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山と雪の日記
板倉勝宣

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)鰭《ひれ》の動く

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   夏の日記

      大正池

 峰々の谷に抱かれた雪の滴を集めて流れて、梓川は細長い上高地の平原を、焼岳の麓まできた時に、神の香炉から流れ出たラヴァはたちまちにその流れを阻んだ。岩に激してきた水は、焼岳の麓の熊笹をひたし、白樺の林をひたして対岸の霞沢岳の麓に及んだ。いままでゴーゴーと流れる谷川の水はここにきて、たちまち死んだようになみなみとたたえた緑藍色の湖の中に吸いこまれて行く。その中に枯れた白樺の林が、ツクツク影を写して立つ。焼の麓の岸は急で、熊笹は水の中までつかっている。池の辺の熊笹は、丈より高かった。中をわけて行くと、ガサゴソと大変やかましい音がして、世の中は熊笹の音ばかりになってしまう。岸に出た。むやみと急である。ずれ落ちると濃藍の、このうすきみの悪い水に落ちなければならない。やっと、水の辺に下りて、やや平らな中に熊笹をわけて腰を下ろした。光線のさしこんだところはグリーンから底に行くほど、藍色に変って行く。そしてその中に、いわなの斑点のある身体が、二匹も三匹も動いている。鰭《ひれ》の動くのさえ鰓《えら》のひらくのさえ見える。この水の上に、小さな虫が落ちると、今まで下の方ですましていた奴が、いきなり上を向いて突進してくる。パクッと、あたりの静けさを破る音とともに、虫は水の下へ、魚の腹へ、消えて行く。一面にたたえた水をへだてて、対岸に霞沢岳、左手に岩ばかりの穂高の頭が雲の中に出ている。Y字形の雪谷と、その上に噛みあった雪とが、藍色の水と相対して、一種の凄みがある。水の中に立った白樺のめぐりを、水にすれすれに円を画いて五、六匹の白蝶が、ひらひらひらとたわむれていたが、そのうちの一匹は、力がつきたのか、水の上にぱたりと落ちた。疲れた翼を励まして水を打ったが、二、三寸滑走してまた落ちた。ぱたぱたぱた水の中でもがく。友に救いを求めるように。そしてその小さな波が、岸の熊笹の葉を動かした時に、パッと音がして白蝶の姿は藍色の水に吸いこまれた。あとに小さな渦が一つ、二、三寸、左のほうへ動いて行って、スーッと消えた。霞沢岳の影と白樺の影が、一緒になって、ぶるぶると震えている。哀れとはこんな感じであろう。あたりは、いたって静かだ。相変らず蝶を呑むいわなが水の中を動いている。水の中に悪魔がいる。大正池は魔の池である。

      上高地の月

 井戸の中の蛙が見たら、空はこんなにも美しいものかと、私はいつも上高地の夜の空を見るたびに思った。空の半分は広い河原を隔てて、僅か六町さきの麓から屏風のようにそそり立った六百山と霞沢岳のためにさえぎられて、空の一部しか見ることができない。夜になると、この六百と霞がまっ黒にぬりつぶざれて、その頂上に悪魔の歯を二本立てたような岩が、うす白く輪かくを表わす。そしてこの大きな暗黒の下に、広い河原を流れる梓川の音が凄く、暗闇に響く。ある日この頂上の上に、月が出た。小さいが、強い光の月だ。白い雲が、悪魔の呼吸のように、白い歯の影から、月を目がけて吹きかけて行くが、月のところにくると光にあった幽霊のごとくに消えうすれて行く。時には、月が動いているようにも見えた。霞の暗黒の下で、広い河原が月に照らされてその中の急流に、月が落ちて、くだかれて洗われている。水の面には白い霞がたなびいて、そこから風が起こるのか、すぐ傍の柳は、月の光を吸いながら、ゆるやかに動いていた。河辺にたつと月の光はくだけているばかりか、水の中に浸みこんで行く。河に沿うて、高峰の月を見ながら、流れの音を聞きながら歩いた。夜露がすっかり草の上に下りて、あたりの空気はひどくしめっぽかった。白樺が闇に浮く路を、黙って歩くと、いい得ぬ思いが胸にわく。焼は少し白く見えた。穂高はほとんど暗かった。いま穂高の上にいたらばと思って、一人でくやしかった。

