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半島一奇抄
泉鏡花

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)相乗《あいのり》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)一台|大《おおい》に

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)※[#「さんずい+散」、70-7]《しぶき》
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「やあ、しばらく。」
 記者が掛けた声に、思わず力が入って、運転手がはたと自動車を留めた。……実は相乗《あいのり》して席を並べた、修善寺の旅館の主人の談話を、ふと遮った調子がはずんで高かったためである。
「いや、構わず……どうぞ。」
 振向いた運転手に、記者がちょっとてれながら云ったので、自動車はそのまま一軋《ひときし》りして進んだ。
 沼津に向って、浦々の春遅き景色を馳《はし》らせる、……土地の人は(みっと)と云う三津《みと》の浦を、いま浪打際とほとんどすれすれに通る処《ところ》であった。しかし、これは廻り路《みち》である。
 小暇を得て、修善寺に遊んだ、一――新聞記者は、暮春の雨に、三日ばかり降込められた、宿の出入りも番傘で、ただ垂籠《たれこ》めがちだった本意《ほい》なさに、日限《ひぎり》の帰路を、折から快晴した浦づたい。――「当修善寺から、口野浜《くちのはま》、多比《たひ》の浦、江の浦、獅子浜《ししはま》、馬込崎と、駿河湾《するがわん》を千本の松原へ向って、富士御遊覧で、それが自動車と来た日には、どんな、大金持ちだって、……何、あなた、それまでの贅沢《ぜいたく》でございますよ。」と番頭の膝《ひざ》を敲《たた》いたのには、少分の茶代を出したばかりの記者は、少からず怯《おびや》かされた。が、乗りかかった船で、一台|大《おおい》に驕《おご》った。――主人が沼津の町へ私用がある。――そこで同車で乗出した。
 大仁《おおひと》の町を過ぎて、三福《さんぷく》、田京《たきょう》、守木、宗光寺畷《そうこうじなわて》、南条――といえば北条の話が出た。……四日町を抜けて、それから小四郎の江間、長塚を横ぎって、口野、すなわち海岸へ出るのが順路であった。……
 うの花にはまだ早い、山田|小田《おだ》の紫雲英《げんげ》、残《のこん》の菜の花、並木の随処に相触れては、狩野《かの》川が綟子《もじ》を張って青く流れた。雲雀《ひばり》は石山に高く囀《さえず》って、鼓草《たんぽぽ》の綿がタイヤの煽《あおり》に散った。四日町は、新しい感じがする。両側をきれいな細流が走って、背戸、籬《まがき》の日向《ひなた》に、若木の藤が、結綿《ゆいわた》の切《きれ》をうつむけたように優しく咲き、屋根に蔭つくる樹の下に、山吹が浅く水に笑う……家ごとに申合せたようである。
 記者がうっかり見愡《みと》れた時、主人が片膝を引いて、前へ屈《かが》んで、「辰さん――道普請がある筈《はず》だが前途《さき》は大丈夫だろうかね。」「さあ。」「さあじゃないよ、それだと自動車は通らないぜ。」「もっとも半月の上になりますから。」と運転手は一筋路を山の根へ見越して、やや反《そ》った。「半月の上だって落着いている処じゃないぜ。……いや、もうちと後路《あと》で気をつけようと、修善寺を出る時から思っていながら、お客様と話で夢中だった。――」「何、海岸まわりは出来ないのですかね。」「いいえ、南条まで戻って、三津へ出れば仔細《しさい》ありませんがな、気の着かないことをした。……辰さん、一度聞いた方がいいぜ。」「は、そういたしましょう。」「恐ろしく丁寧になったなあ。」と主人は、目鼻をくしゃくしゃとさせて苦笑して、茶の中折帽《なかおれぼう》を被《かぶ》り直した。「はやい方が可《い》い、聞くのに――」けれども山吹と藤のほか、村路《むらみち》の午《ひる》静《しずか》に、渠等《かれら》を差覗《さしのぞ》く鳥の影もなかった。そのかわり、町の出はずれを国道へついて左へ折曲ろうとする角家の小店《こみせ》の前に、雑貨らしい箱車を置いて休んでいた、半纏着《はんてんぎ》の若い男は、軒の藤を潜《くぐ》りながら、向うから声を掛けた。「どこへ行《ゆ》くだ、辰さん。……長塚の工事は城を築《つ》くような騒ぎだぞ。」「まだ通れないのか、そうかなあ。」店の女房も立って出た。「来月半ばまで掛《かか》るんだとよう。」「いや、難有《ありがと》う。さあ引返しだ。……いやしくも温泉場において、お客を預る自動車屋ともあるものが、道路の交通、是非善悪を知らんというのは、まことにもって不心得。」……と、少々芝居がかりになる時、記者は、その店で煙草《たばこ》を買った。
