青空文庫アーカイブ

二、三|羽《ば》――十二、三羽
泉鏡花

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)雀《すずめ》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)八十|幾《いく》つ

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(例)[#ここから3字下げ]
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 引越しをするごとに、「雀《すずめ》はどうしたろう。」もう八十|幾《いく》つで、耳が遠かった。――その耳を熟《じっ》と澄ますようにして、目をうっとりと空を視《なが》めて、火桶《ひおけ》にちょこんと小さくいて、「雀はどうしたろうの。」引越しをするごとに、祖母のそう呟《つぶや》いたことを覚えている。「祖母《おばあ》さん、一所《いっしょ》に越して来ますよ。」当てずッぽに気安めを言うと、「おお、そうかの。」と目皺《めじわ》を深く、ほくほくと頷《うなず》いた。
 そのなくなった祖母は、いつも仏《ほとけ》の御飯の残りだの、洗いながしのお飯粒《まんまつぶ》を、小窓に載せて、雀を可愛《かわい》がっていたのである。
 私たちの一向《いっこう》に気のない事は――はれて雀のものがたり――そらで嵐雪《らんせつ》の句は知っていても、今朝も囀《さえず》った、と心に留《と》めるほどではなかった。が、少《すくな》からず愛惜《あいじゃく》の念を生じたのは、おなじ麹町《こうじまち》だが、土手三番町《どてさんばんちょう》に住《すま》った頃であった。春も深く、やがて梅雨《つゆ》も近かった。……庭に柿の老樹が一株。遣放《やりばな》しに手入れをしないから、根まわり雑草の生えた飛石《とびいし》の上を、ちょこちょことよりは、ふよふよと雀が一羽、羽を拡げながら歩行《ある》いていた。家内がつかつかと跣足《はだし》で下りた。いけずな女で、確《たしか》に小雀を認めたらしい。チチチチ、チュ、チュッ、すぐに掌《てのひら》の中に入った。「引掴《ひッつか》んじゃ不可《いけな》い、そっとそっと。」これが鶯《うぐいす》か、かなりやだと、伝統的にも世間体にも、それ鳥籠《とりかご》をと、内《うち》にはないから買いに出る処《ところ》だけれど、対手《あいて》が、のりを舐《な》める代《しろ》もので、お安く扱われつけているのだから、台所の目笊《めざる》でその南の縁《えん》へ先ず伏せた。――ところで、生捉《いけど》って籠に入れると、一時《ひととき》と経《た》たないうちに、すぐに薩摩芋《さつまいも》を突《つッ》ついたり、柿を吸ったりする、目白鳥《めじろ》のように早く人馴れをするのではない。雀の児《こ》は容易《たやす》く餌《え》につかぬと、祖母にも聞いて知っていたから、このまだ草にふらついて、飛べもしない、ひよわなものを、飢えさしてはならない。――きっと親雀が来て餌《え》を飼《か》おう。それには、縁《えん》では可恐《こわ》がるだろう。……で、もとの飛石の上へ伏せ直した。
 母鳥《ははどり》は直ぐに来て飛びついた。もう先刻《さっき》から庭樹《にわき》の間を、けたたましく鳴きながら、あっちへ飛び、こっちへ飛び、飛騒《とびさわ》いでいたのであるから。
 障子《しょうじ》を開けたままで覗《のぞ》いているのに、仔《こ》の可愛さには、邪険な人間に対する恐怖も忘れて、目笊の周囲を二、三尺、はらはらくるくると廻って飛ぶ。ツツと笊《ざる》の目へ嘴《はし》を入れたり、颯《さっ》と引いて横に飛んだり、飛びながら上へ舞立《まいた》ったり。そのたびに、笊の中の仔雀のあこがれようと言ったらない。あの声がキイと聞えるばかり鳴き縋《すが》って、引切《ひっき》れそうに胸毛を震わす。利かぬ羽を渦《うず》にして抱きつこうとするのは、おっかさんが、嘴《はし》を笊の目に、その……ツツと入れては、ツイと引く時である。
 見ると、小さな餌《え》を、虫らしい餌を、親は嘴《くちばし》に銜《くわ》えているのである。笊の中には、乳離《ちばな》れをせぬ嬰児《あかんぼ》だ。火のつくように泣立《なきた》てるのは道理である。ところで笊の目を潜《くぐ》らして、口から口へ哺《くく》めるのは――人間の方でもその計略だったのだから――いとも容易《やさし》い。
 だのに、餌を見せながら鳴き叫ばせつつ身を退《ひ》いて飛廻《とびまわ》るのは、あまり利口でない人間にも的確に解せられた。「あかちゃんや、あかちゃんや、うまうまをあげましょう、其処《そこ》を出ておいで。」と言うのである。他《ひと》の手に封じられた、仔はどうして、自分で笊が抜けられよう? 親はどうして、自分で笊を開けられよう? その思《おもい》はどうだろう。
 私たちは、しみじみ、いとしく可愛くなったのである。
 石も、折箱《おりばこ》の蓋《ふた》も撥飛《はねと》ばして、笊を開けた。「御免よ。」「御免なさいよ。」と、雀の方より、こっちが顔を見合わせて、悄気《しょ》げつつ座敷へ引込《ひっこ》んだ。
 少々|極《きまり》が悪くって、しばらく、背戸《せど》へ顔を出さなかった。
 庭下駄《にわげた》を揃《そろ》えてあるほどの所帯ではない。玄関の下駄を引抓《ひッつま》んで、晩方《ばんがた》背戸へ出て、柿の梢《こずえ》の一つ星を見ながら、「あの雀はどうしたろう。」ありたけの飛石――と言っても五つばかり――を漫《そぞろ》に渡ると、湿《し》けた窪地《くぼち》で、すぐ上が荵《しのぶ》や苔《こけ》、竜《りゅう》の髯《ひげ》の石垣の崖《がけ》になる、片隅に山吹《やまぶき》があって、こんもりした躑躅《つつじ》が並んで植《うわ》っていて、垣どなりの灯《ひ》が、ちらちらと透《す》くほどに二、三輪|咲残《さきのこ》った……その茂った葉の、蔭も深くはない低い枝に、雀が一羽、たよりなげに宿っていた。正《まさ》に前刻《さっき》の仔に違いない。…様子が、土から僅《わず》か二尺ばかり。これより上へは立てないので、ここまで連れて来た女親《おふくろ》が、わりのう預けて行ったものらしい……敢《あえ》て預けて行ったと言いたい。悪戯《いたずら》を詫《わ》びた私たちの心を汲《く》んだ親雀の気の優《やさ》しさよ。……その親たちの塒《ねぐら》は何処《いずこ》?……この嬰児《あか》ちゃんは寂しそうだ。
