青空文庫アーカイブ

散文詩集『田舎の時計 他十二篇』
萩原朔太郎

[収録作品]
海/田舎の時計/坂/大井町/郵便局/墓/自殺の恐ろしさ/詩人の死ぬや悲し/
群集の中に居て/虚無の歌/虫/貸家札/この手に限るよ

[表記について]
●本文中、底本のルビは「《ルビ》」の形式で処理した。ルビのない漢字(語句)のあとにルビのある漢字(語句)が続く場合は、区切り線「|」を入れて、漢字(語句)とルビとの対応関係がわかるようにした。
●底本は本文は旧かな遣い、ルビは新かな遣いで編集されており、このテキストも底本に準じた。
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 海

 海を越えて、人人は向うに「ある」ことを信じてゐる。島が、陸が、新世界が。しかしながら海は、一の広茫《こうぼう》とした眺《なが》めにすぎない。無限に、つかみどころがなく、単調で飽きつぽい景色を見る。
 海の印象から、人人は早い疲労を感じてしまふ。浪《なみ》が引き、また寄せてくる反復から、人生の退屈な日課を思ひ出す。そして日向《ひなた》の砂丘に寝ころびながら、海を見てゐる心の隅に、ある空漠たる、不満の苛《いら》だたしさを感じてくる。
 海は、人生の疲労を反映する。希望や、空想や、旅情やが、浪を越えて行くのではなく、空間の無限における地平線の切断から、限りなく単調になり、想像の棲《す》むべき山影を消してしまふ。海には空想のひだがなく、見渡す限り、平板で、白昼《まひる》の太陽が及ぶ限り、その「現実」を照らしてゐる。海を見る心は空漠として味気がない。しかしながら物憂《ものう》き悲哀が、ふだんの浪音のやうに迫つてくる。
 海を越えて、人人は向うにあることを信じてゐる。島が、陸が、新世界が。けれども、ああ! もし海に来て見れば、海は我我の疲労を反映する。過去の長き、厭《いと》はしき、無意味な生活の旅の疲れが、一時に漠然と現はれてくる。人人はげつそり[#「げつそり」に傍点]とし、ものうくなり、空虚なさびしい心を感じて、磯草《いそくさ》の枯れる砂山の上にくづれてしまふ。
 人人は熱情から――恋や、旅情や、ローマンスから――しばしば海へあこがれてくる。いかにひろびろとした、自由な明るい印象が、人人の眼をひろくすることぞ! しかしながらただ一瞬。そして夕方の疲労から、にはかに老衰してかへつて行く。
 海の巨大な平面が、かく人の観念を正誤する。(『日本詩人』1926年6月号)

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 田舎の時計

 田舎に於《おい》ては、すべての人人が先祖と共に生活してゐる。老人も、若者も、家婦も、子供も、すべての家族が同じ藁屋根《わらやね》の下に居て、祖先の煤黒《すすぐろ》い位牌《いはい》を飾つた、古びた仏壇の前で臥起《ねおき》してゐる。
 さうした農家の裏山には、小高い冬枯れの墓丘があつて、彼等の家族の長い歴史が、あまたの白骨と共に眠つてゐる。やがて生きてゐる家族たちも、またその同じ墓地に葬られ、昔の曾祖母や祖父と共に、しづかな単調な夢を見るであらう。
 田舎に於ては、郷党のすべてが縁者であり、系図の由緒《ゆいしよ》ある血をひいてゐる。道に逢《あ》ふ人も、田畑に見る人も、隣家に住む老人夫妻も、遠きまたは近き血統で、互にすべての村人が縁辺する親戚であり、昔からつながる叔父《おじ》や伯母《おば》の一族である。そこではだれもが家族であつて、歴史の古き、伝統する、因襲のつながる「家」の中で、郷党のあらゆる男女が、祖先の幽霊と共に生活してゐる。
 田舎に於ては、すべての家家の時計が動いてゐない。そこでは古びた柱時計が、遠い過去の暦の中で、先祖の幽霊が生きてゐた時の、同じ昔の指盤を指《さ》してゐる。見よ! そこには昔のままの村社があり、昔のままの白壁があり、昔のままの自然がある。そして遠い曾祖母の過去に於て、かれらの先祖が縁組をした如く、今も同じやうな縁組があり、のどかな村落の籬《まがき》の中では、昔のやうに、牛や鶏の声がしてゐる。
 げに田舎に於ては、自然と共に悠悠として実在してゐる、ただ一の永遠な「時間」がある。そこには過去もなく、現在もなく、未来もない。あらゆるすべての生命が、同じ家族の血すぢであつて、冬のさびしい墓地の丘で、かれらの不滅の先祖と共に[#「先祖と共に」に二重丸傍点]、一つの霊魂と共に[#「霊魂と共に」に二重丸傍点]生活してゐる。昼も、夜も、昔も、今も、その同じ農夫の生活が、無限に単調につづいてゐる。そこの環境には変化がない。すべての先祖のあつたやうに、先祖の持つた農具をもち、先祖の耕した仕方でもつて、不変に同じく、同じ時間を続けて行く。変化することは破滅であり、田舎の生活の没落である。なぜならば時間が断絶して、永遠に生きる実在から、それの鎖が切れてしまふ。彼等は先祖のそばに居り、必死に土地を離れることを欲しない。なぜならば土地を離れて、家郷とすべき住家《すみか》はないから。そこには拡がりもなく、触《さわ》りもなく、無限に実在してゐる空間がある。
 荒寥《こうりよう》とした自然の中で、田舎の人生は孤立してゐる。婚姻も、出産も、葬式も、すべてが部落の壁の中で、仕切られた時空の中で行はれてゐる。村落は悲しげに寄り合ひ、蕭条《しようじよう》たる山の麓《ふもと》で、人間の孤独にふるへてゐる。そして真暗な夜の空で、もろこしの葉がざわざわと風に鳴る時、農家の薄暗い背戸《せど》の厩《うまや》に、かすかに蝋燭《ろうそく》の光がもれてゐる。馬もまた、そこの暗闇《くらやみ》にうづくまつて、先祖と共に[#「先祖と共に」に二重丸傍点]眠つてゐるのだ。永遠に、永遠に、過去の遠い昔から居た如くに。(『大調和』1927年9月号)