      霞沢岳

 頂上は狭い。三角標の下に腰を下ろすと、そこいらのはい松の上で、ぶよのなく声が聞えてくる。日光は、はい松の上にも黄色い花の上にも一面にあたって、そこらの植物は光を迎え、その愛にひたっているように見えた。美わしい美わしい空の下に上高地の谷をへだてて、手のとどきそうなすぐ前に、穂高の雄姿が、岩の襞を一つ一つ、数えられそうに見える。麓からじき上に、緑の草の萌えて見える谷に、Y字形の雪を残して、それから上に、右手には前種高への岩が、はげしい鋭さをもって、ギザギザと頂上まで押し立っている。正面には奥穂高が、黒い岩、雪を光らして、それに続く。この尾根は左へほこを立てたような、いくつかの峰々を越えて、やがて木におおわれた山となって、一番はじに、ぷっくり持ち上った焼岳に終る。焼岳はわが左眼下に、遥かにたたえた濃藍の大正池の岸から、つまみあげられたように、ぷっくり持ち上って、麓から中腹にかけては、美わしいききょう色をして見える。頂上から中腹にかけては、灰色のクリームを頭から注ぎかけたようで、中腹では灰色とききょう色とがとけあっている。この自然の美しい香炉からは、神をたたえる白い煙が、高い蒼空に縷縷《るる》と昇っていた。そしてその頂上はここよりかなり下にある。ここから見ると可憐な山だ。さて目を転ずる。前穂高、明神から右手に目をやると、蝶ガ岳、常念への峰が穂高の岩とくいちがう。そしてこの間から上高地の高原が白く現われてくる。梓川が糸のもつれのごとく、その中を大正池まで注ぎこんでいる。さて再び目を背後に転ずる。森に包まれたこの方向の谷は、遠くに谷水の音を響かせて、遥か下まで下りきると、それをさえぎるように、低いながら、また山脈の襞が垂直に走って、その山の低いところを越えて畑らしいものが見えるのは、白骨から島々への道らしい。その上に遥かに高く、遥かに高く、薄紫の鋭い山々が雲の上に見える。駒、御嶽、八ガ岳の諸峰か。雲は肩の辺に渦を巻いて、動こうともしない。右手に近く乗鞍の雄大な尾根が、かば色にのさばっていた。相変らず、ぶよのなくねがのどかにする。山崎は例のごとく昼寝をしている。坊城はスケッチで、この美わしい景色を汚そうと骨を折っている。園地と小池と板倉は、その間に、デセールをなるたけたくさん食って、水をしこたま飲もうと心がけていた。

      霞沢岳の途中

 腰のずれそうな傾斜のはい松の中に腰を下ろした。まっすぐな谷が、梓川が糸のように見える上高地の平原まで続く。すぐ右手に頭を圧して、半天をさえぎって、花崗岩の大岩塊が、白い屏風を押し立てたように立っている。下の平原を隔てて、向う側には、穂高から焼への尾根の一部が見えて、その上に笠ガ岳が胸まで出している。わが頭をすれすれに、岩燕がヒューとばかり鋭い翼の音をたてて、一羽は一羽の後を追いながら、大円を画いてかけて行く。その燕がたちまち小さく、小さくなって花崗岩の中腹ぐらいに行ったと思うと、そこに胡麻をまいたように群がった岩燕の群の中に消える。大きな白い岩の胸のあたりに、点々として速く動く燕の群からは、チクチクという鋭い叫びが花崗岩に反響して、はい松の静けさの中にひびいてくる。岩そのものから出る声のように、燕が岩から生れるのではないかと思えるように、二つのものが親しそうに見えた。