 砂を挙げて南条に引返し、狩野川を横切った。古奈《こな》、長岡――長岡を出た山路には、遅桜《おそざくら》の牡丹咲《ぼたんざき》が薄紫に咲いていた。長瀬を通って、三津の浜へ出たのである。
 富士が浮いた。……よく、言う事で――佐渡ヶ島には、ぐるりと周囲に欄干《まわり》があるか、と聞いて、……その島人に叱られた話がある。が、巌山《いわやま》の巉崕《ざんがい》を切って通した、栄螺《さざえ》の角《つの》に似たぎざぎざの麓《ふもと》の径《こみち》と、浪打際との間に、築繞《つきめぐ》らした石の柵《しがらみ》は、土手というよりもただ低い欄干に過ぎない。
「お宅の庭の流《ながれ》にかかった、橋廊下の欄干より低いくらいで、……すぐ、富士山の裾《すそ》を引いた波なんですな。よく風で打《ぶ》つけませんね。」
「大丈夫でございますよ。後方《あと》が長浜、あれが弁天島。――自動車は後眺望《あとながめ》がよく利きませんな、むこうに山が一ツ浮いていましょう。淡島です。あの島々と、上の鷲頭山《わしずやま》に包まれて、この海岸は、これから先、小海《こうみ》、重寺《しげでら》、口野などとなりますと、御覧の通り不穏な駿河湾が、山の根を奥へ奥へと深く入込《いりこ》んでおりますから、風波の恐怖《おそれ》といってはほとんどありません――そのかわり、山の麓の隅の隅が、山扁の嵎《ぐう》といった僻地《へきち》で……以前は、里からではようやく木樵《きこり》が通いますくらい、まるで人跡絶えたといった交通の不便な処でございましてな、地図をちょっと御覧なすっても分りますが、絶所、悪路の記号という、あのパチパチッとした線香花火が、つい頭の上の山々を飛び廻っているのですから。……手前、幼少の頃など、学校を怠《ずる》けて、船で淡島へ渡って、鳥居前、あの頂辺《てっぺん》で弁当を食べるなぞはお茶の子だったものですが、さて、この三津、重寺、口野一帯と来ますと、行軍の扮装《いでたち》でもむずかしい冒険だとしたものでしてな。――沖からこの辺の浦を一目に眺めますと、弁天島に尾を曳《ひ》いて、二里三里に余る大竜が一条《ひとすじ》、白浪の鱗《うろこ》、青い巌《いわ》の膚《はだ》を横《よこた》えたように見える、鷲頭山を冠《かむり》にして、多比の、就中《なかんずく》入窪《いりくぼ》んだあたりは、腕を張って竜が、爪に珠を掴《つか》んだ形だと言います。まったく見えますのでな。」
「乗ってるんですね! その上にいま……何だか足が擽《くすぐ》ったいようですね。」
 記者はシイツに座をずらした。
「いえ、決して、その驚かし申すのではありません。それですから、弁天島の端なり、その……淡島の峯から、こうこの巌山を視《なが》めますと、本で見ました、仙境、魔界といった工合《ぐあい》で……どんなか、拍子で、この崖《がけ》に袖《そで》の長い女でも居ようものなら、竜宮から買ものに顕《あら》われたかと思ったもので。――前途《さき》の獅子浜、江の浦までは、大分前に通じましたが、口野からこちら……」
 自動車は、既に海に張出した石の欄干を、幾処《いくところ》か、折曲り折曲りして通っていた。
「三津を長岡へ通じましたのは、ほんの近年のことで、それでも十二三年になりましょうか。――可笑《おかし》な話がございますよ。」
 主人は、パッパッと二つばかり、巻莨《まきたばこ》を深く吸って、
「……この石の桟道が、はじめて掛《かか》りました。……まず、開通式といった日に、ここの村長――唯今《ただいま》でも存命で居ります――年を取ったのが、大勢と、村口に客の歓迎に出ておりました。県知事の一行が、真先《まっさき》に乗込んで見えた……あなた、その馬車――」
 自動車の警笛に、繰返して、
「馬車が、真正面に、この桟道一杯になって大《おおき》く目に入ったと思召せ。村長の爺様《じいさま》が、突然|七八歳《ななやッつ》の小児《こども》のような奇声を上げて、(やあれ、見やれ、鼠《ねずみ》が車を曳《ひ》いて来た。)――とんとお話さ、話のようでございましてな。」

「やあ、しばらく!」
 記者が、思わず声を掛けたのはこの時であった――

 肩も胸も寄せながら、
「浪打際の山の麓《ふもと》を、向うから寄る馬車を見て――鼠が車を曳いて来た――成程、しかし、それは事実ですか。」
 記者が何ゆえか意気込んだのを、主人は事もなげに軽く受けた。
「ははは、一つばなし。……ですが事実にも何にも――手前も隣郡のお附合、……これで徽章《きしょう》などを附けて立会いました。爺様の慌てたのを、現にそこに居て、存じております。が、別に不思議はありません。申したほどの嶮道《けんどう》で、駕籠《かご》は無理にもどうでしょうかな――その時七十に近い村長が、生れてから、いまだかつて馬というものの村へ入ったのを見たことがなかったのでございますよ。」
「馬を見て鼠……何だか故事がありそうで変ですが――はあ、そうすると、同時に、鼠が馬に見えないとも限りませんかしら。」