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 坂

 坂のある風景は、ふしぎに浪漫的で、のすたるぢや[#「のすたるぢや」に傍点]の感じをあたへるものだ。坂を見てゐると、その風景の向うに、別の遥《はる》かな地平があるやうに思はれる。特に遠方から、透視的に見る場合がさうである。
 坂が――風景としての坂が――何故にさうした特殊な情趣をもつのだらうか。理由《わけ》は何でもない。それが風景における地平線を、二段に別別に切つてるからだ。坂は、坂の上における別の世界を、それの下における世界から、二つの別な地平線で仕切つてゐる。だから我我は、坂を登ることによつて、それの眼界にひらけるであらう所の、別の地平線に属する世界を想像し、未知のものへの浪漫的なあこがれ[#「あこがれ」に傍点]を呼び起す。
 或る晩秋のしづかな日に、私は長い坂を登つて行つた。ずっと前から、私はその坂をよく知つてゐた。それは或る新開地の郊外で、いちめんに広茫とした眺めの向うを、遠くの夢のやうに這つてゐた。いつか一度、私はその夢のやうな坂を登り、切岸《きりぎし》の上にひらけてゐる、未知の自然や風物を見ようとする、詩的なAdventureに駆られてゐた。
 何が坂の向うにあるのだらう? 遂《つい》にやみがたい誘惑が、或る日私をその坂道に登らした。十一月下旬、秋の物わびしい午後であつた。落日の長い日影が、坂を登る私の背後《うしろ》にしたがつて、瞑想者《めいそうしや》のやうな影法師をうつしてゐた。風景はひつそりとして、空には動かない雲が浮いてゐた。
 無限に長く、空想にみちた坂道を登つて行つた。遂に登りつめた時に、眼界に一度に明るく、海のやうにひらけて見えた。いちめんの大平野で、芒《すすき》や尾花《おばな》の秋草が、白く草むらの中に光つてゐた。そして平野の所所に、風雅な木造の西洋館が、何かの番小屋のやうに建つてゐた。
 それは全く思ひがけない、異常な鮮新な風景だつた。私のどんな想像も、かつてこの坂の向うに、こんな海のやうな平野があるとは思はなかつた。一寸《ちょっと》の間、私はこの眺めの実在を疑つた。ふいに思ひがけなく、海上に浮んだ蜃気楼《しんきろう》のやうな気がしたからだ。
 『おーい!』
 理由もなく、私は大声をあげて呼んでみた。広茫とした平野の中で、反響がどこまで行くかを試《ため》さうとして。すると不意に、前の草むらが風に動いた。何物かの白い姿がそこにかくれてゐたのである。
 すぐに私は、草の中で動くパラソルを見た。二人の若い娘が、秋の侘しい日ざしをあびて、石の上にむつまじく坐つてゐたのだ。
 『娘たちは詩を思つてる。彼等の生活[#「生活」に傍点]をさまたげまい。なぜなら娘たちにとつては、詩が生活の一切だから。けれども僕にとつては! 僕は肯定さるべき所の、何物の観念でもない!』
 さうして心が暗くなり、悲しげにそこを去らうとした。けれどもその時、背後をふりかへつた娘の顔が、一瞥《いちべつ》の瞬間にまで、ふしぎな電光写真のやうに印象された。なぜならその娘こそ、この頃私の夢によく現はれてくるやさしい娘――悲しい夢の中の恋人――物言はぬお嬢さん――にそつくりだから。いくたび、私は夢の中でその人と逢つてるだらう。いつも夜あけ方のさびしい野原で、或《あるい》は猫柳の枯れてる沼沢地方で、はかない、しづかな、物言はぬ媾曳《あいびき》をしてゐるのだ。
 『お嬢さん!』
 いつも私が、丁度夢の中の娘に叫ぶやうに、ふいに白日《はくじつ》の中に現はれたところの、現実の娘に呼びかけようとした。どうして、何故に、夢が現実にやつて来たのだらうか。ふしぎな、言ひやうもない予感が、未知の新しい世界にまで、私を幸福感でいつぱいにした。実はその新しい世界や幸福感やは、幾年も幾年も遠い昔に、私がすつかり忘れてしまつてゐたものであつた。
 しかしながら理性が、たちまちにして私の幻覚を訂正した。だれが夢遊病者でなく、夢を白日に信ずるだらうか。愚かな、馬鹿馬鹿しい、ありふれた錯覚を恥ぢながら、私はまた坂を降つて来た。然《しか》り――。私は今もそれを信じてゐる。坂の向うにある風景は、永遠の『錯誤』にすぎないといふことを。(『令女界』1927年9月号)

