 枝から枝を伝うと見えて、見上げるように高い木の、やがて梢《こずえ》まで、かさかさがさり。
 まばらに葉の中を透《すか》して月は山の端《は》を放れた、その梢のあたり。
 婦人《おんな》はものに拗《す》ねたよう、今の悪戯《いたずら》、いや、毎々、蟇《ひき》と蝙蝠《こうもり》と、お猿で三度じゃ。
 その悪戯に多《いた》く機嫌《きげん》を損《そこ》ねた形、あまり子供がはしゃぎ過ぎると、若い母様《おふくろ》には得《え》てある図じゃ。
 本当に怒り出す。
 といった風情《ふぜい》で面倒臭《めんどうくさ》そうに衣服《きもの》を着ていたから、私《わし》は何にも問わずに小さくなって黙って控《ひか》えた。」

     十七

「優しいなかに強みのある、気軽に見えてもどこにか落着のある、馴々《なれなれ》しくて犯し易《やす》からぬ品のいい、いかなることにもいざとなれば驚くに足らぬという身に応《こたえ》のあるといったような風の婦人《おんな》、かく嬌瞋《きょうしん》を発してはきっといいことはあるまい、今この婦人《おんな》に邪慳《じゃけん》にされては木から落ちた猿同然じゃと、おっかなびっくりで、おずおず控えていたが、いや案ずるより産《うむ》が安い。
(貴僧《あなた》、さぞおかしかったでござんしょうね、)と自分でも思い出したように快く微笑《ほほえ》みながら、
(しようがないのでございますよ。)
 以前と変らず心安くなった、帯も早やしめたので、
(それでは家《うち》へ帰りましょう。)と米磨桶《こめとぎおけ》を小腋《こわき》にして、草履《ぞうり》を引《ひっ》かけてつと崖《がけ》へ上《のぼ》った。
(お危《あぶの》うござんすから。)
(いえ、もうだいぶ勝手が分っております。)
 ずッと心得《こころえ》た意《つもり》じゃったが、さて上《あが》る時見ると思いの外《ほか》上までは大層高い。
 やがてまた例の木の丸太を渡るのじゃが、さっきもいった通り草のなかに横倒れになっている木地がこうちょうど鱗《うろこ》のようで、譬《たとえ》にもよくいうが松の木は蝮《うわばみ》に似ているで。
 殊《こと》に崖を、上の方へ、いい塩梅《あんばい》に蜿《うね》った様子が、とんだものに持って来いなり、およそこのくらいな胴中《どうなか》の長虫がと思うと、頭と尾を草に隠して、月あかりに歴然《ありあり》とそれ。
 山路の時を思い出すと我ながら足が竦《すく》む。
 婦人《おんな》は深切に後《うしろ》を気遣《きづこ》うては気を付けてくれる。
(それをお渡りなさいます時、下を見てはなりません。ちょうどちゅうとでよッぽど谷が深いのでございますから、目が廻《ま》うと悪うござんす。)
(はい。)
 愚図愚図《ぐずぐず》してはいられぬから、我身《わがみ》を笑いつけて、まず乗った。引《ひっ》かかるよう、刻《きざ》が入れてあるのじゃから、気さえ確《たしか》なら足駄《あしだ》でも歩行《ある》かれる。
 それがさ、一件じゃから耐《たま》らぬて、乗るとこうぐらぐらして柔かにずるずると這《は》いそうじゃから、わっというと引跨《ひんまた》いで腰をどさり。
(ああ、意気地《いくじ》はございませんねえ。足駄では無理でございましょう、これとお穿《は》き換《か》えなさいまし、あれさ、ちゃんということを肯《き》くんですよ。)
 私《わし》はそのさっきから何《な》んとなくこの婦人《おんな》に畏敬《いけい》の念が生じて善か悪か、どの道命令されるように心得たから、いわるるままに草履を穿いた。
 するとお聞きなさい、婦人《おんな》は足駄を穿きながら手を取ってくれます。
 たちまち身が軽くなったように覚えて、訳《わけ》なく後《うしろ》に従って、ひょいとあの孤家《ひとつや》の背戸《せど》の端《はた》へ出た。
 出会頭《であいがしら》に声を懸《か》けたものがある。
(やあ、大分手間が取れると思ったに、ご坊様旧《ぼうさまもと》の体で帰らっしゃったの。)
(何をいうんだね、小父様家《おじさんうち》の番はどうおしだ。)
(もういい時分じゃ、また私《わし》も余《あんま》り遅《おそ》うなっては道が困るで、そろそろ青を引出して支度《したく》しておこうと思うてよ。)
(それはお待遠《まちどお》でござんした。)
(何さ、行ってみさっしゃいご亭主《ていしゅ》は無事じゃ、いやなかなか私《わし》が手には口説《くどき》落されなんだ、ははははは。)と意味もないことを大笑《おおわらい》して、親仁《おやじ》は厩《うまや》の方へてくてくと行った。
 白痴《ばか》はおなじ処になお形を存している、海月《くらげ》も日にあたらねば解けぬとみえる。」

     十八

「ヒイイン! しっ、どうどうどうと背戸を廻《まわ》る鰭爪《ひづめ》の音が縁《えん》へ響《ひび》いて親仁《おやじ》は一頭の馬を門前へ引き出した。
 轡頭《くつわづら》を取って立ちはだかり、
(嬢様そんならこのままで私《わし》参りやする、はい、ご坊様《ぼうさま》にたくさんご馳走《ちそう》して上げなされ。)
 婦人《おんな》は炉縁《ろぶち》に行燈《あんどう》を引附《ひきつ》け、俯向《うつむ》いて鍋《なべ》の下を燻《いぶ》していたが、振仰《ふりあお》ぎ、鉄の火箸《ひばし》を持った手を膝《ひざ》に置いて、
(ご苦労でござんす。)
(いんえご懇《ねんごろ》には及びましねえ。しっ!)と荒縄《あらなわ》の綱《つな》を引く。青で蘆毛《あしげ》、裸馬《はだかうま》で逞《たくま》しいが、鬣《たてがみ》の薄い牡《おす》じゃわい。
 その馬がさ、私も別に馬は珍しゅうもないが、白痴殿《ばかどの》の背後《うしろ》に畏《かしこま》って手持不沙汰《てもちぶさた》じゃから今引いて行こうとする時縁側へひらりと出て、
(その馬はどこへ。)
(おお、諏訪《すわ》の湖の辺《あたり》まで馬市へ出しやすのじゃ、これから明朝《あした》お坊様が歩行《ある》かっしゃる山路を越えて行きやす。)
(もし、それへ乗って今からお遁《に》げ遊ばすお意《つもり》ではないかい。)
 婦人《おんな》は慌《あわた》だしく遮って声を懸けた。
(いえ、もったいない、修行《しゅぎょう》の身が馬で足休めをしましょうなぞとは存じませぬ。)
(何でも人間を乗っけられそうな馬じゃあござらぬ。お坊様は命拾いをなされたのじゃで、大人《おとな》しゅうして嬢様の袖《そで》の中で、今夜は助けて貰《もら》わっしゃい。さようならちょっくら行って参りますよ。)
(あい。)
(畜生《ちくしょう》。)といったが馬は出ないわ。びくびくと蠢《うごめ》いて見える大《おおき》な鼻面《はなッつら》をこちらへ捻《ね》じ向けてしきりに私等《わしら》が居る方を見る様子。
(どうどうどう、畜生これあだけた獣《けもの》じゃ、やい!)
 右左にして綱を引張ったが、脚《あし》から根をつけたごとくにぬっくと立っていてびくともせぬ。
 親仁《おやじ》大いに苛立《いらだ》って、叩《たた》いたり、打《ぶ》ったり、馬の胴体について二三度ぐるぐると廻ったが少しも歩かぬ。肩でぶッつかるようにして横腹《よこっぱら》へ体《たい》をあてた時、ようよう前足を上げたばかりまた四脚《よつあし》を突張《つッぱ》り抜く。
(嬢様嬢様。)
 と親仁《おやじ》が喚《わめ》くと、婦人《おんな》はちょっと立って白い爪《つま》さきをちょろちょろと真黒《まっくろ》に煤《すす》けた太い柱を楯《たて》に取って、馬の目の届かぬほどに小隠れた。
 その内腰に挟《はさ》んだ、煮染《にし》めたような、なえなえの手拭《てぬぐい》を抜いて克明《こくめい》に刻んだ額の皺《しわ》の汗を拭《ふ》いて、親仁《おやじ》はこれでよしという気組《きぐみ》、再び前へ廻ったが、旧《もと》によって貧乏動《びんぼうゆるぎ》もしないので、綱に両手をかけて足を揃《そろ》えて反返《そりかえ》るようにして、うむと総身《そうみ》に力を入れた。とたんにどうじゃい。
 凄《すさま》じく嘶《いなな》いて前足を両方|中空《なかぞら》へ翻《ひるがえ》したから、小さな親仁《おやじ》は仰向けに引《ひっ》くりかえった、ずどんどう、月夜に砂煙がぱっと立つ。
 白痴《ばか》にもこれは可笑《おか》しかったろう、この時ばかりじゃ、真直《まっすぐ》に首を据《す》えて厚い唇《くちびる》をばくりと開けた、大粒《おおつぶ》な歯を露出《むきだ》して、あの宙へ下げている手を風で煽《あお》るように、はらりはらり。
(世話が焼けることねえ、)
 婦人《おんな》は投げるようにいって草履《ぞうり》を突《つッ》かけて土間へついと出る。
(嬢様|勘違《かんちが》いさっしゃるな、これはお前様ではないぞ、何でもはじめからそこなお坊様に目をつけたっけよ、畜生|俗縁《ぞくえん》があるだッぺいわさ。)
 俗縁は驚《おどろ》いたい。
 すると婦人が、
(貴僧《あなた》ここへいらっしゃる路《みち》で誰にかお逢《あ》いなさりはしませんか。)」

