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三つの宝
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)盗人《ぬすびと》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)皆|献上《けんじょう》する

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#疑問符感嘆符、1-8-77]
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        一

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森の中。三人の盗人《ぬすびと》が宝を争っている。宝とは一飛びに千里飛ぶ長靴《ながぐつ》、着れば姿の隠れるマントル、鉄でもまっ二《ぷた》つに切れる剣《けん》――ただしいずれも見たところは、古道具らしい物ばかりである。
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第一の盗人 そのマントルをこっちへよこせ。
第二の盗人 余計《よけい》な事を云うな。その剣こそこっちへよこせ。――おや、おれの長靴を盗んだな。
第三の盗人 この長靴はおれの物じゃないか? 貴様こそおれの物を盗んだのだ。
第一の盗人 よしよし、ではこのマントルはおれが貰って置こう。
第二の盗人 こん畜生《ちくしょう》! 貴様なぞに渡してたまるものか。
第一の盗人 よくもおれを撲《なぐ》ったな。――おや、またおれの剣も盗んだな?
第三の盗人 何だ、このマントル泥坊め!
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三人の者が大喧嘩《おおげんか》になる。そこへ馬に跨《またが》った王子が一人、森の中の路を通りかかる。
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王子 おいおい、お前たちは何をしているのだ? (馬から下りる)
第一の盗人 何、こいつが悪いのです。わたしの剣を盗んだ上、マントルさえよこせと云うものですから、――
第三の盗人 いえ、そいつが悪いのです。マントルはわたしのを盗んだのです。
第二の盗人 いえ、こいつ等《ら》は二人とも大泥坊です。これは皆わたしのものなのですから、――
第一の盗人 嘘をつけ!
第二の盗人 この大法螺吹《おおぼらふ》きめ!
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三人また喧嘩をしようとする。
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王子 待て待て。たかが古いマントルや、穴のあいた長靴ぐらい、誰がとっても好《い》いじゃないか?
第二の盗人 いえ、そうは行きません。このマントルは着たと思うと、姿の隠れるマントルなのです。
第一の盗人 どんなまた鉄の兜《かぶと》でも、この剣で切れば切れるのです。
第三の盗人 この長靴もはきさえすれば、一飛びに千里飛べるのです。
王子 なるほど、そう云う宝なら、喧嘩をするのももっともな話だ。が、それならば欲張《よくば》らずに、一つずつ分ければ好《い》いじゃないか?
第二の盗人 そんな事をしてごらんなさい。わたしの首はいつ何時《なんどき》、あの剣に切られるかわかりはしません。
第一の盗人 いえ、それよりも困るのは、あのマントルを着られれば、何を盗まれるか知れますまい。
第二の盗人 いえ、何を盗んだ所が、あの長靴をはかなければ、思うようには逃げられない訣《わけ》です。
王子 それもなるほど一理窟《ひとりくつ》だな。では物は相談だが、わたしにみんな売ってくれないか? そうすれば心配も入らないはずだから。
第一の盗人 どうだい、この殿様に売ってしまうのは?
第三の盗人 なるほど、それも好《い》いかも知れない。
第二の盗人 ただ値段次第だな。
王子 値段は――そうだ。そのマントルの代りには、この赤いマントルをやろう、これには刺繍《ぬいとり》の縁《ふち》もついている。それからその長靴の代りには、この宝石のはいった靴をやろう。この黄金細工《きんざいく》の剣《けん》をやれば、その剣をくれても損はあるまい。どうだ、この値段では?
第二の盗人 わたしはこのマントルの代りに、そのマントルを頂きましょう。
第一の盗人と第三の盗人 わたしたちも申し分はありません。
王子 そうか。では取り換《か》えて貰おう。
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王子はマントル、剣、長靴等を取り換えた後《のち》、また馬の上に跨《またが》りながら、森の中の路を行きかける。
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王子 この先に宿屋はないか?