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 大井町

 人生はふしぎなもので、無限の悲しい思ひやあこがれにみたされてゐる。人はさうした心境から、自分のすがた[#「すがた」に傍点]を自然に映《うつ》して、或は現実の環境に、或は幻想する思ひの中に、それぞれの望ましい地方を求めて、自分の居る景色の中に住んでるものだ。たとへてみれば、或る人は平和な田園に住家《すみか》を求めて、牧場や農場のある景色の中を歩いてゐる。そして或る人は荒寥《こうりよう》とした極光地方で、孤独のぺんぎん鳥のやうにして暮してゐるし、或る人は都会の家並の混《こ》んでる中で、賭博場や、洗濯屋や、きたない酒場や理髪店のごちやごちやしてゐる路地《ろじ》を求めて、毎日用もないのにぶらついてゐる。或る人たちは、郊外の明るい林を好んで、若い木の芽や材木の匂《にお》ひを嗅《か》いでゐるのに、或る人は閑静の古雅を愛して、物寂《ものさ》びた古池に魚の死体が浮いてるやうな、芭蕉庵《ばしようあん》の苔《こけ》むした庭にたたずみ、いつもその侘しい日影を見つめて居る。
 げに人生はふしぎなもので、無限のかなしい思ひやあこがれにみたされてゐる。人はその心境をもとめるために、現実にも夢の中にも、はてなき自然の地方を徘徊《はいかい》する。さうして港の波止場《はとば》に訪ねくるとき、汽船のおーぼー[#「おーぼー」に傍点]といふ叫びを聞き、檣《ほばしら》のにぎやかな林の向うに、青い空の光るのをみてゐると、しぜんと人間の心のかげに、憂愁のさびしい涙がながれてくる。

 私が大井町へ越して来たのは、冬の寒い真中であつた。私は手に引つ越しの荷物をさげ、古ぼけた家具の類や、きたないバケツや、箒《ほうき》、炭取りの類をかかへ込んで、冬のぬかるみの街を歩き廻つた。空は煤煙でくろずみ、街の両側には、無限の煉瓦《れんが》の工場が並んでゐた。冬の日は鈍くかすんで、煙突から熊のやうな煙を吹き出してゐた。
 貧しいすがたをしたおかみさん[#「おかみさん」に傍点]が、子供を半てんおんぶで背負ひこみながら、天日のさす道を歩いてゐる。それが私のかみさんであり、その後からやくざな男が、バケツや荷をいつぱい抱へて、痩犬《やせいぬ》のやうについて行つた。

     大井町!

 かうして冬の寒い盛りに、私共の家族が引つ越しをした。裏町のきたない長屋に、貧乏と病気でふるへてゐた。ごみためのやうな庭の隅に、まいにち腰巻やおしめ[#「おしめ」に傍点]を干してゐた。それに少しばかりの日があたり、小旗のやうにひらひらしてゐた。

     大井町!

 無限にさびしい工場がならんでゐる、煤煙で黒ずんだ煉瓦の街を、大ぜいの労働者がぞろぞろと群がつてゐる。夕方は皆が食ひ物のことを考へて、きたない料理屋のごてごてしてゐる、工場裏の町通りを歩いてゐる。家家の窓は煤《すす》でくもり、硝子が小さくはめられてゐる。それに日ざしが反射して、黒くかなしげに光つてゐる。

     大井町!

 まづしい人人の群で混雑する、あの三叉《みつまた》の狭い通りは、ふしぎに私の空想を呼び起す。みじめな郵便局の前には、大ぜいの女工が群がつてゐる。どこへ手紙を出すのだらう。さうして黄色い貯金帳から、むやみに小銭をひき出してる。

 空にはいつも煤煙がある。屋台は屋台の上に重なり、泥濘のひどい道を、幌馬車《ほろばしや》の列がつながつてゆく。

     大井町!

 鉄道|工廠《こうしよう》の住宅地域! 二階建ての長屋の窓から、工夫《こうふ》のおかみさんが怒鳴つてゐる。亭主《ていしゆ》は駅の構内で働らいてゐて、真黒の石炭がらを積みあげてゐる。日ぐれになると、そのシヤベルが遠くで悲しく光つてみえる。
 長屋の硝子窓に蠅《はえ》がとまつて、いつまでもぶむぶむとうなつてゐる。どこかの長屋で餓鬼が泣いてゐる。嬶が破れるやうに怒鳴つてるので、亭主もかなしい思ひを感じてゐる。そのしやつぽ[#「しやつぽ」に傍点]を被つた労働者は、やけに石炭を運びながら、生活の没落を感じてゐる。どうせ嬶を叩《たた》き出して、宿場《しゆくば》の女郎でも引きずり込みたいと思つてゐる。
 労働者のかなしいシヤベルが、遠くの構内で光つてゐる。
 人生はふしぎなもので、無限のかなしい思ひやあこがれにみたされてゐる。人は自分の思ひを自然に映して、それぞれの景色の中に居住してゐる。

     大井町!