      小 屋

 宿屋の前では、広い河原を流れる水が、少し下流に行くと十間幅の激流となる。凄ましい音をたてて水はうねったり跳ねたり、できるだけの力と速さで、われさきにと、流れて行こうとする。底にある石という石はみんなころがす勢いではねて行く。河辺に立つと、氷のような涼しさが、ゴーゴーという叫び声の上で、一面に漂って、岸の木々の葉には、常に風が吹いている。ここに、丸太をつないだ橋がかかって、渡る一歩ごとにふわりふわりとゆれる。下では白い泡と緑の水とが、噛みあってわめいて行く。中央に立って下流を見ると、木のない焼岳が、静かに煙を上げている。この橋を渡ると、青い草原となって、白樺が五、六本と落葉松が生えて、ところどころに、蕗の花が夢の国に行ったように、黄色く浮んでいる。緑にこされたためか、流れの音は、ここに入ると、急に静かに響いてくるようになる。この原は十間でまた小川に達する。透きとおるような水が音もなく流れて、このちょっと下で激流に流れこむのだ。この二つの川の間が、われらの住家である。小川の辺の小高いところに、自然木で組み立てて、板をはった十畳敷の小屋ができた。屋根には蕈《きのこ》の生えた太い木が五、六本のっている。小屋の入口には、小川から運んだ石でかまどをつくり、その傍には白樺と赤樺で組んだ三本足の鍋かけができた。ここに太い落葉松が、天にとどいている。その下に、緑の草の上にテーブルと椅子が厚さ二寸もある板でつくられた。小屋の小川に面した方とその反対側に、障子を横にしてふさぐ、大窓があけられた。三尺の入口を入ると、右手の窓からは、河と大岩とが見え、左手の窓からは、白樺と緑の草とが見える。正面の棚には、さもえらそうに、本がつまって右手の棚には、罐詰が勇ましく行列をしている。床の上には、うすべりをしき、毛布をしいて、火鉢が一つ、醤油、砂糖、米の入物が薬罐と一緒に置いてある。毛布の上に寝ると、小屋の窓の下は小川で、大きな岩が、がんばった両側を、水が静かに流れて行く。窓のところに川の上に枝をかざした白い幹の木が、三本立っている。川の向う側は熊笹で、やがて森になる。白樺がちらほら見える。この森はもう霞沢岳の麓である。だから、その白い花崗岩のはげは、窓のところへきて寝ころぶと、前の木の枝の中にある。ここで昼寝をすると、谷川の音が子守歌のように働いて、緑の精がまぶたを撫ててくれる。左手の窓から見ていると、啄木鳥がきて、時々白樺をたたいている。猟師の庄吉さんも、この窓のところへきて、煙草をのみながら話をする。小屋を出て左へちょっと下ると、氷のような水の不断に流れる台所で茶碗も、箸も、投げこめば、自然が洗ってくれる。小屋の左後ろに、一本の立木を利用して屋根をふいた便所がある。蕗の葉を持って、ここに入ると、霞沢岳が小屋の背景になる。雄大な景色で、初めは工合が悪かった。朝ここへ入ると、薄い黎明の日が小屋にあたって、緑の草の上に原始的な小屋が、オレンジ色に、静まりかえって見える。障子が静けさそのもののように、窓をふさいでいる。駒鳥のなきだすのもこの時分からだ。