     十九

「(はい、辻《つじ》の手前で富山の反魂丹売《はんごんたんうり》に逢いましたが、一足先にやっぱりこの路へ入りました。)
(ああ、そう。)と会心の笑《えみ》を洩《もら》して婦人《おんな》は蘆毛《あしげ》の方を見た、およそ耐《たま》らなく可笑《おか》しいといったはしたない風采《とりなり》で。
 極めて与《くみ》し易《やす》う見えたので、
(もしや此家《こちら》へ参りませなんだでございましょうか。)
(いいえ、存じません。)という時たちまち犯すべからざる者になったから、私《わし》は口をつぐむと、婦人《おんな》は、匙《さじ》を投げて衣《きもの》の塵《ちり》を払うている馬の前足の下に小さな親仁《おやじ》を見向いて、
(しょうがないねえ、)といいながら、かなぐるようにして、その細帯を解きかけた、片端《かたはし》が土へ引こうとするのを、掻取《かいと》ってちょいと猶予《ためら》う。
(ああ、ああ。)と濁《にご》った声を出して白痴《ばか》が件《くだん》のひょろりとした手を差向《さしむ》けたので、婦人《おんな》は解いたのを渡してやると、風呂敷《ふろしき》を寛《ひろ》げたような、他愛《たわい》のない、力のない、膝《ひざ》の上へわがねて宝物《ほうもつ》を守護するようじゃ。
 婦人《おんな》は衣紋《えもん》を抱き合せ、乳の下でおさえながら静《しずか》に土間を出て馬の傍《わき》へつつと寄った。
 私《わし》はただ呆気《あっけ》に取られて見ていると、爪立《つまだち》をして伸び上り、手をしなやかに空ざまにして、二三度|鬣《たてがみ》を撫《な》でたが。
 大きな鼻頭《はなづら》の正面にすっくりと立った。丈《せい》もすらすらと急に高くなったように見えた、婦人《おんな》は目を据《す》え、口を結び、眉《まゆ》を開いて恍惚《うっとり》となった有様《ありさま》、愛嬌《あいきょう》も嬌態《しな》も、世話らしい打解《うちと》けた風はとみに失《う》せて、神か、魔《ま》かと思われる。
 その時裏の山、向うの峰《みね》、左右前後にすくすくとあるのが、一ツ一ツ嘴《くちばし》を向け、頭《かしら》を擡《もた》げて、この一落《いちらく》の別天地、親仁《おやじ》を下手《しもて》に控え、馬に面して彳《たたず》んだ月下の美女の姿を差覗《さしのぞ》くがごとく、陰々《いんいん》として深山《みやま》の気が籠《こも》って来た。
 生《なま》ぬるい風のような気勢《けはい》がすると思うと、左の肩から片膚《かたはだ》を脱いだが、右の手を脱《はず》して、前へ廻し、ふくらんだ胸のあたりで着ていたその単衣《ひとえ》を円《まる》げて持ち、霞《かすみ》も絡《まと》わぬ姿になった。
 馬は背《せな》、腹の皮を弛《ゆる》めて汗もしとどに流れんばかり、突張《つッぱ》った脚もなよなよとして身震《みぶるい》をしたが、鼻面《はなづら》を地につけて一掴《ひとつかみ》の白泡《しろあわ》を吹出《ふきだ》したと思うと前足を折ろうとする。
 その時、頤《あぎと》の下へ手をかけて、片手で持っていた単衣をふわりと投げて馬の目を蔽《おお》うが否や、兎《うさぎ》は躍《おど》って、仰向《あおむ》けざまに身を翻《ひるがえ》し、妖気《ようき》を籠《こ》めて朦朧《もうろう》とした月あかりに、前足の間に膚《はだ》が挟《はさま》ったと思うと、衣《きぬ》を脱して掻取《かいと》りながら下腹をつと潜《くぐ》って横に抜けて出た。
 親仁《おやじ》は差心得《さしこころえ》たものと見える、この機《きっ》かけに手綱《たづな》を引いたから、馬はすたすたと健脚《けんきゃく》を山路《やまじ》に上げた、しゃん、しゃん、しゃん、しゃんしゃん、しゃんしゃん、――見る間《ま》に眼界を遠ざかる。
 婦人《おんな》は早や衣服《きもの》を引《ひっ》かけて縁側《えんがわ》へ入って来て、突然《いきなり》帯を取ろうとすると、白痴《ばか》は惜《お》しそうに押えて放さず、手を上げて、婦人《おんな》の胸を圧《おさ》えようとした。
 邪慳《じゃけん》に払い退《の》けて、きっと睨《にら》んで見せると、そのままがっくりと頭《こうべ》を垂れた、すべての光景は行燈《あんどう》の火も幽《かすか》に幻《まぼろし》のように見えたが、炉にくべた柴《しば》がひらひらと炎先《ほさき》を立てたので、婦人《おんな》はつと走って入る。空の月のうらを行くと思うあたり遥《はるか》に馬子歌《まごうた》が聞えたて。」