「は?」
「鼠が馬に見えるかも知れませんが、どうでしょう。」
「いや、おっしゃると。」
 主人は少し傾いたが、
「ただ、それだけの話で、……深く考えた事もありませんが、成程、ちょっと似ているかも知れません、もっとも黒い奴ですがな。」
「御主人――差当りだけでも、そう肯定をなさるんなら、私が是非話したい事があるのです。現在、しかもこの土地で、私が実見した事実ですがね。余り突拍子がないようですから――実はまだ、誰にも饒舌《しゃべ》りません。――近い処が以前からお宅をひいきの里見、中戸川さん、近頃では芥川さん。絵の方だと横山、安田氏などですか。私も知合ではありますが、たとえば、その人たちにも話をしません。芥川さんなどは、話上手で、聞上手で、痩《や》せていても懐中《ふところ》が広いから、嬉しそうに聞いてはくれるでしょうが、苦笑《にがわらい》ものだろうと思うから、それにさえ遠慮をしているんですがね。――御主人。」
「ははあ、はあ……で、それは。」
「いや、そんなに大した事ではありません。実は昨年、ちょうど今頃……もう七八日《ななようか》あとでした。……やっぱりお宅でお世話になって、その帰途《かえり》がけ、大仁からの電車でしたよ。この月二十日の修善寺の、あの大師講の時ですがね、――お宅の傍《そば》の虎渓橋《こけいばし》正面の寺の石段の真中《まんなか》へ――夥多《おびただし》い参詣《さんけい》だから、上下《うえした》の仕切《しきり》がつきましょう。」
「いかにも。」
「あれを青竹一本で渡したんですが、丈といい、その見事さ、かこみの太さといっちゃあない。――俗に、豆狸《まめだぬき》は竹の子の根に籠《こも》るの、くだ狐《ぎつね》は竹筒の中で持運ぶのと言うんですが、燈心で釣をするような、嘘ばっかり。出《でる》も、入《はい》りも出来るものか、と思っていましたけれども、あの太さなら、犬の子はすぽんと納まる。……修善寺は竹が名物だろうか、そういえば、随分立派なのがすくすくある。路ばたでも竹の子のずらりと明るく行列をした処を見掛けるが、ふんだんらしい、誰も折りそうな様子も見えない。若竹や――何とか云う句で宗匠を驚したと按摩《あんま》にまで聞かされた――確《たしか》に竹の楽土だと思いました。ですがね、これはお宅の風呂番が説破しました。何、竹にして売る方がお銭《あし》になるから、竹の子は掘らないのだと……少《すこし》く幻滅を感じましたが。」
 主人は苦笑した。
「しかし――修善寺で使った、あのくらいなのは、まったく見た事はない、と田京あたりだったでしょう。温泉で、見知越《みしりごし》で、乗合わした男と――いや、その男も実は、はじめて見たなどと話していると、向う側に、革の手鞄《てかばん》と、書もつらしい、袱紗包《ふくさづつみ》を上に置いて、腰を掛けていた、土耳古形《トルコがた》の毛帽子を被《かぶ》った、棗色《なつめいろ》の面長《おもなが》で、髯《ひげ》の白い、黒の紋織《もんおり》の被布《ひふ》で、人がらのいい、茶か花の宗匠といった風の……」
 半ば聞いて頷《うなず》いた。ここで主人の云ったのは、それは浮島禅師《うとうぜんじ》、また桃園居士《とうえんこじ》などと呼ばれる、三島沼津を掛けた高持《たかもち》の隠居で。……何不足のない身の上とて、諸芸に携わり、風雅を楽《たのし》む、就中《なかんずく》、好んで心学一派のごとき通俗なる仏教を講じて、遍《あまね》く近国を教導する知識だそうである。が、内々で、浮島《うとう》をかなで読むお爺さん――浮島爺《うきしまじい》さんという渾名《あだな》のあることも、また主人が附加えた。
「その居士《こじ》が、いや、もし……と、莞爾々々《にこにこ》と声を掛けて、……あれは珍らしい、その訳じゃ、茅野《ちの》と申して、ここから宇佐美の方へ三里も山奥の谷間《たにあい》の村が竹の名所でありましてな、そこの講中が大自慢で、毎年々々、南無大師遍照金剛《なむだいしへんじょうこんごう》でかつぎ出して寄進しますのじゃ……と話してくれました。……それから近づきになって、やがて、富士の白雪あさ日でとけて、とけて流れて三島へ落ちて、……ということに、なったので。」
 自動車が警笛を。
 主人は眉の根に、わざと深く皺《しわ》を寄せて、鼻で撓《た》めるように顔を向けた。
「はてね。」