      小屋の生活

 朝の温度は驚くほど低い。毛布をはねて蚊帳から出ると、いきなり作業服をきる。ツャツは寝る時から四枚きている。鍋に米を入れて、目をこすりながら、小川に下りると、焼にはまだ雲がかかっている。米をとぐと、たちまち手がこごえ、我慢ができない。糠飯を食うのは有難くないし、みんなの顔が恐ろしい。他の奴はねぼけ眼から涙を出して、かまどを焚いている。煙は朝の光線を小屋の上に、明らかにうつし出してくる。小屋で、焚木のはねる音を聞いてた奴も、やがて起きて掃除している。やがて飯が吹き出して、実なしの汁が、ぐつぐつ煮え始めると、テーブルの上にシーツがしかれて、一同は朝の光線を浴びながらうまい飯を食い始める。食い終って、しばしば山の雲を見ながら話にふけっているが、やがて鍋や茶碗を川に投げこんで、各自勝手なことを始める。本を読む奴、スケッチに行く奴、釣りに行く奴、焚木を背負いに行く奴もある。焼岳や、霞沢、穂高、あるいは田代潮、宮川の池へ行く時は、握飯をつくって、とびだしてしまう。平常は十時ごろになると、誰かが宿屋へ馬鈴薯か豆腐、ねぎを買い出しに行ってくる。石川はむやみと馬鈴薯が好きだ。家では、一日食っているんだそうだ。その代わり、調味は石川が万事ひき受けている。だからコックである。昼は御馳走があるからみんなむきで、こげ飯でもなんでも平げてしまう。昼は大抵、日陰の草の上で食うことにした。この小屋へ入ってから、みんな大変無邪気になった。そうして日がむやみとはやく、飛んで行ってしまった。夕食後は、小屋をしめてみんなで温泉に行く。丸木橋を渡って、歌を唱いながら、六百山の夕日を見ながら、穂高にまつわる雲を仰ぎながら行く。湯気にくもるランプの光で、人夫の肉体美を見ながら、一日の疲労を医す。帰りには、帳場によって、峠を越えてくる人夫を待つのが一番楽しみだ。小包でも着くと大喜びで霞の上に光る星を見ながら、丸木橋を渡ると、白い泡が闇に浮いて、ゴーゴーの音が凄い。
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  冬の日記

    峠停車場

天地の眠りか 雪に埋るる板谷峠
その沈黙のさなかに スキーは登る
真白き峰々 眠れる谷々
音なく降る雪のはれまに
       鉢盛山のやさしき姿
友のさす谷をのぞけば 峠の停車場
           雪に埋れり
降りしきる雪の中を スキーは飛ぶ
谷へ谷へ 雪をかぶりし杉の柱
暗き緑の色 その奥は光も暗し
スキーはとく過ぐれど 思いはのこる
           夢幻の森
見よ今は スキーの下に 峠駅あり
高き屋根もつプラットホーム
       群がる雪かき人夫
疲れし機関車のあえぎ
    そのあえぎさえ雪に吸われ
静けさの中に 雪しきりに降る
ああ夢に見し シベリヤの停車場

駅長室に入れば 燃ゆるストーブ
こごえし身も心も 今はとけぬ
松方はいう 気持ちのいい停車場
ウインクレル氏はいう ウィーンの停車場のよう
ストーブをかこみ パンをかじれば
電信器の音は 唯一つの浮世のおとずれ
再び山へ山へ 雪をけってスキーは進む
さらば谷よ わが愛する峠駅よ

   ステムボーゲン

先頭の影 谷に吸わると見れば
もちかうる杖のおちつき
      ドッペルシテンメンの身体ののび
投げあげし パラシュートの開くごとく
落ちると見えし身体 ひらりと変り
美わしきカーブの跡 彼の姿は崖に消えぬ
二十秒 三十秒
あれ見よ下に 小さくあらわれしあの影を
ああ彼見事に下りぬ わが胸は跳る
いざおりん
もちかうる杖の喜び 山足にうつる重心
つばめのごとき身体のひらき
下りきりて崖を仰げば 日にてらされし
          ボーゲンの跡
優美なるそのカーブ わが胸は跳る

    直滑降

足をそろえて身体をのばせば スキーは飛ぶ
真白き天地を かの山越えて
天に登るか わが行手何ものもさえぎらず
耳をかすむる風 スキーより上る雪煙
わがあとを人が追うか ふりむけば飛ぶ雪の影
ああわれは天に行く

