青空文庫アーカイブ

夏の花
原民喜

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(例)※[#「けものへん+章」、第3水準1-87-80、12-上-3]
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わが愛する者よ請ふ急ぎはしれ
香はしき山々の上にありて※[#「けものへん+章」、第3水準1-87-80、12-上-3]の
ごとく小鹿のごとくあれ
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 私は街に出て花を買ふと、妻の墓を訪れようと思つた。ポケットには仏壇からとり出した線香が一束あつた。八月十五日は妻にとつて初盆にあたるのだが、それまでこのふるさとの街が無事かどうかは疑はしかつた。恰度、休電日ではあつたが、朝から花をもつて街を歩いてゐる男は、私のほかに見あたらなかつた。その花は何といふ名称なのか知らないが、黄色の小瓣の可憐な野趣を帯び、いかにも夏の花らしかつた。
 炎天に曝されてゐる墓石に水を打ち、その花を二つに分けて左右の花たてに差すと、墓のおもてが何となく清々しくなつたやうで、私はしばらく花と石に視入つた。この墓の下には妻ばかりか、父母の骨も納まつてゐるのだつた。持つて来た線香にマツチをつけ、黙礼を済ますと私はかたはらの井戸で水を呑んだ。それから、饒津公園の方を廻つて家に戻つたのであるが、その日も、その翌日も、私のポケツトは線香の匂がしみこんでゐた。原子爆弾に襲はれたのは、その翌々日のことであつた。

 私は厠にゐたため一命を拾つた。八月六日の朝、私は八時頃床を離れた。前の晩二回も空襲警報が出、何事もなかつたので、夜明前には服を全部脱いで、久振りに寝巻に着替へて睡つた。それで、起き出した時もパンツ一つであつた。妹はこの姿をみると、朝寝したことをぷつぷつ難じてゐたが、私は黙つて便所へ這入つた。
 それから何秒後のことかはつきりしないが、突然、私の頭上に一撃が加へられ、眼の前に暗闇がすべり墜ちた。私は思はずうわあ[#「うわあ」に傍点]と喚き、頭に手をやつて立上つた。嵐のやうなものの墜落する音のほかは真暗でなにもわからない。手探りで扉を開けると、縁側があつた。その時まで、私はうわあ[#「うわあ」に傍点]といふ自分の声を、ざあーといふもの音の中にはつきり耳にきき、眼が見えないので悶えてゐた。しかし、縁側に出ると、間もなく薄らあかりの中に破壊された家屋が浮び出し、気持もはつきりして来た。
 それはひどく厭な夢のなかの出来事に似てゐた。最初、私の頭に一撃が加へられ眼が見えなくなつた時、私は自分が斃れてはゐないことを知つた。それから、ひどく面倒なことになつたと思ひ腹立たしかつた。そして、うわあ[#「うわあ」に傍点]と叫んでゐる自分の声が何だか別人の声のやうに耳にきこえた。しかし、あたりの様子が朧ながら目に見えだして来ると、今度は惨劇の舞台の中に立つてゐるやうな気持であつた。たしか、かういふ光景は映画などで見たことがある。濛々と煙る砂塵のむかふに青い空間が見え、つづいてその空間の数が増えた。壁の脱落した処や、思ひがけない方向から明りが射して来る、畳の飛散つた坐板の上をそろそろ歩いて行くと、向から凄さまじい勢で妹が駈けつけて来た。
「やられなかつた、やられなかつたの、大丈夫」と妹は叫び、「眼から血が出てゐる、早く洗ひなさい」と台所の流しに水道が出てゐることを教へてくれた。
 私は自分が全裸体でゐることを気付いたので、「とにかく着るものはないか」と妹を顧ると、妹は壊れ残つた押入からうまくパンツを取出してくれた。そこへ誰か奇妙な身振りで闖入して来たものがあつた。顔を血だらけにし、シヤツ一枚の男は工場の人であつたが、私の姿を見ると、
「あなたは無事でよかつたですな」と云ひ捨て、「電話、電話、電話をかけなきや」と呟きながら忙しさうに何処かへ立去つた。