 土手の松へは夜鷹《よたか》が来る。築土《つくど》の森では木兎《ずく》が鳴く。……折から宵月《よいづき》の頃であった。親雀は、可恐《おそろし》いものの目に触れないように、なるたけ、葉の暗い中に隠したに違いない。もとより藁屑《わらくず》も綿片《わたぎれ》もあるのではないが、薄月《うすづき》が映《さ》すともなしに、ぼっと、その仔雀の身に添って、霞《かすみ》のような気が籠《こも》って、包んで円《まる》く明《あかる》かったのは、親の情《なさけ》の朧気《おぼろげ》ならず、輪光《りんこう》を顕《あら》わした影であろう。「ちょっと。」「何さ。」手招《てまね》ぎをして、「来て見なよ。」家内を呼出《よびだ》して、両方から、そっと、顔を差寄《さしよ》せると、じっとしたのが、微《かすか》に黄色な嘴《くちばし》を傾けた。この柔《やわらか》な胸毛の色は、さし覗《のぞ》いたものの襟《えり》よりも白かった。
 夜ふかしは何、家業のようだから、その夜はやがて明くるまで、野良猫《のらねこ》に注意した。彼奴《きゃつ》が後足《あとあし》で立てば届く、低い枝に、預《あずか》ったからである。
 朝寝はしたし、ものに紛《まぎ》れた。午《ひる》の庭に、隈《くま》なき五月の日の光を浴びて、黄金《おうごん》の如く、銀の如く、飛石の上から、柿の幹、躑躅《つつじ》、山吹の上下《うえした》を、二羽|縦横《じゅうおう》に飛んで舞っている。ひらひら、ちらちらと羽が輝いて、三寸、五寸、一尺、二尺、草樹《くさき》の影の伸びるとともに、親雀につれて飛び習う、仔の翼は、次第に、次第に、上へ、上へ、自由に軽くなって、卯《う》の花垣《はながき》の丈《たけ》を切るのが、四、五|度《たび》馴れると見るうちに、崖《がけ》をなぞえに、上町《うわまち》の樹の茂りの中へ飛んで見えなくなった。
 真綿を黄に染めたような、あの翼が、こう速《すみやか》に飛ぶのに馴れるか。かつ感じつつ、私たちは飽かずに視《なが》めた。
 あとで、台所からかけて、女中部屋の北窓の小窓の小縁《こえん》に、行ったり、来たり、出入《ではい》りするのは、五、六羽、八、九羽、どれが、その親と仔の二羽だかは紛れて知れない。
 ――二、三羽、五、六羽、十羽、十二、三羽。ここで雀たちの数を言ったついでに、それぞれの道の、学者方までもない、ちょっとわけ知りの御人《ごじん》に伺《うかが》いたい事がある。
 別の儀でない。雀の一家族は、おなじ場所では余り沢山《たくさん》には殖えないものなのであろうか知ら? 御存じの通り、稲塚《いなづか》、稲田《いなだ》、粟黍《あわきび》の実る時は、平家《へいけ》の大軍を走らした水鳥《みずどり》ほどの羽音《はおと》を立てて、畷行《なわてゆ》き、畔行《あぜゆ》くものを驚かす、夥多《おびただ》しい群団《むれ》をなす。鳴子《なるこ》も引板《ひた》も、半ば――これがための備《そなえ》だと思う。むかしのもの語《がたり》にも、年月《としつき》の経《ふ》る間には、おなじ背戸《せど》に、孫も彦《ひこ》も群《むらが》るはずだし、第一|椋鳥《むくどり》と塒《ねぐら》を賭けて戦う時の、雀の軍勢を思いたい。よしそれは別として、長年の間には、もう些《ちっ》と家族が栄えようと思うのに、十年一日と言うが、実際、――その土手三番町《どてさんばんちょう》を、やがて、いまの家へ越してから十四、五年になる。――あの時、雀の親子の情《なさけ》に、いとしさを知って以来、申出るほどの、さしたる御馳走でもないけれど、お飯粒《まんまつぶ》の少々は毎日欠かさず撒《ま》いて置く。たとえば旅行をする時でも、……「火の用心」と、「雀君を頼むよ」……だけは、留守へ言って置くくらいだが、さて、何年にも、ちょっと来て二羽三羽、五、六羽、総勢すぐって十二、三羽より数が殖えない。長者でもないくせに、俵《たわら》で扶持《ふち》をしないからだと、言われればそれまでだけれど、何、私だって、もう十羽殖えたぐらいは、それだけ御馳走を増すつもりでいるのに。
 何も、雀に託《かこつ》けて身代《しんしょう》の伸びない愚痴《ぐち》を言うのではない。また……別に雀の数の多くなる事ばかりを望むのではないのであるが、春に、秋に、現に目に見えて五、六羽ずつは親の連れて来る子の殖えるのが分っているから、いつも同じほどの数なのは、何処《どこ》へ行って、どうするのだろうと思うからである。
 が、どうも様子が、仔雀が一羽だちの出来るのを待って、その小児《こども》だけを宿に残して、親雀は塒《ねぐら》をかえるらしく思われる。
 あの、仔雀が、チイチイと、ありッたけ嘴《くちばし》を赤く開けて、クリスマスに貰《もら》ったマントのように小羽を動かし、胸毛をふよふよと揺《ゆる》がせて、こう仰向《あおむ》いて強請《ねだ》ると、あいよ、と言った顔色《かおつき》で、チチッ、チチッと幾度《いくたび》もお飯粒《まんまつぶ》を嘴から含めて遣《や》る。……食べても強請《ねだ》る。ふくめつつ、後《あと》ねだりをするのを機掛《きっかけ》に、一粒|銜《くわ》えて、お母《っか》さんは塀《へい》の上――(椿《つばき》の枝下《えだした》で茲《ここ》にお飯《まんま》が置いてある)――其処《そこ》から、裏露地を切って、向うの瓦屋根《かわらやね》へフッと飛ぶ。とあとから仔雀がふわりと縋《すが》る。これで、羽を馴らすらしい。また一組は、おなじく餌《え》を含んで、親雀が、狭い庭を、手水鉢《ちょうずばち》の高さぐらいに舞上《まいあが》ると、その胸のあたりへ附着《くッつ》くように仔雀が飛上《とびあが》る。尾を地へ着けないで、舞いつつ、飛びつつ、庭中を翔廻《かけまわ》りなどもする、やっぱり羽を馴らすらしい。この舞踏が一斉《いっとき》に三組《みくみ》も四組《よくみ》もはじまる事がある。卯《う》の花を掻乱《かきみだ》し、萩《はぎ》の花を散らして狂う。……かわいいのに目がないから、春も秋も一所《いっしょ》だが、晴の遊戯《あそび》だ。もう些《ちっ》と、綺麗《きれい》な窓掛《まどかけ》、絨毯《じゅうたん》を飾っても遣《や》りたいが、庭が狭いから、羽とともに散りこぼれる風情《ふぜい》の花は沢山ない。かえって羽について来るか、嘴《くちばし》から落すか、植えない菫《すみれ》の紫が一本《ひともと》咲いたり、蓼《たで》が穂を紅《あか》らめる。
