青空文庫アーカイブ

鴉片
芥川龍之介

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)勿論《もちろん》

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(例)重門|尽《ことごと》く

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(例)兪※[#「木+越」、第3水準1-86-11]《ゆゑつ》
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 クロオド・フアレエルの作品を始めて日本に紹介したのは多分堀口大学氏であらう。僕はもう六七年前に「三田文学」の為に同氏の訳した「キツネ」艦の話を覚えてゐる。
「キツネ」艦の話は勿論《もちろん》、フアレエルの作品に染《し》みてゐるものは東洋の鴉片《アヘン》の煙である。僕はこの頃矢野目源一氏の訳した、やはりフアレエルの「静寂の外に」を読み、もう一度この煙に触れることになつた。尤《もつと》もこの「静寂の外に」は芳《かんば》しい鴉片の匂の外にも死人の匂をも漂はせてゐる。「ポオとボオドレエル」兄弟商会の造つた死人の匂をも漂はせてゐる。
「おや、聞えたぞ。いや、空耳だらう。己にはわからない。死人の土地から洩れて来るにしてはあんまり音が大き過ぎる。一体ここで物の割れる音なんかするわけがない。泥溜《どろだめ》の中で棺桶が嚔《くさめ》をする。――一枚の板が揺ぶられる。頑丈な釘がうちつけてあるのを恐しい音をさせて軋《きし》ませる。……」
 これはポオの「Premature Burial」が大西洋の彼岸に伝へた幾多の反響の一つである。が、そんなことはどうでも好い。僕にちよつと面白かつたのは下に引用する一節である。――
「ところで已《すで》に仏蘭西《フランス》の土地で阿片を造らうとして失敗をつづけ乍《なが》らさまざまに苦心した。東京《トンキン》から持つて来た罌粟《けし》の種子を死骸で肥えた墓地に植ゑて見ると思ひの外に成績がよくてその特徴を発揮させることが出来た。今では、その毒汁で脹らんだ芥子坊主《けしぼうず》を切りさへすれば、望み通りに茶色の涙のやうなものがぼろぼろと滴り落ちて来る。……」
 鴉片に死人を想はせるのはフアレエルの作品に始まつたのではない。僕はこの頃漫然と兪※[#「木+越」、第3水準1-86-11]《ゆゑつ》の「右台仙館筆記《うたいせんくわんひつき》」を読んでゐるうちにかう云ふ俗伝は支那人の中にもあつたと云ふことを発見した。それは同書の中に掲げた「賈慎庵《かしんあん》」の話に出合つたからである。
 賈慎庵は何でも乾隆《けんりゆう》の末の老諸生の一人だつたと云ふことである。それが或夜の夢の中に大きい役所らしい家の前へ行つた。家は重門|尽《ことごと》く掩《おほ》ひ、闃《げき》としてどこにも人かげは見えない。「正に徘[#「徘」は底本では「俳」]徊《はいくわい》の間、俄《には》かに数人あり、一婦を擁して遠きより来り、この門の外に至る。」それから彼等はどう云ふ量見か、婦人の上下衣を奪つてしまつた。婦人はまだ年少である。のみならず姿色もない訣ではない。「瑩然《えいぜん》として裸立す、羞愧《しうき》の状、殆ど堪ふ可からず。」気を負うた賈《か》は直ちに進んで彼等の無状を叱りつけた。
「汝輩《なんぢがはい》、何びとぞ。敢て無礼を肆《し》する?」
 しかし彼等は微笑したまま、かう云ふ返答をしただけである。
「此れ何ぞ異とするに足らん。」
「言、未だ畢《をは》らず。門|忽《たちま》ち啓《ひら》く。数人有り。一巨桶《いちきよとう》を扛《かう》して出づ。一吏文書を執つてその後に随つて去る。衆即ち裸婦を擁して入る。賈も亦《また》随つて入る。」それから数門を過ぎて一広庭に至ると、「男女数百を見る。或は立ち、或は坐し、或は臥す。而して皆裸にして寸縷《すんる》無し。堂上に一官坐す。其前に一大|搾牀《さくしやう》を設く。健夫数輩、大鉄叉を執り、任意に男婦を将《も》つて槽内に叉置《さち》し、大石を用つて之を圧搾す。膏血《かうけつ》淋漓《りんり》たり。下に承くるに盆を以てす。盆満つれば即ち巨桶中に※[#「てへん+邑」、第3水準1-84-78]注《いふちう》す。是《かく》の如きもの十余次。巨桶|乃《すなはち》満つ。数人之を扛して出づ。官文書を判して一吏に付し、与《とも》に同じく出づ。」そこで賈が吏の顔を見ると、これはとうに墓の下へはひつた昔の隣人の周達夫《しうたつふ》である。賈は進んで周の名を呼んだ。