 到るところに隙間が出来、建具も畳も散乱した家は、柱と閾ばかりがはつきりと現れ、しばし奇異な沈黙をつづけてゐた。これがこの家の最後の姿らしかつた。後で知つたところに依ると、この地域では大概の家がぺしやんこに倒壊したらしいのに、この家は二階も墜ちず床もしつかりしてゐた。余程しつかりした普請だつたのだらう、四十年前、神経質な父が建てさせたものであつた。
 私は錯乱した畳や襖の上を踏越えて、身につけるものを探した。上着はすぐに見附かつたがずぼんを求めてあちこちしてゐると、滅茶苦茶に散らかつた品物の位置と姿が、ふと忙しい眼に留まるのであつた。昨夜まで読みかかりの本が頁をまくれて落ちてゐる。長押から墜落した額が殺気を帯びて小床を塞いでゐる。ふと、何処からともなく、水筒が見つかり、つづいて帽子が出て来た。ずぼんは見あたらないので、今度は足に穿くものを探してゐた。
 その時、座敷の縁側に事務室のKが現れた。Kは私の姿を認めると、
「ああ、やられた、助けてえ」と悲痛な声で呼びかけ、そこへ、ぺつたり坐り込んでしまつた。額に少し血が噴出てをり、眼は涙ぐんでゐた。
「何処をやられたのです」と訊ねると、「膝ぢや」とそこを押へながら皺の多い蒼顔を歪める。
 私は側にあつた布切れを彼に与へておき、靴下を二枚重ねて足に穿いた。
「あ、煙が出だした、逃げよう、連れて逃げてくれ」とKは頻りに私を急かし出だす。この私よりかなり年上の、しかし平素ははるかに元気なKも、どういふものか少し顛動気味であつた。
 縁側から見渡せば、一めんに崩れ落ちた家屋の塊りがあり、やや彼方の鉄筋コンクリートの建物が残つてゐるほか、目標になるものも無い。庭の土塀のくつがへつた脇に、大きな楓の幹が中途からポツクリ折られて、梢を手洗鉢の上に投出してゐる。ふと、Kは防空壕のところへ屈み、
「ここで、頑張らうか、水槽もあるし」と変なことを云ふ。
「いや、川へ行きませう」と私が云ふと、Kは不審さうに、
「川? 川はどちらへ行つたら出られるのだつたかしら」と嘯く。
 とにかく、逃げるにしてもまだ準備が整はなかつた。私は押入から寝巻をとり出し彼に手渡し、更に縁側の暗幕を引裂いた。座蒲団も拾つた。縁側の畳をはねくり返してみると、持逃げ用の雑嚢が出て来た。私は吻としてそのカバンを肩にかけた。隣の製薬会社の倉庫から赤い小さな焔の姿が見えだした。いよいよ逃げだす時機であつた。私は最後に、ポツクリ折れ曲つた楓の側を踏越えて出て行つた。
 その大きな楓は昔から庭の隅にあつて、私の少年時代、夢想の対象となつてゐた樹木である。それが、この春久振りに郷里の家に帰つて暮すやうになつてからは、どうも、もう昔のやうな潤ひのある姿が、この樹木からさへ汲みとれないのを、つくづく私は奇異に思つてゐた。不思議なのは、この郷里全体が、やはらかい自然の調子を喪つて、何か残酷な無機物の集合のやうに感じられることであつた。私は庭に面した座敷に這入つて行くたびに、「アツシヤ家の崩壊」といふ言葉がひとりでに浮んでゐた。

 Kと私とは崩壊した家屋の上を乗越え、障害物を除けながら、はじめはそろそろと進んで行く。そのうちに、足許が平坦な地面に達し、道路に出てゐることがわかる。すると今度は急ぎ足でとつとと道の中ほどを歩く。ぺしやんこになつた建物の蔭からふと、「をぢさん」と喚く声がする。振返ると、顔を血だらけにした女が泣きながらこちらへ歩いて来る。「助けてえ」と彼女は脅えきつた相で一生懸命ついて来る。暫く行くと、路上に立はだかつて、「家が焼ける、家が焼ける」と子供のやうに泣喚いてゐる老女と出逢つた。煙は崩れた家屋のあちこちから立昇つてゐたが、急に焔の息が烈しく吹きまくつてゐるところへ来る。走つて、そこを過ぎると、道はまた平坦となり、そして栄橋の袂に私達は来てゐた。ここには避難者がぞくぞく蝟集してゐた。「元気な人はバケツで火を消せ」と誰かが橋の上に頑張つてゐる。私は泉邸の藪の方へ道をとり、そして、ここでKとははぐれてしまつた。