 ところで、何のなかでも、親は甘いもの、仔はずるく甘ッたれるもので。……あの胸毛の白いのが、見ていると、そのうちに立派に自分で餌《え》が拾えるようになる。澄ました面《つら》で、コツンなどと高慢に食べている。いたずらものが、二、三羽、親の目を抜いて飛んで来て、チュッチュッチュッとつつき合《あい》の喧嘩《けんか》さえ遣《や》る。生意気《なまいき》にもかかわらず、親雀がスーッと来て叱《しか》るような顔をすると、喧嘩の嘴《くちばし》も、生意気な羽も、忽《たちま》ちぐにゃぐにゃになって、チイチイ、赤坊声《あかんぼごえ》で甘ったれて、餌《うまうま》を頂戴と、口を張開《はりひら》いて胸毛をふわふわとして待構《まちかま》える。チチッ、チチッ、一人でお食べなと言っても肯《き》かない。頬辺《ほっぺた》を横に振っても肯《き》かない。で、チイチイチイ……おなかが空いたの。……おお、よちよち、と言った工合に、この親馬鹿が、すぐにのろくなって、お飯粒《まんまつぶ》の白い処《ところ》を――贅沢《ぜいたく》な奴らで、内《うち》のは挽割麦《ひきわり》を交《ま》ぜるのだがよほど腹がすかないと麦の方へは嘴《はし》をつけぬ。此奴《こいつ》ら、大地震の時は弱ったぞ――啄《ついば》んで、嘴《はし》で、仔の口へ、押込《おしこ》み揉込《もみこ》むようにするのが、凡《およ》そ堪《たま》らないと言った形で、頬摺《ほおず》りをするように見える。
 怪《け》しからず、親に苦労を掛ける。……そのくせ、他愛《たわい》のないもので、陽気がよくて、お腹《なか》がくちいと、うとうととなって居睡《いねむり》をする。……さあさあ一《ひと》きり露台《みはらし》へ出ようか、で、塀の上から、揃ってもの干《ほし》へ出たとお思いなさい。日のほかほかと一面に当る中に、声は噪《はしゃ》ぎ、影は踊る。
 すてきに物干《ものほし》が賑《にぎやか》だから、密《そっ》と寄って、隅の本箱の横、二階裏《にかいうら》の肘掛窓《ひじかけまど》から、まぶしい目をぱちくりと遣《や》って覗《のぞ》くと、柱からも、横木からも、頭の上の小廂《こびさし》からも、暖《あたたか》な影を湧《わ》かし、羽を光らして、一斉《いっとき》にパッと逃げた。――飛ぶのは早い、裏邸《うらやしき》の大枇杷《おおびわ》の樹までさしわたし五十|間《けん》ばかりを瞬《またた》く間《ま》もない。――(この枇杷の樹が、馴染《なじみ》の一家族の塒《ねぐら》なので、前通りの五本ばかりの桜の樹(有島《ありしま》家)にも一群《ひとむれ》巣を食っているのであるが、その組は私の内へは来ないらしい、持場が違うと見える)――時に、女中がいけぞんざいに、取込《とりこ》む時|引外《ひきはず》したままの掛棹《かけざお》が、斜違《はすか》いに落ちていた。硝子《がらす》一重《ひとえ》すぐ鼻の前《さき》に、一羽|可愛《かわい》いのが真正面《まっしょうめん》に、ぼかんと留《と》まって残っている。――どうかして、座敷へ飛込《とびこ》んで戸惑いするのを掴《つかま》えると、掌《てのひら》で暴れるから、このくらい、しみじみと雀の顔を見た事はない。ふっくりとも、ほっかりとも、細い毛へ一つずつ日光を吸込《すいこ》んで、おお、お前さんは飴《あめ》で出来ているのではないかい、と言いたいほど、とろんとして、目を眠っている。道理こそ、人の目と、その嘴《はし》と打撞《ぶつか》りそうなのに驚きもしない、と見るうちに、蹈《ふま》えて留《とま》った小さな脚がひょいと片脚、幾度も下へ離れて辷《すべ》りかかると、その時はビクリと居直《いなお》る。……煩《わずら》って動けないか、怪我《けが》をしていないかな。……

 以前、あしかけ四年ばかり、相州逗子《そうしゅうずし》に住《すま》った時(三太郎《さんたろう》)と名づけて目白鳥《めじろ》がいた。
 桜山《さくらやま》に生れたのを、おとりで捕った人に貰《もら》ったのであった。が、何処《どこ》の巣にいて覚えたろう、鵯《ひよ》、駒鳥《こまどり》、あの辺にはよくいる頬白《ほおじろ》、何でも囀《さえず》る……ほうほけきょ、ほけきょ、ほけきょ、明《あきら》かに鶯《うぐいす》の声を鳴いた。目白鳥としては駄鳥《だちょう》かどうかは知らないが、私には大の、ご秘蔵――長屋の破軒《やぶれのき》に、水を飲ませて、芋《いも》で飼ったのだから、笑って故《わざ》と(ご)の字をつけておく――またよく馴れて、殿様が鷹《たか》を据《す》えた格《かく》で、掌《てのひら》に置いて、それと見せると、パッと飛んで虫を退治《たいじ》た。また、冬の日のわびしさに、紅椿《べにつばき》の花を炬燵《こたつ》へ乗せて、籠を開けると、花を被《かぶ》って、密を吸いつつ嘴《くちばし》を真黄色《まっきいろ》にして、掛蒲団《かけぶとん》の上を押廻《おしまわ》った。三味線《さみせん》を弾いて聞かせると、音《ね》に競《きそ》って軒で高囀《たかさえず》りする。寂しい日に客が来て話をし出すと障子の外で負けまじと鳴きしきる。可愛いもので。……可愛いにつけて、断じて籠には置くまい。秋雨《あきさめ》のしょぼしょぼと降るさみしい日、無事なようにと願い申して、岩殿寺《いわとのでら》の観音《かんおん》の山へ放した時は、煩《わずら》っていた家内と二人、悄然《しょうぜん》として、ツィーツィーと梢《こずえ》を低く坂下《さかさが》りに樹を伝って慕《した》い寄る声を聞いて、ほろりとして、一人は袖《そで》を濡らして帰った。