    テレマーク

雪を飛ばして行く 直滑降の後ろ姿
ひざまずくと思えば さっとたつ雪煙の中
側面の彼の姿 雪をきるスキーのきっさき
消え行く雪煙のさなかに 立ちあがる彼が得意の姿

    停車場より温泉へ

星のみだるる北国の空
       雪の上をチョロチョロ走るものあり
谷水の音聞きつ 星を仰ぎつ
       四つんばいの怪物
スキーをかつぎ 雪の上を走る
北極の熊か 北の里に住む怪物か
その後に 驢馬のごとき男、もぐらのごとく雪をかく
宿屋の番頭 スキーに乗り提灯をもちてくる
せんべいを出し 何枚入れましょうといえば
四つんばいのまま 二枚々々と呼ぶ
二枚いれますといえば 口をアンとあく
宿のあかり見ゆるに ここより何町と問う
二間ばかりはいずりまた ここより何町と問う
玄関はどこだいという 番頭驚き逃げれば
他の番頭きたる 一の番頭二の番頭
  ことごとく へいこうし
スキーを置けといえば 金ものがさびるよという
あつかましき怪物 後の驢馬 げらげらと笑う
うすきみ悪き怪物 百鬼夜行雪の上をはいずる

      五色温泉より高湯へ

 十二月三十日
 高倉山へ行くつもりで仕度をしていると、ウインクレル氏から高湯へ行こうといってきた。天気さえ好くば二泊して、吾妻登山をやるかも分らないとのこと、坊城、松方、僕の三人はむやみとはりきってしまった。リュックサックに一ぱい用意の品物をつめて、十時半にウ氏の先頭、ヴンテン、孝ちゃん、坊城、松方、僕の五人が出発した。天気は非常にいい。賽の河原にくると周囲の山々が、はっきりと見えた。この上もなく美わしく輝くさまざまな朝の蜂々は、プロシァンブルーの空に、浮き上っている。冬の柔かな太陽の光線の下に眠れる谷々は、一方に濃い陰影を見せて、白く輝く面とその陰影とは、柔かい曲線と、男性的な線とを画いていた。米沢の平原が、その山を越えて見える。杖の先に、僅かにそれと黒く見えるのは、米沢市であろう。話声さえ雪に吸われてスキーの跡をつけるのさえすまない気がする。ああ目が覚めたようにまぶしい。太陽の恵みのもとに芽を吹き出す黒い土が天地の生命を表わすならば、雪の峰や谷は天地の聖き眠りを表わしている。純な柔かい感じのする雪の上に杖で字を書くと、雪の結晶が星のように一面に光っている。賽の河原から高倉の裾を廻るころ、東向きの雪がスキーにつき始めたので十五分ごとに先頭をかえて進んだ。高倉の裾をまわり切って、三段になったその頭をふりかえりながら進むと、谷に製板所の屋根が見えた。まっ白い兎が驚いて逃げて行った。もう十二時をちょっとまわっている。行手に高湯の賽の河原が見えるがまだよほどあるらしい。深い沢や谷が幾つもその間に横たわっている。行手を急ぐ身は、立ちながらパンを二片ほおばった。青き空の下に、輝く白い山々を見ていると、頭になにもない。ふだんから無い癖にといってくれるな。ふだんは腐った脳みそが入っている。万事は自然にゆだねた気持ちになるんだ。人間を信じない間ぬけな男に、これほど頭のさがる感じはない。暖かく心持ちよくスキーはシューシューと雪の上を行く。雪の下を流れる小川の水は非常にきれいだ。可愛らしい小川だ。谷を一つ越すと思わぬところに家が十軒ばかりあったが、どの家も、どの家も、雪が住んでいるばかりだ。やっと一軒人の住んでる家を見つけて道を聞いた。ここは青木山というところだそうだ。高湯へこの先の深い沢を越せば、たいしたこともないらしいという。だいぶ偉い沢に違いない。沢に近づくと太い山欅の林となった。その幹の間から遠い山々が見えて日本アルプスを思い出す高山的な景色である。松方はいもりのような喜び方をしていた。沢はなるほど深い。水の音がする。沢の雪の上には、ところどころに穴があいて、そこからはげしい水の音がする。今にも雪をくずして行きそうである。