 煙突と工場と、さうして労働者の群がつてゐる、あの賑《にぎ》やかでさびしい街に、私は私の住居を見つけた。私の泥長靴《どろながぐつ》をひきずりながら、まいにちあの景色の中を歩いてゐた。何といふ好い町だらう。私は工場裏の路地を歩いて、とある長屋の二階窓から、鼠《ねずみ》の死骸《しがい》を投げつけられた。意地の悪い土方の嬶等が、いつせいに窓から顔を突き出し、ひひひひひと言つて笑つた。何といふうれしい出来事でせう。私はかういふ人生の風物からどんな哲学でも考へうるのだ。
 どうせ私のやうな放浪者には、東京中を探したつて、大井町より好い所はありはしない。冬の日の空に煤煙! さうして電車を降《お》りた人人が、みんな煉瓦の建物に吸ひこまれて行く。やたら凸凹《でこぼこ》した、狭くきたない混雑の町通り。路地は幌馬車でいつもいつぱい。それで私共の家族といへば、いつも貧乏にくらしてゐるのだ。(年刊『詩と随筆集』第一輯1928年5月発行)

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 郵便局

 郵便局といふものは、港や停車場やと同じく、人生の遠い旅情を思はすところの、悲しいのすたるぢや[#「のすたるぢや」に傍点]の存在である。局員はあわただしげにスタンプを捺し、人人は窓口に群がつてゐる。わけても貧しい女工の群《むれ》が、日給の貯金通帳を手にしながら、窓口に列をつくつて押し合ってゐる。或る人人は為替《かわせ》を組み入れ、或る人人は遠国への、かなしい電報を打たうとしてゐる。
 いつも急がしく、あわただしく、群衆によつてもまれてゐる、不思議な物悲しい郵便局よ。私はそこに来て手紙を書き、そこに来て人生の郷愁を見るのが好きだ。田舎の粗野な老婦が居て、側の人にたのみ、手紙の代筆を懇願してゐる。彼女の貧しい村の郷里で、孤独に暮してゐる娘の許《もと》へ、秋の袷《あわせ》や襦袢《じゆばん》やを、小包で送つたといふ通知である。
 郵便局! 私はその郷愁を見るのが好きだ。生活のさまざまな悲哀を抱きながら、そこの薄暗い壁の隅で、故郷への手紙を書いてゐる若い女よ! 鉛筆の心も折れ、文字も涙によごれて乱れてゐる。何をこの人生から、若い娘たちが苦しむだらう。我我もまた君等と同じく、絶望のすり切れた靴をはいて、生活《ライフ》の港港を漂泊してゐる。永遠に、永遠に、我我の家なき魂は凍えてゐるのだ。
 郵便局といふものは、港や停車場と同じやうに、人生の遠い旅情を思はすところの、魂の永遠ののすたるぢや[#「のすたるぢや」に傍点]だ。(『若草』1929年3月号)

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 墓

 これは墓である。蕭条たる風雨の中で、かなしく黙しながら、孤独に、永遠の土塊《つちくれ》が存在してゐる。
 何がこの下に、墓の下にあるのだらう。我我はそれを考へ得ない。おそらくは深い穴が、がらんどうに掘られてゐる。さうして僅《わず》かばかりの物質――人骨や、歯や、瓦《かわら》や――が、蟾蜍《ひきがえる》と一緒に同棲《どうせい》して居る。そこには何もない。何物の生命も、意識も、名誉も。またその名誉について感じ得るであらう存在もない。
 尚《な》ほしかしながら我我は、どうしてそんなに悲しく、墓の前を立ち去ることができないだらう。我我はいつでも、死後の「無」について信じてゐる。何物も残りはしない。我我の肉体は解体して、他の物質に変つて行く。思想も、神経も、感情も、そしてこの自我の意識する本体すらも、空無の中に消えてしまふ。どうして今日の常識が、あの古風な迷信――死後の生活――を信じよう。我我は死後を考へ、いつも風にやうに哄笑《こうしよう》するのみ!
 しかしながら尚ほ、どうしてそんなに悲しく、墓の前を立ち去ることができないだらう。我我は不運な芸術家で、あらゆる逆境に忍んで居る。我我は孤独に耐へて、ただ後世にまで残さるべき、死後の名誉を考へてゐる。ただそれのみを考へてゐる。けれどもああ、人が墓場の中に葬られて、どうして自分を意識し得るか。我我の一切は終つてしまふ。後世になつてみれば、墓場の上に花環を捧《ささ》げ、数万の人が自分の名作を讃《たた》へるだらう。ああしかし! だれがその時墓場の中で、自分の名誉を意識し得るか? 我我は生きねばならない。死後にも尚ほ且《か》つ、永遠に墓場の中で、生きて居なければならない[#「生きて居なければならない」に二重丸傍点]のだ。
 蕭条たる風雨の中で、さびしく永遠に黙しながら、無意味の土塊が実在して居る。何がこの下に、墓の下にあるだらう。我我はそれを知らない。これは墓である! 墓である!(『新文学準備倶楽部』1929年6月号)

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 自殺の恐ろしさ

 自殺そのものは恐ろしくない。自殺に就《つ》いて考へるのは、死の刹那《せつな》の苦痛でなくして、死の決行された瞬時に於ける、取り返しのつかない悔恨である。今、高層建築の五階の窓から、自分は正に飛び下りようと用意して居る。遺書も既に書き、一切の準備は終つた。さあ! 目を閉ぢて、飛べ! そして自分は飛びおりた。最後の足が、遂に窓を離れて、身体《からだ》が空中に投げ出された。
 だがその時、足が窓から離れた一瞬時、不意に別の思想が浮び、電光のやうに閃《ひら》めいた。その時始めて、自分ははつきり[#「はつきり」に傍点]と生活の意義を知つたのである。何たる愚事ぞ。決して、決して、自分は死を選ぶべきでなかつた。世界は明るく、前途は希望に輝やいて居る。断じて自分は死にたくない。死にたくない。だがしかし、足は既に窓から離れ、身体は一直線に落下して居る。地下には固い鋪石。白いコンクリート。血に塗《まみ》れた頭蓋骨《ずがいこつ》! 避けられない決定!
 この幻想のおそろしさから、私はいつも白布のやうに蒼ざめてしまふ。何物も、何物も、決してこれより恐ろしい空想はない。しかもこんな事実が、実際に有り得ないといふことは無いだらう。既に死んでしまつた自殺者等が、再度もし生きて口を利《き》いたら、おそらくこの実験を語るであらう。彼等はすべて、墓場の中で悔恨してゐる幽霊である。百度も考へて恐ろしく、私は夢の中でさへ戦慄する。(『セルパン』1931年5月号)