が、――その目白鳥の事で。……(寒い風だよ、ちょぼ一風《いちかぜ》は、しわりごわりと吹いて来る)と田越村《たごえむら》一番の若衆《わかいしゅう》が、泣声を立てる、大根の煮える、富士おろし、西北風《ならい》の烈しい夕暮に、いそがしいのと、寒いのに、向うみずに、がたりと、門《かど》の戸をしめた勢《いきおい》で、軒に釣った鳥籠をぐゎたり、バタンと撥返《はねかえ》した。アッと思うと、中の目白鳥は、羽ばたきもせず、横木を転げて、落葉の挟《はさま》ったように落ちて縮んでいる。「しまった、……三太郎が目をまわした。」「まあ、大変ね。」と襷《たすき》がけのまま庖丁《ほうちょう》を、投げ出して、目白鳥を掌《てのひら》に取って据えた婦《おんな》は目に一杯涙を溜《た》めて、「どうしましょう。」そ、その時だ。試《こころみ》に手水鉢《ちょうずばち》の水を柄杓《ひしゃく》で切って雫《しずく》にして、露にして、目白鳥の嘴《くちばし》を開けて含まして、襟《えり》をあけて、膚《はだ》につけて暖めて、しばらくすると、ひくひくと動き出した。ああ助《たすか》りました。御利益《ごりやく》と、岩殿《いわとの》の方《かた》へ籠を開いて、中へ入れると、あわれや、横木へつかまり得ない。おっこちるのが可恐《こわ》いのか、隅の、隅の、狭い処《ところ》で小《ちいさ》くなった。あくる日一日は、些《ち》と、ご悩気《のうけ》と言った形で、摺餌《すりえ》に嘴《くちばし》のあとを、ほんの筋ほどつけたばかり。但《ただ》し完全に蘇生《よみがえ》った。
 この経験がある。
 水でも飲まして遣《や》りたいと、障子を開けると、その音に、怪我《けが》処《どころ》か、わんぱくに、しかも二つばかり廻って飛んだ。仔雀は、うとりうとりと居睡《いねむり》をしていたのであった。……憎くない。
 尤《もっと》もなかなかの悪戯《いたずら》もので、逗子《ずし》の三太郎……その目白鳥《めじろ》――がお茶の子だから雀の口真似《くちまね》をした所為《せい》でもあるまいが、日向《ひなた》の縁《えん》に出して人のいない時は、籠のまわりが雀どもの足跡だらけ。秋晴《あきばれ》の或日《あるひ》、裏庭の茅葺《かやぶき》小屋の風呂の廂《ひさし》へ、向うへ桜山《さくらやま》を見せて掛けて置くと、午《ひる》少し前の、いい天気で、閑《しずか》な折から、雀が一羽、……丁《ちょう》ど目白鳥の上の廂合《ひあわい》の樋竹《といだけ》の中へすぽりと入って、ちょっと黒い頭だけ出して、上から籠を覗込《のぞきこ》む。嘴《はし》に小さな芋虫《いもむし》を一つ銜《くわ》え、あっち向いて、こっち向いて、ひょいひょいと見せびらかすと、籠の中のは、恋人から来た玉章《たまずさ》ほどに欲しがって駈上《かけあが》り飛上《とびあが》って取ろうとすると、ひょいと面《かお》を横にして、また、ちょいちょいと見せびらかす。いや、いけずなお転婆《てんば》で。……ところがはずみに掛《かか》って振った拍子《ひょうし》に、その芋虫をポタリと籠の目へ、落したから可笑《おかし》い。目白鳥は澄まして、ペロリと退治《たいじ》た。吃驚仰天《びっくりぎょうてん》した顔をしたが、ぽんと樋《とい》の口を突出《つきだ》されたように飛んだもの。
 瓢箪《ひょうたん》に宿る山雀《やまがら》、と言う謡《うた》がある。雀は樋の中がすきらしい。五、六羽、また、七、八羽、横にずらりと並んで、顔を出しているのが常である。
 或《ある》殿《との》が領分巡回《りょうぶんめぐり》の途中、菊の咲いた百姓家に床几《しょうぎ》を据えると、背戸畑《せどばたけ》の梅の枝に、大《おおき》な瓢箪が釣《つる》してある。梅見《うめみ》と言う時節でない。
 「これよ、……あの、瓢箪は何に致すのじゃな。」
 その農家の親仁《おやじ》が、
 「へいへい、山雀の宿にござります。」
 「ああ、風情《ふぜい》なものじゃの。」
 能の狂言の小舞《こまい》の謡《うたい》に、
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いたいけしたるものあり。張子《はりこ》の顔や、練稚児《ねりちご》。しゅくしゃ結びに、ささ結び、やましな結びに風車《かざぐるま》。瓢箪に宿る山雀、胡桃《くるみ》にふける友鳥《ともどり》……
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 「いまはじめて相分《あいわか》った。――些少《ちと》じゃが餌《え》の料《りょう》を取らせよう。」
 小春《こはる》の麗《うららか》な話がある。
 御前《ごぜん》のお目にとまった、謡《うたい》のままの山雀は、瓢箪を宿とする。こちとらの雀は、棟割長屋《むねわりながや》で、樋竹《といだけ》の相借家《あいじゃくや》だ。
 腹が空くと、電信の針がねに一座ずらりと出て、ぽちぽちぽちと中空《なかぞら》高く順に並ぶ。中でも音頭取《おんどとり》が、電柱の頂辺《てっぺん》に一羽|留《とま》って、チイと鳴く。これを合図に、一斉《いっとき》にチイと鳴出す。――塀《へい》と枇杷《びわ》の樹の間に当って。で御飯をくれろと、催促をするのである。
 私が即《すなわ》ち取次いで、
 「催促《やっ》てるよ、催促《やっ》てるよ。」
 「せわしないのね。……煩《うるさ》いよ。」
 などと言いながら、茶碗に装《よそ》って、婦《おんな》たちは露地へ廻る。これがこのうえ後《おく》れると、勇悍《ゆうかん》なのが一羽|押寄《おしよ》せる。馬に乗った勢《いきおい》で、小庭を縁側《えんがわ》へ飛上《とびあが》って、ちょん、ちょん、ちょんちょんと、雀あるきに扉《ひらき》を抜けて台所へ入って、お竈《へッつい》の前を廻るかと思うと、上の引窓《ひきまど》へパッと飛ぶ。
 「些《ち》と自分でもお働き、虫を取るんだよ。」