「いや、とけておちたには違いはありませんがね――三島|女郎衆《じょろしゅ》の化粧の水などという、はじめから、そんな腥《なまぐさ》い話の出よう筈はありません。さきの御仁体でも知れます。もうずッと精進で。……さて、あれほどの竹の、竹の子はどんなだろう。食べたら古今の珍味だろう、というような話から、修善寺の奥の院の山の独活《うど》、これは字も似たり、独鈷《とっこ》うどと称《とな》えて形も似ている、仙家の美膳《びぜん》、秋はまた自然薯《じねんじょ》、いずれも今時の若がえり法などは大俗で及びも着かぬ。早い話が牡丹《ぼたん》の花片《はなびら》のひたしもの、芍薬《しゃくやく》の酢味噌あえ。――はあはあと、私が感に入って驚くのを、おかしがって、何、牡丹のひたしものといった処で、一輪ずつ枝を折る殺風景には及ばない、いけ花の散ったのを集めても結構よろしい。しかし、贅沢といえば、まことに蘭飯《らんぱん》と称して、蘭の花をたき込んだ飯がある、禅家の鳳膸《ほうずい》、これは、不老の薬と申しても可《い》い。――御主人――これなら無事でしょう。まずこの辺までは芥川さんに話しても、白い頬を窪まし、口許《くちもと》に手を当てて頷《うなず》いていましょうがね、……あとが少しむずかしい。――
 私はその時は、はじめから、もと三島へ下りて、一汽車だけ、いつも電車でばかり見て通る、あの、何とも言えない路傍《みちばた》の綺麗な流《ながれ》を、もっとずッと奥まで見たいと思っていましたから。」
「すなわち、化粧の水ですな。」
「お待ちなさい。そんな流《ながれ》の末じゃあ決してない。朝日でとけた白雪を、そのまま見たかったのに相違ないのです。三島で下りると言うと、居士が一所に参って、三島の水案内をしようと言います。辞退をしましたが、いや、是非ひとつ、で、私は恐縮をしたんですがね。実は余り恐縮をしなくても可《よ》さそうでしたよ。御隠居様、御機嫌よう、と乗合わせた近まわりの人らしいのが、お婆さんも、娘も、どこかの商人らしいのも、三人まで、小さな荷ですが一つ一つ手伝いましてね、なかなかどうして礼拝されます。が、この人たちの前、ちと三島で下りるのが擽《くすぐ》ったかったらしい。いいかこつけで、私は風流の道づれにされた次第だ。停車場《ステェション》前の茶店も馴染《なじみ》と見えて、そこで、私のも一所に荷を預けて、それから出掛けたんですが――これがずッとそれ、昔の東海道、箱根のお関所を成りたけ早めに越して、臼《うす》ころばしから向う阪をさがりに、見ると、河原前の橋を掛けてこの三島の両側に、ちらちら灯が見えようというのでと――どこか、壁張りの古い絵ほどに俤《おもかげ》の見える、真昼で、ひっそりした町を指さされたあたりから、両側の家の、こう冷い湿《しめっ》ぽい裡《なか》から、暗い白粉《おしろい》だの、赤い油だのが、何となく匂って来ると――昔を偲《しの》ぶ、――いや、宿《しゅく》のなごりとは申す条、通り筋に、あらわな売色のかかる体裁は大《おおい》に風俗を害しますわい、と言う。その右斜《みぎななめ》な二階の廊下に、欄干に白い手を掛けて立っていた、媚《なまめ》かしい女があります。切組の板で半身です、が、少し伸上るようにしたから、帯腰がすらりと見える。……水浅葱《みずあさぎ》の手絡《てがら》で円髷《まるまげ》に艶々《つやつや》と結ったのが、こう、三島の宿を通りかかる私たちの上から覗《のぞ》くように少し乗出したと思うと、――えへん!……居士が大《おおき》な咳《せき》をしました。女がひょいと顔をそらして廂《ひさし》へうつむくと、猫が隣りから屋根づたいに、伝うのです。どうも割合に暑うごすと、居士は土耳古帽《トルコぼう》を取って、きちんと畳んだ手拭《てぬぐい》で、汗を拭《ふ》きましたっけ。……」
 主人も何となく中折帽《なかおれぼう》の工合《ぐあい》を直して、そしてクスクスと笑った。
「御主人の前で、何も地理を説く要はない。――御修繕中でありました。神社へ参詣をして、裏門の森を抜けて、一度ちょっと田畝道《たんぼみち》を抜けましたがね、穀蔵《こくぐら》、もの置蔵などの並んだ処を通って、昔の屋敷町といったのへ入って、それから榎《えのき》の宮八幡宮――この境内が、ほとんど水源と申して宜《よろ》しい、白雪のとけて湧《わ》く処、と居士が言います。……榎は榎、大楠《おおくす》、老樫《ふるかし》、森々《しんしん》と暗く聳《そび》えて、瑠璃《るり》、瑪瑙《めのう》の盤、また薬研《やげん》が幾つも並んだように、蟠《わだかま》った樹の根の脈々、巌《いわ》の底、青い小石一つの、その下からも、むくむくとも噴出さず、ちろちろちろちろと銀の鈴の舞うように湧いています。不躾《ぶしつけ》ですが、御手洗《みたらし》で清めた指で触って見ました。冷い事、氷のようです。湧いて響くのが一粒ずつ、掌《てのひら》に玉を拾うそうに思われましたよ。
 あとへ引返して、すぐ宮前の通《とおり》から、小橋を一つ、そこも水が走っている、門ばかり、家は形もない――潜門《くぐりもん》を押して入ると――植木屋らしいのが三四人、土をほって、運んでいました。」
 ――別荘の売りものを、料理屋が建直すのだったそうである。