第一の盗人 森の外へ出さえすれば「黄金《きん》の角笛《つのぶえ》」という宿屋があります。では御大事にいらっしゃい。
王子 そうか。ではさようなら。(去る)
第三の盗人 うまい商売をしたな。おれはあの長靴が、こんな靴になろうとは思わなかった。見ろ。止《と》め金《がね》には金剛石《ダイヤモンド》がついている。
第二の盗人 おれのマントルも立派《りっぱ》な物じゃないか? これをこう着た所は、殿様のように見えるだろう。
第一の盗人 この剣も大した物だぜ。何しろ柄《つか》も鞘《さや》も黄金《きん》だからな。――しかしああやすやす欺《だま》されるとは、あの王子も大莫迦《おおばか》じゃないか?
第二の盗人 しっ! 壁に耳あり、徳利《とくり》にも口だ。まあ、どこかへ行って一杯やろう。
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三人の盗人は嘲笑《あざわら》いながら、王子とは反対の路へ行ってしまう。
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        二

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「黄金《きん》の角笛《つのぶえ》」と云う宿屋の酒場。酒場の隅《すみ》には王子がパンを噛《か》じっている。王子のほかにも客が七八人、――これは皆村の農夫らしい。
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宿屋の主人 いよいよ王女の御婚礼《ごこんれい》があるそうだね。
第一の農夫 そう云う話だ。なんでも御壻《おむこ》になる人は、黒ん坊の王様だと云うじゃないか?
第二の農夫 しかし王女はあの王様が大嫌《だいきら》いだと云う噂《うわさ》だぜ。
第一の農夫 嫌いなればお止しなされば好《い》いのに。
主人 ところがその黒ん坊の王様は、三つの宝ものを持っている。第一が千里飛べる長靴《ながぐつ》、第二が鉄さえ切れる剣《けん》、第三が姿の隠れるマントル、――それを皆|献上《けんじょう》すると云うものだから、欲の深いこの国の王様は、王女をやるとおっしゃったのだそうだ。
第二の農夫 御可哀《おかわい》そうなのは王女御一人だな。
第一の農夫 誰か王女をお助け申すものはないだろうか?
主人 いや、いろいろの国の王子の中には、そう云う人もあるそうだが、何分あの黒ん坊の王様にはかなわないから、みんな指を啣《くわ》えているのだとさ。
第二の農夫 おまけに欲の深い王様は、王女を人に盗まれないように、竜《りゅう》の番人を置いてあるそうだ。
主人 何、竜じゃない、兵隊だそうだ。
第一の農夫 わたしが魔法《まほう》でも知っていれば、まっ先に御助け申すのだが、――
主人 当り前さ、わたしも魔法を知っていれば、お前さんなどに任《まか》せて置きはしない。(一同笑い出す)
王子 (突然一同の中へ飛び出しながら)よし心配するな! きっとわたしが助けて見せる。
一同 (驚いたように)あなたが※[#疑問符感嘆符、1-8-77]
王子 そうだ、黒ん坊の王などは何人でも来い。(腕組をしたまま、一同を見まわす)わたしは片っ端《ぱし》から退治《たいじ》して見せる。
主人 ですがあの王様には、三つの宝があるそうです。第一には千里飛ぶ長靴、第二には、――
王子 鉄でも切れる剣か? そんな物はわたしも持っている。この長靴を見ろ。この剣を見ろ。この古いマントルを見ろ。黒ん坊の王が持っているのと、寸分《すんぶん》も違わない宝ばかりだ。
一同 (再び驚いたように)その靴が※[#疑問符感嘆符、1-8-77] その剣が※[#疑問符感嘆符、1-8-77] そのマントルが※[#疑問符感嘆符、1-8-77]
主人 (疑わしそうに)しかしその長靴には、穴があいているじゃありませんか?
王子 それは穴があいている。が、穴はあいていても、一飛びに千里飛ばれるのだ。
主人 ほんとうですか?
王子 (憐《あわれ》むように)お前には嘘《うそ》だと思われるかも知れない。よし、それならば飛んで見せる。入口の戸をあけて置いてくれ。好《い》いか。飛び上ったと思うと見えなくなるぞ。
主人 その前に御勘定《おかんじょう》を頂きましょうか?
王子 何、すぐに帰って来る。土産《みやげ》には何を持って来てやろう。イタリアの柘榴《ざくろ》か、イスパニアの真桑瓜《まくわうり》か、それともずっと遠いアラビアの無花果《いちじく》か?
主人 御土産《おみやげ》ならば何でも結構です。まあ飛んで見せて下さい。
王子 では飛ぶぞ。一、二、三!