ウ氏はだいぶ考えていたがついに下りた。「泳ぎたいな」といったら「ここがいいです」とウ氏が指さした。穴のあいた雪の下を泡だった水が黒く流れて行く。たったいま目が覚めて、大いそぎで暖かい国をさして逃れて行くようだ。沢を登って石楠花を見た時は、なんだか嬉しかった。山岳気違いの証拠だ。沢はいくらでも出てくる。上へ上へと登って源を渡って行く。時々静かな雪の天地を木がらしがサーと針葉樹の枝をふるわせて通ると、ハラハラと落ちる雪が頬をうつ。風のわたる枝を見あげて、耳を澄していると、すぐ上でウ氏が「いい音ですね」と、やっぱり聞きほれていた。技巧を交えぬ音だ。雪と林のささやきだ。木の間越しに高倉の後に槍ガ岳のような山が見え出した。その山に目を注ぎながら、急なところで悠々と方向転換をやる気持ちったらない。沢を越えきると、ゆるい傾斜の雪の上に、ところどころに針葉樹が瞑想にしずんでいるように立っていた。この広い傾斜を下へ下った時に自分達は、ほんとうに驚かされた。山の上の広い雪の原に、五葉の松や樅がぽつりぽつりと取り残されたようにたたずんで、この白い傾斜のはてに、山が、遠くの山々が夕日にあかあかと燃えていた。雪の山が燃えるんだ。いや輝くんだ。そして空は、赤からオレンジとだんだん変って、やがては緑色までうつって行く。ああ自分は、いまこそ生きている。美の感じと、感嘆の叫びが、行きづまった時、自分は、蒸発して行くんじゃないかとすら思った。呼吸をすると、あの燃える山も、五色の空も、呼吸する。空間を越え、時を越え、狭い五感の世を越えて、今は、宇宙の源さしてとけこんで行く。スキーの足も自ら遅く、ヴンテンさんの影が五色の空の中へ遠くなるのもかまわず、うっとりと雪の平原を滑って行く。はてもなく歩きたい。何かいいたい。「まるでスイスだ」と行ったこともない自分は叫んだ。右手の小高い岳には樅の森が、この美に立ちすくんだように黒く見える。「いいな、たまらないな」という松方と坊城の独言がかなり後ろで聞えた。山がこんなに赤く燃えようとは思わなかった。そしてなんという静かな大きさであろう。スキーが静かに滑って、賽の河原にきたころ日はようやく暮れて行った。この峰からたくさんな沢が下って、その行手の平野に島のように見える山の右手に黒く見えるのが福島であろう。しかも下の谷には、一軒の家さえ見えなかった。「この見当でしょう。さあ行きましょう」とウ氏の姿は下へ下へ滑った。やがて一つの小川を渡った。五時を過ぎたばかりだのにもうよほど暗くなってきた。谷はようやく陰欝な闇に包まれて行く。右手には沢が出てきた。福島のあかりが遠く、かたまって光る。ややはなれて、もっと左によほど近く庭坂の光が見える。しかし暮れた山から陰気な谷をひかえて見えるあかりは懐しいよりも、やるせない気がする。どうも谷を間違えたらしい。「孝ちゃんどこへ行った」とウ氏が後から滑った。ヴンテンさんは、もっと上手だと主張した。上を見れば、さっきの賽の河原も、闇に僅かにりんかくが見えるばかしだ。ただ時々硫黄の匂いがする。「孝ちゃん、怒ったからもどりましょう」とウ氏がいう。「だれが」と孝ちゃんは闇で聞く。「ヴンテンさん」と意外な答に孝ちゃんは、闇に不平をまぎらして上へ登り出した。山の中の五人の頭の上で、星がやたらと光りだした。寒さはようやく強くなって風が時々音をたてる。自分はリュックサックから用意の毛皮を出して着た。顔も包んだ。手袋をとると烈しい寒さが分る。パンを出し闇の中で頬ばりながら、さあ一晩中歩いてもいいと思った。もどって道らしいところを左へ行くと「孝ちゃん滝あるよ」とウ氏が叫んだ。滝は滝でも、目じるしの滝ではなかった。再び下へ下ることになった。もどりながら「一晩中テレマークしましょう。僕らの立派な身体、こんなことでこわれません」とウ氏がいった。あたりは暗かった。