 その竹藪は薙ぎ倒され、逃げて行く人の勢で、径が自然と拓かれてゐた。見上げる樹木もおほかた中空で削ぎとられてをり、川に添つた、この由緒ある名園も、今は傷だらけの姿であつた。ふと、灌木の側にだらりと豊かな肢体を投出して蹲つてゐる中年の婦人の顔があつた。魂の抜けはてたその顔は、見てゐるうちに何か感染しさうになるのであつた。こんな顔に出喰はしたのは、これがはじめてであつた。が、それよりもつと奇怪な顔に、その後私はかぎりなく出喰はさねばならなかつた。
 川岸に出る籔のところで、私は学徒の一塊りと出逢つた。工場から逃げ出した彼女達は一やうに軽い負傷をしてゐたが、いま眼の前に出現した出来事の新鮮さに戦きながら、却つて元気さうに喋り合つてゐた。そこへ長兄の姿が現れた。シヤツ一枚で、片手にビール瓶を持ち、まづ異状なささうであつた。向岸も見渡すかぎり建物は崩れ、電柱の残つてゐるほか、もう火の手が廻つてゐた。私は狭い川岸の径へ腰を下ろすと、しかし、もう大丈夫だといふ気持がした。長い間脅かされてゐたものが、遂に来たるべきものが、来たのだつた。さばさばした気持で、私は自分が生きながらへてゐることを顧みた。かねて、二つに一つは助からないかもしれないと思つてゐたのだが、今、ふと己れが生きてゐることと、その意味が、はつと私を弾いた。
 このことを書きのこさねばならない、と、私は心に呟いた。けれども、その時はまだ、私はこの空襲の真相を殆ど知つてはゐなかつたのである。

 対岸の火事が勢を増して来た。こちら側まで火照りが反射して来るので、満潮の川水に座蒲団を浸しては頭にかむる。そのうち、誰かが「空襲」と叫ぶ。「白いものを着たものは木蔭へ隠れよ」といふ声に、皆はぞろぞろ藪の奥へ匐つて行く。陽は燦々と降り灑ぎ藪の向も、どうやら火が燃えてゐる様子だ。暫く息を殺してゐたが、何事もなささうなので、また川の方へ出て来ると、向岸の火事は更に衰へてゐない。熱風が頭上を走り、黒煙が川の中ほどまで煽られて来る。その時、急に頭上の空が暗黒と化したかと思ふと、沛然として大粒の雨が落ちて来た。雨はあたりの火照りを稍々鎮めてくれたが、暫くすると、またからりと晴れた天気にもどつた。対岸の火事はまだつづいてゐた。今、こちらの岸には長兄と妹とそれから近所の見知つた顔が二つ三つ見受けられたが、みんなは寄り集つて、てんでに今朝の出来事を語り合ふのであつた。
 あの時、兄は事務室のテーブルにゐたが、庭さきに閃光が走ると間もなく、一間あまり跳ね飛ばされ、家屋の下敷になつて暫く藻掻いた。やがて隙間があるのに気づき、そこから這ひ出すと、工場の方では、学徒が救ひを求めて喚叫してゐる――兄はそれを救ひ出すのに大奮闘した。妹は玄関のところで光線を見、大急ぎで階段の下に身を潜めたため、あまり負傷を受けなかつた。みんな、はじめ自分の家だけ爆撃されたものと思ひ込んで、外に出てみると、何処も一様にやられてゐるのに唖然とした。それに、地上の家屋は崩壊してゐながら、爆弾らしい穴があいてゐないのも不思議であつた。あれは、警戒警報が解除になつて間もなくのことであつた。ピカツと光つたものがあり、マグネシユームを燃すやうなシユーツといふ軽い音とともに一瞬さつと足もとが回転し、……それはまるで魔術のやうであつた、と妹は戦きながら語るのであつた。
 向岸の火が鎮まりかけると、こちらの庭園の木立が燃えだしたといふ声がする。かすかな煙が後の藪の高い空に見えそめてゐた。川の水は満潮の儘まだ退かうとしない。私は石崖を伝つて、水際のところへ降りて行つてみた。すると、すぐ足許のところを、白木の大きな函が流れてをり、函から喰み出た玉葱があたりに漾つてゐた。私は函を引寄せ、中から玉葱を掴み出しては、岸の方へ手渡した。これは上流の鉄橋で貨車が顛覆し、そこからこの函は放り出されて漾つて来たものであつた。私が玉葱を拾つてゐると、「助けてえ」といふ声がきこえた。木片に取縋りながら少女が一人、川の中ほどを浮き沈みして流されて来る。私は大きな材木を選ぶとそれを押すやうにして泳いで行つた。久しく泳いだこともない私ではあつたが、思つたより簡単に相手を救ひ出すことが出来た。