 何も、肯分《ききわ》けるのでもあるまいが、言《ことば》の下に、萩《はぎ》の小枝を、花の中へすらすら、葉の上はさらさら……あの撓々《たよたよ》とした細い枝へ、塀の上、椿《つばき》の樹からトンと下りると、下りたなりにすっと辷《すべ》って、ちょっと末《うら》を余して垂下《たれさが》る。すぐに、くるりと腹を見せて、葉裏《はうら》を潜《くぐ》ってひょいと攀《よ》じると、また一羽が、おなじように塀の上からトンと下りる。下りると、すっと枝に撓《しな》って、ぶら下るかと思うと、飜然《ひらり》と伝う。また一羽が待兼《まちか》ねてトンと下りる。一株の萩《はぎ》を、五、六羽で、ゆさゆさ揺《ゆす》って、盛《さかり》の時は花もこぼさず、嘴《はし》で銜《くわ》えたり、尾で跳ねたり、横顔で覗《のぞ》いたり、かくして、裏おもて、虫を漁《あさ》りつつ、滑稽《おど》けてはずんで、ストンと落ちるかとすると、羽をひらひらと宙へ踊って、小枝の尖《さき》へひょいと乗る。
 水上《みなかみ》さんがこれを聞いて、莞爾《にっこり》して勧めた。
 「鞦韆《ぶらんこ》を拵《こしら》えてお遣《や》んなさい。」
 邸《やしき》の庭が広いから、直ぐにここへ気がついた。私たちは思いも寄らなかった。糸で杉箸《すぎばし》を結《ゆわ》えて、その萩の枝に釣った。……この趣《おもむき》を乗気《のりき》で饒舌《しゃべ》ると、雀の興行をするようだから見合わせる。が、鞦韆《ぶらんこ》に乗って、瓢箪ぶっくりこ、なぞは何でもない。時とすると、塀の上に、いま睦《むつま》じく二羽|啄《ついば》んでいたと思う。その一羽が、忽然《こつねん》として姿を隠す。飛びもしないのに、おやおやと人間の目にも隠れるのを、……こう捜すと、いまいた塀の笠木《かさぎ》の、すぐ裏へ、頭を揉込《もみこ》むようにして縦に附着《くッつ》いているのである。脚がかりもないのに巧《たくみ》なもので。――そうすると、見失った友の一羽が、怪訝《けげん》な様子で、チチと鳴き鳴き、其処《そこ》らを覗《のぞ》くが、その笠木のちょっとした出張《でっぱ》りの咽《のど》に、頭が附着《くッつ》いているのだから、どっちを覗いても、上からでは目に附かない。チチッ、チチッと少時《しばらく》捜して、パッと枇杷《びわ》の樹へ飛んで帰ると、そのあとで、密《そっ》と頭を半分出してきょろきょろと見ながら、嬉《うれ》しそうに、羽を揺《ゆす》って後から颯《さっ》と飛んで行く。……惟《おも》うに、人の子のするかくれんぼである。
 さて、こうたわいもない事を言っているうちに――前刻《さっき》言った――仔どもが育って、ひとりだち、ひとり遊びが出来るようになると、胸毛の白いのばかりを残して、親雀は何処《どこ》へ飛ぶのかいなくなる。数は増しもせず、減りもせず、同じく十五、六羽どまりで、そのうちには、芽が葉になり、葉が花に、花が実になり、雀の咽《のど》が黒くなる。年々二、三度おんなじなのである。
 ……妙な事は、いま言った、萩《はぎ》また椿《つばき》、朝顔の花、露草《つゆくさ》などは、枝にも蔓《つる》にも馴れ馴染《なじ》んでいるらしい……と言うよりは、親雀から教えられているらしい。――が、見馴れぬものが少しでもあると、可恐《こわ》がって近づかぬ。一日でも二日でも遠くの方へ退《の》いている。尤《もっと》も、時にはこっちから、故《わざ》とおいでの儀を御免蒙《ごめんこうむ》る事がある。物干《ものほし》へ蒲団《ふとん》を干す時である。
 お嬢さん、お坊ちゃんたち、一家揃って、いい心持《こころもち》になって、ふっくりと、蒲団に団欒《だんらん》を試みるのだから堪《たま》らない。ぼとぼとと、あとが、ふんだらけ。これには弱る。そこで工夫をして、他所《よそ》から頂戴して貯《たくわ》えている豹《ひょう》の皮を釣って置く。と枇杷《びわ》の宿にいすくまって、裏屋根へ来るのさえ、おっかなびっくり、(坊主びっくり貂《てん》の皮)だから面白い。
 が、一夏《ひとなつ》縁日《えんにち》で、月見草《つきみそう》を買って来て、萩《はぎ》の傍《そば》へ植えた事がある。夕月に、あの花が露を香《にお》わせてぱッと咲くと、いつもこの黄昏《たそがれ》には、一時《ひととき》留《とま》り餌《え》に騒ぐのに、ひそまり返って一羽だって飛んで来ない。はじめは怪《あや》しんだが、二日め三日めには心着《こころづ》いた。意気地《いくじ》なし、臆病。烏瓜《からすうり》、夕顔などは分けても知己《ちかづき》だろうのに、はじめて咲いた月見草の黄色な花が可恐《こわ》いらしい……可哀相《かわいそう》だから植替《うえか》えようかと、言ううちに、四日めの夕暮頃から、漸《や》っと出て来た。何、一度味をしめると飛《とび》ついて露も吸いかねぬ。
 まだある。土手三番町《どてさんばんちょう》の事を言った時、卯《う》の花垣をなどと、少々調子に乗ったようだけれど、まったくその庭に咲いていた。土地では珍しいから、引越す時|一枝《ひとえだ》折って来てさし芽にしたのが、次第に丈《たけ》たかく生立《おいた》ちはしたが、葉ばかり茂って、蕾《つぼみ》を持たない。丁《ちょう》ど十年目に、一昨年の卯月《うづき》の末にはじめて咲いた。それも塀を高く越した日当《ひあたり》のいい一枝だけ真白に咲くと、その朝から雀がバッタリ。意気地なし。また丁《ちょう》どその卯の花の枝の下に御飯《おまんま》が乗っている。前年の月見草で心得て、この時は澄ましていた。やがて一羽ずつ密《そっ》と来た。忽《たちま》ち卯の花に遊ぶこと萩に戯《たわむ》るるが如しである。花の白いのにさえ怯《おび》えるのであるから、雪の降った朝の臆病思うべしで、枇杷塚《びわづか》と言いたい、むこうの真白の木の丘に埋《うずも》れて、声さえ立てないで可哀《あわれ》である。
 椿の葉を払っても、飛石の上を掻分《かきわ》けても、物干に雪の溶けかかった処《ところ》へ餌《え》を見せても影を見せない。炎天、日盛《ひざかり》の電車道《でんしゃみち》には、焦《こ》げるような砂を浴びて、蟷螂《とうろう》の斧《おの》と言った強いのが普通だのに、これはどうしたものであろう。……はじめ、ここへ引越したてに、一、二年いた雀は、雪なんぞは驚かなかった。山を兎《うさぎ》が飛ぶように、雪を蓑《みの》にして、吹雪を散らして翔《か》けたものを――
