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美術曲芸しん粉細工
阿部徳蔵

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【テキスト中に現れる記号について】

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(例)てんで[#「てんで」に傍点]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)こと/″\く
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 しん粉細工に就いては、今更説明の必要もあるまい。たゞ、しん粉をねつて、それに着色をほどこし、花だの鳥だのゝ形を造るといふまでゞある。
 が、時には奇術師が、これを奇術に応用する場合がある。しかしその眼目とするところは、やはり、如何に手早く三味線に合せてしん粉でものゝ形を造り上げるかといふ点にある。だから、正しい意味では、しん粉細工応用の奇術ではなくて、奇術応用のしん粉細工といふべきであらう。
 さてそのやり方であるが、まづ術者は、十枚あるひは十数枚(この数まつたく任意)の、細長く切つた紙片を一枚づゝ観客に渡し、それへ好みの花の名を一つづゝ書いて貰ふ。書いてしまつたら、受けとる時にそこの文字が見えないために、ぎゆつ[#「ぎゆつ」に傍点]としごいて貰ふ。
 そこで術者は、客席へ出て花の名を書いた紙を集める。しかし、客が籤へ書いた全部の花を造るのは容易ではない、といふので、そのうちから一本だけを客に選んで貰ふ。が、もうその時には、全部に同一の花の名を書いた籤とすり替へられてある。
 これで奇術の方の準備がとゝのつたので、術者はしん粉細工にとりかゝる。まづ術者は、白や赤や青や紫やの色々のしん粉を見物に見せ、
『持出しましたるしん粉は、お目の前におきましてこと/″\く験めます。』
 といふ。勿論、しん粉になんの仕掛があるわけではないが一応はかういつて験めて見せる。
『さて只今より、これなるしん粉をもちまして、正面そなへつけの植木鉢に花を咲かせるので御座います。もし造上げましたる鉢の花が、お客様お抜取りの籤の花と相応いたしてをりましたら、お手拍子御唱采の程をお願ひいたします。』
 かういつて、しん粉細工をはじめるのである。普通、植木鉢に数本の枝を差しておき、それへ、楽屋の三味線に合せてしん粉で造つた花や葉をべた/\くつゝけて行くのである。が、これが又、非常な速さで、大概の花は五分以内で仕上げてしまふ。
 かうして花が出来上ると、客の抜いた籤と照合せる。が、勿論前に記したやうな仕組になつてゐるのだから、籤に書かれた花の名と、造上げた舞台の花とが一致することはいふまでもない。これが、奇術応用の『曲芸しん粉細工』である。
 稲荷魔術の発明者として有名な、神道斎狐光師は、このしん粉細工にも非常に妙を得てをり、各所で大唱采を博してゐた。狐光師の、このしん粉細工に就いて愉快な話がある。
 話は、大分昔のことだが、一時狐光老が奇術師をやめて遊んでゐた時代があつた。勿論、何をしなければならないといふ身の上ではなかつたが、ねが働きものゝ彼としては、遊んで暮すといふことの方が辛かつた。その時、ふと思ひついたのはしん粉細工だつた。
『面白い、暇つぶしにひとつ、大道でしん粉細工をはじめてやれ。』
 一度考へると、決断も早いがすぐ右から左へやつてしまふ気性である。で彼は、早速小さい車を註文した。そしてその車の上へ三段、段をつくつてその上へ梅だの桃だの水仙だのゝしん粉細工の花を、鉢植にして並べることにした。
 道楽が半分暇つぶしが半分といふ、至極のんきな商売で、狐光老はぶら/\、雨さへ降らなければ、毎日その車をひいて家を出かけて行つた。
 五月の、よく晴れたある日であつた。
 横浜は野毛通りの、とある橋の袂へ車をおいて、狐光老はしん粉で花を造つてゐた。
 麗かな春の光が、もの優しくしん粉の花壇にそゝいでゐた。
『こりやあきれいだ。』
『うまく出来るもんだねえ。』
 ちよいちよい、通りすがりの人達が立止つては、花壇の花をほめて行つた。もと/\、算盤を弾いてかゝつた仕事でないのだから、かうした讚辞を耳にしただけでも、もう狐光老の気持は充分に報いられてゐた。そして、『何しろこりや、美術しん粉細工なんだから……。』と、ひとり悦に入つてゐたのであつた。