 暫く鎮まつてゐた向岸の火が、何時の間にかまた狂ひ出した。今度は赤い火の中にどす黒い煙が見え、その黒い塊りが猛然と拡がつて行き、見る見るうちに焔の熱度が増すやうであつた。が、その無気味な火もやがて燃え尽すだけ燃えると、空虚な残骸の姿となつてゐた。その時である、私は川下の方の空に、恰度川の中ほどにあたつて、物凄い透明な空気の層が揺れながら移動して来るのに気づいた。竜巻だ、と思ふうちにも、烈しい風は既に頭上をよぎらうとしてゐた。まはりの草木がことごとく慄へ、と見ると、その儘引抜かれて空に攫はれて行く数多の樹木があつた。空を舞ひ狂ふ樹木は矢のやうな勢で、混濁の中に墜ちて行く。私はこの時、あたりの空気がどんな色彩であつたか、はつきり覚えてはゐない。が、恐らく、ひどく陰惨な、地獄絵巻の緑の微光につつまれてゐたのではないかとおもへるのである。
 この竜巻が過ぎると、もう夕方に近い空の気配が感じられてゐたが、今迄姿を見せなかつた二番目の兄が、ふとこちらにやつて来たのであつた。顔にさつと薄墨色の跡があり、背のシヤツも引裂かれてゐる。その海水浴で日焦した位の皮膚の跡が、後には化膿を伴ふ火傷となり、数ヶ月も治療を要したのだが、この時はまだこの兄もなかなか元気であつた。彼は自宅へ用事で帰つたとたん、上空に小さな飛行機を認め、つづいて三つの妖しい光を見た。それから地上に一間あまり跳ね飛ばされた彼は、家の下敷になつて藻掻いてゐる家内と女中を救ひ出し、子供二人は女中に托して先に逃げのびさせ、隣家の老人を助けるのに手間どつてゐたといふ。
 嫂がしきりに別れた子供のことを案じてゐると、向岸の河原から女中の呼ぶ声がした。手が痛くて、もう子供を抱へきれないから早く来てくれといふのであつた。
 泉邸の杜も少しづつ燃えてゐた。夜になつてこの辺まで燃え移つて来るといけないし、明るいうちに向岸の方へ渡りたかつた。が、そこいらには渡舟も見あたらなかつた。長兄たちは橋を廻つて向岸へ行くことにし、私と二番目の兄とはまだ渡舟を求めて上流の方へ遡つて行つた。水に添ふ狭い石の通路を進んで行くに随つて、私はここではじめて、言語に絶する人々の群を見たのである。既に傾いた陽ざしは、あたりの光景を青ざめさせてゐたが、岸の上にも岸の下にも、そのやうな人々がゐて、水に影を落してゐた。どのやうな人々であるか……。男であるのか、女であるのか、殆ど区別もつかない程、顔がくちやくちやに腫れ上つて、随つて眼は糸のやうに細まり、唇は思ひきり爛れ、それに、痛々しい肢体を露出させ、虫の息で彼等は横はつてゐるのであつた。私達がその前を通つて行くに随つてその奇怪な人々は細い優しい声で呼びかけた。「水を少し飲ませて下さい」とか、「助けて下さい」とか、殆どみんながみんな訴へごとを持つてゐるのだつた。
「をぢさん」と鋭い哀切な声で私は呼びとめられてゐた。見ればすぐそこの川の中には、裸体の少年がすつぽり頭まで水に漬つて死んでゐたが、その屍体と半間も隔たらない石段のところに、二人の女が蹲つてゐた。その顔は約一倍半も膨脹し、醜く歪み、焦げた乱髪が女であるしるしを残してゐる。これは一目見て、憐愍よりもまず、身の毛のよだつ姿であつた。が、その女達は、私の立留まつたのを見ると、
「あの樹のところにある蒲団は私のですからここへ持つて来て下さいませんか」と哀願するのであつた。
 見ると、樹のところには、なるほど蒲団らしいものはあつた。だが、その上にはやはり瀕死の重傷者が臥してゐて、既にどうにもならないのであつた。