「築山のあとでしょう。葉ばかりの菖蒲《あやめ》は、根を崩され、霧島が、ちらちらと鍬《くわ》の下に見えます。おお御隠居様、大旦那、と植木屋は一斉に礼をする。ちょっと邪魔をしますよ。で、折れかかった板橋を跨《また》いで、さっと銀をよないだ一幅《いっぷく》の流《ながれ》の汀《なぎさ》へ出ました。川というより色紙形の湖です。一等、水の綺麗な場所でな。居士が言いましたよ。耕地が一面に向うへ展《ひら》けて、正面に乙女峠が見渡される……この荒庭のすぐ水の上が、いま詣《もう》でた榎の宮裏で、暗いほどな茂りです。水はその陰から透通る霞のように流れて、幅十間ばかり、水筋を軽くすらすらと引いて行《ゆ》きます。この水面に、もし、ふっくりとした浪が二ツ処立ったら、それがすぐに美人の乳房に見えましょう。宮の森を黒髪にして、ちょうど水脈の血に揺らぐのが真白《まっしろ》な胸に当るんですね、裳《すそ》は裾野をかけて、うつくしく雪に捌《さば》けましょう。――
 椿《つばき》が一輪、冷くて、燃えるようなのが、すっと浮いて来ると、……浮藻《うきも》――藻がまた綺麗なのです。二丈三丈、萌黄色《もえぎいろ》に長く靡《なび》いて、房々と重《かさな》って、その茂ったのが底まで澄んで、透通って、軟《やわらか》な細い葉に、ぱらぱらと露を丸く吸ったのが水の中に映るのですが――浮いて通るその緋色《ひいろ》の山椿が……藻のそよぐのに引寄せられて、水の上を、少し斜《ななめ》に流れて来て、藻の上へすっと留まって、熟《じっ》となる。……浅瀬もこの時は、淵《ふち》のように寂然《しん》とする。また一つ流れて来ます。今度は前の椿が、ちょっと傾いて招くように見えて、それが寄るのを、いま居た藻の上に留めて、先のは漾《ただよ》って、別れて行く。
 また一輪浮いて来ます。――何だか、天の川を誘い合って、天女の簪《かんざし》が泳ぐようで、私は恍惚《うっとり》、いや茫然《ぼうぜん》としたのですよ。これは風情じゃ……と居士も、巾着《きんちゃく》じめの煙草入の口を解いて、葡萄《ぶどう》に栗鼠《りす》を高彫《たかぼり》した銀|煙管《ぎせる》で、悠暢《ゆうちょう》としてうまそうに喫《の》んでいました。
 目の前へ――水が、向う岸から両岐《ふたつ》に尖《とが》って切れて、一幅《ひとはば》裾拡《すそひろ》がりに、風に半幅を絞った形に、薄い水脚が立った、と思うと、真黒《まっくろ》な面《つら》がぬいと出ました。あ、この幽艶《ゆうえん》清雅な境へ、凄《すさ》まじい闖入者《ちんにゅうしゃ》! と見ると、ぬめりとした長い面が、およそ一尺ばかり、左右へ、いぶりを振って、ひゅっひゅっと水を捌《さば》いて、真横に私たちの方へ切って来る。鰌《どじょう》か、鯉《こい》か、鮒《ふな》か、鯰《なまず》か、と思うのが、二人とも立って不意に顔を見合わせた目に、歴々《ありあり》と映ると思う、その隙もなかった。
 ――馬じゃ……
 と居士が、太《ひど》く怯《おび》えた声で喚《わめ》いた。私もぎょっとして後《あと》へ退《さが》った。
 いや、嘘のような話です――遥《はるか》に蘆《あし》の湖《こ》を泳ぐ馬が、ここへ映ったと思ったとしてもよし、軍書、合戦記の昔をそのまま幻に視《み》たとしても、どっち道夢見たように、瞬間、馬だと思ったのは事実です。
 やあい、そこへ遁《に》げたい……泳いでらい、畜生々々。わんぱくが、四五人ばらばらと、畠《はたけ》の縁《へり》へ両方から、向う岸へ立ちました。
 ――鼠じゃ……鼠じゃ、畜生めが――
 と居士がはじめて言ったのです。ばしゃんばしゃん、氷柱《ひょうちゅう》のように水が刎《は》ねる、小児《こども》たちは続けさまに石を打った。この騒ぎに、植木屋も三人ばかり、ずッと来て、泳ぐ、泳ぐ、泳ぐ、泳ぐ……と感に堪えて見ている。
 見事なものです。実際|巧《たくみ》に泳ぐ。が、およそ中流の処を乗切れない。向って前へ礫《つぶて》が落ちると、すっと引く。横へ飛ぶと、かわして避ける。避けつつ渡るのですから間がありました。はじめは首だけ浮いたのですが、礫を避けるはずみに飛んで浮くのが見えた時は可恐《おそろし》い兀斑《はげまだら》の大鼠で。畜生め、若い時は、一手《ひとて》、手裏剣も心得たぞ――とニヤニヤと笑いながら、居士が石を取って狙《ね》ったんです。小児《こども》の手からは、やや着弾距離を脱して、八方《はちぶ》こっちへ近づいた処を、居士が三度続けて打った。二度とも沈んで、鼠の形が水面から見えなくなっては、二度とも、むくむくと浮いて出て、澄ましてまた水を切りましたがね、あたった! と思う三度の時には、もう沈んだきり、それきりまるで見えなくなる。……