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王子は勢好《いきおいよ》く飛び上る。が、戸口へも届《とど》かない内に、どたりと尻餅《しりもち》をついてしまう。
一同どっと笑い立てる。
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主人 こんな事だろうと思ったよ。
第一の農夫 干里どころか、二三間も飛ばなかったぜ。
第二の農夫 何、千里飛んだのさ。一度千里飛んで置いて、また千里飛び返ったから、もとの所へ来てしまったのだろう。
第一の農夫 冗談《じょうだん》じゃない。そんな莫迦《ばか》な事があるものか。
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一同大笑いになる。王子はすごすご起き上りながら、酒場の外へ行こうとする。
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主人 もしもし御勘定を置いて行って下さい。
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王子無言のまま、金《かね》を投げる。
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第二の農夫 御土産は?
王子 (剣の柄《つか》へ手をかける)何だと?
第二の農夫 (尻ごみしながら)いえ、何とも云いはしません。(独り語《ごと》のように)剣だけは首くらい斬《き》れるかも知れない。
主人 (なだめるように)まあ、あなたなどは御年若《おとしわか》なのですから、一先《ひとまず》御父様《おとうさま》の御国へお帰りなさい。いくらあなたが騒《さわ》いで見たところが、とても黒ん坊の王様にはかないはしません。とかく人間と云う者は、何でも身のほどを忘れないように慎《つつし》み深くするのが上分別《じょうふんべつ》です。
一同 そうなさい。そうなさい。悪い事は云いはしません。
王子 わたしは何でも、――何でも出来ると思ったのに、(突然涙を落す)お前たちにも恥《は》ずかしい(顔を隠しながら)ああ、このまま消えてもしまいたいようだ。
第一の農夫 そのマントルを着て御覧なさい。そうすれば消えるかも知れません。
王子 畜生《ちくしょう》!(じだんだを踏む)よし、いくらでも莫迦《ばか》にしろ。わたしはきっと黒ん坊の王から可哀そうな王女を助けて見せる。長靴は千里飛ばれなかったが、まだ剣もある。マントルも、――(一生懸命に)いや、空手《からて》でも助けて見せる。その時に後悔《こうかい》しないようにしろ。(気違いのように酒場を飛び出してしまう。)
主人 困ったものだ、黒ん坊の王様に殺されなければ好《い》いが、――
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        三

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王城の庭。薔薇《ばら》の花の中に噴水《ふんすい》が上《あが》っている。始《はじめ》は誰もいない。しばらくの後《のち》、マントルを着た王子が出て来る。
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王子 やはりこのマントルは着たと思うと、たちまち姿が隠れると見える。わたしは城の門をはいってから、兵卒にも遇《あ》えば腰元《こしもと》にも遇《あ》った。が、誰も咎《とが》めたものはない。このマントルさえ着ていれば、この薔薇《ばら》を吹いている風のように、王女の部屋へもはいれるだろう。――おや、あそこへ歩いて来たのは、噂《うわさ》に聞いた王女じゃないか? どこかへ一時身を隠してから、――何、そんな必要はない、わたしはここに立っていても、王女の眼には見えないはずだ。
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王女は噴水の縁《ふち》へ来ると、悲しそうにため息をする。
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王女 わたしは何と云う不仕合せなのだろう。もう一週間もたたない内に、あの憎《にく》らしい黒ん坊の王は、わたしをアフリカへつれて行ってしまう。
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獅子《しし》や鰐《わに》のいるアフリカへ、(そこの芝《しば》の上に坐りながら)わたしはいつまでもこの城にいたい。この薔薇の花の中に、噴水の音を聞いていたい。……
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王子 何と云う美しい王女だろう。わたしはたとい命を捨てても、この王女を助けて見せる。
王女 (驚いたように王子を見ながら)誰です、あなたは?
王子 (独り語《ごと》のように)しまった! 声を出したのは悪かったのだ!
王女 声を出したのが悪い? 気違《きちが》いかしら? あんな可愛い顔をしているけれども、――
王子 顔? あなたにはわたしの顔が見えるのですか?
王女 見えますわ。まあ、何を不思議《ふしぎ》そうに考えていらっしゃるの?
王子 このマントルも見えますか?
王女 ええ、ずいぶん古いマントルじゃありませんか?