ただ雪あかりで僅かに周囲が見える。沢は黒ずんで見えた。「ヤーホー」という叫び声を闇にもとめて滑ると、初めは小さく見えた小さい塊が急に大きくなってくるとステンメンをして近づく。ヴンテンさんに追いつくことも、木にぶつかることもある。小さい木はすべて股の下へ入れる。やたらと滑って行くと右手の沢を越えて、下の方の谷に、あかりが見えた。「高湯です」と孝ちゃんが歓喜の声をあげた。しかしとても右手の沢は渡れない。水の音を聞きながら、しゃくにさわった。左手からも沢が迫っている。わが行手は二つの沢に挟まれてしまった。これは下りても駄目だと自分は思った。ええままよ一夜を明かしてやれ、星が光るじゃないかとすっかり落着いてしまった。再びあかりは見えなくなった。いよいよ谷に下りた。二つの流れに挟まれた狭い谷にきた時に、孝ちゃんがかんじきの跡を見つけた。壌中電灯の光は、ゆきなやみながら谷を行く。まるい光が雪の下の岩を照らし、夜も休まず流れる水を照らす。谷川の石の上に積った雪の上を長いスキーで渡るところもある。孝ちゃんが片足をふみはずした時自分は思わず、「アッ」と小さな声を闇であげた。スキーをぬぎながら「この先行かれません」という。「そんなことはありません」とウ氏が渡ったと思うと、スキーが闇ででんぐりかえるのが見えた。ウ氏は幸いに大きな岩の上に落ちた。電灯は次へ次へ渡される。坊城の腕時計を照らしたら七時半だった。さっきもどった時から一時間滑ったわけだ。どうにかこの先から右手の沢を渡った。ああ星の夜の雪の旅。なんという静かな夢のようなありさまだ。木々の梢が雪に浮いて、その間に、星が光っている。寒さはよほど強いらしいが用意をした身体は、ぽかぽかと気持ちよく血がめぐっている。「ああ一晩ここで明かしたい」「俺もさっきからそう思っているんだ」。こんな会話が白い息を吹きながらとりかわされる。谷を登りきると目の前に卵湯のあかりが谷の向こうに見えた。目ざすところはもっと上だ。「きましたよ」と孝ちゃんが明りに輪かくを浮かせていう。雪がちらちら降ってきた。道に飛ぶと、もう温かそうな湯の宿のあかりが見えた。あだち屋の炉辺に、雪のついた靴を脱いで、燃えさかる火を顔にうけた時には、なんともいわれぬいい気持ちだった。さっきのかんじきの跡は、ここの番頭が今朝歩いたんだそうだ。硫黄の匂いが鼻をつく。リュックサックからボールのような手拭を出して湯に入った。高い天井の湯に、暗いあかりがともっている。
 三十一日
 今日は大変な天気だ。吾妻登山をするなら微温湯《ぬるゆ》にまで行かねばならぬ。とにかく昼までは暇なので孝ちゃんのお餅をむやみと食った。ウ氏とヴンテンさんが天気を見に行った。どうも本当でないので、帰ることにした。静かな谷の湯の宿に別れを告げて谷に沿うた道を二本杖で滑り下りる。雪は氷のようになっているからスケートのようだ。ステンメンの足が、疲労することおびただしい。二十分で土が出た。二里の道を庭坂駅に着いた時には、後に昨日の山が雪ぞらの下に、雄大に見えた。停車場の窓から、ああ、あすこを下ったのだなと思うと嬉しい。お餅を食って汽車を待った。一時間汽車にゆられて板谷駅に下りると、はげしい雪が降っている。日が暮れてから温泉に帰りついた。
(大正八年三月)[#地より1字上げ]



底本:「山と雪の日記」中公文庫、中央公論社
   1977(昭和52)年4月10日初版
   1992(平成4)年12月15日6版
底本の親本:「山と雪の日記」梓書房
   1930(昭和5)年3月
入力:林 幸雄
校正:田口彩子
2001年12月8日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

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