 と、そこへ、学校からの戻りと見える女生徒が三人通りかゝつた。そしてしん粉の花を眺めると、
『まあきれいだ!』
 と立止つた。そして三人共車のそばへ寄つて来た。女生徒達は、しばらくしん粉を造る狐光老の手先に見とれてゐたが、『ねえ小父さん、小父さんにはどんな花でも出来るの?』
 ときいた。
『あゝ出来るとも、小父さんに出来ない花なんてものは、たゞの一つだつてありはしない。』
『さう、ぢやああたしチユウリツプがほしいの。小父さん拵へてくれない?』
 と一人がいつた。
『あたしもチユウリツプよ。』
『あたしも……。』
 と、他の二人もチユウリツプの註文をした。然し此時、俄然よわつたのは狐光老だつた。何を隠さう、彼はチユウリツプの花を知らなかつた。『チユウリツプ、チユウリツプ、きいたやうな名だが……。』と二三度口の中で繰返したが、てんで[#「てんで」に傍点]、どんな花だか見当さえつかなかつた。
 といつて今更、なんでも出来ると豪語した手前、それは知らぬとは到底いへないところである。
『ようし、勇敢にやつちまへ。』
 と決心がつくと、やをらしん粉に手をかけて、またゝく暇に植木鉢に三杯、チユウリツプ ? の花を造り上げた。が、それは、むろん狐光老とつさ[#「とつさ」に傍点]に創作したところのチユウリツプで、桃の花とも桜の花ともつかない、実にへんてこ[#「へんてこ」に傍点]な花であつた。
『さあ出来上つた。どうみてもほんものゝのチユウリツプそつくりだらう。』
 と、狐光老は、それを女生徒達の前にさし出した。女生徒達は、あつけ[#「あつけ」に傍点]にとられた顔つきでそれを受けとると、
『うふゝ。』
『うふゝ。』
 と、顔見合せて笑ひながら、おとなしく鉢を手にして帰つて行つた。が、後に残った狐光老はどうにも落付けなかつた。『チユウリツプ……一体どんな花だらう?』と、そのことばかり考へてゐた。
 そのうち夕方になつた。で、店をたゝんで狐光老は、ぶら/\車をひいて野毛通りを歩いて行つた。ふと気がつくと、すぐ目の前に大きな花屋があつた。彼は急いで車を止めると、つか/\店の中へはいつて行つた。そして、
『チユウリツプはあるかい?』
 ときいた。
『ございます。』と、すぐ店の者がチユウリツプを持つて来た。見ると、さつき自分の造つたものとは、似ても似つかぬ花であつた。
『いけねえ、とんでもないものを拵へちまつた。』
 と、狐光老は、その花を買つて家に帰つた。そしてその晩、彼はチユウリツプの花の造り方に就いておそくまで研究した。
 さて翌日、狐光老は、また昨日の場所へ店を出した。そして十杯あまり、大鉢のチユウリツプを造つて、屋台の上段へ、ずらり、人目をひくやうに並べておいた。
 三時頃、また昨日の女生徒が三人並んで通りかゝつた。と、彼女達は、早くも棚のチユウリツプに目をつけて、
『あら、チユウリツプがあるわ。』
 と、急いで店の前へ寄つて来た。
『小父さん、これチユウリツプつていふのよ。』
 と、そのうちの一人が、花を指さしながらいつた。狐光老は、『勿論、勿論!』といふ顔つきで、『あゝチユウリツプといふんだよ。』
 とすましてゐた。女生徒達はけげんさうに、
『でも小父さん、昨日あたし達に拵へてくれたチユウリツプ、とても変な花だつたわ。あたし今日みたいのがほしかつたの。』といつた。
『さうかい、そりやあ気の毒なことをしたね。このチユウリツプでよけりやあ、みんなで沢山持つておいで。』
 狐光老は嬉しさうに微笑してゐた。
『でもわるいわ……。』
『何がお前、遠慮なんかすることがあるものかね。いゝだけ持つて行くがいゝ。が、嬢ちやん方は、昨日みたいなチユウリツプをまだ学校でならはなかつたかね。』ときいた。
『あらいやだ! あんなチユウリツプつて……。』
 女生徒達は一斉に笑ひ出した。が、狐光老は、
『ありやあお前、あつち[#「あつち」に傍点]のチユウリツプなんだよ。』と、けろり[#「けろり」に傍点]としてゐた。
 その後間もなく、狐光老は奇術師に立戻つた。そして、この『美術曲芸しん粉細工』を演出する場合には、いつもいつもチユウリツプといふ、あのあちら[#「あちら」に傍点]的な花が一輪、二輪、三輪、あまた花々の中にまじつて咲いてゐた。



底本:「日本の名随筆 別巻7・奇術」作品社
   1991(平成3)年9月20日初版発行
底本の親本:「奇術随筆」人文書院
   1936(昭和11)年5月
入力:葵
校正:篠原陽子
2001年3月22日公開
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