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 詩人の死ぬや悲し

 ある日の芥川龍之介が、救ひのない絶望に沈みながら、死の暗黒と生の無意義について私に語つた。それは語るのでなく、むしろ訴へてゐるのであつた。
 「でも君は、後世に残るべき著作を書いている。その上にも高い名声がある。」
 ふと、彼を慰めるつもりで言つた私の言葉が、不幸な友を逆に刺戟《しげき》し、真剣になつて怒らせてしまつた。あの小心で、羞《はに》かみやで、いつもストイツクに感情を隠す男が、その時顔色を変へて烈《はげ》しく言つた。
 「著作? 名声? そんなものが何になる!」
 独逸《ドイツ》のある瘋癲《ふうてん》病院で、妹に看病されながら暮して居た、晩年の寂しいニイチエが、或る日ふと空を見ながら、狂気の頭脳に記憶をたぐつて言つた。――おれも昔は、少しばかりの善い本を書いた! と。
 あの傲岸《ごうがん》不遜《ふそん》のニイチエ。自ら称して「人類史以来の天才」と傲語したニイチエが、これはまた何と悲しく、痛痛しさの眼に沁《し》みる言葉であらう。側に泣きぬれた妹が、兄を慰める為《ため》に言つたであらう言葉は、おそらく私が、前に自殺した友に語つた言葉であつたらう。そしてニイチエの答へた言葉が、同じやうにまた、空洞《うつろ》な悲しいものであつたらう。
 「そんなものが何になる! そんなものが何になる!」
 ところが一方の世界には、彼等と人種のちがつた人が住んでる。トラフアルガルの海戦で重傷を負つたネルソンが、軍医や部下の幕僚《ばくりよう》たちに囲まれながら、死にのぞんで言つた言葉は有名である。「余は祖国に対する義務を果たした。」と。ビスマルクや、ヒンデンブルグや、伊藤博文や、東郷《とうごう》大将やの人人が、おそらくはまた死の床で、静かに過去を懐想しながら、自分の心に向つて言つたであらう。
 「余は、余の為《な》すべきすべてを尽した。」と。そして安らかに微笑しながら、心に満足して死んで行つた。
 それ故《ゆえ》に諺《ことわざ》は言ふ。鳥の死ぬや悲し、人の死ぬや善《よ》しと。だが我我の側の地球に於《おい》ては、それが逆に韻律され、アクセントの強い言葉で、もつと悩み深く言ひ換へられる。
 ――人の死ぬや善し。詩人の死ぬや悲し!(『行動』1934年11月号)

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 群集の中に居て
      群集は孤独者の家郷である。ボードレエル

 都会生活の自由さは、人と人との間に、何の煩瑣《はんさ》な交渉もなく、その上にまた人人が、都会を背景にするところの、楽しい群集を形づくつて居ることである。
 昼頃になつて、私は町のレストラントに坐つて居た。店は賑《にぎ》やかに混雑して、どの卓にも客が溢《あふ》れて居た。若い夫婦づれや、学生の一組や、子供をつれた母親やが、あちこちの卓に坐つて、彼等自身の家庭のことや、生活のことやを話して居た。それらの話は、他の人人と関係がなく、大勢の中に混つて、彼等だけの仕切られた会話であつた。そして他の人人は、同じ卓に向き合つて坐りながら、隣人の会話とは関係なく、夫夫《それぞれ》また自分等だけの世界に属する、勝手な仕切られた話をしやべつて居た。
 この都会の風景は、いつも無限に私の心を楽しませる。そこでは人人が、他人の領域と交渉なく、しかもまた各人が全体としての雰囲気《ふんいき》(群集の雰囲気)を構成して居る。何といふ無関心な、伸伸《のびのび》とした、楽しい忘却をもつた雰囲気だらう。
 黄昏《たそがれ》になつて、私は公園の椅子に坐つて居た。幾組もの若い男女が、互に腕を組み合せながら、私の坐つてる前を通つて行つた。どの組の恋人たちも、嬉《うれ》しく楽しさうに話をして居た。そして互にまた、他の組の恋人たちを眺め合ひ、批判し合ひ、それの美しい伴奏から、自分等の空にひろがるところの、恋の楽しい音楽を二重にした。
 一組の恋人が、ふと通りかかつて、私の椅子の側に腰をおろした。二人は熱心に、笑ひながら、羞《はに》かみながら嬉しさうに囁《ささや》いて居た。それから立ち上り、手をつないで行つてしまつた。始めから彼等は、私の方を見向きもせず、私の存在さへも、全く認識しないやうであつた。
 都会生活とは、一つの共同椅子の上で、全く別別の人間が別別のことを考へながら、互に何の交渉もなく、一つの同じ空を見てゐる生活――群集としての生活――なのである。その同じ都会の空は、あの宿なしのルンペンや、無職者や、何処《どこ》へ行くといふあてもない人間やが、てんでに自分のことを考へながら、ぼんやり並んで坐つてる、浅草公園のベンチの上にもひろがつて居て、灯《ひ》ともし頃の都会の情趣を、無限に侘《わび》しげに見せるのである。
 げに都会の生活の自由さは、群集の中に居る自由さである。群集は一人一人の単位であつて、しかも全体としての綜合《そうごう》した意志をもつてる。だれも私の生活に交渉せず、私の自由を束縛しない。しかも全体の動く意志の中で、私がまた物を考へ、為《な》し、味《あじわ》ひ、人人と共に楽しんで居る。心のいたく疲れた人、思い悩みに苦しむ人、わけても孤独を寂しむ人、孤独を愛する人によつて、群集こそは心の家郷、愛と慰安の住家である。ボードレエルと共に、私もまた一つのさびしい歌を唄はう。――都会は私の恋人。群集は私の家郷。ああ何処までも、何処までも、都会の空を徘徊《はいかい》しながら、群集と共に歩いて行かう。浪の彼方《かなた》は地平に消える、群集の中を流れて行かう。(『四季』1935年2月号)