「子《し》胡《な》んぞ此に在るか? 此れ豈《あに》久しく留る可《べ》けんや。速《すみやか》に我に従つて出でよ。」
 周は驚いてかう言つた。が、賈は更に桶中《とうちう》の物の何であるかを尋ねて見た。
「鴉片|煙膏《えんかう》なり。」
 鴉片はまだ乾隆の末には今日のやうに流行しなかつた。従つて賈も亦鴉片とは何ものであるかを知らなかつた。
「鴉片煙とは何物ぞ?」
「方今承平日に久しく、人口過剰に苦しんでゐる。宜しく大劫《だいこふ》の銷除《せうぢよ》する有るべし。元来大劫なるものは水火刀兵の災に過ぐるものはない。この劫《こふ》に遇ふものは賢愚|倶《とも》に滅びてしまふ。福善禍淫の説も往往此に至つて窮まるものである。そこで天帝は諸神の会議を召集し、特に鴉片煙劫を創《はじ》めることにした。鴉片煙劫とは世間の罌粟の花汁《くわじふ》を借り、熬錬《がうれん》して膏《かう》と成し、人の吸食に任ずるものである。この煙を食ふものは劫中に在り、この煙を食はざるものは劫中に在らず。その人の自ら取るに任かせて造物の不仁を咎めさせないのである。この劫有りて以て人口過剰の数を銷除《せうぢよ》すれば、則ち水火刀兵の諸劫は十の五六を減ずるであらう。けれどもこの罌粟と云ふものは草花に属するものであり、古来世間には多いものである。その又汁も淡薄であるから、熬《がう》して膏とすることは出来ない。故に九幽の主に命じ[#「故に九幽の主に命じ」に傍点]、無間地獄中に不忠不孝無礼義破廉恥諸罪の魂を選び取つてこの間に録送し[#「無間地獄中に不忠不孝無礼義破廉恥諸罪の魂を選び取つてこの間に録送し」に傍点]、膏血を搾取して地上山陵原隰墳衍の神に転付し[#「膏血を搾取して地上山陵原隰墳衍の神に転付し」に傍点]、この膏血をして罌粟の花根内に灌ぎ入らしめ[#「この膏血をして罌粟の花根内に灌ぎ入らしめ」に傍点]、根よりして上は花苞に達せしむれば[#「根よりして上は花苞に達せしむれば」に傍点]、則ちその汁も自然に濃郁にして[#「則ちその汁も自然に濃郁にして」に傍点]、一たび熬錬を経れば[#「一たび熬錬を経れば」に傍点]、光色黝然たらん[#「光色黝然たらん」に傍点]。子試みに之を識れ[#「子試みに之を識れ」に傍点]。数十年の後[#「数十年の後」に傍点]、この煙天下に遍からん[#「この煙天下に遍からん」に傍点]。」
 賈は更に尋ねようとした。「忽ち又人有り。数十の男婦を駆りて至る。鞭策《べんさく》甚だ苦。声を斉《ひとし》うして呼号す。」賈は悸《おどろ》いて目を醒ました。それからこの夢を人に語つた。けれども誰一人信ずるものはない。そのうちに道光の中葉頃に至り、鴉片煙は果して流行し出した。尤も賈はそれよりも前に故人の数にはひつてゐる。しかし賈の夢の話は未だに人の耳に残つてゐる。そこでその頃誰からともなしに「鴉片煙中死人の膏血有り」などと口々に言ひ囃《はや》すやうになつた。……
 墓地に植ゑた罌粟の花から絶好の鴉片が得られると云ふのはフアレエルの想像の生んだものであらうか? それとも又上に掲げた支那の俗伝の生んだものであらうか? 僕は勿論どちらとも断言する資格を持つてゐない。唯この俗伝を生じたのも或は虞美人《ぐびじん》の血の化して虞美人草となつた話に根ざしてゐるかと思ふだけである。
 なほ最後につけ加へたいのは鴉片の煙は煙草のそれよりも、――殊に紙巻や葉巻のそれよりも東洋的香気の強いことである。若《も》し鴉片の煙の匂に近い匂を求めるとすれば、それは人気のない墓地の隅に寺男か何かの掃き集めた樒《しきみ》の葉を焚いてゐる匂であらう。従つて鴉片の煙の匂は清朝の支那人は暫く問はず、僕等現代の日本人にも墓、――死人、――死などと云ふ聯想を伴ひ易いものである。が、それ等の聯想は必しもあの「悪の華」の色彩を帯びてゐるとは限つてゐない。僕はこの文章を草しながら、寧ろいつか読んだことのある青々《せいせい》の発句を思ひ出してゐる。――
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初冬や谷中《やなか》あたりの墓の菊
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底本:「芥川龍之介全集 第十三巻」岩波書店
   1996(平成8)年11月8日発行
入力:もりみつじゅんじ
校正:林 幸雄
2002年1月26日公開
2004年3月17日修正
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