     二十

「さて、それからご飯の時じゃ、膳《ぜん》には山家《やまが》の香《こう》の物、生姜《はじかみ》の漬《つ》けたのと、わかめを茹《う》でたの、塩漬の名も知らぬ蕈《きのこ》の味噌汁《みそしる》、いやなかなか人参《にんじん》と干瓢《かんぴょう》どころではござらぬ。
 品物は侘《わび》しいが、なかなかのお手料理、餓《う》えてはいるし、冥加至極《みょうがしごく》なお給仕、盆を膝に構えてその上に肱《ひじ》をついて、頬《ほお》を支えながら、嬉《うれ》しそうに見ていたわ。
 縁側に居た白痴《ばか》は誰《たれ》も取合《とりあわ》ぬ徒然《つれづれ》に堪《た》えられなくなったものか、ぐたぐたと膝行出《いざりだ》して、婦人《おんな》の傍《そば》へその便々《べんべん》たる腹を持って来たが、崩《くず》れたように胡坐《あぐら》して、しきりにこう我が膳を視《なが》めて、指《ゆびさし》をした。
(うううう、うううう。)
(何でございますね、あとでお食《あが》んなさい、お客様じゃあありませんか。)
 白痴《ばか》は情ない顔をして口を曲《ゆが》めながら頭《かぶり》を掉《ふ》った。
(厭《いや》? しょうがありませんね、それじゃご一所《いっしょ》に召しあがれ。貴僧《あなた》、ご免《めん》を蒙《こうむ》りますよ。)
 私《わし》は思わず箸《はし》を置いて、
(さあどうぞお構いなく、とんだご雑作《ぞうさ》を頂きます。)
(いえ、何の貴僧《あなた》。お前さん後《のち》ほどに私と一所にお食べなさればいいのに。困った人でございますよ。)とそらさぬ愛想《あいそ》、手早くおなじような膳を拵《こしら》えてならべて出した。
 飯のつけようも効々《かいがい》しい女房《にょうぼう》ぶり、しかも何となく奥床《おくゆか》しい、上品な、高家《こうけ》の風がある。
 白痴《あほう》はどんよりした目をあげて膳の上を睨《ね》めていたが、
(あれを、ああ、ああ、あれ。)といってきょろきょろと四辺《あたり》を※[#「目」+「句」 154-6]《みまわ》す。
 婦人《おんな》はじっと瞻《みまも》って、
(まあ、いいじゃないか。そんなものはいつでも食られます、今夜はお客様がありますよ。)
(うむ、いや、いや。)と肩腹を揺《ゆす》ったが、べそを掻《か》いて泣出しそう。
 婦人《おんな》は困《こう》じ果てたらしい、傍《かたわら》のものの気の毒さ。
(嬢様、何か存じませんが、おっしゃる通りになすったがよいではござりませんか。私《わたくし》にお気遣《きづかい》はかえって心苦しゅうござります。)と慇懃《いんぎん》にいうた。
 婦人《おんな》はまたもう一度、
(厭かい、これでは悪いのかい。)
 白痴《ばか》が泣出しそうにすると、さも怨《うら》めしげに流眄《ながしめ》に見ながら、こわれごわれになった戸棚《とだな》の中から、鉢《はち》に入ったのを取り出して手早く白痴《ばか》の膳につけた。
(はい。)と故《わざ》とらしく、すねたようにいって笑顔造《えがおづくり》。
 はてさて迷惑《めいわく》な、こりゃ目の前で黄色蛇《あおだいしょう》の旨煮《うまに》か、腹籠《はらごもり》の猿の蒸焼《むしやき》か、災難が軽うても、赤蛙《あかがえる》の干物《ひもの》を大口にしゃぶるであろうと、そっと見ていると、片手に椀《わん》を持ちながら掴出《つかみだ》したのは老沢庵《ひねたくあん》。
 それもさ、刻んだのではないで、一本三ツ切にしたろうという握太《にぎりぶと》なのを横銜《よこぐわ》えにしてやらかすのじゃ。
 婦人《おんな》はよくよくあしらいかねたか、盗《ぬす》むように私《わし》を見てさっと顔を赭《あか》らめて初心らしい、そんな質《たち》ではあるまいに、羞《はず》かしげに膝《ひざ》なる手拭《てぬぐい》の端《はし》を口にあてた。
 なるほどこの少年はこれであろう、身体《からだ》は沢庵色にふとっている。やがてわけもなく餌食《えじき》を平《たい》らげて湯ともいわず、ふッふッと大儀《たいぎ》そうに呼吸《いき》を向うへ吐《つ》くわさ。
(何でございますか、私は胸に支《つか》えましたようで、ちっとも欲しくございませんから、また後《のち》ほどに頂きましょう、)
 と婦人《おんな》自分は箸も取らずに二ツの膳を片づけてな。」

     二十一

「しばらくしょんぼりしていたっけ。
(貴僧《あなた》、さぞお疲労《つかれ》、すぐにお休ませ申しましょうか。)
(難有《ありがと》う存じます、まだちっとも眠くはござりません、さっき体を洗いましたので草臥《くたびれ》もすっかり復《なお》りました。)
(あの流れはどんな病にでもよく利きます、私《わたし》が苦労をいたしまして骨と皮ばかりに体が朽《か》れましても、半日あすこにつかっておりますと、水々しくなるのでございますよ。もっともあのこれから冬になりまして山がまるで氷ってしまい、川も崕《がけ》も残らず雪になりましても、貴僧《あなた》が行水を遊ばしたあすこばかりは水が隠《かく》れません、そうしていきりが立ちます。
 鉄砲疵《てっぽうきず》のございます猿だの、貴僧《あなた》、足を折った五位鷺《ごいさぎ》、種々《いろいろ》なものが浴《ゆあ》みに参りますからその足跡《あしあと》で崕《がけ》の路が出来ますくらい、きっとそれが利いたのでございましょう。
 そんなにございませんければこうやってお話をなすって下さいまし、寂《さび》しくってなりません、本当《ほんと》にお愧《はずか》しゅうございますが、こんな山の中に引籠《ひっこも》っておりますと、ものをいうことも忘れましたようで、心細いのでございますよ。
 貴僧《あなた》、それでもお眠ければご遠慮《えんりょ》なさいますなえ。別にお寝室《ねま》と申してもございませんがその代り蚊《か》は一ツも居ませんよ、町方《まちかた》ではね、上《かみ》の洞《ほら》の者は、里へ泊りに来た時|蚊帳《かや》を釣《つ》って寝かそうとすると、どうして入るのか解らないので、梯子《はしご》を貸せいと喚《わめ》いたと申して嬲《なぶ》るのでございます。
 たんと朝寐《あさね》を遊ばしても鐘《かね》は聞えず、鶏《とり》も鳴きません、犬だっておりませんからお心安《こころやす》うござんしょう。
 この人も生れ落ちるとこの山で育ったので、何にも存じません代り、気のいい人でちっともお心置《こころおき》はないのでござんす。
 それでも風俗《ふう》のかわった方がいらっしゃいますと、大事にしてお辞儀《じぎ》をすることだけは知ってでございますが、まだご挨拶《あいさつ》をいたしませんね。この頃《ごろ》は体がだるいと見えてお惰《なま》けさんになんなすったよ。いいえ、まるで愚《おろか》なのではございません、何でもちゃんと心得《こころえ》ております。
 さあ、ご坊様にご挨拶をなすって下さい。まあ、お辞儀をお忘れかい。)と親しげに身を寄せて、顔を差し覗《のぞ》いて、いそいそしていうと、白痴《ばか》はふらふらと両手をついて、ぜんまいが切れたようにがっくり一礼。
(はい、)といって私《わし》も何か胸が迫《せま》って頭《つむり》を下げた。
 そのままその俯向《うつむ》いた拍子《ひょうし》に筋が抜けたらしい、横に流れようとするのを、婦人《おんな》は優しゅう扶《たす》け起して、
(おお、よくしたねえ。)
 天晴《あっぱれ》といいたそうな顔色《かおつき》で、
(貴僧《あなた》、申せば何でも出来ましょうと思いますけれども、この人の病ばかりはお医者の手でもあの水でも復《なお》りませなんだ、両足が立ちませんのでございますから、何を覚えさしましても役には立ちません。それにご覧なさいまし、お辞儀一ツいたしますさえ、あの通り大儀《たいぎ》らしい。
 ものを教えますと覚えますのにさぞ骨が折れて切《せつ》のうござんしょう、体を苦しませるだけだと存じて何にもさせないで置きますから、だんだん、手を動かす働《はたらき》も、ものをいうことも忘れました。それでもあの、謡《うた》が唄《うた》えますわ。二ツ三ツ今でも知っておりますよ。さあお客様に一ツお聞かせなさいましなね。)
 白痴《ばか》は婦人《おんな》を見て、また私《わし》が顔をじろじろ見て、人見知《ひとみしり》をするといった形で首を振った。」