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 虚無の歌
     我れは何物をも喪失せず
     また一切を失ひ尽せり。「氷島」

 午後の三時。広漠とした広間《ホール》の中で、私はひとり麦酒《ビール》を飲んでた。だれも外に客がなく、物の動く影さへもない。煖炉《ストーブ》は明るく燃え、扉《ドア》の厚い硝子《ガラス》を通して、晩秋の光が侘《わび》しく射《さ》してた。白いコンクリートの床、所在のない食卓《テーブル》、脚の細い椅子の数数。
 ヱビス橋の側《そば》に近く、此所の侘しいビヤホールに来て、私は何を待つてるのだらう? 恋人でもなく、熱情でもなく、希望でもなく、好運でもない。私はかつて年が若く、一切のものを欲情した。そして今既に老いて疲れ、一切のものを喪失した。私は孤独の椅子を探して、都会の街街《まちまち》を放浪して来た。そして最後に、自分の求めてるものを知つた。一杯の冷たい麦酒《ビール》と、雲を見てゐる自由の時間! 昔の日から今日の日まで、私の求めたものはそれだけだつた。
 かつて私は、精神のことを考へてゐた。夢みる一つの意志。モラルの体熱。考へる葦《あし》のをののき。無限への思慕。エロスへの切ない祈祷《いのり》。そして、ああそれが「精神」といふ名で呼ばれた、私の失はれた追憶[#「失はれた追憶」に二重丸傍点]だつた。かつて私は、肉体のことを考へて居た。物質と細胞とで組織され、食慾し、生殖し、不断にそれの解体を強ひるところの、無機物に対して抗争しながら、悲壮に悩んで生き長らへ、貝のやうに呼吸してゐる悲しい物を。肉体!ああそれも私に遠く、過去の追憶にならうとしてゐる。私は老い、肉慾することの熱を無くした。墓と、石と、蟾蜍《ひきがえる》とが、地下で私を待つてるのだ。
 ホールの庭には桐《きり》の木が生《は》え、落葉が地面に散らばつて居た。その板塀《いたべい》で囲まれた庭の彼方《かなた》、倉庫の並ぶ空地《あきち》の前を、黒い人影が通つて行く。空には煤煙《ばいえん》が微《かす》かに浮び、子供の群集する遠い声が、夢のやうに聞えて来る。広いがらん[#「がらん」に傍点]とした広間《ホール》の隅で、小鳥が時時|囀《さえず》つて居た。ヱビス橋の側に近く、晩秋の日の午後三時。コンクリートの白つぽい床、所在のない食卓《テーブル》、脚の細い椅子の数数。
 ああ神よ! もう取返す術《すべ》もない。私は一切を失い尽した。けれどもただ、ああ何といふ楽しさだらう。私はそれを信じたいのだ。私が生き、そして「有る」ことを信じたいのだ。永久に一つの「無」が、自分に有ることを信じたいのだ。神よ! それを信じせしめよ。私の空洞《うつろ》な最後の日に。
 今や、かくして私は、過去に何物をも喪失せず、現に何物をも失はなかつた。私は喪心者のやうに空を見ながら、自分の幸福に満足して、今日も昨日も、ひとりで閑雅な麦酒《ビール》を飲んでる。虚無よ! 雲よ! 人生よ。(『四季』1936年5月号)