 水は清く流れました、が、風が少し出ましてね、何となくざっと鳴ると、……まさか、そこへ――水を潜《くぐ》って遁げたのではありますまいが、宮裏の森の下の真暗《まっくら》な中に落重《おちかさな》った山椿の花が、ざわざわと動いて、あとからあとから、乱れて、散って、浮いて来る。……大木の椿も、森の中に、いま燃ゆるように影を分けて、その友だちを覗《のぞ》いたようです。――これはまた見ものになった――見るうちに、列を織って、幾つともなく椿の花が流れて行く。……一町ばかり下《しも》に、そこに第一の水車《みずぐるま》が見えます。四五間さきに水車、また第三の水車、第四、第五と続いたのが見えます。流《ながれ》の折曲る処に、第六のが半輪の月形に覗いていました。――見る内に、その第一の水車の歯へ、一輪紅椿が引掛《ひっかか》った――続いて三ツ四ツ、くるりと廻るうちに七ツ十ウ……たちまちくるくると緋色に累《かさな》ると、直ぐ次の、また次の車へもおなじように引搦《ひっからま》って、廻りながら累るのが、流れる水脚のままなんですから、早いも遅いも考える間はありません。揃って真紅な雪が降積るかと見えて、それが一つ一つ、舞いながら、ちらちらと水晶を溶いた水に揺れます。呆気《あっけ》に取られて、ああ、綺麗だ、綺麗だ、と思ううちに、水玉を投げて、紅《くれない》の※[#「さんずい+散」、70-7]《しぶき》を揚げると、どうでしょう、引いている川添の家《や》ごとの軒より高く、とさかの燃えるように、水柱を、颯《さっ》と揃って挙げました。
 居士が、けたたましく二つ三つ足蹈《あしぶみ》をして、胸を揺《ゆす》って、(火事じゃ、……宿《しゅく》じゃ、おたにの方じゃ――御免。)とひょこひょこと日和下駄《ひよりげた》で駆出しざまに、門を飛び出ようとして、振返って、(やあ、皆も来てくれ。)尋常《ただ》ごとではありません。植木屋|徒《であい》も誘われて、残らずどやどや駆けて出る。私はとぼんとして、一人、離島《はなれじま》に残された気がしたんです。こんな島には、あの怪《あやし》い大鼠も棲《す》もうと思う、何となく、気を打って、みまわしますとね。」
「はあ――」
「ものの三間とは離れません。宮裏に、この地境《じざかい》らしい、水が窪み入った淀《よど》みに、朽ちた欄干ぐるみ、池の橋の一部が落込んで、流《ながれ》とすれすれに見えて、上へ落椿が溜《たま》りました。うつろに、もの寂しくただ一人で、いまそれを見た時に、花がむくむくと動くと、真黒《まっくろ》な面《つら》を出した、――尖《とが》った馬です。」
「や。」
「鼠です。大鼠がずぶずぶと水を刎《は》ねて、鯰《なまず》がギリシャ製の尖兜《とがりかぶと》を頂いたごとく――のそりと立って、黄色い目で、この方をじろりと。」
「…………」
 声は、カーンと響いて、真暗《まっくら》になった。――隧道《トンネル》を抜けるのである。
「思わず畜生! と言ったが夢中で遁《に》げました。水車のあたりは、何にもありません、流《ながれ》がせんせんと響くばかり静まり返ったものです。ですが――お谷さん――もう分ったでしょう。欄干に凭《もた》れて東海道を覗いた三島宿の代表者。……これが生得《うまれつき》絵を見ても毛穴が立つほど鼠が嫌《きらい》なんだと言います。ここにおいて、居士が、騎士《ナイト》に鬢髪《びんぱつ》を染めた次第です。宿《しゅく》のその二階家の前は、一杯の人だかりで……欄干の二階の雨戸も、軒の大戸も、ぴったりと閉まっていました。口々に雑談をするのを聞くと、お谷さんが、朝化粧の上に、七つ道具で今しがた、湯へ行こうと、門の小橋を跨《また》ぎかけて、あッと言った、赤い鼠! と、あ、と声を内へ引いて遁込んで、けたたましい足音で、階子壇《はしごだん》を駆上がると、あれえあれえと二階を飛廻って欄干へ出た。赤い鼠がそこまで追廻したものらしい。キャッとそこで悲鳴を立てると、女は、宙へ、飛上った。粂《くめ》の仙人を倒《さかさま》だ、その白さったら、と消防夫《しごとし》らしい若い奴は怪しからん事を。――そこへ、両手で空《くう》を掴《つか》んで煙を掻分《かきわ》けるように、火事じゃ、と駆《かけ》つけた居士が、(やあ、お谷、軒をそれ火が嘗《な》めるわ、ええ何をしとる)と太鼓ぬけに上って、二階へ出て、縁に倒れたのを、――その時やっと女中も手伝って、抱込んだと言います。これじゃ戸をしめずにはおられますまい。」
「驚きました、実に驚きましたな……三島一と言いながら、海道一の、したたかな鼠ですな。」
 自動車は隧道《トンネル》へ続けて入った。
「国境を越えましたよ。」
 と主人が言った。

「……時に、お話につれて申すようですけれども、それを伺ってはどうやら黙っておられないような気がしますので。……さあ、しかもちょうど、昨年、その頃です。江の浦口野の入海《いりうみ》へ漾《ただよ》った、漂流物がありましてな、一頃《ひところ》はえらい騒ぎでございましたよ。浜方で拾った。それが――困りましたな――これもお話の中《うち》にありましたが、大《おおき》な青竹の三尺余のずんどです。