     二十二

「左右《とこう》して、婦人《おんな》が、励《はげ》ますように、賺《すか》すようにして勧めると、白痴《ばか》は首を曲げてかの臍《へそ》を弄《もてあそ》びながら唄った。
  木曽《きそ》の御嶽山《おんたけさん》は夏でも寒い、
     袷遣《あわせや》りたや足袋添《たびそ》えて。
(よく知っておりましょう、)と婦人《おんな》は聞き澄して莞爾《にっこり》する。
 不思議や、唄った時の白痴《ばか》の声はこの話をお聞きなさるお前様はもとよりじゃが、私《わし》も推量したとは月鼈雲泥《げっべつうんでい》、天地の相違、節廻《ふしまわ》し、あげさげ、呼吸《いき》の続くところから、第一その清らかな涼しい声という者は、到底《とうてい》この少年の咽喉《のど》から出たものではない。まず前《さき》の世のこの白痴《ばか》の身が、冥土《めいど》から管でそのふくれた腹へ通わして寄越《よこ》すほどに聞えましたよ。
 私は畏《かしこま》って聞き果てると、膝に手をついたッきりどうしても顔を上げてそこな男女《ふたり》を見ることが出来ぬ、何か胸がキヤキヤして、はらはらと落涙《らくるい》した。
 婦人《おんな》は目早く見つけたそうで、
(おや、貴僧《あなた》、どうかなさいましたか。)
 急にものもいわれなんだが漸々《ようよう》、
(はい、なあに、変ったことでもござりませぬ、私《わし》も嬢様のことは別にお尋《たず》ね申しませんから、貴女《あなた》も何にも問うては下さりますな。)
 と仔細《しさい》は語らずただ思い入ってそう言うたが、実は以前から様子でも知れる、金釵玉簪《きんさぎょくさん》をかざし、蝶衣《ちょうい》を纏《まと》うて、珠履《しゅり》を穿《うが》たば、正《まさ》に驪山《りさん》に入って、相抱《あいいだ》くべき豊肥妖艶《ほうひようえん》の人が、その男に対する取廻しの優しさ、隔《へだて》なさ、深切《しんせつ》さに、人事《ひとごと》ながら嬉《うれ》しくて、思わず涙が流れたのじゃ。
 すると人の腹の中を読みかねるような婦人《おんな》ではない、たちまち様子を悟《さと》ったかして、
(貴僧《あなた》はほんとうにお優しい。)といって、得《え》も謂《い》われぬ色を目に湛《たた》えて、じっと見た。私《わし》も首《こうべ》を低《た》れた、むこうでも差俯向《さしうつむ》く。
 いや、行燈《あんどう》がまた薄暗くなって参ったようじゃが、恐らくこりゃ白痴《ばか》のせいじゃて。
 その時よ。
 座が白けて、しばらく言葉が途絶《とだ》えたうちに所在がないので、唄うたいの太夫《たゆう》、退屈《たいくつ》をしたとみえて、顔の前の行燈《あんどう》を吸い込むような大欠伸《おおあくび》をしたから。
 身動きをしてな、
(寝ようちゃあ、寝ようちゃあ、)とよたよた体を持扱《もちあつか》うわい。
(眠うなったのかい、もうお寝か。)といったが坐《すわ》り直ってふと気がついたように四辺《あたり》を※[#「目」+「句」 161-12]《みまわ》した。戸外《おもて》はあたかも真昼のよう、月の光は開《あ》け拡《ひろ》げた家《や》の内《うち》へはらはらとさして、紫陽花《あじさい》の色も鮮麗《あざやか》に蒼《あお》かった。
(貴僧《あなた》ももうお休みなさいますか。)
(はい、ご厄介《やっかい》にあいなりまする。)
(まあ、いま宿《やど》を寝かします、おゆっくりなさいましな。戸外《おもて》へは近うござんすが、夏は広い方が結句宜《けっくよ》うございましょう、私《わたし》どもは納戸《なんど》へ臥《ふ》せりますから、貴僧《あなた》はここへお広くお寛《くつろ》ぎがようござんす、ちょいと待って。)といいかけてつッと立ち、つかつかと足早に土間へ下りた、余り身のこなしが活溌《かっばつ》であったので、その拍子に黒髪が先を巻いたまま項《うなじ》へ崩《くず》れた。
 鬢《びん》をおさえて戸につかまって、戸外《おもて》を透《すか》したが、独言《ひとりごと》をした。
(おやおやさっきの騒《さわ》ぎで櫛《くし》を落したそうな。)
 いかさま馬の腹を潜《くぐ》った時じゃ。」