 私達は小さな筏を見つけたので、綱を解いて、向岸の方へ漕いで行つた。筏が向の砂原に着いた時、あたりはもう薄暗かつたが、ここにも沢山の負傷者が控へてゐるらしかつた。水際に蹲つてゐた一人の兵士が、「お湯をのましてくれ」と頼むので、私は彼を自分の肩に依り掛からしてやりながら、歩いて行つた。苦しげに、彼はよろよろと砂の上を進んでゐたが、ふと、「死んだ方がましさ」と吐き棄てるやうに呟いた。私も暗然として肯き、言葉は出なかつた。愚劣なものに対する、やりきれない憤りが、この時我々を無言で結びつけてゐるやうであつた。私は彼を中途に待たしておき、土手の上にある給湯所を石崖の下から見上げた。すると、今湯気の立昇つてゐる台の処で、茶碗を抱へて、黒焦の大頭がゆつくりと、お湯を呑んでゐるのであつた。その尨大な、奇妙な顔は全体が黒豆の粒々で出来上つてゐるやうであつた。それに頭髪は耳のあたりで一直線に刈上げられてゐた。(その後、一直線に頭髪の刈上げられてゐる火傷者を見るにつけ、これは帽子を境に髪が焼きとられてゐるのだといふことを気付くやうになつた。)暫くして、茶碗を貰ふと、私はさつきの兵隊のところへ持運んで行つた。ふと見ると、川の中に、これは一人の重傷兵が膝を屈めて、そこで思ひきり川の水を呑み耽つてゐるのであつた。
 夕闇の中に泉邸の空やすぐ近くの焔があざやかに浮出て来ると、砂原では木片を燃やして夕餉の焚き出しをするものもあつた。さつきから私のすぐ側に顔をふわふわに膨らした女が横はつてゐたが、水をくれといふ声で、私ははじめて、それが次兄の家の女中であることに気づいた。彼女は赤ん坊を抱へて台所から出かかつた時、光線に遭ひ、顔と胸と手を焼かれた。それから、赤ん坊と長女を連れて兄達より一足さきに逃げたが、橋のところで長女とはぐれ、赤ん坊だけを抱へてこの河原に来てゐたのである。最初顔に受けた光線を遮らうとして覆うた手が、その手が、今も捩ぎとられるほど痛いと訴へてゐる。
 潮が満ちて来だしたので、私達はこの河原を立退いて、土手の方へ移つて行つた。日はとつぷり暮れたが、「水をくれ、水をくれ」と狂ひまはる声があちこちできこえ、河原にとり残されてゐる人々の騒ぎはだんだん烈しくなつて来るやうであつた。この土手の上は風があつて、睡るには少し冷え冷えしてゐた。すぐ向は饒津公園であるが、そこも今は闇に鎖され、樹の折れた姿がかすかに見えるだけであつた。兄達は土の窪みに横はり、私も別に窪地をみつけて、そこへ這入つて行つた。すぐ側には傷ついた女学生が三四人横臥してゐた。
「向の木立が燃えだしたが逃げた方がいいのではないかしら」と誰かが心配する。窪地を出て向を見ると、二三丁さきの樹に焔がキラキラしてゐたが、こちらへ燃え移つて来さうな気配もなかつた。
「火は燃えて来さうですか」と傷ついた少女は脅えながら私に訊く。
「大丈夫だ」と教へてやると、「今、何時頃でせう、まだ十二時にはなりませんか」とまた訊く。
 その時、警戒警報が出た。どこかにまだ壊れなかつたサイレンがあるとみえて、かすかにその響がする。街の方はまだ熾んに燃えてゐるらしく、茫とした明りが川下の方に見える。
「ああ、早く朝にならないのかなあ」と女学生は嘆く。
「お母さん、お父さん」とかすかに静かな声で合掌してゐる。
「火はこちらに燃えて来さうですか」と傷ついた少女がまた私に訊ねる。
 河原の方では、誰か余程元気な若者らしいものの、断末魔のうめき声がする。その声は八方に木霊し、走り廻つてゐる。「水を、水を、水を下さい、……ああ、……お母さん、……姉さん、……光ちやん」と声は全身全霊を引裂くやうに迸り、「ウウ、ウウ」と苦痛に追ひまくられる喘ぎが弱々しくそれに絡んでゐる。――幼い日、私はこの堤を通つて、その河原に魚を獲りに来たことがある。その暑い日の一日の記憶は不思議にはつきりと残つてゐる。砂原にはライオン歯磨の大きな立看板があり、鉄橋の方を時々、汽車が轟と通つて行つた。夢のやうに平和な景色があつたものだ。