王子 (落胆《らくたん》したように)わたしの姿は見えないはずなのですがね。
王女 (驚いたように)どうして?
王子 これは一度着さえすれば、姿が隠れるマントルなのです。
王女 それはあの黒ん坊の王のマントルでしょう。
王子 いえ、これもそうなのです。
王女 だって姿が隠れないじゃありませんか?
王子 兵卒《へいそつ》や腰元《こしもと》に遇《あ》った時は、確かに姿が隠れたのですがね。その証拠《しょうこ》には誰に遇っても、咎《とが》められた事がなかったのですから。
王女 (笑い出す)それはそのはずですわ。そんな古いマントルを着ていらっしゃれば下男《げなん》か何かと思われますもの。
王子 下男!(落胆したように坐ってしまう)やはりこの長靴と同じ事だ。
王女 その長靴もどうかしましたの?
王子 これも千里飛ぶ長靴なのです。
王女 黒ん坊の王の長靴のように?
王子 ええ、――ところがこの間《あいだ》飛んで見たら、たった二三間も飛べないのです。御覧なさい。まだ剣《けん》もあります。これは鉄でも切れるはずなのですが、――
王女 何か切って御覧になって?
王子 いえ、黒ん坊の王の首を斬《き》るまでは、何も斬らないつもりなのです。
王女 あら、あなたは黒ん坊の王と、腕競《うでくら》べをなさりにいらしったの?
王子 いえ、腕競べなどに来たのじゃありません。あなたを助けに来たのです。
王女 ほんとうに?
王子 ほんとうです。
王女 まあ、嬉しい!
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突然黒ん坊の王が現れる。王子と王女とはびっくりする。
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黒ん坊の王 今日《こんにち》は。わたしは今アフリカから、一飛びに飛んで来たのです。どうです、わたしの長靴の力は?
王女 (冷淡に)ではもう一度アフリカへ行っていらっしゃい。
王 いや、今日《きょう》はあなたと一しょに、ゆっくり御話がしたいのです。(王子を見る)誰ですか、その下男は?
王子 下男?(腹立たしそうに立ち上る)わたしは王子です。王女を助けに来た王子です。わたしがここにいる限りは、指一本も王女にはささせません。
王 (わざと叮嚀《ていねい》に)わたしは三つの宝を持っています。あなたはそれを知っていますか?
王子 剣と長靴とマントルですか? なるほどわたしの長靴は一町も飛ぶ事は出来ません。しかし王女と一しょならば、この長靴をはいていても、千里や二千里は驚きません。またこのマントルを御覧なさい。わたしが下男と思われたため、王女の前へも来られたのは、やはりマントルのおかげです。これでも王子の姿だけは、隠す事が出来たじゃありませんか?
王 (嘲笑《あざわら》う)生意気《なまいき》な! わたしのマントルの力を見るが好い。(マントルを着る。同時に消え失せる)
王女 (手を打ちながら)ああ、もう消えてしまいました。わたしはあの人が消えてしまうと、ほんとうに嬉しくてたまりませんわ。
王子 ああ云うマントルも便利ですね。ちょうどわたしたちのために出来ているようです。
王 (突然また現われる。忌々《いまいま》しそうに)そうです。あなた方のために出来ているようなものです。わたしには役にも何にもたたない。(マントルを投げ捨てる)しかしわたしは剣を持っている。(急に王子を睨《にら》みながら)あなたはわたしの幸福を奪うものだ。さあ尋常に勝負をしよう。わたしの剣は鉄でも切れる。あなたの首位は何でもない。(剣を抜く)
王女 (立ち上るが早いか、王子をかばう)鉄でも切れる剣ならば、わたしの胸も突けるでしょう。さあ、一突きに突いて御覧なさい。
王 (尻ごみをしながら)いや、あなたは斬《き》れません。
王女 (嘲《あざけ》るように)まあ、この胸も突けないのですか? 鉄でも斬れるとおっしゃった癖に!
王子 お待ちなさい。(王女を押し止《とど》めながら)王の云う事はもっともです。王の敵はわたしですから、尋常に勝負をしなければなりません。(王に)さあ、すぐに勝負をしよう。(剣を抜く)
王 年の若いのに感心な男だ。好《い》いか? わたしの剣にさわれば命はないぞ。
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王と王子と剣を打ち合せる。するとたちまち王の剣は、杖《つえ》か何か切るように、王子の剣を切ってしまう。
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王 どうだ?