     二十三

 この折から下の廊下《ろうか》に跫音《あしおと》がして、静《しずか》に大跨《おおまた》に歩行《ある》いたのが、寂《せき》としているからよく。
 やがて小用《こよう》を達《た》した様子、雨戸をばたりと開けるのが聞えた、手水鉢《ちょうずばち》へ柄杓《ひしゃく》の響《ひびき》。
「おお、積《つも》った、積った。」と呟《つぶや》いたのは、旅籠屋《はたごや》の亭主の声である。
「ほほう、この若狭《わかさ》の商人《あきんど》はどこかへ泊ったと見える、何か愉快《おもしろ》い夢でも見ているかな。」
「どうぞその後を、それから。」と聞く身には他事をいううちが牴牾《もどか》しく、膠《にべ》もなく続きを促《うなが》した。
「さて、夜も更《ふ》けました、」といって旅僧《たびそう》はまた語出《かたりだ》した。
「たいてい推量もなさるであろうが、いかに草臥《くたび》れておっても申上げたような深山《みやま》の孤家《ひとつや》で、眠られるものではない、それに少し気になって、はじめの内|私《わし》を寝かさなかった事もあるし、目は冴《さ》えて、まじまじしていたが、さすがに、疲《つかれ》が酷《ひど》いから、心《しん》は少しぼんやりして来た、何しろ夜の白むのが待遠《まちどお》でならぬ。
 そこではじめの内は我ともなく鐘の音の聞えるのを心頼みにして、今鳴るか、もう鳴るか、はて時刻はたっぷり経《た》ったものをと、怪《あや》しんだが、やがて気が付いて、こういう処じゃ山寺どころではないと思うと、にわかに心細くなった。
 その時は早や、夜がものに譬《たと》えると谷の底じゃ、白痴《ばか》がだらしのない寐息《ねいき》も聞えなくなると、たちまち戸の外にものの気勢《けはい》がしてきた。
 獣《けもの》の跫音のようで、さまで遠くの方から歩行《ある》いて来たのではないよう、猿も、蟇《ひき》も、居る処と、気休めにまず考えたが、なかなかどうして。
 しばらくすると今そやつが正面の戸に近《ちかづ》いたなと思ったのが、羊の鳴声になる。
 私はその方を枕《まくら》にしていたのじゃから、つまり枕頭《まくらもと》の戸外《おもて》じゃな。しばらくすると、右手《めて》のかの紫陽花が咲いていたその花の下あたりで、鳥の羽ばたきする音。
 むささびか知らぬがきッきッといって屋の棟《むね》へ、やがておよそ小山ほどあろうと気取《けど》られるのが胸を圧《お》すほどに近《ちかづ》いて来て、牛が鳴いた、遠くの彼方《かなた》からひたひたと小刻《こきざみ》に駈《か》けて来るのは、二本足に草鞋《わらじ》を穿《は》いた獣と思われた、いやさまざまにむらむらと家《うち》のぐるりを取巻いたようで、二十三十のものの鼻息、羽音、中には囁《ささや》いているのがある。あたかも何よ、それ畜生道《ちくしょうどう》の地獄の絵を、月夜に映したような怪しの姿が板戸一枚、魑魅魍魎《ちみもうりょう》というのであろうか、ざわざわと木の葉が戦《そよ》ぐ気色《けしき》だった。
 息を凝《こら》すと、納戸で、
(うむ、)といって長く呼吸《いき》を引いて一声《ひとこえ》、魘《うなさ》れたのは婦人《おんな》じゃ。
(今夜はお客様があるよ。)と叫んだ。
(お客様があるじゃないか。)
 としばらく経って二度目のははっきりと清《すず》しい声。
 極めて低声《こごえ》で、
(お客様があるよ。)といって寝返る音がした、更《さら》に寝返る音がした。
 戸の外のものの気勢《けはい》は動揺《どよめき》を造るがごとく、ぐらぐらと家が揺《ゆらめ》いた。
 私《わし》は陀羅尼《だらに》を呪《じゅ》した。
  若不順我呪《にゃくふじゅんがしゅ》 悩乱説法者《のうらんせっぽうじゃ》
  頭破作七分《ずはさしちぶん》 如阿梨樹枝《にょありじゅし》
  如殺父母罪《にょしぶもざい》 亦如厭油殃《やくにょおうゆおう》
  斗秤欺誑人《としょうごおうにん》 調達破僧罪《じょうだつはそうざい》
  犯此法師者《ほんしほっししゃ》 当獲如是殃《とうぎゃくにょぜおう》
 と一心不乱、さっと木の葉を捲《ま》いて風が南《みんなみ》へ吹いたが、たちまち静《しずま》り返った、夫婦が閨《ねや》もひッそりした。」

     二十四

「翌日また正午頃《ひるごろ》、里近く、滝のある処で、昨日《きのう》馬を売りに行った親仁《おやじ》の帰りに逢《お》うた。
 ちょうど私《わし》が修行に出るのを止《よ》して孤家《ひとつや》に引返して、婦人《おんな》と一所《いっしょ》に生涯《しょうがい》を送ろうと思っていたところで。
 実を申すとここへ来る途中でもその事ばかり考える、蛇の橋も幸《さいわい》になし、蛭《ひる》の林もなかったが、道が難渋《なんじゅう》なにつけても、汗が流れて心持が悪いにつけても、今更行脚《いまさらあんぎゃ》もつまらない。紫《むらさき》の袈裟《けさ》をかけて、七堂伽藍《しちどうがらん》に住んだところで何ほどのこともあるまい、活仏様《いきぼとけさま》じゃというて、わあわあ拝まれれば人いきれで胸が悪くなるばかりか。
 ちとお話もいかがじゃから、さっきはことを分けていいませなんだが、昨夜《ゆうべ》も白痴《ばか》を寐《ね》かしつけると、婦人《おんな》がまた炉のある処へやって来て、世の中へ苦労をしに出ようより、夏は涼しく、冬は暖い、この流《ながれ》に一所に私《わたし》の傍《そば》においでなさいというてくれるし、まだまだそればかりでは自分に魔が魅《さ》したようじゃけれども、ここに我身で我身に言訳《いいわけ》が出来るというのは、しきりに婦人《おんな》が不便《ふびん》でならぬ、深山《みやま》の孤家《ひとつや》に白痴《ばか》の伽《とぎ》をして言葉も通ぜず、日を経《ふ》るに従うてものをいうことさえ忘れるような気がするというは何たる事!
 殊《こと》に今朝《けさ》も東雲《しののめ》に袂《たもと》を振り切って別れようとすると、お名残惜《なごりお》しや、かような処にこうやって老朽《おいく》ちる身の、再びお目にはかかられまい、いささ小川の水になりとも、どこぞで白桃《しろもも》の花が流れるのをご覧になったら、私の体が谷川に沈んで、ちぎれちぎれになったことと思え、といって悄《しお》れながら、なお深切《しんせつ》に、道はただこの谷川の流れに沿うて行きさえすれば、どれほど遠くても里に出らるる、目の下近く水が躍《おど》って、滝になって落つるのを見たら、人家が近づいたと心を安んずるように、と気をつけて、孤家《ひとつや》の見えなくなった辺《あたり》で、指《ゆびさ》しをしてくれた。
 その手と手を取交《とりかわ》すには及ばずとも、傍《そば》につき添《そ》って、朝夕の話対手《はなしあいて》、蕈《きのこ》の汁でご膳《ぜん》を食べたり、私《わし》が榾《ほだ》を焚《た》いて、婦人《おんな》が鍋《なべ》をかけて、私《わし》が木《こ》の実《み》を拾って、婦人《おんな》が皮を剥《む》いて、それから障子《しょうじ》の内と外で、話をしたり、笑ったり、それから谷川で二人して、その時の婦人《おんな》が裸体《はだか》になって私《わし》が背中へ呼吸《いき》が通《かよ》って、微妙《びみょう》な薫《かおり》の花びらに暖《あたたか》に包まれたら、そのまま命が失せてもいい!
 滝の水を見るにつけても耐《た》え難《がた》いのはその事であった、いや、冷汗《ひやあせ》が流れますて。
 その上、もう気がたるみ、筋《すじ》が弛《ゆる》んで、早《は》や歩行《ある》くのに飽《あ》きが来て、喜ばねばならぬ人家が近づいたのも、たかがよくされて口の臭《くさ》い婆《ばあ》さんに渋茶を振舞《ふるま》われるのが関の山と、里へ入るのも厭《いや》になったから、石の上へ膝《ひざ》を懸《か》けた、ちょうど目の下にある滝じゃった、これがさ、後《のち》に聞くと女夫滝《めおとだき》と言うそうで。
 真中にまず鰐鮫《わにざめ》が口をあいたような先のとがった黒い大巌《おおいわ》が突出《つきで》ていると、上から流れて来るさっと瀬《せ》の早い谷川が、これに当って両《ふたつ》に岐《わか》れて、およそ四丈ばかりの滝になってどっと落ちて、また暗碧《あんぺき》に白布《しろぬの》を織って矢を射るように里へ出るのじゃが、その巌にせかれた方は六尺ばかり、これは川の一幅《ひとはば》を裂《さ》いて糸も乱れず、一方は幅が狭い、三尺くらい、この下には雑多な岩が並ぶとみえて、ちらちらちらちらと玉の簾《すだれ》を百千に砕《くだ》いたよう、件《くだん》の鰐鮫《わにざめ》の巌に、すれつ、縋《もつ》れつ。」