 ここで思う。その児《こ》、その孫、二代三代に到って、次第おくり、追続《おいつ》ぎに、おなじ血筋ながら、いつか、黄色な花、白い花、雪などに対する、親雀の申しふくめが消えるのであろうと思う。
 泰西《たいせい》の諸国にて、その公園に群《むらが》る雀は、パンに馴れて、人の掌《てのひら》にも帽子にも遊ぶと聞く。
 何故《なぜ》に、わが背戸《せど》の雀は、見馴れない花の色をさえ恐るるのであろう。実《げ》に花なればこそ、些《ちっ》とでも変った人間の顔には、渠《かれ》らは大《おおい》なる用心をしなければならない。不意の礫《つぶて》の戸に当る事|幾度《いくたび》ぞ。思いも寄らぬ蜜柑《みかん》の皮、梨の核《しん》の、雨落《あまおち》、鉢前《はちまえ》に飛ぶのは数々《しばしば》である。
 牛乳屋《ちちや》が露地へ入れば驚き、酒屋の小僧が「今日《こんち》は」を叫べば逃げ、大工が来たと見ればすくみ、屋根屋が来ればひそみ、畳屋《たたみや》が来ても寄りつかない。
 いつかは、何かの新聞で、東海道の何某《なにがし》は雀うちの老手である。並木づたいに御油《ごゆ》から赤坂《あかさか》まで行《ゆ》く間に、雀の獲《え》もの約一千を下らないと言うのを見て戦慄《せんりつ》した。
 空気銃を取って、日曜の朝、ここの露地口に立つ、狩猟服の若い紳士たちは、失礼ながら、犬ころしに見える。
 去年の暮にも、隣家《りんか》の少年が空気銃を求め得て高く捧げて歩行《ある》いた。隣家の少年では防ぎがたい。おつかいものは、ただ煎餅《せんべい》の袋だけれども、雀のために、うちの小母《おば》さんが折入《おりい》って頼んだ。
 親たちが笑って、
 「お宅の雀を狙《ねら》えば、銃を没収すると言う約条《やくじょう》ずみです。」
 かつて、北越、倶利伽羅《くりから》を汽車で通った時、峠の駅の屋根に、車のとどろくにも驚かず、雀の日光に浴しつつ、屋根を自在に、樋《とい》の宿に出入《ではい》りするのを見て、谷に咲《さき》残《のこ》った撫子《なでしこ》にも、火牛《かぎゅう》の修羅《しゅら》の巷《ちまた》を忘れた。――古戦場を忘れたのが可《い》いのではない。忘れさせたのが雀なのである。
 モウパッサンが普仏《ふふつ》戦争を題材にした一篇の読みだしは、「巴里《パリイ》は包囲されて飢えつつ悶《もだ》えている。屋根の上に雀も少くなり、下水の埃《ごみ》も少くなった。」と言うのではなかったか。
 雪の時は――見馴れぬ花の、それとは違って、天地を包む雪であるから、もしこれに恐れたとなると、雀のためには、大地震以上の天変である。東京のは早く消えるから可《い》いものの、五日十日積るのにはどうするだろう。半歳《はんさい》雪に埋《う》もるる国もある。
 或時《あるとき》も、また雪のために一日|形《かたち》を見せないから、……真個《ほんとう》の事だが案じていると、次の朝の事である。ツィ――と寂しそうに鳴いて、目白鳥《めじろ》が唯《ただ》一羽、雪を被《かつ》いで、紅《くれない》に咲いた一輪、寒椿《かんつばき》の花に来て、ちらちらと羽も尾も白くしながら枝を潜《くぐ》った。
 炬燵《こたつ》から見ていると、しばらくすると、雀が一羽、パッと来て、おなじ枝に、花の上下《うえした》を、一所《いっしょ》に廻った。続いて三羽五羽、一斉《いっとき》に皆来た。御飯《おまんま》はすぐ嘴《くちばし》の下にある。パッパ、チイチイ諸《もろ》きおいに歓喜の声を上げて、踊りながら、飛びながら、啄《ついば》むと、今度は目白鳥が中へ交《まじ》った。雀同志は、突合《つつきあ》って、先を争って狂っても、その目白鳥にはおとなしく優しかった。そして目白鳥は、欲しそうに、不思議そうに、雀の飯《いい》を視《なが》めていた。
 私は何故《なぜ》か涙ぐんだ。
 優しい目白鳥は、花の蜜に恵まれよう。――親のない雀は、うつくしく愛らしい小鳥に、教えられ、導かれて、雪の不安を忘れたのである。
 それにつけても、親雀は何処《どこ》へ行《ゆ》く。――

 ――去年七月の末であった。……余り暑いので、愚《ぐ》に返って、こうどうも、おお暑いでめげては不可《いけな》い。小児《こども》の時は、日盛《ひざかり》に蜻蛉《とんぼ》を釣ったと、炎天に打《ぶ》つかる気で、そのまま日盛《ひざかり》を散歩した。
 その気のついでに、……何となく、そこいら屋敷町の垣根を探して(ごんごんごま)が見たかったのである。この名からして小児《こども》で可《い》い。――私は大好きだ。スズメノエンドウ、スズメウリ、スズメノヒエ、姫百合《ひめゆり》、姫萩《ひめはぎ》、姫紫苑《ひめしおん》、姫菊《ひめぎく》の※[#「※」は「くさかんむり+月+曷」、第3水準1-91-26、106-13]《ろう》たけた称《となえ》に対して、スズメの名のつく一列の雑草の中に、このごんごんごまを、私はひそかに「スズメの蝋燭《ろうそく》」と称して、内々|贔屓《ひいき》でいる。
 分けて、盂蘭盆《うらぼん》のその月は、墓詣《はかもうで》の田舎道、寺つづきの草垣に、線香を片手に、このスズメの蝋燭、ごんごんごまを摘んだ思出の可懐《なつかし》さがある。
 しかもそのくせ、卑怯《ひきょう》にも片陰《かたかげ》を拾い拾い小さな社《やしろ》の境内《けいだい》だの、心当《こころあたり》の、邸《やしき》の垣根を覗《のぞ》いたが、前年の生垣も煉瓦にかわったのが多い。――清水谷《しみずだに》の奥まで掃除が届く。――梅雨《つゆ》の頃は、闇黒《くらがり》に月の影がさしたほど、あっちこっちに目に着いた紫陽花《あじさい》も、この二、三年こっちもう少い。――荷車のあとには芽ぐんでも、自動車の轍《わだち》の下には生えまいから、いまは車前草《おんばこ》さえ直ぐには見ようたって間《ま》に合わない。
 で、何処《どこ》でも、あの、珊瑚《さんご》を木乃伊《みいら》にしたような、ごんごんごまは見当らなかった。――ないものねだりで、なお欲《ほし》い、歩行《ある》くうちに汗を流した。