王子 剣は切られたのに違いない。が、わたしはこの通り、あなたの前でも笑っている。
王 ではまだ勝負を続ける気か?
王子 あたり前だ。さあ、来い。
王 もう勝負などはしないでも好《い》い。(急に剣を投げ捨てる)勝ったのはあなただ。わたしの剣などは何にもならない。
王子 (不思議そうに王を見る)なぜ?
王 なぜ? わたしはあなたを殺した所が、王女にはいよいよ憎《にく》まれるだけだ。あなたにはそれがわからないのか?
王子 いや、わたしにはわかっている。ただあなたにはそんな事も、わかっていなそうな気がしたから。
王 (考えに沈みながら)わたしには三つの宝があれば、王女も貰えると思っていた。が、それは間違いだったらしい。
王子 (王の肩に手をかけながら)わたしも三つの宝があれば、王女を助けられると思っていた。が、それも間違いだったらしい。
王 そうだ。我々は二人とも間違っていたのだ。(王子の手を取る)さあ、綺麗《きれい》に仲直りをしましょう。わたしの失礼《しつれい》は赦《ゆる》して下さい。
王子 わたしの失礼も赦して下さい。今になって見ればわたしが勝ったか、あなたが勝ったかわからないようです。
王 いや、あなたはわたしに勝った。わたしはわたし自身に勝ったのです。(王女に)わたしはアフリカへ帰ります。どうか御安心なすって下さい。王子の剣は鉄を切る代りに、鉄よりももっと堅い、わたしの心を刺したのです。わたしはあなた方の御婚礼《ごこんれい》のために、この剣と長靴と、それからあのマントルと、三つの宝をさし上げましょう。もうこの三つの宝があれば、あなた方二人を苦しめる敵は、世界にないと思いますが、もしまた何か悪いやつがあったら、わたしの国へ知らせて下さい。わたしはいつでもアフリカから、百万の黒ん坊の騎兵《きへい》と一しょに、あなた方の敵を征伐《せいばつ》に行きます。(悲しそうに)わたしはあなたを迎えるために、アフリカの都のまん中に、大理石の御殿を建てて置きました。その御殿のまわりには、一面の蓮《はす》の花が咲いているのです。(王子に)どうかあなたはこの長靴をはいたら、時々遊びに来て下さい。
王子 きっと御馳走《ごちそう》になりに行きます。
王女 (黒ん坊の王の胸に、薔薇《ばら》の花をさしてやりながら)わたしはあなたにすまない事をしました。あなたがこんな優《やさ》しい方だとは、夢にも知らずにいたのです。どうかかんにんして下さい。ほんとうにわたしはすまない事をしました。(王の胸にすがりながら、子供のように泣き始める)
王 (王女の髪《かみ》を撫《な》でながら)有難《ありがと》う。よくそう云ってくれました。わたしも悪魔《あくま》ではありません。悪魔も同様な黒ん坊の王は御伽噺《おとぎばなし》にあるだけです。(王子に)そうじゃありませんか?
王子 そうです。(見物に向いながら)皆さん! 我々三人は目がさめました。悪魔のような黒ん坊の王や、三つの宝を持っている王子は、御伽噺にあるだけなのです。我々はもう目がさめた以上、御伽噺の中の国には、住んでいる訣《わけ》には行きません。我々の前には霧《きり》の奥から、もっと広い世界が浮んで来ます。我々はこの薔薇と噴水との世界から、一しょにその世界へ出て行きましょう。もっと広い世界! もっと醜《みにく》い、もっと美しい、――もっと大きい御伽噺の世界! その世界に我々を待っているものは、苦しみかまたは楽しみか、我々は何も知りません。ただ我々はその世界へ、勇ましい一隊の兵卒のように、進んで行く事を知っているだけです。[#地から1字上げ](大正十一年十二月)
[#ここで字下げ終わり]



底本:「芥川龍之介全集5」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年2月24日第1刷発行
   1995(平成7)年4月10日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜11月刊行
入力:j.utiyama
校正:多羅尾伴内
2004年1月5日作成
青空文庫作成ファイル:
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