     二十五

「ただ一筋《ひとすじ》でも巌を越して男滝《おだき》に縋《すが》りつこうとする形、それでも中を隔《へだ》てられて末までは雫《しずく》も通わぬので、揉《も》まれ、揺られて具《つぶ》さに辛苦《しんく》を嘗《な》めるという風情《ふぜい》、この方は姿も窶《やつ》れ容《かたち》も細って、流るる音さえ別様に、泣くか、怨《うら》むかとも思われるが、あわれにも優しい女滝《めだき》じゃ。
 男滝の方はうらはらで、石を砕き、地を貫《つらぬ》く勢《いきおい》、堂々たる有様《ありさま》じゃ、これが二つ件《くだん》の巌に当って左右に分れて二筋となって落ちるのが身に浸《し》みて、女滝の心を砕く姿は、男の膝に取ついて美女が泣いて身を震《ふる》わすようで、岸に居てさえ体がわななく、肉が跳《おど》る。ましてこの水上《みなかみ》は、昨日《きのう》孤家《ひとつや》の婦人《おんな》と水を浴びた処と思うと、気のせいかその女滝の中に絵のようなかの婦人《おんな》の姿が歴々《ありあり》、と浮いて出ると巻込まれて、沈んだと思うとまた浮いて、千筋《ちすじ》に乱るる水とともにその膚《はだえ》が粉《こ》に砕けて、花片《はなびら》が散込むような。あなやと思うと更に、もとの顔も、胸も、乳も、手足も全《まった》き姿となって、浮いつ沈みつ、ぱッと刻まれ、あッと見る間にまたあらわれる。私《わし》は耐《たま》らず真逆《まっさかさま》に滝の中へ飛込んで、女滝をしかと抱いたとまで思った。気がつくと男滝の方はどうどうと地響《じひびき》打たせて。山彦《やまびこ》を呼んで轟《とどろ》いて流れている。ああその力をもってなぜ救わぬ、儘《まま》よ!
 滝に身を投げて死のうより、旧《もと》の孤家《ひとつや》へ引返せ。汚《けが》らわしい欲のあればこそこうなった上に躊躇《ちゅうちょ》するわ、その顔を見て声を聞けば、かれら夫婦が同衾《ひとつね》するのに枕《まくら》を並べて差支《さしつか》えぬ、それでも汗になって修行をして、坊主で果てるよりはよほどのましじゃと、思切《おもいき》って戻ろうとして、石を放れて身を起した、背後《うしろ》から一ツ背中を叩《たた》いて、
(やあ、ご坊様《ぼうさま》。)といわれたから、時が時なり、心も心、後暗《うしろぐら》いので喫驚《びっくり》して見ると、閻王《えんおう》の使《つかい》ではない、これが親仁《おやじ》。
 馬は売ったか、身軽になって、小さな包みを肩にかけて、手に一|尾《び》の鯉《こい》の、鱗《うろこ》は金色《こんじき》なる、溌剌《はつらつ》として尾の動きそうな、鮮《あたら》しい、その丈《たけ》三尺ばかりなのを、顋《あぎと》に藁《わら》を通して、ぶらりと提げていた。何んにも言わず急にものもいわれないで瞻《みまも》ると、親仁《おやじ》はじっと顔を見たよ。そうしてにやにやと、また一通りの笑い方ではないて、薄気味《うすきみ》の悪い北叟笑《ほくそえみ》をして、
(何をしてござる、ご修行の身が、このくらいの暑《あつさ》で、岸に休んでいさっしゃる分ではあんめえ、一生懸命《いっしょうけんめい》に歩行《ある》かっしゃりや、昨夜《ゆうべ》の泊《とまり》からここまではたった五里、もう里へ行って地蔵様を拝まっしゃる時刻じゃ。
 何じゃの、己《おら》が嬢様に念《おもい》が懸《かか》って煩悩《ぼんのう》が起きたのじゃの。うんにゃ、秘《かく》さっしゃるな、おらが目は赤くッても、白いか黒いかはちゃんと見える。
 地体並《じたいなみ》のものならば、嬢様の手が触《さわ》ってあの水を振舞《ふるま》われて、今まで人間でいようはずがない。
 牛か馬か、猿か、蟇《ひき》か、蝙蝠《こうもり》か、何にせい飛んだか跳《は》ねたかせねばならぬ。谷川から上って来さしった時、手足も顔も人じゃから、おらあ魂消《たまげ》たくらい、お前様それでも感心に志《こころざし》が堅固《けんご》じゃから助かったようなものよ。
 何と、おらが曳《ひ》いて行った馬を見さしったろう。それで、孤家《ひとつや》へ来さっしゃる山路《やまみち》で富山《とやま》の反魂丹売《はんごんたんうり》に逢《あ》わしったというではないか、それみさっせい、あの助平野郎《すけべいやろう》、とうに馬になって、それ馬市で銭《おあし》になって、お銭《あし》が、そうらこの鯉に化けた。大好物で晩飯の菜になさる、お嬢様を一体何じゃと思わっしゃるの)。」[#ここで【)。」】となっているは【。)」】のミス? 172-1]
 私《わたし》は思わず遮《さえぎ》った。
「お上人《しょうにん》?」