 夜が明けると昨夜の声は熄んでゐた。あの腸を絞る断末魔の声はまだ耳底に残つてゐるやうでもあつたが、あたりは白々と朝の風が流れてゐた。長兄と妹とは家の焼跡の方へ廻り、東練兵場に施療所があるといふので、次兄達はそちらへ出掛けた。私もそろそろ東練兵場の方へ行かうとすると、側にゐた兵隊が同行を頼んだ。その大きな兵隊は、余程ひどく傷ついてゐるのだらう、私の肩に依掛りながら、まるで壊れものを運んでゐるやうに、おづおづと自分の足を進めて行く。それに足許は、破片といはず、屍といはず、まだ余熱を燻らしてゐて、恐ろしく嶮悪であつた。常磐橋まで来ると、兵隊は疲れはて、もう一歩も歩けないから置去りにしてくれといふ。そこで私は彼と別れ、一人で饒津公園の方へ進んだ。ところどころ崩れたままで焼け残つてゐる家屋もあつたが、到る処、光の爪跡が印されてゐるやうであつた。とある空地に人が集まつてゐた。水道がちよろちよろ出てゐるのであつた。ふとその時、姪が東照宮の避難所で保護されてゐるといふことを、私は小耳に挿んだ。
 急いで、東照宮の境内へ行つてみた。すると、いま、小さな姪は母親と対面してゐるところであつた。昨日、橋のところで女中とはぐれ、それから後は他所の人に従いて逃げて行つたのであるが、彼女は母親の姿を見ると、急に堪へられなくなつたやうに泣きだした。その首が火傷で黒く痛さうであつた。
 施療所は東照宮の鳥居の下の方に設けられてゐた。はじめ巡査が一通り原籍年齢などを取調べ、それを記入した紙片を貰ふてからも、負傷者達は長い行列を組んだまま炎天の下にまだ一時間位は待たされてゐるのであつた。だが、この行列に加はれる負傷者ならまだ結構な方かもしれないのだつた。今も、「兵隊さん、兵隊さん、助けてよう、兵隊さん」と火のついたやうに泣喚く声がする。路傍に斃れて反転する火傷の娘であつた。かと思ふと、警防団の服装をした男が、火傷で膨脹した頭を石の上に横たへたまま、まつ黒の口をあけて、「誰か私を助けて下さい、ああ、看護婦さん、先生」と弱い声できれぎれに訴へてゐるのである。が、誰も顧みてはくれないのであつた。巡査も医者も看護婦も、みな他の都市から応援に来たものばかりで、その数も限られてゐた。
 私は次兄の家の女中に附添つて行列に加はつてゐたが、この女中も、今はだんだんひどく膨れ上つて、どうかすると地面に蹲りたがつた。漸く順番が来て加療が済むと、私達はこれから憩ふ場所を作らねばならなかつた。境内到る処に重傷者はごろごろしてゐたが、テントも木蔭も見あたらない。そこで、石崖に薄い材木を並べ、それで屋根のかはりとし、その下へ私達は這入り込んだ。この狭苦しい場所で、二十四時間あまり、私達六名は暮したのであつた。
 すぐ隣にも同じやうな恰好の場所が設けてあつたが、その莚の上にひよこひよこ動いてゐる男が、私の方へ声をかけた。シヤツも上衣もなかつたし、長ずぼんが片脚分だけ腰のあたりに残されてゐて、両手、両足、顔をやられてゐた。この男は、中国ビルの七階で爆弾に遇つたのださうだが、そんな姿になりはてても、頗る気丈夫なのだらう、口で人に頼み、口で人を使ひ到頭ここまで落ちのびて来たのである。そこへ今、満身血まみれの、幹部候補生のバンドをした青年が迷ひ込んで来た。すると、隣の男は屹となつて、
「おい、おい、どいてくれ、俺の体はめちやくちやになつてゐるのだから、触りでもしたら承知しないぞ、いくらでも場所はあるのに、わざわざこんな狭いところへやつて来なくてもいいぢやないか、え、とつとと去つてくれ」と唸るやうに押つかぶせて云つた。血まみれの青年はきよとんとして腰をあげた。
 私達の寝転んでゐる場所から二米あまりの地点に、葉のあまりない桜の木があつたが、その下に女学生が二人ごろりと横はつてゐた。どちらも、顔を黒焦げにしてゐて、痩せた背を炎天に晒し、水を求めては呻いてゐる。この近辺へ芋掘作業に来て遭難した女子商業の学徒であつた。そこへまた、燻製の顔をした、モンペ姿の婦人がやつて来ると、ハンドバツクを下に置きぐつたりと膝を伸した。……日は既に暮れかかつてゐた。ここでまた夜を迎へるのかと思ふと私は妙に佗しかつた。

 夜明前から念仏の声がしきりにしてゐた。ここでは誰かが、絶えず死んで行くらしかつた。朝の日が高くなつた頃、女子商業の生徒も、二人とも息をひきとつた。溝にうつ伏せになつている死骸を調べ了へた巡査が、モンペ姿の婦人の方へ近づいて来た。これも姿勢を崩して今はこときれてゐるらしかつた。巡査がハンドバツクを披いてみると、通帳や公債が出て来た。旅装のまま、遭難した婦人であることが判つた。