 場所は言うまい。が、向うに森が見えて、樹の茂った坂がある。……私が覚えてからも、むかし道中の茶屋|旅籠《はたご》のような、中庭を行抜《ゆきぬ》けに、土間へ腰を掛けさせる天麩羅茶漬《てんぷらちゃづけ》の店があった。――その坂を下《お》りかかる片側に、坂なりに落込《おちこ》んだ空溝《からみぞ》の広いのがあって、道には破朽《やぶれく》ちた柵《さく》が結《ゆ》ってある。その空溝を隔てた、葎《むぐら》をそのまま斜違《はすか》いに下《おり》る藪垣《やぶがき》を、むこう裏から這《は》って、茂って、またたとえば、瑪瑙《めのう》で刻んだ、ささ蟹《がに》のようなスズメの蝋燭が見つかった。
 つかまえて支えて、乗出《のりだ》しても、溝に隔てられて手が届かなかった。
 杖《ステッキ》の柄《え》で掻寄《かきよ》せようとするが、辷《すべ》る。――がさがさと遣《や》っていると、目の下の枝折戸《しおりど》から――こんな処《ところ》に出入口があったかと思う――葎戸《むぐらど》の扉を明けて、円々《まるまる》と肥った、でっぷり漢《もの》が仰向《あおむ》いて出た。きびらの洗いざらし、漆紋《うるしもん》の兀《は》げたのを被《き》たが、肥って大《おおき》いから、手足も腹もぬっと露出《むきで》て、ちゃんちゃんを被《はお》ったように見える、逞《たく》ましい肥大漢《でっぷりもの》の柄《がら》に似合わず、おだやかな、柔和な声して、
 「何か、おとしものでもなされたか、拾ってあげましょうかな。」
 と言った。四十くらいの年配である。
 私は一応|挨拶《あいさつ》をして、わけを言わなければならなかった。
 「ははあ、ごんごんごま、……お薬用《やくよう》か、何か禁厭《まじない》にでもなりますので?」
 とにかく、路傍《みちばた》だし、埃《ほこり》がしている。裏の崖境《がけざかい》には、清浄《きれい》なのが沢山あるから、御休息かたがた。で、ものの言いぶりと人のいい顔色《かおつき》が、気を隔《お》かせなければ、遠慮もさせなかった。
 「丁《ちょう》ど午睡時《ひるねどき》、徒然《とぜん》でおります。」
 導かるるまま、折戸《おりど》を入ると、そんなに広いと言うではないが、谷間の一軒家と言った形で、三方が高台の森、林に包まれた、ゆっくりした荒れた庭で、むこうに座敷の、縁《えん》が涼しく、油蝉《あぶらぜみ》の中に閑寂《しずか》に見えた。私はちょっと其処《そこ》へ掛けて、会釈で済ますつもりだったが、古畳で暑くるしい、せめてのおもてなしと、竹のずんど切《ぎり》の花活《はないけ》を持って、庭へ出直すと台所の前あたり、井戸があって、撥釣瓶《はねつるべ》の、釣瓶《つるべ》が、虚空へ飛んで猿のように撥《は》ねていた。傍《かたわら》に青芒《あおすすき》が一叢《ひとむら》生茂《おいしげ》り、桔梗《ききょう》の早咲《はやざき》の花が二、三輪、ただ初々《ういうい》しく咲いたのを、莟《つぼみ》と一枝、三筋ばかり青芒を取添《とりそ》えて、竹筒《たけづつ》に挿して、のっしりとした腰つきで、井戸から撥釣瓶《はねつるべ》でざぶりと汲上《くみあ》げ、片手の水差《みずさし》に汲んで、桔梗に灌《そそ》いで、胸はだかりに提《さ》げた処《ところ》は、腹まで毛だらけだったが、床《とこ》へ据えて、円い手で、枝ぶりをちょっと撓《た》めた形は、悠揚《ゆうよう》として、そして軽い手際《てぎわ》で、きちんと極《きま》った。掛物《かけもの》も何も見えぬ。が、唯《ただ》その桔梗の一輪が紫の星の照らすように据《すわ》ったのである。この待遇のために、私は、縁《えん》を座敷へ進まなければならなかった。
 「麁茶《そちゃ》を一つ献じましょう。何事も御覧の通りの侘住居《わびずまい》で。……あの、茶道具を、これへな。」
 と言うと、次の間《ま》の――崖《がけ》の草のすぐ覗く――竹簀子《たけすのこ》の濡縁《ぬれえん》に、むこうむきに端居《はしい》して……いま私の入った時、一度ていねいに、お時誼《じぎ》をしたまま、うしろ姿で、ちらりと赤い小さなもの、年紀《とし》ごろで視《み》て勿論《もちろん》お手玉ではない、糠袋《ぬかぶくろ》か何ぞせっせと縫《ぬ》っていた。……島田髷《しまだ》の艶々《つやつや》しい、きゃしゃな、色白《いろじろ》な女が立って手伝って、――肥大漢《でっぷりもの》と二人して、やがて焜炉《こんろ》を縁側へ。……焚《たき》つけを入れて、炭を継《つ》いで、土瓶《どびん》を掛けて、茶盆を並べて、それから、扇子《おおぎ》ではたはたと焜炉の火口《ひぐち》を煽《あお》ぎはじめた。
 「あれに沢山《たくさん》ございます、あの、茂りました処《ところ》に。」
 「滝でも落ちそうな崖です――こんな町中に、あろうとは思われません。御閑静で実に結構です。霧が湧《わ》いたように見えますのは。」
 「烏瓜《からすうり》でございます。下闇《したやみ》で暗がりでありますから、日中から、一杯咲きます。――あすこは、いくらでも、ごんごんごまがございますでな。貴方《あなた》は何とかおっしゃいましたな、スズメの蝋燭《ろうそく》。」
 これよりして、私は、茶の煮える間《ま》と言うもの、およそこの編《へん》に記《しる》した雀の可愛さをここで話したのである。時々|微笑《ほほえ》んでは振向《ふりむ》いて聞く。娘か、若い妻か、あるいは妾《おもいもの》か。世に美しい女の状《さま》に、一つはうかうか誘《さそ》われて、気の発奮《はず》んだ事は言うまでもない。
 さて幾度か、茶をかえた。
 「これを御縁に。」
 「勿論かさねまして、頃日《このごろ》に。――では、失礼。」
 「ああ、しばらく。……これは、貴方《あなた》、おめしものが。」
 ……心着《こころづ》くと、おめしものも気恥《きはずか》しい、浴衣《ゆかた》だが、うしろの縫《ぬい》めが、しかも、したたか綻《ほころ》びていたのである。
 「ここもとは茅屋《あばらや》でも、田舎道ではありませんじゃ。尻端折《しりばしょり》……飛んでもない。……ああ、あんた、ちょっと繕《つくろ》っておあげ申せ。」
 「はい。」
 すぐに美人が、手の針は、まつげにこぼれて、目に見えぬが、糸は優しく、皓歯《しらは》にスッと含まれた。