     二十六

 上人は頷《うなず》きながら呟《つぶや》いて、
「いや、まず聞かっしゃい、かの孤家《ひとつや》の婦人《おんな》というは、旧《もと》な、これも私《わし》には何かの縁《えん》があった、あの恐しい魔処《ましょ》へ入ろうという岐道《そばみち》の水が溢《あふ》れた往来で、百姓が教えて、あすこはその以前医者の家であったというたが、その家の嬢様じゃ。
 何でも飛騨《ひだ》一円当時変ったことも珍らしいこともなかったが、ただ取り出《い》でていう不思議はこの医者の娘《むすめ》で、生まれると玉のよう。
 母親殿《おふくろどの》は頬板《ほおっぺた》のふくれた、眦《めじり》の下った、鼻の低い、俗にさし乳《ぢち》というあの毒々しい左右の胸の房を含んで、どうしてあれほど美しく育ったものだろうという。
 昔から物語の本にもある、屋の棟《むね》へ白羽の征矢《そや》が立つか、さもなければ狩倉《かりくら》の時|貴人《あでびと》のお目に留《とま》って御殿《ごてん》に召出《めしだ》されるのは、あんなのじゃと噂《うわさ》が高かった。
 父親《てておや》の医者というのは、頬骨《ほおぼね》のとがった髯《ひげ》の生えた、見得坊《みえぼう》で傲慢《ごうまん》、その癖《くせ》でもじゃ、もちろん田舎《いなか》には刈入《かりいれ》の時よく稲《いね》の穂《ほ》が目に入ると、それから煩《わずら》う、脂目《やにめ》、赤目《あかめ》、流行目《はやりめ》が多いから、先生眼病の方は少し遣《や》ったが、内科と来てはからッぺた。外科なんと来た日にゃあ、鬢附《びんつけ》へ水を垂らしてひやりと疵《きず》につけるくらいなところ。
 鰯《いわし》の天窓《あたま》も信心から、それでも命数の尽《つ》きぬ輩《やから》は本復するから、外《ほか》に竹庵養仙木斎《ちくあんようせんもくさい》の居ない土地、相応に繁盛《はんじょう》した。
 殊《こと》に娘が十六七、女盛《おんなざかり》となって来た時分には、薬師様が人助けに先生様の内《うち》へ生れてござったというて、信心渇仰《しんじんかつごう》の善男善女《ぜんなんぜんにょ》? 病男病女が我も我もと詰《つ》め懸《か》ける。
 それというのが、はじまりはかの嬢様が、それ、馴染《なじみ》の病人には毎日顔を合せるところから愛想《あいそ》の一つも、あなたお手が痛みますかい、どんなでございます、といって手先へ柔かな掌《てのひら》が障《さわ》ると第一番に次作兄《じさくあに》いという若いのの(りょうまちす)が全快、お苦しそうなといって腹をさすってやると水あたりの差込《さしこみ》の留《と》まったのがある、初手《しょて》は若い男ばかりに利いたが、だんだん老人《としより》にも及ぼして、後には婦人《おんな》の病人もこれで復《なお》る、復らぬまでも苦痛《いたみ》が薄らぐ、根太《ねぶと》の膿《うみ》を切って出すさえ、錆《さ》びた小刀で引裂《ひっさ》く医者殿が腕前じゃ、病人は七顛八倒《しちてんはっとう》して悲鳴を上げるのが、娘が来て背中へぴったりと胸をあてて肩を押えていると、我慢《がまん》が出来るといったようなわけであったそうな。
 ひとしきりあの藪《やぶ》の前にある枇杷《びわ》の古木へ熊蜂《くまんばち》が来て恐《おそろ》しい大きな巣をかけた。
 すると医者の内弟子《うちでし》で薬局、拭掃除《ふきそうじ》もすれば総菜畠《そうざいばたけ》の芋《いも》も掘《ほ》る、近い所へは車夫も勤めた、下男兼帯《げなんけんたい》の熊蔵という、その頃《ころ》二十四五|歳《さい》、稀塩散《きえんさん》に単舎利別《たんしゃりべつ》を混ぜたのを瓶《びん》に盗んで、内《うち》が吝嗇《けち》じゃから見附かると叱《しか》られる、これを股引《ももひき》や袴《はかま》と一所《いっしょ》に戸棚の上に載《の》せておいて、隙《ひま》さえあればちびりちびり飲んでた男が、庭|掃除《そうじ》をするといって、件《くだん》の蜂の巣を見つけたっけ。
 縁側《えんがわ》へやって来て、お嬢様面白いことをしてお目に懸《か》けましょう、無躾《ぶしつけ》でござりますが、私《わたし》のこの手を握《にぎ》って下さりますと、あの蜂の中へ突込《つッこ》んで、蜂を掴《つか》んで見せましょう。お手が障った所だけは螫《さ》しましても痛みませぬ、竹箒《たけぼうき》で引払《ひっぱた》いては八方へ散らばって体中に集《たか》られてはそれは凌《しの》げませぬ即死《そくし》でございますがと、微笑《ほほえ》んで控える手で無理に握ってもらい、つかつかと行くと、凄《すさま》じい虫の唸《うなり》、やがて取って返した左の手に熊蜂が七ツ八ツ、羽ばたきをするのがある、脚《あし》を振うのがある、中には掴んだ指の股《また》へ這出《はいだ》しているのがあった。
 さあ、あの神様の手が障れば鉄砲玉でも通るまいと、蜘蛛《くも》の巣のように評判が八方へ。
 その頃《ころ》からいつとなく感得したものとみえて、仔細《しさい》あって、あの白痴《ばか》に身を任せて山に籠《こも》ってからは神変不思議、年を経《ふ》るに従うて神通《じんつう》自在じゃ。はじめは体を押つけたのが、足ばかりとなり、手さきとなり、果《はて》は間を隔《へだ》てていても、道を迷うた旅人は嬢様が思うままはッという呼吸《いき》で変ずるわ。
 と親仁《おやじ》がその時物語って、ご坊は、孤家《ひとつや》の周囲《ぐるり》で、猿を見たろう、蟇《ひき》を見たろう、蝙蝠《こうもり》を見たであろう、兎《うさぎ》も蛇も皆嬢様に谷川の水を浴びせられて畜生《ちくしょう》にされたる輩《やから》!
 あわれあの時あの婦人《おんな》が、蟇に絡《まつわ》られたのも、猿に抱かれたのも、蝙蝠に吸われたのも、夜中に魑魅魍魎《ちみもうりょう》に魘《おそ》われたのも、思い出して、私《わし》はひしひしと胸に当った。
 なお親仁《おやじ》のいうよう。
 今の白痴《ばか》も、件《くだん》の評判の高かった頃、医者の内《うち》へ来た病人、その頃はまだ子供、朴訥《ぼくとつ》な父親が附添《つきそ》い、髪の長い、兄貴がおぶって山から出て来た。脚に難渋《なんじゅう》な腫物《はれもの》があった、その療治《りょうじ》を頼んだので。
 もとより一室《ひとま》を借受けて、逗留《とうりゅう》をしておったが、かほどの悩《なやみ》は大事《おおごと》じゃ、血も大分《だいぶん》に出さねばならぬ、殊《こと》に子供、手を下《おろ》すには体に精分をつけてからと、まず一日に三ツずつ鶏卵《たまご》を飲まして、気休めに膏薬《こうやく》を貼《は》っておく。
 その膏薬を剥《は》がすにも親や兄、また傍《そば》のものが手を懸けると、堅《かた》くなって硬《こわ》ばったのが、めりめりと肉にくッついて取れる、ひいひいと泣くのじゃが、娘が手をかけてやれば黙《だま》って耐《こら》えた。
 一体は医者殿、手のつけようがなくって身の衰《おとろえ》をいい立てに一日延ばしにしたのじゃが三日|経《た》つと、兄を残して、克明《こくめい》な父親《てておや》は股引の膝《ひざ》でずって、あとさがりに玄関から土間へ、草鞋《わらじ》を穿《は》いてまた地《つち》に手をついて、次男坊の生命《いのち》の扶《たす》かりまするように、ねえねえ、というて山へ帰った。
 それでもなかなか捗取《はかど》らず、七日《なぬか》も経ったので、後《あと》に残って附添っていた兄者人《あにじゃびと》が、ちょうど刈入で、この節は手が八本も欲しいほど忙《いそが》しい、お天気模様も雨のよう、長雨にでもなりますと、山畠《やまばたけ》にかけがえのない、稲が腐《くさ》っては、餓死《うえじに》でござりまする、総領の私《わし》は、一番の働手《はたらきて》、こうしてはおられませぬから、と辞《ことわり》をいって、やれ泣くでねえぞ、としんみり子供にいい聞かせて病人を置いて行った。