 昼頃になると、空襲警報が出て、爆音もきこえる。あたりの悲惨醜怪さにも大分馴らされてゐるものの、疲労と空腹はだんだん激しくなつて行つた。次兄の家の長男と末の息子は、二人とも市内の学校へ行つてゐたので、まだ、どうなつてゐるかわからないのであつた。人はつぎつぎに死んで行き、死骸はそのまま放つてある。救ひのない気持で、人はそわそわ歩いてゐる。それなのに、練兵場の方では、いま自棄に嚠喨として喇叭が吹奏されてゐた。
 火傷した姪たちはひどく泣喚くし、女中は頻りに水をくれと訴へる。いい加減、みんなほとほと弱つてゐるところへ、長兄が戻つて来た。彼は昨日は嫂の疎開先である廿日市町の方へ寄り、今日は八幡村の方へ交渉して荷馬車を傭つて来たのである。そこでその馬車に乗つて私達はここを引上げることになつた。
 馬車は次兄の一家族と私と妹を乗せて、東照宮下から饒津へ出た。馬車が白島から泉邸入口の方へ来掛かつた時のことである。西練兵場寄りの空地に、見憶えのある、黄色の、半ずぼんの死体を、次兄はちらりと見つけた。そして彼は馬車を降りて行つた。嫂も私もつづいて馬車を離れ、そこへ集つた。見憶えのあるずぼんに、まぎれもないバンドを締めてゐる。死体は甥の文彦であつた。上着は無く、胸のあたりに拳大の腫れものがあり、そこから液体が流れてゐる。真黒くなつた顔に、白い歯が微かに見え、投出した両手の指は固く、内側に握り締め、爪が喰込んでゐた。その側に中学生の屍体が一つ、それから又離れたところに、若い女の死体が一つ、いづれも、ある姿勢のまま硬直してゐた。次兄は文彦の爪を剥ぎ、バンドを形見にとり、名札をつけて、そこを立去つた。涙も乾きはてた遭遇であつた。

 馬車はそれから国泰寺の方へ出、住吉橋を越して己斐の方へ出たので、私は殆ど目抜の焼跡を一覧することが出来た。ギラギラと炎天の下に横はつている銀色の虚無のひろがりの中に、路があり、川があり、橋があつた。そして、赤むけの膨れ上つた屍体がところどころに配置されてゐた。これは精密巧緻な方法で実現された新地獄に違ひなく、ここではすべて人間的なものは抹殺され、たとへば屍体の表情にしたところで、何か模型的な機械的なものに置換へられてゐるのであつた。苦悶の一瞬足掻いて硬直したらしい肢体は一種の妖しいリズムを含んでゐる。電線の乱れ落ちた線や、おびただしい破片で、虚無の中に痙攣的の図案が感じられる。だが、さつと転覆して焼けてしまつたらしい電車や、巨大な胴を投出して転倒してゐる馬を見ると、どうも、超現実派の画の世界ではないかと思へるのである。国泰寺の大きな楠も根こそぎ転覆してゐたし、墓石も散つてゐた。外廊だけ残つてゐる浅野図書館は屍体収容所となつてゐた。路はまだ処々で煙り、死臭に満ちてゐる。川を越すたびに、橋が墜ちてゐないのを意外に思つた。この辺の印象は、どうも片仮名で描きなぐる方が応はしいやうだ。それで次に、そんな一節を挿入しておく。

[#ここから2字下げ]
ギラギラノ破片ヤ
灰白色ノ燃エガラガ
ヒロビロトシタ パノラマノヤウニ
アカクヤケタダレタ ニンゲンノ死体ノキメウナリズム
スベテアツタコトカ アリエタコトナノカ
パツト剥ギトツテシマツタ アトノセカイ
テンプクシタ電車ノワキノ
馬ノ胴ナンカノ フクラミカタハ
ブスブストケムル電線ノニホヒ
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 倒壊の跡のはてしなくつづく路を馬車は進んで行つた。郊外に出ても崩れてゐる家屋が並んでゐたが、草津をすぎると漸くあたりも青々として災禍の色から解放されてゐた。そして青田の上をすいすいと蜻蛉の群が飛んでゆくのが目に沁みた。それから八幡村までの長い単調な道があつた。八幡村へ着いたのは、日もとつぷり暮れた頃であつた。そして翌日から、その土地での、悲惨な生活が始まつた。負傷者の恢復もはかどらなかつたが、元気だつたものも、食糧不足からだんだん衰弱して行つた。火傷した女中の腕はひどく化膿し、蠅が群れて、とうとう蛆が湧くやうになつた。蛆はいくら消毒しても、後から後から湧いた。そして、彼女は一ヶ月あまりの後、死んで行つた。

