青空文庫アーカイブ

出帆
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)成瀬《なるせ》君

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(例)[#地から1字上げ](大正五年九月)
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 成瀬《なるせ》君
 君に別れてから、もう一月《ひとつき》の余になる。早いものだ。この分では、存外容易に、君と僕らとを隔てる五、六年が、すぎ去ってしまうかもしれない。
 君が横浜を出帆した日、銅鑼《どら》が鳴って、見送りに来た連中が、皆、梯子《はしご》伝いに、船から波止場《はとば》へおりると、僕はジョオンズといっしょになった。もっとも、さっき甲板《かんぱん》ではちょいと姿を見かけたが、その後、君の船室へもサロンへも顔を出さなかったので、僕はもう帰ったのかと思っていた。ところが、先生、僕をつかまえると、大元気《だいげんき》で、ここへ来るといつでも旅がしたくなるとか、己《おれ》も来年かさ来年はアメリカへ行くとか、いろんなことを言う。僕はいいかげんな返事をしながら、はなはだ、煮切らない態度で、お相手をつとめていた。第一、ばかに暑い。それから、胃がしくしく、痛む。とうてい彼のしゃべる英語を、いちいち理解するほど、神経を緊張する気になれない。
 そのうちに、船が動きだした。それも、はなはだ、緩慢《かんまん》な動き方で、船と波止場との間の水が少しずつ幅を広くしていくから、わかるようなものの、さもなければ、ほとんど、動いているとは受取れないくらいである。おまけに、この間の水なるものが、非常にきたない。わらくずやペンキ塗りの木の片《きれ》が黄緑色に濁った水面を、一面におおっている。どうも、昔、森さんの「桟橋《さんばし》」とかいうもので読んだほど、小説らしくもなんともない。
 麦わら帽子をかぶって、茶の背広を着た君は、扇を持って、こっちをながめていた。それも至極通俗なながめ方である。学校から帰りに、神田《かんだ》をいっしょに散歩して、須田町《すだちょう》へ来ると、いつも君は三田《みた》行の電車へのり、僕は上野《うえの》行の電車にのった。そうしてどっちか先へのったほうを、あとにのこされたほうが見送るという習慣があった。今日《きょう》、船の上にいる君が、波止場《はとば》をながめるのも、その時とたいした変わりはない。(あるいは僕のほうに、変わりがないせいだろうか)僕は、時々君の方を見ながら、ジョオンズとでたらめな会話をやっていた。彼はクロンプトン・マッケンジイがどうとか言ったかと思うと、ロシアの監獄へは、牢《ろう》やぶりの器械を売りに来るとかなんとか言う。何をしゃべっているのだか、わからない。ただ、君を見送ってから彼が沼津《ぬまづ》へ写生にゆくということだけは、何度もきき返してやっとわかった。
 そのうちに、気がついて見ると、船と波止場との距離が、だいぶん遠くなっている。この時、かなり痛切に、君が日本を離れるのだという気がした。皆が、成瀬君万歳と言う。君は扇を動かして、それに答えた。が、僕は中学時代から一度も、大きな声で万歳と言ったことがない。そこで、その時も、ただ、かぶっていた麦わら帽子をぬいで、それを高くさし上げて、パセティックな心もちに順応させた。万歳の声は、容易にやまない。僕は君に、いつか、「燃焼しない」(君のことばをそのまま、使えば)と言って非難されたことを思い出した。そうして微笑した。僕の前では君の弟が、ステッキの先へハンケチを結びつけて、それを勢いよくふりながら「兄さん万歳」をくり返している。……
 後甲板《こうかんぱん》には、ロシアの役者が大ぜい乗っていた。それが男は、たいてい、うすぎたない日本の浴衣《ゆかた》をひっかけている。いつか本郷座《ほんごうざ》へ出た連中であるが、こうして日のかんかん照りつける甲板に、だらしのない浴衣がけで、集っているのを見ると、はなはだ、ふるわない。中には、赤い頭巾《ずきん》をかぶった女役者や半ズボンをはいた子供も、まじっていた。――すると、その連中が、突然声をそろえて、何か歌をうたいだした。やはり浴衣がけの背の高い男が、バトンを持っているような手つきで、拍子《ひょうし》をとっているのが見える。ジョオンズは、歌の一節がきれるたびに、うなずいて「グッド」と言った。が何がグッドなのだが、僕にはわからない。
 船のほうは、その通り陽気だが、波止場のほうはなかなかそうはいかない。どっちを見ても泣いている人が、大ぜいある。君のおかあさんも、泣いていられた。妹たちも泣いていたらしい。涙は見えなくとも、泣かないばかりの顔は、そこにもここにもある。ことに、フロックコオトに山高帽子《やまたかぼうし》をかぶった、年よりの異人《いじん》が、手をあげて、船の方を招くようなまねをしていたのは、はなはだ小説らしい心もちがした。
「君は泣かないのかい」
 僕は、君の弟の肩をたたいて、きいてみた。
「泣くものか。僕は男じゃないか」
 さながら、この自明の理を知らない僕をあわれむような調子である。僕はまた、微笑した。
 船はだんだん、遠くなった。もう君の顔も見えない。ただ、扇をあげて、時々こっちの万歳に答えるのだけがわかる。
「おい、みんなひなたへ出ようじゃないか。日かげにいると、向こうからこっちが見えない」
 久米《くめ》が、皆をふり返ってこう言った。そこで、皆ひなたへ出た。僕はやはり帽子をあげて立っている。僕のとなりには、ジョオンズが、怪しげなパナマをふっている。その前には、背の高い松岡《まつおか》と背の低い菊池《きくち》とが、袂《たもと》を風に翻しながら、並んで立っている。そうして、これも帽子をふっている。時々、久米が、大きな声を出して、「成瀬《なるせ》」と呼ぶ。ジョオンズが、口笛をふく。君の弟が、ステッキをふりまわして「兄さん万歳」を連叫《れんきょう》する。――それが、いよいよ、君が全く見えなくなるまで、続いた。
 帰りぎわに、ふりむいて見たら、例の年よりの異人《いじん》は、まだ、ぼんやり船の出て行った方をながめている。すると、僕といっしょにふりむいたジョオンズは、指をぴんと鳴らしながら、その異人の方を顋《あご》でしゃくって He is a beggar とかなんとか言った。
「へえ、乞食《こじき》かね」
「乞食さ。毎日、波止場をうろついているらしい。己はここへよく来るから、知っている」
 それから、彼は、日本人のフロックコオトに対する尊敬の愚《ぐ》なるゆえんを、長々と弁じたてた。僕のセンティメンタリズムは、ここでもまたいよいよ「燃焼」せざるべく、新に破壊されたわけである。
 そのうちに、久米と松岡とが、日本の文壇の状況を、活字にして、君に報ずるそうだ。僕もまた近々に、何か書くことがあるかもしれない。
[#地から2字上げ](大正五年九月)



底本:「羅生門・鼻・芋粥」角川文庫、角川書店
   1950(昭和25)年10月20日初版発行
   1985(昭和60)年11月10日改版38版発行
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月12日公開
2004年3月10日修正
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