 後には子供一人、その時が、戸長様《こちょうさま》の帳面前|年紀《とし》六ツ、親六十で児《こ》が二十《はたち》なら徴兵《ちょうへい》はお目こぼしと何を間違えたか届が五年遅うして本当は十一、それでも奥山で育ったから村の言葉も碌《ろく》には知らぬが、怜悧《りこう》な生れで聞分《ききわけ》があるから、三ツずつあいかわらず鶏卵《たまご》を吸わせられる汁《つゆ》も、今に療治の時残らず血になって出ることと推量して、べそを掻《か》いても、兄者が泣くなといわしったと、耐えていた心の内。
 娘の情《なさけ》で内と一所に膳《ぜん》を並べて食事をさせると、沢庵《たくあん》の切《きれ》をくわえて隅《すみ》の方へ引込《ひきこ》むいじらしさ。
 いよいよ明日《あす》が手術という夜は、皆寐静《みんなねしず》まってから、しくしく蚊《か》のように泣いているのを、手水《ちょうず》に起きた娘が見つけてあまり不便《ふびん》さに抱いて寝てやった。
 さて治療《りょうじ》となると例のごとく娘が背後《うしろ》から抱いていたから、脂汗《あぶらあせ》を流しながら切れものが入るのを、感心にじっと耐えたのに、どこを切違えたか、それから流れ出した血が留まらず、見る見る内に色が変って、危《あぶな》くなった。
 医者も蒼《あお》くなって、騒いだが、神の扶《たす》けかようよう生命《いのち》は取留《とりと》まり、三日ばかりで血も留ったが、とうとう腰が抜けた、もとより不具《かたわ》。
 これが引摺《ひきず》って、足を見ながら情なそうな顔をする。蟋蟀《きりぎりす》が※[#「夕」に「ふしづくり」下に「手」 178-9]《も》がれた脚《あし》を口に銜《くわ》えて泣くのを見るよう、目もあてられたものではない。
 しまいには泣出すと、外聞もあり、少焦《すこじれ》で、医者は恐《おそろ》しい顔をして睨《にら》みつけると、あわれがって抱きあげる娘の胸に顔をかくして縋《すが》るさまに、年来随分《としごろずいぶん》と人を手にかけた医者も我《が》を折って腕組《うでぐみ》をして、はッという溜息《ためいき》。
 やがて父親《てておや》が迎《むかえ》にござった、因果《いんが》と断念《あきら》めて、別に不足はいわなんだが、何分|小児《こども》が娘の手を放れようといわぬので、医者も幸《さいわい》、言訳《いいわけ》かたがた、親兄《おやあに》の心をなだめるため、そこで娘に小児《こども》を家《うち》まで送らせることにした。
 送って来たのが孤家《ひとつや》で。
 その時分はまだ一個の荘《そう》、家も小《こ》二十軒あったのが、娘が来て一日二日、ついほだされて逗留《とうりゅう》した五日目から大雨が降出《ふりだ》した。滝を覆《くつがえ》すようで小歇《おやみ》もなく家に居ながら皆簑笠《みんなみのかさ》で凌《しの》いだくらい、茅葺《かやぶき》の繕《つくろ》いをすることはさて置いて、表の戸もあけられず、内から内、隣《となり》同士、おうおうと声をかけ合ってわずかにまだ人種《ひとだね》の世に尽《つ》きぬのを知るばかり、八日を八百年と雨の中に籠《こも》ると九日目の真夜中から大風が吹出してその風の勢ここが峠《とうげ》というところでたちまち泥海《どろうみ》。
 この洪水《こうずい》で生残ったのは、不思議にも娘と小児《こども》とそれにその時村から供をしたこの親仁《おやじ》ばかり。
 おなじ水で医者の内も死絶《しにた》えた、さればかような美女が片田舎《かたいなか》に生れたのも国が世がわり、代《だい》がわりの前兆であろうと、土地のものは言い伝えた。
 嬢様は帰るに家なく、世にただ一人となって小児《こども》と一所に山に留《とど》まったのはご坊が見らるる通り、またあの白痴《ばか》につきそって行届《ゆきとど》いた世話も見らるる通り、洪水の時から十三年、いまになるまで一日もかわりはない。
 といい果てて親仁《おやじ》はまた気味の悪い北叟笑《ほくそえみ》。
(こう身の上を話したら、嬢様を不便《ふびん》がって、薪《まき》を折ったり水を汲《く》む手助けでもしてやりたいと、情が懸《かか》ろう。本来の好心《すきごころ》、いい加減な慈悲《じひ》じゃとか、情じゃとかいう名につけて、いっそ山へ帰りたかんべい、はて措《お》かっしゃい。あの白痴殿《ばかどの》の女房になって世の中へは目もやらぬ換《かわり》にゃあ、嬢様は如意《にょい》自在、男はより取って、飽《あ》けば、息をかけて獣《けもの》にするわ、殊にその洪水以来、山を穿《うが》ったこの流は天道様《てんとうさま》がお授けの、男を誘《いざな》う怪《あや》しの水、生命《いのち》を取られぬものはないのじゃ。
 天狗道《てんぐどう》にも三熱の苦悩《くのう》、髪が乱れ、色が蒼ざめ、胸が痩《や》せて手足が細れば、谷川を浴びると旧《もと》の通り、それこそ水が垂るばかり、招けば活《い》きた魚《うお》も来る、睨《にら》めば美しい木《こ》の実《み》も落つる、袖《そで》を翳《かざ》せば雨も降るなり、眉《まゆ》を開けば風も吹くぞよ。
 しかもうまれつきの色好み、殊にまた若いのが好《すき》じゃで、何かご坊にいうたであろうが、それを実《まこと》としたところで、やがて飽《あ》かれると尾が出来る、耳が動く、足がのびる、たちまち形が変ずるばかりじゃ。
 いややがて、この鯉を料理して、大胡坐《おおあぐら》で飲む時の魔神の姿が見せたいな。
 妄念《もうねん》は起さずに早うここを退《の》かっしゃい、助けられたが不思議なくらい、嬢様別してのお情じゃわ、生命冥加《いのちみょうが》な、お若いの、きっと修行をさっしゃりませ。)とまた一ツ背中を叩《たた》いた、親仁《おやじ》は鯉を提《さ》げたまま見向きもしないで、山路《やまじ》を上《かみ》の方。
 見送ると小さくなって、一座の大山《おおやま》の背後《うしろ》へかくれたと思うと、油旱《あぶらひでり》の焼けるような空に、その山の巓《いただき》から、すくすくと雲が出た、滝の音も静まるばかり殷々《いんいん》として雷《らい》の響《ひびき》。
 藻抜《もぬ》けのように立っていた、私《わし》が魂《たましい》は身に戻った、そなたを拝むと斉《ひと》しく、杖《つえ》をかい込み、小笠《おがさ》を傾け、踵《くびす》を返すと慌《あわただ》しく一散に駈《か》け下りたが、里に着いた時分に山は驟雨《ゆうだち》、親仁《おやじ》が婦人《おんな》に齎《もた》らした鯉もこのために活きて孤家《ひとつや》に着いたろうと思う大雨であった。」
 高野聖《こうやひじり》はこのことについて、あえて別に註《ちゅう》して教《おしえ》を与《あた》えはしなかったが、翌朝|袂《たもと》を分って、雪中山越《せっちゅうやまごえ》にかかるのを、名残惜《なごりお》しく見送ると、ちらちらと雪の降るなかを次第《しだい》に高く坂道を上《のぼ》る聖の姿、あたかも雲に駕《が》して行くように見えたのである。
(明治三十三年)


※作品中には、現在差別的な表現として扱われる語が含まれています。しかし、作品が書かれた時代背景、及び著者が差別助長の意図で使用していないことなどを考慮し、あえて発表時のままとしました。


底本:「ちくま日本文学全集 泉鏡花」筑摩書房
   1991(平成3)年10月20日 第1刷
   1995(平成7)年8月15日 第2刷
親本:「現代日本文学大系5」筑摩書房
入力:真先芳秋
校正:林めぐみ
1999年1月30日公開
1999年9月4日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


前のページに戻る 青空文庫アーカイブ