 この村へ移つて四五日目に、行衛不明であつた中学生の甥が帰つて来た。彼は、あの朝、建もの疎開のため学校へ行つたが恰度、教室にいた時光を見た。瞬間、机の下に身を伏せ、次いで天井が墜ちて埋れたが、隙間を見つけて這ひ出した。這ひ出して逃げのびた生徒は四五名にすぎず、他は全部、最初の一撃で駄目になつてゐた。彼は四五名と一緒に比治山に逃げ、途中で白い液体を吐いた。それから一緒に逃げた友人の処へ汽車で行き、そこで世話になつてゐたのださうだ。しかし、この甥もこちらへ帰つて来て、一週間あまりすると、頭髪が抜け出し、二日位ですつかり禿になつてしまつた。今度の遭難者で、頭髪が抜け鼻血が出だすと大概助からない、といふ説がその頃大分ひろまつてゐた。頭髪が抜けてから十二三日目に、甥はとうとう鼻血を出しだした。医者はその夜が既にあぶなからうと宣告してゐた。しかし、彼は重態のままだんだん持ちこたへて行くのであつた。

 Nは疎開工場の方へはじめて汽車で出掛けて行く途中、恰度汽車がトンネルに入つた時、あの衝撃を受けた。トンネルを出て、広島の方を見ると、落下傘が三つ、ゆるく流れてゆくのであつた。それから次の駅に汽車が着くと、駅のガラス窓がひどく壊れてゐるのに驚いた。やがて、目的地まで達した時には、既に詳しい情報が伝はつてゐた。彼はその足ですぐ引返すやうにして汽車に乗つた。擦れ違ふ列車はみな奇怪な重傷者を満載してゐた。彼は街の火災が鎮まるのを待ちかねて、まだ熱いアスフアルトの上をずんずん進んで行つた。そして一番に妻の勤めてゐる女学校へ行つた。教室の焼跡には、生徒の骨があり、校長室の跡には校長らしい白骨があつた。が、Nの妻らしいものは遂に見出せなかつた。彼は大急ぎで自宅の方へ引返してみた。そこは宇品の近くで家が崩れただけで火災は免がれてゐた。が、そこにも妻の姿は見つからなかつた。それから今度は自宅から女学校へ通じる道に斃れてゐる死体を一つ一つ調べてみた。大概の死体が打伏せになつてゐるので、それを抱き起しては首実検するのであつたが、どの女もどの女も変りはてた相をしてゐたが、しかし彼の妻ではなかつた。しまひには方角違ひの処まで、ふらふらと見て廻つた。水槽の中に折重なつて漬つてゐる十あまりの死体もあつた。河岸に懸つてゐる梯子に手をかけながら、その儘硬直してゐる三つの死骸があつた。バスを待つ行列の死骸は立つたまま、前の人の肩に爪を立てて死んでゐた。郡部から家屋疎開の勤労奉仕に動員されて、全滅してゐる群も見た。西練兵場の物凄さといつたらなかつた。そこは兵隊の死の山[#「山」は底本では「出」と誤植、25-上-1]であつた。しかし、どこにも妻の死骸はなかつた。
 Nはいたるところの収容所を訪ね廻つて、重傷者の顔を覗き込んだ。どの顔も悲惨のきはみであつたが、彼の妻の顔ではなかつた。さうして、三日三晩、死体と火傷患者をうんざりするほど見てすごした挙句、Nは最後にまた妻の勤め先である女学校の焼跡を訪れた。



底本:「日本の原爆文学1」ほるぷ出版
   1983(昭和58)年8月1日初版第1刷発行
初出:「三田文学」
   1947(昭和22)年6月号
※連作「夏の花」の1作目。
※冒頭の詩は、連作「夏の花」全体の初めに置かれているものであるが、ここでは、表題作である「夏の花」の冒頭に入れた。
※誤植と思われる箇所については、「現代日本文学大系 92巻」、筑摩書房刊の他4冊の異本を参照した。
入力:ジェラスガイ
校正:林 幸雄
2002年9月19日作成
2003年5月21日修正
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