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 虫

 或る詰らない何かの言葉が、時としては毛虫のやうに、脳裏の中に意地わるくこびりついて、それの意味が見出される迄、執念深く苦しめるものである。或る日の午後、私は町を歩きながら、ふと「鉄筋コンクリート」といふ言葉を口に浮べた。何故にそんな言葉が、私の心に浮んだのか、まるで理由がわからなかつた。だがその言葉の意味の中に、何か常識の理解し得ない、或る幽幻な哲理の謎《なぞ》が、神秘に隠されてゐるやうに思はれた。それは夢の中の記憶のやうに、意識の背後にかくされて居り、縹渺《ひようびよう》として捉へがたく、そのくせすぐ目の前にも、捉《とら》へることができるやうに思はれた。何かの忘れたことを思ひ出す時、それがつい近くまで来て居ながら、容易に思ひ出せない時のあの焦燥。多くの人人が、たれも経験するところの、あの苛苛《いらいら》した執念の焦燥が、その時以来|憑《つ》きまとつて、絶えず私を苦しくした。家に居る時も、外に居る時も、不断に私はそれを考へ、この詰らない、解りきつた言葉の背後にひそんでゐる、或る神秘なイメ−ヂの謎を摸索《もさく》して居た。その憑き物のやうな言葉は、いつも私の耳元で囁《ささや》いて居た。悪いことにはまた、それには強い韻律的の調子があり、一度おぼえた詩語のやうに、意地わるく忘れることができないのだ。「テツ、キン、コン」と、それは三シラブルの押韻《おういん》をし、最後に長く「クリート」と曳《ひ》くのであつた。その神秘的な意味を解かうとして、私は偏執狂のやうになつてしまつた。明らかにそれは、一つの強迫観念にちがひなかつた。私は神経衰弱病にかかつて居たのだ。
 或る日、電車の中で、それを考へつめてる時、ふと隣席の人の会話を聞いた。
 「そりや君。駄目《だめ》だよ。木造ではね。」
 「やつぱり鉄筋コンクリートかな。」
 二人づれの洋服紳士は、たしかに何所《どこ》かの技師であり、建築のことを話して居たのだ。だが私には、その他の会話は聞えなかつた。ただその単語だけが耳に入つた。「鉄筋コンクリート!」
 私は跳《と》びあがるやうなショツクを感じた。さうだ。この人たちに聞いてやれ。彼等は何でも知つてるのだ。機会を逸するな。大胆にやれ。と自分の心をはげましながら
 「その……ちよいと……失礼ですが……。」
 と私は思ひ切つて話しかけた。
 「その……鉄筋コンクリート……ですな。エエ……それはですな。それはつまり、どういふわけですかな。エエそのつまり言葉の意味……といふのはその、つまり形而上《けいじじよう》の意味……僕はその、哲学のことを言つてるのですが……。」
 私は妙に舌がどもつて、自分の意志を表現することが不可能だつた。自分自身には解つて居ながら、人に説明することができないのだつた。隣席の紳士は、吃驚《びつくり》したやうな表情をして、私の顔を正面から見つめて居た。私が何事をしやべつて居るのか、意味が全《まる》で解らなかつたのである。それから隣の連《つれ》を顧み、気味悪さうに目を見合せ、急にすつかり黙つてしまつた。私はテレかくしにニヤニヤ笑つた。次の停車場についた時、二人の紳士は大急ぎで席を立ち、逃げるやうにして降りて行つた。
 到頭或る日、私はたまりかねて友人の所へ出かけて行つた。部屋に入ると同時に、私はいきなり質問した。
 「鉄筋コンクリートつて、君、何のことだ。」
 友は呆気《あつけ》にとられながら、私の顔をぼんやり見詰めた。私の顔は岩礁《がんしよう》のやうに緊張して居た。
 「何だい君。」
 と、半ば笑ひながら友が答へた。
 「そりや君。中の骨組を鉄筋にして、コンクリート建てにした家のことぢやないか。それが何うしたつてんだ。一体。」
 「ちがふ。僕はそれを聞いてるのぢやないんだ。」
 と、不平を色に現はして私が言つた。
 「それの意味なんだ。僕の聞くはね。つまり、その……。その言葉の意味……表象……イメーヂ……。つまりその、言語のメタフイヂツクな暗号。寓意《ぐうい》。その秘密。……解るね。つまりその、隠されたパズル。本当の意味なのだ。本当の意味なのだ。」
 この本当の意味と言ふ語に、私は特に力を入れて、幾度も幾度も繰返した。
 友はすつかり呆気に取られて、放心者のやうに口を開きながら、私の顔ばかり視《み》つめて居た。私はまた繰返して、幾度もしつツこく質問した。だが友は何事も答へなかつた。そして故意に話題を転じ、笑談に紛らさうと努め出した。私はムキになつて腹が立つた。人がこれほど真面目《まじめ》になつて、熱心に聞いてる重大事を、笑談に紛らすとは何の事だ。たしかに、此奴は自分で知つてるにちがひないのだ。ちやんとその秘密を知つてゐながら、私に教へまいとして、わざと薄とぼけて居るにちがひないのだ。否、この友人ばかりではない。いつか電車の中で逢《あ》つた男も、私の周囲に居る人たちも、だれも皆知つてるのだ。知つて私に意地わるく教へないのだ。
 「ざまあ見やがれ。此奴等!」
 私は心の中で友を罵《ののし》り、それから私の知つてる範囲の、あらゆる人人に対して敵愾《てきがい》した。何故に人人が、こんなにも意地わるく私にするのか。それが不可解でもあるし、口惜しくもあつた。
 だがしかし、私が友の家を跳び出した時、ふいに全く思ひがけなく、その憑き物のやうな言葉の意味が、急に明るく、霊感のやうに閃《ひら》めいた。
 「虫だ!」
 私は思はず声に叫んだ。虫! 鉄筋コンクリートといふ言葉が、秘密に表象してゐる謎の意味は、実にその単純なイメーヂに過ぎなかつたのだ。それが何故に虫であるかは、此所《ここ》に説明する必要はない。或る人人にとつて、牡蠣《かき》の表象が女の肉体であると同じやうに、私自身にすつかり解りきつたことなのである。私は声をあげて明るく笑つた。それから両手を高く上げ、鳥の飛ぶやうな形をして、嬉《うれ》しさうに叫びながら、町の通りを一散に走り出した。(『文藝』1937年1月号)