 「あなた……」
 「ああ、これ、紅《あか》い糸で縫えるものかな。」
 「あれ――おほほほ。」
 私がのっそりと突立《つッた》った裾《すそ》へ、女の脊筋《せすじ》が絡《まつわ》ったようになって、右に左に、肩を曲《くね》ると、居勝手《いがって》が悪く、白い指がちらちら乱れる。
 「恐縮です、何ともどうも。」
 「こう三人と言うもの附着《くッつ》いたのでは、第一|私《わし》がこの肥体《ずうたい》じゃ。お暑さが堪《たま》らんわい。衣服《きもの》をお脱ぎなさって。……ささ、それが早い。――御遠慮があってはならぬ――が、お身に合いそうな着替《きがえ》はなしじゃ。……これは、一つ、亭主が素裸《すはだか》に相成《あいな》りましょう。それならばお心安い。」
 きびらを剥《は》いで、すっぱりと脱ぎ放《はな》した。畚褌《もっこふどし》の肥大裸体《でっぷりはだか》で、
 「それ、貴方《あなた》。……お脱ぎなすって。」
 と毛むくじゃらの大胡座《おおあぐら》を掻く。
 呆気《あっけ》に取られて立《たち》すくむと、
 「おお、これ、あんた、あんたも衣《き》ものを脱ぎなさい。みな裸体《はだか》じゃ。そうすればお客人の遠慮がのうなる。……ははははは、それが何より。さ、脱ぎなさい脱ぎなさい。」
 串戯《じょうだん》にしてもと、私は吃驚《びっくり》して、言《ことば》も出ぬのに、女はすぐに幅狭《はばぜま》な帯を解いた。膝へ手繰《たぐ》ると、袖《そで》を両方へ引落《ひきおと》して、雪を分けるように、するりと脱ぐ。……膚《はだ》は蔽《おお》うたよりふっくりと肉を置いて、脊筋《せすじ》をすんなりと、撫肩《なでがた》して、白い脇を乳《ちち》が覗《のぞ》いた。それでも、脱ぎかけた浴衣《ゆかた》をなお膝に半ば挟《はさ》んだのを、おっ、と這《は》うと、あれ、と言う間《ま》に、亭主がずるずると引いて取った。
 「はははは。」
 と笑いながら。
 既にして、朱鷺色《ときいろ》の布一重《ぬのひとえ》である。
 私も脱いだ。汗は垂々《たらたら》と落ちた。が、憚《はばか》りながら褌《ふんどし》は白い。一輪の桔梗《ききょう》の紫の影に映《は》えて、女はうるおえる玉のようであった。
 その手が糸を曳《ひ》いて、針をあやつったのである。
 縫えると、帯をしめると、私は胸を折るようにして、前のめりに木戸口へ駈出《かけだ》した。挨拶は済ましたが、咄嗟《とっさ》のその早さに、でっぷり漢《もの》と女は、衣《きもの》を引掛《ひっか》ける間もなかったろう……あの裸体《はだか》のまま、井戸の前を、青すすきに、白く摺《す》れて、人の姿の怪《あや》しい蝶《ちょう》に似て、すっと出た。
 その光景は、地獄か、極楽か、覚束《おぼつか》ない。
 「あなた……雀さんに、よろしく。」
 と女が莞爾《にっこり》して言った。
 坂を駈上《かけあが》って、ほっと呼吸《いき》を吐《つ》いた。が、しばらく茫然として彳《たたず》んだ。――電車の音はあとさきに聞えながら、方角が分らなかった。直下の炎天に目さえくらむばかりだったのである。
 時に――目の下の森につつまれた谷の中から、一《いっ》セイして、高らかに簫《しょう》の笛が雲の峯に響いた。
 ……話の中に、稽古《けいこ》の弟子も帰ったと言った。――あの主人は、簫を吹くのであるか。……そういえば、余りと言えば見馴れない風俗《ふう》だから、見た目をさえ疑うけれども、肥大漢《でっぷりもの》は、はじめから、裸体《はだか》になってまで、烏帽子《えぼし》のようなものをチョンと頭にのせていた。

 「奇人だ。」
 「いや、……崖下《がけした》のあの谷には、魔窟があると言う。……その種々《いろいろ》の意味で。……何しろ十年ばかり前には、暴風雨《あらし》に崖くずれがあって、大分、人が死んだ処《ところ》だから。」――
 と或《ある》友だちは私に言った。
 炎暑、極熱のための疲労《つかれ》には、みめよき女房の面《おもて》が赤馬《あかうま》の顔に見えたと言う、むかし武士《さむらい》の話がある。……霜《しも》が枝に咲くように、汗――が幻を描いたのかも知れない。が、何故《なぜ》か、私は、……実を言えば、雀の宿にともなわれたような思いがするのである。
 かさねてと思う、日をかさねて一月《ひとつき》にたらず、九月|一日《いちにち》のあの大地震であった。
 「雀たちは……雀たちは……」
 火を避けて野宿しつつ、炎の中に飛ぶ炎の、小鳥の形を、真夜半《まよなか》かけて案じたが、家に帰ると、転げ落ちたまま底に水を残して、南天《なんてん》の根に、ひびも入《い》らずに残った手水鉢《ちょうずばち》のふちに、一羽、ちょんと伝っていて、顔を見て、チイと鳴いた。
 後に、密《そっ》と、谷の家を覗《のぞ》きに行った。近づくと胸は轟《とどろ》いた。が、ただ焼原《やけはら》であった。
 私は夢かとも思う。いや、雀の宿の気がする。……あの大漢《おおおとこ》のまる顔に、口許《くちもと》のちょぼんとしたのを思え。卯《う》の毛で胡粉《ごふん》を刷《は》いたような女の膚《はだ》の、どこか、頤《あぎと》の下あたりに、黒いあざはなかったか、うつむいた島田髷《しまだ》の影のように――
 おかしな事は、その時|摘《つ》んで来たごんごんごまは、いつどうしたか定かには覚えないのに、秋雨《あきさめ》の草に生えて、塀を伝っていたのである。
 「どうだい、雀。」
 知らぬ顔して、何にも言わないで、南天燭《なんてん》の葉に日の当る、小庭に、雀はちょん、ちょんと遊んでいる。



底本:「鏡花短篇集」川村二郎編、岩波文庫、岩波書店
   1987(昭和62)年9月16日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二七巻」岩波書店
   1942(昭和17)年10月
入力:砂場清隆
校正:松永正敏
2000年8月30日公開
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