 一体こうした僻地《へきち》で、これが源氏の畠《はたけ》でなければ、さしずめ平家の落人《おちゅうど》が隠れようという処なんで、毎度|怪《あやし》い事を聞きます。この道が開けません、つい以前の事ですが。……お待ち下さい……この浦一円は鰯《いわし》の漁場で、秋十月の半ばからは袋網というのを曳《ひ》きます、大漁となると、大袈裟《おおげさ》ではありません、海岸三里四里の間、ずッと静浦《しずうら》の町中《まちなか》まで、浜一面に鰯を乾《ほ》します。畝《あぜ》も畑もあったものじゃありません、廂下《ひさしした》から土間の竈《かまど》まわりまで、鰯を詰込んで、どうかすると、この石柵の上まで敷詰める。――ところが、大漁といううちにも、その時は、また夥多《おびただし》く鰯があがりました。獅子浜在の、良介に次吉《じきち》という親子が、気を替えて、烏賊釣《いかつり》に沖へ出ました。暗夜《やみ》の晩で。――しかし一|尾《ぴき》もかかりません。思切って船を漕戻《こぎもど》したのが子《ね》の刻過ぎで、浦近く、あれ、あれです、……あの赤島のこっちまで来ると、かえって朦朧《もうろう》と薄あかりに月がさします。びしゃりびしゃり、ばちゃばちゃと、舷《ふなべり》で黒いものが縺《もつ》れて泳ぐ。」
「鼠。」
「いや、お待ち下さい、人間で。……親子は顔を見合わせたそうですが、助け上げると、ぐしょ濡れの坊主です。――仔細《しさい》を聞いても、何にも言わない。雫《しずく》の垂る細い手で、ただ、陸《おか》を指《ゆびさ》して、上げてくれ、と言うのでしてな。」
「可厭《いや》だなあ。」
「上げるために助けたのだから、これに異議はありません。浜は、それ、その時大漁で、鰯の上を蹈《ふ》んで通る。……坊主が、これを皆食うか、と云った。坊主だけに鰯を食うかと聞くもいいが、ぬかし方が頭横柄《ずおうへい》で。……血の気の多い漁師です、癪《しゃく》に触ったから、当り前《めえ》よ、と若いのが言うと、(人間の食うほどは俺《おれ》も食う、)と言いますとな、両手で一|掴《つか》みにしてべろべろと頬張りました。頬張るあとから、取っては食い、掴んでは食うほどに、あなた、だんだん腹這《はらば》いにぐにゃぐにゃと首を伸ばして、ずるずると鰯の山を吸込むと、五|斛《こく》、十斛、瞬く間に、満ちみちた鰯が消えて、浜の小雨は貝殻をたたいて、暗い月が砂に映ったのです。(まだあるか、)と仰向《おあおむ》けに起きた、坊主の腹は、だぶだぶとふくれて、鰯のように青く光って、げいと、口から腥《なまぐさ》い息を吹いた。随分大胆なのが、親子とも気絶しました。鮟鱇《あんこう》坊主《ぼうず》と、……唯今でも、気味の悪い、幽霊の浜風にうわさをしますが、何の化ものとも分りません。―― 
 といった場処で。――しかし、昨年――今度の漂流物は、そんな可厭《いや》らしいものではないので。……青竹の中には、何ともたとえがたない、美しい女像がありました。ところが、天女のようだとも言えば、女神の船玉様の姿だとも言いますし、いや、ぴらぴらの簪《かんざし》して、翡翠《ひすい》の耳飾を飾った支那《しな》の夫人の姿だとも言って、現に見たものがそこにある筈《はず》のものを、確《しか》と取留めたことはないのでございますが、手前が申すまでもありません。いわゆる、流れものというものには、昔から、種々の神秘な伝説がいくらもあります。それが、目の前へ、その不思議が現われて来たものなんです。第一、竹筒ばかりではない。それがもう一重《ひとえ》、セメン樽《だる》に封じてあったと言えば、甚しいのは、小さな櫂《かい》が添って、箱船に乗せてあった、などとも申します。
 何しろ、美《うつくし》い像だけは事実で。――俗間で、濫《みだり》に扱うべきでないと、もっともな分別です。すぐに近間《ちかま》の山寺へ――浜方一同から預ける事にしました。が、三日も経《た》たないのに、寺から世話人に返して来ました。預った夜《よ》から、いままでに覚えない、凄《すさま》じい鼠の荒れ方で、何と、昼も騒ぐ。……(困りましたよ、これも、あなたのお話について言うようですが)それが皆その像を狙《ねら》うので、人手は足りず、お守をしかねると言うのです。猫を紙袋《かんぶくろ》に入れて、ちょいとつけばニャンと鳴かせる、山寺の和尚さんも、鼠には困った。あと、二度までも近在の寺に頼んだが、そのいずれからも返して来ます。おなじく鼠が掛《かか》るので。……ところが、最初の山寺でもそうだったと申しますが、鼠が女像の足を狙う。……朝顔を噛《か》むようだ。……唯今でも皆がそう言うのでございますがな、これが変です。足を狙うのが、朝顔を噛むようだ。爪さきが薄く白いというのか、裳《もすそ》、褄《つま》、裾《すそ》が、瑠璃《るり》、青、紅《あか》だのという心か、その辺が判明《はっきり》いたしません。承った処では、居士だと、牡丹《ぼたん》のおひたしで、鼠は朝顔のさしみですかな。いや、お話がおくれましたが、端初《はな》から、あなた――美しい像は、跣足《はだし》だ。跣足が痛わしい、お最惜《いとし》い……と、てんでに申すんですが、御神体は格段……お仏像は靴を召さないのが多いようで、誰もそれを怪《あやし》まないのに、今度の像に限って、おまけに、素足とも言わない、跣足がお痛わしい――何となく漂泊流離の境遇、落ちゅうどの様子があって、お最惜い。