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 貸家札

 熱帯地方の砂漠《さばく》の中で、一疋の獅子《しし》が昼寝をして居た。肢体《したい》をできるだけ長く延ばして、さもだるさうに疲れきつて。すべての猛獣の習性として、胃の中の餌物《えもの》が完全に消化するまで、おそらく彼はそのポーズで永遠に眠りつづけて居るのだらう。赤道直下の白昼《まひる》。風もなく音もない。万象《ばんしよう》の死に絶えた沈黙《しじま》の時。
 その時、不意に獅子が眠から目をさました。そして耳をそば立て、起き上り、緊張した目付をして、用心深く、機敏に襲撃の姿勢をとつた。どこかの遠い地平の影に、彼は餌物を見つけたのだ。空気が動き、万象の沈黙《しじま》が破れた。
 一人の旅行者――ヘルメツト帽を被《かぶ》り、白い洋服をきた人間が、この光景を何所《どこ》かで見て居た。彼は一言の口も利《き》かず、黙つて砂丘の上に生えてる、椰子《やし》の木の方へ歩いて行つた。その椰子の木には、ずつと前から、長い時間の風雨に曝《さら》され、一枚の古い木札が釘《くぎ》づけてあつた。

(貸家アリ。瓦斯《ガス》、水道付。日当リヨシ。)

 ヘルメツトを被つた男は、黙つてその木札をはがし、ポケツトに入れ、すたすたと歩きながら、地平線の方へ消えてしまつた。(『いのち』1937年10月号、『シナリオ研究』1937年10月号)

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 この手に限るよ

 目が醒《さ》めてから考へれば、実に馬鹿馬鹿しくつまらぬことが、夢の中では勿体《もつたい》らしく、さも重大の真理や発見のやうに思はれるのである。私はかつて夢の中で、数人の友だちと一緒に、町の或る小綺麗《こぎれい》な喫茶店に入つた。そこの給仕女に一人の悧発《りはつ》さうな顔をした、たいそう愛くるしい少女が居た。どうにかして、皆はそのメツチエンと懇意になり、自分に手なづけようと焦燥した。そこで私が、一つのすばらしいことを思ひついた。少女の見て居る前で、私は角砂糖の一つを壺《つぼ》から出した。それから充分に落着いて、さも勿体らしく、意味ありげの手付をして、それを紅茶の中へそつと落した。
 熱い煮えたつた紅茶の中で、見る見る砂糖は解けて行つた。そして小さな細かい気泡《きほう》が、茶碗《ちやわん》の表面に浮びあがり、やがて周囲の辺《へり》に寄り集つた。その時私はまた一つの角砂糖を壺から出した。そして前と同じやうに、気取つた勿体らしい手付をしながら、そつと茶碗へ落し込んだ。(その時私は、いかに自分の手際《てぎわ》が鮮やかで、巴里《パリ》の伊達者《だてしゃ》がやる以上に、スマートで上品な挙動に適《かな》つたかを、自分で意識して得意でゐた。)茶碗の底から、再度また気泡が浮び上つた。そして暫《しば》らく、真中にかたまり合つて踊りながら、さつと別れて茶碗の辺《へり》に吸ひついて行つた。それは丁度、よく訓練された団体遊戯《マスゲーム》が、号令によつて、行動するやうに見えた。
 「どうだ。すばらしいだろう!」
 と私が言つた。
 「まあ。素敵ね!」
 とじつと見て居たその少女が、感嘆おく能《あた》はざる調子で言つた。
 「これ、本当の芸術だわ。まあ素敵ね。貴方《あなた》。何て名前の方なの?」
 そして私の顔を見詰め、絶対無上の尊敬と愛慕をこめて、その長い睫毛《まつげ》をしばだたいた。是非また来てくれと懇望した。私にしばしば逢つて、いろいろ話が聞きたいからとも言つた。
 私はすつかり得意になつた。そして我ながら自分の思ひ付に感心した。こんなすばらしいことを、何故《なぜ》にもつと早く考へつかなかつたらうと不思議に思つた。これさへやれば、どんな女でも造作なく、自分の自由に手なづけることができるのである。かつて何人も知らなかつた、これ程《ほど》の大発明を、自分が独創で考へたといふことほど、得意を感じさせることはなかつた。そこで私は、茫然《ぼうぜん》としてゐる友人等の方をふり返つて、さも誇らしく、大得意になつて言つた。
 「女の子を手なづけるにはね、君。この手に限るんだよ。この手にね。」
 そこで夢から醒めた。そして自分のやつたことの馬鹿馬鹿しさを、あまりの可笑《おか》しさに吹き出してしまつた。だが「この手に限るよ。」と言つた自分の言葉が、いつ迄も耳に残つて忘られなかつた。
 「この手に限るよ。」
 その夢の中の私の言葉が、今でも時時聞える時、私は可笑しさに転《ころ》がりながら、自分の中の何所かに住んでる、或る「馬鹿者《フール》」の正体を考へるのである。(『いのち』1937年10月号)

==================================================================底本:岩波文庫版猫町他十七篇(岩波書店、1997年12月5日発行第4刷)
底本の親本:萩原朔太郎全集(筑摩書房、1976年発行)
テキスト入力:ryoko masuda
テキスト校正:浜野 智
青空文庫公開:1999年1月


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