そこを鼠が荒すというのは、女像全体にかかる暗示の意味が、おのずから人の情に憑《うつ》ったのかも知れません。ところで、浜方でも相談して、はじめ、寄り着かれた海岸近くに、どこか思召しにかなった場所はなかろうかと、心して捜すと、いくらもあります。これは陸《おか》で探るより、船で見る方が手取《てっと》り早うございますよ。樹の根、巌《いわ》の角、この巌山の切崖《きりぎし》に、しかるべき室《むろ》に見立てられる巌穴がありました。石工《いしや》が入って、鑿《のみ》で滑《なめらか》にして、狡鼠《わるねずみ》を防ぐには、何より、石の扉をしめて祭りました。海で拾い上げたのが巳《み》の日だった処から、巳の日様。――しかし弁財天の御縁日だというので、やがて、皆《みんな》が(巳の時様)。――巳の時様、とそう云っているのでございます。朝に晩に、聞いて存じながら、手前はまだ拝見しません。沼津、三島へ出ますにも、ここはぐっと大廻りになります。出掛けるとなると、いつも用事で、忙しいものですから。……
 ――御都合で、今日、御案内かたがた、手前も拝見をしましても……」
「願う処ですな。」
 そこで、主人が呼掛けようとしたらしい運転手は、ふと辰さん(運転手)の方で輪を留めた。
「どうした。」
 あたかもまた一つ、颯《さっ》と冷い隧道《トンネル》の口である。
「ええ、あの出口へ自動車が。」
「おおそうか。……ええ、むやみに動かしては危《あぶな》いぞ。」
「むこうで、かわしたようです。」
 隧道《トンネル》を、爆音を立てながら、一息に乗り越すと、ハッとした、出る途端に、擦違《すれちが》うように先方《さき》のが入った。
「危え、畜生!」
 喚《わめ》くと同時に、辰さんは、制動機を掛けた。が、ぱらぱらと落ちかかる巌膚《いわはだ》の清水より、私たちは冷汗になった。乗違えた自動車は、さながら、蔽《おお》いかかったように見えて、隧道《トンネル》の中へ真暗《まっくら》に消えたのである。
 主人が妙に、寂しく笑って、
「何だか、口の尖《とん》がった、色の黒い奴が乗っていたようですぜ。」
「隧道《トンネル》の中へ押立《おった》った耳が映ったようだね。」
 と記者が言った。
「辰さん。」
 いま、出そうとする運転手を呼んで、
「巳の時さん――それ、女像の寄り神を祭ったというのは、もっと先方《さき》だっけね。」
「旦那、通越《とおりこ》しました。」
「おや、はてな、獅子浜へ出る処だと思ったが。」
「いいえ、多比の奥へ引込んだ、がけの処です。」
「ああ、竜が、爪で珠をつかんでいようという肝心の処だ。……成程。」
「引返しましょうよ。」
「車はかわります。」
 途中では、遥《はるか》に海ぞいを小さく行《ゆ》く、自動車が鼠の馳《はし》るように見えて、岬《みさき》にかくれた。
 山藤が紫に、椿が抱いた、群青《ぐんじょう》の巌《いわ》の聳《そび》えたのに、純白な石の扉の、まだ新しいのが、ひたと鎖《とざ》されて、緋《ひ》の椿の、落ちたのではない、優《やさし》い花が幾組か祠《ほこら》に供えてあった。その花には届くが、低いのでも階子《はしご》か、しかるべき壇がなくては、扉には触れられない。辰さんが、矗立《しゅくりつ》して、巌《いわ》の根を踏んで、背のびをした。が、けたたましく叫んで、仰向《あおむ》けに反《そ》って飛んで、手足を蛙《かえる》のごとく刎《は》ねて騒いだ。
 おなじく供えた一束の葉の蔭に、大《おおき》な黒鼠が耳を立て、口を尖《とが》らしていたのである。
 憎い畜生かな。
 石を打つは、その扉を敲《たた》くに相同じい。まして疵《きず》つくるおそれあるをや。
「自動車が持つ、ありたけの音を、最高度でやッつけたまえ。」
 と記者が云った。
 運転手は踊躍《こおどり》した。もの凄《すさ》まじい爆音を立てると、さすがに驚いたように草が騒いだ。たちまち道を一飛びに、鼠は海へ飛んで、赤島に向いて、碧色《へきしょく》の波に乗った。
 ――馬だ――馬だ――馬だ――
 遠く叫んだ、声が響いて、小さな船は舳《みよし》を煽《あお》り、漁夫は手を挙げた。
 その泳いだ形容は、読者の想像に任せよう。
 巳の時の夫人には、後日の引見を懇請して、二人は深く礼した。
 そのまま、沼津に向って、車は白鱗青蛇《はくりんせいだ》の背を馳《は》せた。
大正十五(一九二六)年十月[#地より1字上げ]



底本:「泉鏡花集成8」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年5月23日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集」岩波書店
   1942(昭和17)年7月刊行開始
入力:門田裕志
校正:林 幸雄
2001年9月17日公開
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